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友達信奉

 私は友達を作る方法を知らない。もう人生折り返しになった今でも。
誰にでも声をかけたら、そりゃ当たる率が少しは上がるだろうけど、私みたいな人間にはしんどい。

 でもある瞬間、たまたま出会った人と意気投合する瞬間が数年に一度くらいあるから、それを大事にしようと思ってる。

 今思えば、学校で友達作るプレッシャー、しんどかったな。
限られた範囲内で友達を作る訓練みたいな毎日。この40人の中に自分に合う人を探せ!なんて、今考えても無理。大人になってやっと、ひょんなことで出会った人と意気投合した時の嬉しい感じが、きっと本当に友達と出会うってことなんだって分かった。

 私みたいな人間、と書いたけれど。私は「違和感」に弱い。違和感を見て見ぬ振りして生きている人は多いと思うけれど、その違和感自体がストレス。だから、例えば小学校で友達を作れといわれたから無理矢理一緒に過ごしていた子が、私に「友達でしょ」と何かを強要してくる感じが大嫌いだった。でもその子と一緒にいないと、「友達作れ」って言われる。
仕方なく一緒にいたその人は、残念ながら私が思う「友達」とは程遠かった。
 近所には気の合う友達がいたが、学校で充てがわれた「友達」風な子は私が近所の友達と遊ぶことも許さなかった。
 そんな無理矢理の人間関係の中で、私は学校が嫌いだった。

 そんな学校という「友達作りの箱」の中で12年過ごして、大学生になったら世界が拓けた。大学では友達作りを強要されないし、私はバイトを幾つも掛け持ちしていたから、私の世界は広かった。その中で意気投合した人と一緒に過ごしたり、一人で過ごしても誰も何も言わない。自由度がただただ嬉しかった。

 そしてあの「友達だよね」の恐怖が戻ってきたのは、子どもが出来てから。「ママ友」と呼ばれる友達の範囲は更に狭く、おまけに子どもという人質付き。しばらく頑張ってみた。違和感が苦しかった。人の悪口は言いたく無いし聞きたくもない。増してや、会ったこともない子どもの悪口も知ったこっちゃ無い。大体大人が子どもの悪口言うってどういうことだ。
 そんな違和感の中、ママ友活動を断念。子どもからは「お母さんはどうして友達がいないの」と聞かれる始末。我が子には「友達を作りなさい、友達は大事だよ」と言いつつ自分が友達を作ることから降りたなんて。
モゴモゴいろんな言い訳をしてみたのを覚えている。それも違和感。もうありとあらゆる違和感から逃げ出したかった。

 自分を逃してからは、楽だった。好きなことをして、好きな様に時間を使い、習い事のお迎えや参観日にちょっとだけ苦い思いをすれば、残りの時間は気が楽だった。
 やがて、同じ様な匂いのする人と仲良くなってお茶したり。
結局友達って無理矢理作るもんじゃないんだよな、と納得。そんな時子どもの学校の講演会で心理カウンセラーの方が言われた言葉「一人でいる勇気がある子は素晴らしい」という言葉にグッときた。
 今まで「一人でいてもいいんだよ」なんて誰も言ってくれなかった。結果的に私はそれを選んだけど。意外と一人でいるって勇気がいることなんだ。
でも私にとっては一人でいることが心地良い時もある。

 あの違和感だらけの学校生活を送っていた私に今声をかけるとしたら、
「友達なんてね、無理に作るもんじゃないよ。一人がいい時は一人でいてもいいんだよ」
って言うかな。
そういう大人がいてくれたら、学校が好きだったかな。

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