自分の機嫌くらい

抗がん剤投薬からそろそろ1週間。
口中口内炎でザラついている+味覚もバグっている時期だから
食べるのも飲むのもシンドイ。
食に関心は高くないのがせめてもの救いかもしれないけれど、
飲むものも水さえ苦いとなればため息くらい出てしまう。
まぁ、あと数日でコーヒーが飲みたくなることだろう。
明日の私に期待するとしよう。

そんな時期にいる私は機嫌がすこぶる低空飛行。
食事時だというのに、食べれない飲めないともなると、
つい仏頂面を下げてため息をつきたくなる。
「はぁ・・・」と。
30代、1回目の癌治療の時の私は家族を巻き込んでたな。
「美味しそうに食べないでよ!!私食べれないんだからねっ!!」と
無言の圧をかけていた。ハズカシイ。

「私が楽しくないから、あなたたちも楽しまないでよね!」と、
自分の機嫌の悪さを誰かにどうにかしてもらおうとしていたんだろうな。
いわゆる八つ当たりというヤツだ。
しかしどうだろうか。こんな論法はまかり通るのか?
『家族』という集団でもなければ、
「いやいや、わからんでもないけどさー。毎日毎日勘弁してよ…。」
でしかなかっただろう。
今更言い訳をさせてもらえるならば、あの時の私は
「辛いね‥‥。」と辛さを分かって欲しい一心だったんだと思う。
いや、間違いなく言ってくれていたと思う。
私がその気持ちを開示もしないし、耳も塞いでいただけだ。
自分の事に精一杯で、この不快さを誰かどうにかしてよ!!と
日々の暮らしが思い通りにならないことを誰かのせいにしたった30代の私。

恥ずかしながら、自分の機嫌は自分でコントロールするものだと気づいたのはもう少し後の話。

齋藤孝さんの著書『不機嫌は罪である(角川新書)』
もドキッとするタイトルだったけれど、
茨木のり子さんの有名な詩「自分の感受性くらい」の締めくくりの一節に出会った時、わが身を振り返り穴を掘って埋まりたい気分になった。

『自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ』
 (茨木のり子「自分の感受性ぐらい」より一部抜粋)

困ったチャンの私に言ってあげたい。
キミの心をコントロールするのは誰?
自分でしなきゃ、誰もしやしない。
自分の機嫌くらい  自分でとれよ 大バカ者よ!!

日々リアルに色々な出来事があるだけでなく、
インターネットが手の中にあるからには、
私たちの感情の波形はさながら心電図の波形並に短時間で
アップダウンを繰り返すことができるほど刺激的で変化に富んでいる。
そしてそんな中で、誰もがそれぞれの時を過ごしている。

だからこそ。
何かあったにせよ、不機嫌でいることを選んだのは自分なのだから、
自分の感情を垂れ流しで、あわよくばどうにかこの不機嫌を
回収してくれやしないかと、相手の都合もおかまいなしに
圧をかけてはいけない。

とは言え、全て自己完結をしろ!ということではない。
私は無人島一人暮らしではない。
今晩、食べれるかなーと思った湯豆腐がやっぱりダメだったとき、
不機嫌さがムクムクと産まれてきた。
ハフハフと美味しそうに食べる家族に
「がーんこれもダメ~。私可哀想~気の毒~。でも、あと数日の辛抱だ!」
と感情を開示したら「そっかー…美味しいんだけど…。かわいそーだねぇ…あと数日だね!」と返しながらも続けておいしそうに食べる姿を見て
妙にスッキリした。

どう居たいかは自分で決めれる。
いつも上機嫌でいるというのは上級者向けで私にはまだ難易度が高い。
もし、不機嫌になっても自分でコントロールできる人でありたい。

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