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with メニエール

 2023年の秋、私の経営する英語教室の年間行事の一つ、ハロウィンパーティーの2日前、夫の誕生日の朝に突然左耳が塞がった。以前同じ様な症状の時には外耳炎だったので、酷くなる前にと朝一で耳鼻科に出かけたが、順番待ちをしている間にめまいを発症して吐き気。慌ててトイレに駆け込んだ。

 聴力検査をしてみたら、聴力(とくに中低音)が著しく低下していることとめまい発作ということで、メニエールの疑い。でもメニエール病は繰り返すという特徴もあるため、たった一度の発作で言い切ることは出来ない。取り敢えずメニエール病の薬の他めまい止め諸々5種類の薬を毎日飲むことになった。

 いつ訪れるかわからないめまい発作に怯えながらも、日々の仕事をこなしつつ、いろいろな体験談などを読んでいると早い人で1-2ヶ月で症状が落ち着くと書いてあったので、年内には治るだろうと甘い読み。英語教室その他の仕事の冬休みをクリスマス前から年明けまで2週間取ることにして、ここで十分自分を癒して復活すると勝手に決めた。

 のんびり過ごして良い方向に向かうと信じていたけれど、私自身の誕生日でもある正月の朝に特大級の発作。おせちの仕上げをして箱に詰めようとしていたら、周囲がグルグル回り初めて立っていられなくなった。横になったけれど、どの体勢を取っても強い船酔いの様な状態が改善せず、繰り返し嘔吐。朝から夕方まで冷たい床に横たわったままの一日になった。家族は心配して水を持ってきてくれたり毛布を持ってきてくれたりだったけど、私は十分に甘えることが出来なかった。せっかくの正月、私の看病で終わらせて欲しくなかった。
 メニエール病は謎が多いためストレスが原因と言われていて、特に責任感の強い人がなると言う。そう聞くと聞こえは良いけれど、私自身は責任感の強い人=「甘えきれない人・自分でなんでもしてしまおうとする人」なんじゃないかな、と思う。もちろん他の人のことはわからないから私自身に関して言うと、そんな感じ。心配してくれる家族に十分甘えることが難しかった。ただ放っておいて欲しかった。見えない苦しみは見えないから仕方ない。わかってもらいたいという気持ちもなかった。

 正月明けの1月4日、病院が開くのと同時に行ってめまいの相談をした。「めまいの点滴して帰りますか」と提案されて「はい」と即答。普段は薬とか注射とか大の苦手だけれど、今や私の最大の敵は薬でも注射でもなく「めまいとそれに伴う吐き気」。これで一日寝たきりで過ごすのは本当に嫌だ。なかなか良くならないので、ステロイドの投薬やバランス散(気分の安定を図る薬)、めまい止めの漢方薬など最高一日20錠以上の薬を飲むことになってしまった。

 流石にあの巨大船酔いの様なめまいがまた訪れるかと思うと、不安にもなってくる。治して帰ってくる、と意気込んでいた冬休みも終わり、大量の薬と共に2週間おきにめまい止めの点滴を受ける、いうオプションも私の日常に加わった。

 仕事に関しては、午前中の発作が多いことから小学校や親子クラスなど、午前中の仕事を2つ降りることにした。その分、自分のペースで出来る仕事をするためにライターの仕事を始めた。トライアルを受けてみたら採用が決まって、英語教育専門の記事を書く仕事を得た。締め切りは短めではあるけれど、発作のない時を狙ってとにかく記事を書く。自分の頭の中にある経験からほとんどの記事を書けるので、マイペースに仕事が出来る。

 そしてついに5ヶ月目に入った。最初は甘く見ていた病気も私の日々を脅かす存在となってしまったけど、それに飲まれない様にすることが大切だと思う。メニエール病とうつ病を併発する人が多いというのもだんだんわかってきた。いつ来るかわからない発作に怯える毎日は、心が不安定になりそうだ。「幸い」と言っていいのか、正月に家族全員揃った場面で倒れてしまったので、それまで見せない様にしてきた発作の辛さを図らずも家族全員が知ってしまった。そのおかげで私も少しずつ家族に甘えたり、自分の病気のことを人に話して約束を入れる場合も「もしその日に発作が起きていけなかったら、ごめんなさい」と事前に断りを入れることにした。今ここ。

 病気になってみて思うのは、最初は正常性バイアスなのか「私は大丈夫」感が強くて病気だけど負けないぞ、って思っていたのがだんだん自信がなくなってきて「こんなにしんどいなら、もうどうでもいいから楽になりたい」と思う気にもなってきた。そのまま過ごすときっと鬱々としていたのかも知れないけれど、その中でも時々ある「発作の全くない日」の気持ちよさ。読んだ本の中で見つけた美しい言葉。そんな小さな幸せを今までの何倍も大きく感じる様になってきた。

 寅さんが言っていた、人生ってしんどいことも多いけど、何度かやってくる「あぁ、生きてて良かった」って思える瞬間のために生きているんじゃないのかな、っていう言葉を思い出す。こんな病気の中でも「あぁ、生きてて良かった」って思えることも多い。この病気になって一番嬉しい言葉は、経験者の方の「昔私もなったけど、今は全然大丈夫だよ」という言葉。私もいつかそんな風に人に話せるようになるといい。

 「病気に負けないぞ」っていうんじゃなくて、今ではこの病と一緒に生きていこうと思っている。時々調子が悪くなるテレビを叩きながら使うみたいに。メニエール病も私の一部。一緒に楽しく生きていこうじゃないの。焦らず。笑うのが一番良い薬だってどこかで読んだから、たくさん笑って過ごそうじゃないの。
 そう思うwithメニエール5ヶ月目の今日この頃。

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