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令和3年夏の敗戦

今から76年前の8月6日、広島に原爆が投下された。

そして現在、令和3年8月6日の広島平和式典で菅義偉首相はあいさつの冒頭で「広島市」を「ひろまし」と、「原爆」を「げんぱつ」と言葉を噛んだうえ、途中であいさつ文を読み飛ばし、意味の通らない部分が生まれた。

私はこのような無能で覇気がない人間が日本のトップリーダーであることを心から恥ずかしく思い、原爆だけでなく先の戦争で亡くなられた310万人以上の先人たちを冒涜したこの老人に心から軽蔑し、朝から暗澹たる思いでいっぱいであった。

オリンピックのメダリストへのお祝い電話ですら原稿を読み上げて話す首相に今さら彼のスピーチ云々で私はここまで憤慨しない。

菅首相は言葉で国民と対話することができないが、かわりに彼の虚な目や正気のない表情をみせることにより国民に絶望感を感じさせてくれる。

人類史上初の原子爆弾の投下された平和式典においても彼はいつも通り恐ろしいほどの虚な目でこの式に出席することが彼にとってどれだけめんどくさいことなのかを国民に伝えていた。
オリンピックとコロナ、内閣支持率で頭がいっぱいで、原爆犠牲者への慰霊の気持ちなどこれっぽっちもなく、まさに心ここに在らずの状態であった。

事前に準備されていたスピーチの内容も去年の前首相の安倍晋三が話した内容とほぼ類似していたことがメディアでも暴かれている。

このような支離滅裂な文章になるほど、菅という日本国首相は私をとにかくイラつかせる。
自己防衛のためTVであの顔が出るとすぐ消す習慣ができているほどである。

ちなみに普通の人はいくら緊張していても原稿を読み飛ばして意味をなさないセンテンスとなった場合、非常に気持ち悪い感覚を味わい間違いに気づくものである。
しかし、現在の日本は意味のない言葉や意味のない仕事がぜんぜん気にならない人がいる。
こういった「無意味耐性の高さ」が高度な社会的能力とみなされ、高い評価を受けて出世したりする。

「これって意味あるんすか?」
と反問する人は出世することはできず、無意味なタスクを粛々とこなす人が出世する。
上位下達的組織では「イエスマンであること」が美徳とされ、ブルシットジョブに疑問を投げかける人は無能な人間と烙印をおされる。

菅総理が日本のトップになれた理由は「無意味耐性の高さ」が突出しているからであることを広島の平和式典で再確認できた次第である。

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そしてその日の夕方、サッカーオリンピック日本代表はメキシコとの3位決定戦において1−3とまさに完敗した。

さすがに私もその日は悔しくて仕方なかった。
三笘投入のタイミングなど、モヤモヤと采配など納得ができなかった。

しかし、一夜あけて冷静になった自分がいた。
昨日の試合は負けて良かったんじゃないか、と思い直していた。

もし1968年の釜本さんたちが勝ち取ったメキシコ五輪銅メダルから53年ぶりのメダル獲得となれば、国民もメディアもサッカー日本代表に狂喜乱舞したことだろう。
そして、平和式典においての菅総理の無能ぶりはまさにスポーツウォッシュされ、人々の頭から忘れ去られていたことだろう。

私はこのパンデミック下のオリンピック強行開催に頑なに反対の立場であった。

しかし、どうしてもサッカー日本代表の試合だけは必死になって観ている自分がいる。
そんな矛盾した自分自身が心底嫌になり、オリンピックが始まってからは心身に不調をきたしていた。

ようやくサッカー日本代表の試合が終わり、心が晴れやかになったことも事実であり、こうしてnoteを書けるようになったのである。

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8月12日現在、東京都の新規感染者が4989人と過去最高となった。
メディアは「四苦八苦」と数字をダジャレにしているが、事態は最悪な状況だ。

もうすでに都内の医療崩壊が起きており、自宅療養者は2万726人にもおよんでいる。

そのうち1万人の自宅療養者は酸素ボンベが必要な中等症にあたいする人々である。

もし地震で建物が倒壊し、生き埋めになっている人が1万人いることを想像して欲しい。

自宅が崩壊していないだけで、実際に病院で入院治療をしなくてはならない人たちが都内だけで1万人もいるということに変わりはない。

私は専門家ではないのでオリンピックを強行したことと、コロナ第5波の爆発的な拡大がどのくらい影響しているかはわからない。

しかし、今回の東京五輪にかかったお金は約3兆7千億円と史上最も高額なオリンピックになったそうである。
オックスフォード大学はこの費用で300床の病院が300棟建てられるだろうと試算した。

これは机上の空論であり、これらの病院を建てたところで医師や看護師などのマンパワーはこの国にはない。

オリンピック費用は我々の税金から賄われており、3兆円という膨大なお金がもし医療費にあてられたら現在の悲惨な現状を回避できたことは自明である。

小池都知事は医療機関の逼迫した状況について聞かれ、一人暮らしの人は「自宅を病床のような形でやっていただく」なんて発言をした。

SNSでは自宅療養者を「自宅遺棄者」「自宅放置者」と呼び憤りを見せている。
このまま放置の状態が続けば、いつの間にか自宅が病床ではなく棺桶になってしまう可能性だってある。

菅総理はワクチン政策一本で、国民にお得意の「自助」の精神でやり過ごそうとしている。

現在の東京における感染爆発はまさに制御不能になっている。

内田樹さんは以下のようなことを言っている。

戦線が崩壊したり、船が沈没したりする時に指揮官は最後に
「Sauve qui peut! 」
「生き延びられるものは生き延びよ!」
と宣言する。
「もうこの後はいかなる指示にも従う必要がない。このあと生きるか死ぬかは自己責任である。」
という意味である。

首都圏に住んでいる我々は緊急事態宣言ではなく、「Sauve qui peut! 」の宣言下にあるという自覚を持ったほうがいいと思う。

我々が感染しても、重症化しても、後遺症が残っても、死んでも、、、。
菅総理はじめ国や都や県は自助という名の下の自己責任で済まそうとしている。

そして、もうすぐ8月15日の終戦記念日を迎える。
76年前は昭和天皇の御聖断によって敗戦を宣言したが、現在のこの国はコロナとの戦争の敗戦を誰も認めようとしない。

コロナに感染して、当事者になって初めてこの国の敗戦に気付いてももう既に遅い。

もうこの国の医療統治システムは崩壊していて、この国はコロナというウィルスに敗戦していることを国民一人一人が自覚しなければならない。

敗戦を自覚しなければ、自分や家族を守る行動はできない。

そしてこの国のシステムが崩壊したことを認めなければ、コロナ後の荒廃した世界から復興へと踏み出すことはできない。




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