Loss Aversionに紐づく感情(休日のまったり考察)

この週末、土曜日にマンションの配管清掃のために業者が入ることになっており、妻と家の片付けを行っていました。その際、ふとその時々に脳裏に浮かぶ感情をツイートしていました。

「今日は来客訪問があるということで、せっせと家の整理をしています。見栄って大事だな」

「見栄を張ることとおもてなしの心を持つことは、紙一重だったり。掃除しながらふと考えました。」

ん?・・・このツイートは適切に感情を言語化できているのか??妙に気になり、そのまま自分の感情を少し深掘りしてみることに。

その結果が次のようになります。

行動経済学で損失回避(Loss Aversion)について語られているが、本質はここにあるのではないかと。

どういうことでしょうか。

まず最初に出てきた”見栄”とは? 
”見栄”は相手に良い印象を与えようとする、現状よりプラスに振れる要素を持っています。今日の訪問者に対して、そのような感情はありません。ただの業者なので。

では次に出てきた”おもてなし”とは?
”おもてなし”も相手に良い印象を与えることになりますが、視点が自分自身から相手に変わるところが異なります。自分を相手の立場に置き換えて、少なくとも不快となる時間とならないように配慮するというものです。

相手を本当に思い遣っているケースもあるが、今回は少し違います。なぜなら相手は一期一会の業者なのだから。 では、なぜ”おもてなし”という表現が脳裏に浮かんだのでしょう? 2つ理由がありそうです。

1つは「”来訪者”という概念だけを意識して、一般化しようとしていた」からではないか。SNSでは、極力具体的な表現は避けて、一般化した表現をするような防衛システムが自身に働いているような気がします。この考察は長くなるので今日はここまで。

もう1つは、「”おもてなし”ができる状態であることを自分のバロメータチェックにしようとしていた」というものです。 冒頭の結論「行動経済学で損失回避(Loss Aversion)について語られているが、本質はここ」に至るまでに、ここから思考は分岐します。

まず、少し脇道にそれますが、「相手への気遣いレベルは何によって変わるのか? 」を考えました。これは、「気遣いによって得られるもの、それがない場合に失うもの」に影響するのではないかと。 何かを失う可能性があるときに、行動の優先度が高まるような気がします。

付き合いの間もない男女がデート毎に最大限身だしなみに気遣うのは、それがないと相手からの好意と関係性を失うリスクが高いからではないでしょうか。一方で、長年付き合うと、多少ことでは相手からの信頼や関係性を失うことはないことを感じ、その優先度は下がってきます。(素のままの自分でいる。そういう日常をまさに過ごしています^^;)

さて話を「今日の自分の中の”おもてなし”という感覚はなんなのだろうか。」について戻します。それは、「相手がどんな方であれ配慮するという基本的な心構えを持てる精神状態の確認」だったのかもしれない。 もし、そのような配慮なしに客人を迎え入れるのであれば、自己嫌悪につながり、ひいては自尊心の”損失”に繋がる。だから、掃除をしながら”おもてなし”という言葉が脳裏に浮かんだのではないかと。

なるほど、守りたい対象は自尊心であったようです。
いまのところ、ここを守ることで周囲に対しても優しくなれるし包容力も維持できるので、その声は大事にしてあげたいなと思いました。

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