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学級目標の意義

小学校でよく作る学級目標。「みんな明るく元気なクラス」みたいなもの。これは本当に必要なのでしょうか。

「西野亮廣エンタメ研究所」の今日の記事で「『同じ文化の人間同士と観に行く』というのは、映画を面白くする為の一つの演出。」というものがありました。でも西野さんはその直後に、「一方で、それが過ぎると次は排除の力学が働いてしまうので(一見さんが参加しづらい)、バランスを見ながら、やっていこう。」と続けました。

例えば、「みんな明るく元気」なクラスがあったらどうなるでしょう。明るいとされる子、元気と見られる子にとっては居心地が良いと思います。でも、社会ではみんながみんな明るく元気である必要はありません。むしろ、社会貢献とか、技術革命とか、地球の為・人類の為に活躍することが求められるのではないでしょうか。そうするとやり方は人それぞれで良くなります。

「みんな明るく元気」なクラスを追い求めると、窮屈になる子が出てくる。それを強要するとその子の居場所がなくなる。そして排除の力学が生まれる。

サロンの記事によると、ブロードウェイ『STOMP』では「子供を贔屓しましょう。」という文化を持った者同士で集まった結果、前方の席は子供に開放しているようです。学級目標に転用してみます。6年生の目標を「〇〇小学校をより良くできるクラスにしよう。」というものにすると、みんなが行きたくなる学校にしたいから、ヤンチャな子は休み時間にめちゃくちゃ学校中を盛り上げればいいし、控えめな子は一対一で低学年と接すれば良い。手先が器用な子・ICT機器に強い子・規範意識の高い子・話上手な子…それぞれがそれぞれのやり方で目標を達成すれば良い。その方がよっぽど自然な形なのかなと思います。

他者意識のある目標・自分の良さを生かせる目標を立てていくことが必要だなぁと思ったサロン記事でした。

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