見出し画像

まともじゃないのは君も一緒


卒業論文を進めないといけないという気持ちに縛られる時ほど、普段はやる気の出ない部屋の掃除をしたり、観ようと思って観れていなかった映画を観るというのは多分よくある話だと思う。

今日はそんな中、『まともじゃないのは君も一緒』を観た。
いわゆる「普通」じゃない2人が「普通」になろうとして恋愛をする話。この映画の中で「普通」って言葉が沢山出てくるけど、観終わる頃には
普通って大変で、苦しいそうだなって客観的にみてしまっていた私は普通ではないのかもしれない。というか、「変わっているね」ってい言われる言葉を褒め言葉として受け止めているからその時点で普通ではないんだと思う。

でもこんな私でも「普通の人」の時代があった。
小さい頃から、透明人間ごっことか、みんながスポーツ少年団に入ってバレーをしている土日に理科の授業で習ったミジンコをお父さんと顕微鏡で見るような子どもだったから、それはそれはよく「変わってるね」って言われた。
でも、大学一年生の頃先輩に「普通だよね」って言われた。その時、何とも言えない感情になったことは覚えてる。確かに普通だった。嫌われないように、傷つけないように、好かれるように、変な事はしない。相手の求める言葉を言っておけばいい。そんな事を思っていたからそりゃあ普通と言われて当然。変わったことをしないからツッコミどころも特徴もない個性だってない。その時普通って言われて、「先輩の中で私は普通の存在で何も特徴のない人で終わるのか~」と思うとそれは少し嫌だった。
普通でいることに必死になってた私は自分の個性や自分の感情を長い間無視していたから「自分って何?」ってなった。個性を出そうとしても自分の個性が分からない。自分らしさも分からない。普通でいることで自分らしさも失ってたし喜怒哀楽でさえ失ってた。何に自分がイライラして、何に自分が悲しむのか、何に喜び楽しむのか。心から喜んだり悲しんだりできてなかった。

留学に行って、嫌な時は怒ってもいいし、嬉しくない時は無理に嬉しいふりをしなくていい。悲しい時は泣いたらいいし、楽しい時は楽しんだらいい。それができるようになった。普通でいることとか、周りの人に合わせるってめちゃくちゃ大変な事だな~って思う。たまに人に合わせることも必要になるけど、人に合わせすぎると自分の良さもなくなってしまうんだな~~

喜怒哀楽だって一つの個性で、どこで悲しんで何が楽しいって思うのか、それは人それぞれやからその一つ一つの感情を大切にしていったら自分の信念とか、好きに繋がってくるんじゃないかって思う。嫌いって感情も悪い感情じゃないんだな〜とそこで気づいた

普通っていう言葉がよく飛び交う世の中で私は普通の人間にならないように毎日を生きたいな~、そんで周りの人も普通の人間にならないようにみんなの個性を受け止められるような人間になりたいな~。逆に自分の個性を受け止めてくれる人達と沢山の時間を過ごしたいなって、思います!

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,651件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?