見出し画像

2024.1.1そのとき@富山県南砺市

年始早々、恐怖でしかない出来事が起きました。私個人としては実質被害はなかったものの、大きな出来事には違いなく、文字にするのに一週間もの時間がかかってしまいました。
自分の記録として、メモがてら記載しておこうと思います。

まずは。


2024年1月1日に発生した令和6年(2024年)能登半島地震の被害にあわれた方、今も渦中にいらっしゃる方、救助や復旧に力を尽くしてくださっている方々に、お見舞い申し上げます。一日も早く安全で快適な生活が戻りますように、お祈り申しあげます。



発生前の日常

2024年が明けたその日。
我が家はびっくりするほど、普通の日になる予定でした。
カレンダーに関係なくお仕事の旦那さんは、朝から出勤。その前に家族で「あけましておめでとう」の声かけと、お年玉渡しの恒例行事を行いました。なんなら、毎朝恒例の朝散歩デートもいつも通りでした。

子どもたちとお雑煮を食べ、のんびり過ごした元旦前半。午前中は年賀状を読んだりしていました。
そのうちやることが特になくて暇になり、午後からはゲームを開始しました。『ポケットモンスター バイオレット 追加コンテンツ「ゼロの秘宝」後編 藍の円盤』がプレイ途中だったので。
4人のジムリーダーを倒して、スグリくんと戦って勝って、イベント会話を進めていたのは、まさにこの日。(内容を知らない人にはさっぱりでしょうが、面白いのでおすすめです)
会話が進み、最後のダンジョン(?)、エリアゼロの最下層へ降りたところでした。

16:10(のちょっと後)

一瞬
揺れたような気がしました。

「ん? え? 揺れてない?」

ゲーム画面は、エリアゼロの最下層。会話が多めのイベント戦闘が続く場面。私はゲーム画面を映したテレビを見ていたし、子どもたちは各々自分の端末で何か見ていました。
ぐらり、とした気がして声を出した後、おそらく1~2秒経って。

明らかな揺れと、同時に、地震速報の音が鳴りました。

「やっぱり! 揺れてる!!」
「うわ~~~~~!!!!」
「ぎゃ~~~~~~~~~~~!!!」

私も子どもたちも、ビビり星人。
とにかくパニック。
全員が一か所にいたので一番近くの机の下に潜りこむも、大人サイズが3人入るとギリギリ(汗)。

揺れる。

大きくなる。

「え!? ちょっと・・・・ え? まじ!?」

補足しておくと、富山県というのは、あまり地震に慣れていない土地です。過去100年程度の短い期間に限って言えば、ほとんど地震は起きていないのです。
私自身は富山県育ち富山県在住なのですが、体験した地震は一番大きくて震度3。なので、全然慣れていないのです。

なかなか収まらない揺れに、テーブルの下でパニックになる私たち。

「どこ?」
「能登」
「止まらない・・・」
「そっち押さえて!(テーブルが動かないように)」
「まだ揺れてる~~~~~(´;ω;`)」

慌ててテーブルの下に入ったので、私は手元にスマホもなく。(なのに手に持っていた任天堂DSのコントローラーはしばらく持っていた気がします)
能登の地震だと教えてくれたのは、スマホを持ったままテーブルの下に潜った子どもたちでした。
とにかく3人かたまって、テーブルの脚を抑えながら、揺れが収まるのを待ちました。

今まで経験したことのある地震は数秒で収まるものばかりでしたから、1分以上(おそらく)続く揺れにただただ怯えていました。
ほぼ収まってからも、まだグラリとした感覚が数秒続き、能登ではよほど大きな地震だったのではないかと想像しました。

このテーブルの下に3人で入っていました

揺れが収まってから、おそるおそるテーブルから這い出してテレビを付けました。(テレビ画面はポケモンを映していたので、番組に切り替えました)
能登で震度7の表示と、津波警報。
逃げるように呼び掛ける声を聞きながら、とりあえず我が家は津波の心配はないよね? と子どもたちと確認。(海抜は50mほど、海からの距離は25kmほど) 落ち着いて考えればさすがにないと思えるものの、パニクっているので冷静な判断ができず。テレビの情報におびえるばかりでした。

そんな中ですが、なぜか変なことに頭が回った私。まったくセーブしていなかったポケモンを(イベント続きだったので)、セーブして電源を落とすといういつも通りの行動に・・・。パニクっていると謎のことをやるものです。

怖くて家に入れないので

テレビとスマホで情報を見ている間にも、続けざまに地震速報と余震がやってきました。そのたびにテーブルの下に潜りましたが、2度目の余震が終わったくらいで、とうとう

「外に出よう」

と3人揃って外へ。
なんだかよくわからないままに、玄関にあったヘルメットを装着していました。
地域の方針で、防災用に一家に1つ、ヘルメットが配られているのです。それを下の子に。
上の子と私は、とりあえずそこにあった自転車用のヘルメットを装着。役に立つのか立たないのかはわからないけれど、不安が少しだけ和らぐ気がしました。

その後は、余震が収まったら玄関を開けたまま家に戻り、テレビで情報をチェック。速報が鳴るたびに家の外へ飛び出して(靴下で飛び出してから靴を履くスタイル)・・・の繰り返し。

子どもたちは怖がって、ほとんど家に入りません。ず~っと、外の道路で座り込んでいました。

スマホの情報で、富山県南砺市での本震の震度は、5強とわかりました。経験したことのない揺れだったので、納得。
家の外で過ごしている時、お向かいのお宅の方が帰宅されて

「大丈夫でしたか~?」

と声をかけてくださいました。「大丈夫です~」と大きな声で返事をしたときに、本当にホッとしたものです。人と話すことでこんなに安心するんだと、思いました。

それでもまだまだ不安。
なので、ご近所さんがみんな大丈夫だったか見に行こうと思い立ちました。なんにもできないけれど、誰かと話したかったですし(子どもたちとは話していたけれど、みんなパニクっているので落ち着かない)。
手始めに、ご高齢のお宅に行ってインターホンを押し声をかけてみました。「大丈夫でした~?」「大丈夫~。酷かったね~」たったこれだけの会話でも、だいぶ気持ちが落ち着くものですね。

結局、思いつく限り町内のほとんどのお宅に、ピンポン突撃してしまいました。途中から、一緒に声掛けに回ってくださる方もいて、田舎の近所づきあいの濃さに、ありがたいやら、アワアワするやら。
町内みんな無事とわかり、ひと安心。ついでに目に見える範囲での、電柱や道路に異常がないこともわかりました。

とはいえ。
地震が起きたのが16時台で、その後も怖くてなかなか家の中でゆっくりはできず、真っ暗になるまで外と中を行ったり来たりしていました。
電気と水道は普通に動いていたので、電気ポットのお湯を水筒に移してもう一度湯を沸かしたり、防災リュック(中身は微妙・汗)を玄関に出したり、役に立つのか立たないのか分からない行動をアレコレしていました。

自宅の被害はなく、棚に置いてあったニャオハ(ポケモン)のぬいぐるみが落ちたくらい。他に飾ってあった割れそうなもの(ガラス系の飾り)は幸いにして落ちなかったものの、慌てて低いところへ移動し、数日後には処分を決めました。目指せ、ミニマリスト。

幸いにして落ちなかったインテリア雑貨。棚に戻すことなく、数日後断捨離しました。

続く余震

ビビり星人の私たち。暗くなってさすがに家の中には入ったものの、玄関は開けたまま(すぐ逃げられるように)。
余震は震度4~2程度でしたが、この時点ではまだ、本震と同じくらいの揺れがくる可能性を思い、まったくゆっくりした気持ちにはなれませんでした。

ヘルメットを被ったまま、できる限り短時間で夕食を準備。
台所って、背中に食器棚もあるし、全然安心できないんです。

旦那さんが帰宅して、ようやく心にゆとりができました。大人の男の人ってすごい。いるだけで謎の安心感。
怯え続ける私たちに、

「テレビ、消したら?」
「ヘルメット、そろそろ外せば?」

と冷静にツッコミを入れてくれて、地震後はじめてヘルメットを外しました。笑
漏水がないか確認してくれたり、家の外側に被害がないかどうかも見てくれたり、本当に助かりました。私ではまったく思いつきもしないし、確認の仕方もわからない。
そんなわけで、家は無事ということもわかりました。

とはいえ、余震は続いていましたし、その日も次の日も落ち着かないままでした。
ビビりすぎていつも揺れているような気がしてきたので、水筒に水を入れて確認してました。

水面の揺れで地震かどうかを判断

夜寝ている間の余震で飛び起きることも、しばしば。
睡眠中って、震度1でも気づくんですよね・・・

年始だったので各々の実家へ行く予定もありましたが、少し時間を置くことにしました。顔を出す予定だった遠方の親せきも、来るのをやめたと連絡がありました。

次の日は1月2日で新聞がなく、まとまった情報を新聞で目にしたのは3日になってから。
テレビでは見ていましたが、新聞1面に大きく印刷された被害写真を見、改めて被害の大きさに肝が冷えました。

数日経って

とにかくビビりの私は、数日たってもまだまだ怯えています。
これを書いているのはもう9日なのですが、それでもまだ怖い。
もしかしたら、発生直後から数時間、テレビとスマホの情報を見すぎたのかもしれません。HSP(とっても繊細な人)なので影響が大きいんですよね。
日常生活に多少支障が出るレベルで、怯えて暮らしています。
ストレスで胃を痛めて胃薬を飲み、眠れないので睡眠薬を飲み、何をやっているんだろうと自分のビビり具合に落ち込みそうになります。

ここでこんな状態なら、現地の人たちはどんなに恐ろしい思いをしているだろう。
どうか一日も早く、安全で安心した暮らしが取り戻せますようにと願うばかりです。

さて。

今回は能登でしたが、富山県でも地震が起きない保証なんてないんですよね。日本全国、どこで起こってもおかしくない。なんなら自宅近くにも、地震が起きそうな断層があるのです。

せめて、今より家の中のものを減らして片付けて、被害が起きづらい住まいにしておくように、ミニマリストを目指そうと思った出来事でした。(もちろん備蓄は必要)

何事もない日常が、どんなにありがたく幸せであるか、ということですね。

地震から数日後、いつもと変わらない風景

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?