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辞めるのは簡単:大量生産にアイデアと工夫で勝負する

ベナン人との出会い

先日、紹介で面白い人物に会った。私が、ビニール袋やプラスチック袋などのゴミを使って、誰でも作れて、みんなが使えるものを作っているということに興味を持ってくれた人だった。ベナン出身でウクライナ留学歴を持つ、ビジネスマンだった。彼は私と会ったあと、2時間ほどに渡って彼自身が手掛けてきたビジネスの話をした。写真を見せながら流暢な英語で説明してくれた。自転車のタイヤを使ったハンガー掛け、靴、小物入れなど少し可愛いようなアイテムをたくさん世に出しているらしかった。彼はオンラインショップをしていて、頼まれたら作って発送するタイプのビジネスのようだった。

オンラインショップの進むべき道


最近思っている事として、大量生産大量消費を止める術の1つはオンラインショップなのではないかと思い始めてきた。オンラインショップでは、実際に商品が大量に在庫してある必要はなく、必要なのは写真と信用に足るクチコミだけであろう。急ぎの買い物でなければ、商品依頼をして(ここで色やデザインを細かく依頼することもできる強みもあると思う)、仲卸業者を通さずに比較的安価に買い物ができると思う。生産者は無駄に多くの商品を作る必要はなく、依頼された分だけを作る。そして作ったものは確実に売れ、仲卸がない分、高値で売れるため、採算は取れる可能性が高い。これはある漁業者が実際に取り組んでいるらしく、Instagramでのインフルエンサーの紹介動画が端的にまとめてくれているので、その説明はそちらに任せよう。

偽りのSDGsを掲げるビジネス

話を戻すが、ベナン人のビジネスマンは彼の商品やアイデアをたくさん教えてくれたが、途中からあまりにもビジネスチック過ぎて聞くのが辛くなってきた。彼はリサイクルをしていると言うが、アイデアの中にリサイクルを組み込んでいるだけであり、声を大にしてリサイクルや流行りのSDGsを主張することには違和感があった。とにかく、私は途中から彼の言っていることや見ている部分があまりにも自分のプロジェクトと掛け離れていると感じ、長いこと英語を聞くのにも疲れてしまった。ただ、紹介ということもあり、あまり真っ向から言い返す気にもならず、ただただ聞いていた。私のプロジェクトのコンセプトは、これまで書いてきた通り、ゴミ問題の改善と貧困層へのビジネス提案という所にあり、私自身がこの取り組みで稼ごうとは全く思っていない。従って、質の高い先進国で求められるようなものを作ることや、利益を大きくするために商品の値段をあげたりすることで、ストリートボーイ(お金が無くて物乞いをしているような男の子、女の子)が作れないような商品になったり、彼らが歩く道すがらで売れないような高価な値段になることは全くもって賛成できない。もっと言えば、本当に今日の水代(5円)をまともに得られない彼らに、ノリやナイフ(最低60円)を必要とするビジネスを提案するのは、ただのアンポンタンである。でも、例のビジネスマンはそのような話ばかりだった。人々が何を求めているかについて語っていたが、彼の目は生まれ育った故郷や10年間住んだという、ここブルキナファソではなく、かつて留学していたウクライナなどのヨーロッパ、そして憧れの土地、日本や中国を向いているのをハッキリと感じた。そして、聞けば聞くほどに彼が作るプラスチックも金属も布も混ざりに混ざった製品が市場に出て、それをオシャレだと買った日本人を初めとする先進国民が、さして重宝もせずに捨て、解体できずにリサイクルの道に進まず、マレーシアやインドネシアなどの発展途上国に捨てられる未来が見えていると感じた。
確かにリサイクルやゴミ問題に人々が目を向ける一つのアイデアとしては良いかもしれないが、それは全く根本的ではなく、胸を張ってサステイナブル(持続可能)だと言えるようなものではないことを彼には分かって欲しかった。分かるだろう、多くの企業や団体が補助金欲しさに、別の目的で始めている取り組みにSDGsを付加しているのを日本人なら見てきているだろう。はっきり言っておくが、SDGsを中心において考えなければ、本当に意味をもつ活動にはならない。ちょっと意識しましょう!なんて温いことを言っていい時代はとっくに終わっているし、企業や団体、そして政府単位で本気で取り組めないのなら、地球の未来はもう決まっているも同然だろう。

私のプロジェクトの難しさ


彼の話を途中まで聞いていたが、念の為持ってきていた私が作った草鞋を彼に見せた。彼は少しだけ褒めてから、どこに問題があるかを、かなり的確に言ってきた。彼は決して悪意あって言っている訳では無いだろうし、私のプロジェクトのためにと思って言っていただろうが、提案してくるアイデアは全く的外れだった。初期費用が嵩むような提案ばかりだった。ただ、それと同時に彼が言っている問題点は私も長く感じてきたことだったため、なおさら嫌な気分だった。ブルキナファソの田舎はまだまだ土の道が多く、石や様々なゴミが落ちているせいではビニール袋由来の草鞋の靴底が悪化してしまう。歩き方や他の問題もあるが、見た目も良くない。ここが、本来は藁で作っているため、見落としている部分ではあった。硬い靴底を付けることは難易度が高く、かつ更に生産時間を要する。今は1つの草鞋を4時間かけて作って400フラン(80円)。時給換算すれば、1時間20円ほどで働いていることになる。しかし、現実は厳しい。先進国から輸入される安いサンダルは安ければ500フラン。実用性(履きやすさ)や耐久性でこれらのサンダルと勝負しても勝てる可能性は低いと思っていた。つまり、草鞋を400以下で売ることは、現実で見れば売れないということを意味する。更に言えば、消費者はストリートボーイにそんなに大金は払わないだろうということが予想できる。草鞋の良い点は、希少性とデザインの豊富さである。頑張れば、靴底のデザインや鼻緒の色などを全て指定することもできる。しかし、この2点の良い所ではどうしても大量生産されて入ってくるサンダルには勝てないのである。そうなると、値段で勝負するしかないわけだ。初期費用や材料費がない所が唯一の救いであり、そこを失うと苦しくなる。つまり、工夫してでも失ってはいけない。


草鞋は色やデザインを自分の好きなように作れる


長くなったが、ビジネスマンの言うことに飽き飽きした私は、最後の方になって「私はこのビジネスで稼ぐつもりは無いし、貧困問題とゴミ問題を改善するのには、あなたが言っているようなやり方では現実的にはできないことが多い。アイデアとして応用できるようなものがあっても、私は見ている問題があるから」と言った。彼はそれに対して、ストリートボーイを雇うことは難しいというようなことを言っていたが、結局は先進国民相手のビジネスという視点を抜け出せていないのだと思った。
私は非常に疲れてしまった。紹介者の顔もあったし、彼の悪気の無さも理解していたし、言語の問題も多少はあったため感情的にはならなかったが、やはり内心は非常に疲れた。

プロジェクトを辞めるタイミングなどいくらでも来る

正直にいえば、こういう小さなことが私のプロジェクトに対するやる気を一気に削ぎ落としてしまう。あんなビジネスチックの人と勝負していては勝てるはずがない。環境問題や貧困問題、ゴミ問題などに取り組む活動家は全員同じことを思っていると思うが、お金という幻想的価値に囚われている人々が多すぎて、どれほど正しいことをしても、勝てるはずがないと感じてしまう。ただでさえ、無関心な人々が多くて、応援してくれる人の声が聞こえなくなるほど、毎日のように暗闇を歩いているような感覚に陥るのに、お金ばかりを見て、社会問題にさして関心がない人々が説教してくるのは、自分だってリサイクルをやっているという殆ど偽りのような主張をしてくるのは、本当にやる気を削ってくる。違う、全く違う。同じリサイクルでまとめないで欲しいと切に思う。それが社会に届いていかないことが、悔しくもあり、絶望的でもあり、そしてやはり悲しくて、やる気という名の炎がどんどん小さくなるのを感じた。前の回で奇跡の世代でありたいと言ったが、応援して物事を前に進めていってくれる人が、もっと沢山いて、ブルキナファソで一緒に頑張らなくても、日本からでもやれることはあって、少しずつでも結果が欲しいと思うわけで、炎が消えるのを見られもしないのであれば…と思うわけだ。そして、こんなことがあればなおさらそこに拍車がかかる。
自己満足的に尽力する先に何があるかと言えば、自己満足を捨ててでも自分を守ろうとする自分がいる。自分自身に納得できるようにとし過ぎて、自分自身が傷ついたり、ただただ絶望だけを感じるようになることを避けなければいけないから、多少自己満足できなくても、活動するのを辞めようとする訳だ。断っておくが、全く自己満足したことがない人間と、1度その世界を知ってその先でそれを手放した人間は全く違う。尽力することの先にあるものに行き着きたくなくても、それは周りの協力次第では行き着いてしまうと思うわけだ。

ワラーチとの出会い

そんなことを考え、明日の #素人ゴミアート を投稿しないでおこうかとか思いながら、Twitterを見ていた。分かっていて指摘された靴底の問題や、実用性や作る手間の問題について頭の中がぐちゃぐちゃになりながらTwitterのゴミ拾いをする人々の投稿に高評価を押していた。そして、そんな無駄に見えそうなことが、私のプロジェクトに一つのアイデアを与えてくれた。

ワラーチという靴をご存知だろうか。最近、日本でも少しずつ流行り始めているようだが、一種のサンダルである。しかも走れるサンダルである。最初、草鞋(わらじ)と響きが似ているため、草鞋を誰かが現代的にアレンジしたものだろうと思った。しかし、実際は違った。メキシコの先住民族が使っている長年の知恵の産物であった。その見た目は作るのが簡単そうで、そして草鞋にはない何かを持っていると、強く感じさせてくれた。私は明日の朝になったら作ってみようと思いながら、構想を少し練っていたが我慢できずに、直ぐに取り掛かった。靴底部分も紐も草鞋のために作っておいたものがあったため、靴底に紐を通すだけの作業で非常に簡単だった。そして、紐を結んで、少し歩いてみて確信した。例のビジネスマンが指摘した私が前々から意識していた問題の多くを、このワラーチは解決すると。


ワラーチ。この履物は私のプロジェクトに大いなる可能性を示してくれた


希少性とデザイン、値段でのみ勝負しなければいけないと思っていたが、実用性でも勝負できるのではないかと思った。さらに言えば、ワラーチは紐を結んで履くため、調節はいくらでも可能で、突っかけのように使うことも、走るために使うことも可能であろう。草鞋でもそうだが、私が作る靴底は縦糸と横糸の集まりであるため、非常に柔軟で足に優しい。しかし、草鞋の時は、柔軟であるがために、足への密着度が悪くなりやすく、実用性が低くなる原因になっていた。しかし、ワラーチでは紐をしっかり結べば、柔軟性を維持したまま足への密着度も高めることができる。実に多くの問題を一気に解決した。もちろん、だからといって値段を上げることは難しい。前述したように、ストリートボーイに700フラン以上払う人は少なく、サンダルとなれば500フランが限界だろう。それでも、作る時間も多少は軽減されていると思う。草鞋というものが日本の文化であることに、誇りは感じているが固執する気はない。2つを使い比べることが必要だろうけど、少なくともワラーチに出会えたことは、私にプロジェクトに関する大きな勇気をくれて、例のビジネスマンとの会話で壊れかけた精神を一気に修復してくれた。

人生では、時として、こうやって不思議なことが起きることに同意していただけるだろう。辞めたくなった日に、無駄に思えるようなことをしていて、何か大きな勇気となるような出会いやアイデアに恵まれる。まだ諦めるな、まだ辞めるなと言われているかのように感じてしまう。
最後に皆さんに提案をしておこう。ワラーチは素晴らしいと思う。今年の夏にビーチサンダルを買って、海や水辺に出ようと思っている方、ワラーチを作ることをオススメしよう。私が作るワラーチの最大の利点は、靴底にある。草鞋本来の柔らかさと足への優しさは、市販品にはないと思う。そして、作り方は簡単で前の投稿で少し触れている。希望があれば、更に分かりやすく投稿し直そうと思う。ぜひコメントなどで連絡を頂きたい。

10年言われ続けても何も変われない現実

大量生産大量消費による腐り切った、地球を腐らせる社会を止めることが出来るのは、間違いなく私たち消費者である。ホセ・ムヒカ元大統領が国連で環境問題について経済の観点から警鐘を鳴らしたのが2012年。大量生産大量消費社会に終止符を打とうと、少なくとも10年以上前から言われているし、それを分かっている人間は増えてきているだろう。けれど、まだ変わっていない。もう10年も経つのに、未だに殆ど何も変わっていない。しかし、みんな分かっているだろう。時限がある。手遅れになる前にやらなければ、地球は本当にゴミの星になる。日本は世界3位のプラスチック製品生産消費国だと言うではないか。そして、再利用できないプラスチックは東南アジアなどの発展途上国に捨てられる。

先進国のゴミは発展途上国に捨てられる。スペインを初めとするヨーロッパの国々は、冷蔵庫などの家電製品をガーナなどアフリカの国々に捨てている。この問題が国単位ではなく世界規模の問題であることは、ゴミ問題に目を向けた2日目には分かることだ。全くもって馬鹿らしいと思うだろう。それでも現実はそんなもんだ。政府や経済界のくだらない政策や思惑の議論に乗るよりも、私たち自身の生活を変える方がよほど本質的でかつ早い。
今年の夏にビーチサンダルを買うのを辞めることをオススメし、断捨離という正義に待ったをかけて、モノを大切にすることを、形を変えてでも素材を大切に使うことをオススメして、締めとしよう。

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