見出し画像

小学校英語は何のため

ブレ続ける英語教育の目的

 2011年に小学校外国語活動に関わり始めて、小学校の先生方や外国語(英語)指導に携わる先生方、保護者の方々からいろいろな声を聞く様になった。その中で印象に残っているのは「クラス内でレベルが違う場合、クラスは分けておられるのですか」というご質問。
 うーん、と考え込んでしまった。その質問を受けたのはまだ外国語活動、と「活動」として英語教育が行われていた2018年辺り。
そうか。英語は他者理解や自己表現、コミュニケーションの素地を育てるものと掲げていながら、一部の大人たちは既に「出来る」「出来ない」を分けるツールとして見ているのか。その現実と向き合ったあの時のショックは、2020年の教育改革で5、6年生の英語が教科になり評価がつくと決まった時に再び訪れた。

 私は2015年から2020年の5年間、小学校英語の現場から一旦離れ、SEEF(福岡英語教育支援研究会)なる研究会を開き、実際現場に立たれている先生方の相談を受けたり、活動のアイデアなどをワークショップなどでシェアするなどして、外から児童英語の専門家視点で小学校英語を見守っていた。そこで出会った保護者の方からのご質問。これは危ないな...と思っている間もなく英語教育は迷走を続け、大学入試改革での英語テストの混乱を迎えた。2020年度からの評価は小学校に英語のテストの必要を迫り、子どもたちに届くメッセージは「あなたは英語が出来ますか、出来ませんか」となった。

 それが私の様な民間にどう届くかと言うと、「小学校の英語についていけません」と保護者からの相談が増える。そしていざ子どもに会おうとしたら「もう自分には英語は無理です」と子ども本人に跳ね除けられる。
 多感な高学年の子どもたちは英語が「ワクワクするもの」「自分の世界を広げるもの」という体験を飛ばして「自分には無理なもの」と中学に入る前に「英語」のステージから早々と降りてしまう。そんな現実を目の当たりにして、いてもたってもいられなくなった2021年の春、縁あって小学校英語の現場に復活することになった。

授業の柱

 私の関わる授業では、英語は「ワクワクするもの」「自分の世界を広げるもの」。子どもたちが「自分にも出来るかも」と思えたらそれでOK。
一番の失敗は「英語無理」と思わせてしまうこと。そこだけは先生方と想いを共有して丁寧に進める。

 現場によっては、先生によっては上を掬う、また真ん中を狙う、という言葉が聞かれるが、私は「全員がそれぞれに希望を持てる」ことを狙う。
 英語を知っている子も楽しめる様に一つの授業の中に運ゲームは必ず入れる。また、What color is the moon? (お月様の色は?)など答えのない問いを入れて「考え」を聞く。英語をたくさん聞かせる様に英語で話すが、その意味を「想像する」時間や自分の意見を言う時間をたくさん散りばめる。
「自分にも聞けた!」「わかった!」が一つでもあると目の輝きでわかる。それを出来る限り引き出す。時にフル日本語で時に敢えて英語で。子どもたちの目を見ながらその強弱をつけていく。

 前述の月の色でも、Yellow!  White! など前回の授業で習った言葉を使って伝えられたことを喜び、見る時間や場所、人によって月の色も違うことをただ楽しむ。「答えのない問題だから、全部正解だよ」と伝えると、手がどんどん上がる。英語が得意な子はSilver!など他の子が知らない言葉を使い、それをみんなでシェアする。Red. Blue. と声が上がって一瞬クラスがどよめいても、「うぁ〜素敵だね」「先生も時々そう見える」などどの答えも絶対に間違っていないことを一つ一つの言葉や表情で丁寧に伝える。

 私の関わる授業では、手を挙げさせることが圧倒的に多い。先生方にとっては「また聞くの?」と思うこともあるかも知れないが、私の授業は私が子どもたちにシェアすることと、子どもたちから私がシェアされることが半々か子どもたちからのアクションの方が多めであることが基本。通常英会話のレッスンでも、自分より相手が話す方が多いことが鉄則なのだ。
 私がすることは「そっか〜」"Great!!" "I like it!!"子どもたちから出てくるものをありがたく、楽しく受け取ること。
難しい場面では「日本語使ってもOK!」とハードルを下げることもある。「え?英語の時間で日本語ですか?」と思われるかも知れないが、その下げたハードルを跳んだ子は、次の英語のハードルもポンっと跳ぶことが出来る。最初のハードルが上がりっぱなしでは、そこを跳ぼうとしない子が増えて、英語を習っていたり塾に行っていたりして英語に確固たる自信のある子だけが輝く授業になってしまう。

 私は全員が跳べるハードルを最初に用意する。

ワークシートは集める

 我が子が小学生の時、子どもが持ち帰るプリントを見ながら思った。
頑張ってやってみたプリント。こどもの文字だけが書かれていて、誰かが見てくれたのかどうかわからないものも多い。このプリントはきっと「取り組む」ことに意味があったのだろうけど、もう少し意味を持たせることができそうだぞ。
 そこで、私はワークシートその後の活用法を考えた。それは、英語担当の私がそれを集めてスタンプを押したり、一言添えて返すこと。

 ご注意いただきたいのは、ここで私は、多忙な先生方に「スタンプくらいつけて返してあげてくださいよ」や、おうちの方々に「持ち帰ったプリントはしっかり見て」と言いたいわけでは全くないということ。
 私自身が子どもたちの人生に「英語」という小さな小さな接点で関わった時、何が出来るかを考えながら子どもたちを眺めて見つけた方法。私自身の思い込みかも知れないし、これでどんな劇的な変化があったかなんてレポートできるほどの実績はない。ただ私がこだわりたいワークシートその後の使い方としては、上記の通りなのだ。

 なぜそう思い至ったかと言うと、子どもたちは「英語」という未知過ぎる世界の案内人である「英語の先生」にとても興味を持っている。英語がわかる人、ってどこか特別だと思っている。そんな人から「うぁ、上手!」「いいね〜!」"Good!" とかけられる声は、大きな意味を持つと思うのだ。手を挙げた子、発表してくれた子、前に出てきてくれた子、その子たちにはもちろん私もいろいろ前向きな声をかけられるのだが、その日勇気が出なくて発表できなかった子や、発表はしないけどニコニコ参加している子、いつも気だるそうにしている子、一人一人にも前向きな声をかけたいと思っている。そんな時のワークシートだ。

 一クラス三十余名の4クラス、5クラスで100名を超える子どもたちのワークシートを丁寧に見て、赤ペンで "Great!!"とニコニコマーク。それが一人一人への私の前向きメッセージとして届くことを信じて、休み時間や帰りにせっせとワークシートを見ている。アルファベットに挑戦、いろいろなものに色をぬってみよう、ビンゴで遊ぼう、どんなワークシートにも子どもたちの頑張りが詰まっていて、愛おしさでいっぱいになるという相乗効果があることも私にとっては大変なメリットなのだ。

 この健気で愛おしい子どもたちに、英語というもう一つの希望を届けられたら、私にとってそれ以上の幸せはない。

これからの展望

 民間英語講師として、また小学校英語に携わる者として、学校の英語教育のこれからを考えると暗い気持ちになる。このままの迷走が続けば英語を通したコミュニケーションや相互理解よりも「英語という技術の習得」に躍起になる大人が増え、それに影響される子どもが増え、英語は競走の道具となるだろう。隣の席の子よりも自分がいかに優れているかを競うためのものになるのだ。2011年に外国語活動が始まる時、また2020年の英語教科化の前に多くの児童英語専門家や英語の専門家が想像していた通りの「英語格差」が生まれているのが今の状況だ。
 私が英語を教え始めたきっかけは、我が子に英語の楽しさを伝えたかったから。そんな我が子もまもなく成人となる。この20年ずっと「英語のワクワク」「自分にも出来るかも、という希望」を伝え続けてきた立場としては、今社会で必要とされる英語力は将来的に使えない物だと言える。

 私はいつも社会からちょっと外れている様に見えているだろうが、本質を突いているとは思っている。実際自分自身が英語を使って世界中の人と語り合ってきたから。そのワクワクと広がる世界を共有したい、それが語学の原点だと信じている。

 人のことは興味はなく、自分の成功だけにまっしぐら、ではなくて。
例えば月の色が何色か、あの人にはどう見えているのか、この人はどうなのか、それが知りたいから使う道具が「英語」であって欲しいと願い続けながら、今日もそんな仕掛けをたっぷり作った時間の中で子どもたちと楽しく学び合いを続けている。

読んでくださって、ありがとうございます。 もし気に入ってくださったら、投げ銭していただけると励みになります💜