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あの頃はフリードリヒがいた

こんばんは(^^)/はちです

最近、私の読んでいる本で、ドイツの作家の物語を読んでいるのですが、ヒトラーの時代のユダヤ人迫害について書かれている物語です

あるユダヤ人の少年との友情と、世界情勢、迫害や、差別に立ち向かいながらも真っ直ぐに生きる少年の物語です

あの頃の時代は、酷い行いが当たり前のように行われていました
まるで人間が人間として扱われない
そんな時代でした

迫害にあったユダヤ人はユダヤ人としての誇りを持ちつつも、自分たちの運命に苛まれ、苦しく、辛い境遇を送ります

でも、ユダヤの立法にあるように、イエスキリストが自分の贖いにより、人間の過ちが正しくされ、同時に、モーセの十戒がとかれ、散り散りになったユダヤ人たちですが、その後自分たちの境遇はそんな風にして開かれていきました

のちに、アインシュタインなどの研究家や、芸術家
などの有力な人間性を秘めているユダヤ人は、ドイツのヒトラーにより、殺されてしまいます

でも、その能力は何人もの人が称賛し、優れているものでした

私は、この本の中で、迫害を受け、殺されていくユダヤ人たちがとても可哀想だと思うと同時に、共感を覚えました

今の時代もいじめという迫害が起きています

人は、色々な部分で、弱さがあります
その弱みにつけこんで、非道な人間はいじめをします

誰しも、弱い部分には触れられたくないし、関わりを持つ人を選びたいと思っています

そうでなければ、誰しも自分のテリトリーに他人を入れたいと思うでしょうか?

お世話になった人でも、状況によっては人間性も変わっていくものです

学校の先生だった人が、犯罪をおかしたりするのも今日のニュースでは珍しくありません

人は、環境に左右されやすいからです

不条理なことをいうならば、ユダヤ人もなんの罪もなかったのに、殺されてしまったのと同じように、現代の日本でも、いじめや、残虐な行いが取り沙汰されています

もし、日本で昔の平安時代のように貴族社会であったならば、上に立つものが絶対で、下で生きている人たちが飢饉にあっても知らんぷりな世の中だったら、今のように、ニュースで取り上げられることも、誰かが助けてくれる事もなかったでしょう

だからそれを考えれば、まだ世の中は平和なんですよね

そんな時代でも生きにくさを感じるくらいですから、どれだけ今の人は、心が貧弱なのかがわかります

昔の人は戦ばかりで人が死ぬことも当たり前だった時代ですから、人に対して、あからさまに態度を変えたり、傍若無人になったりして、勝手気ままにふるまったりすることはありません

だから、今のように人との争いごとが小さくすんでいると歴史の中からわかります

昔だったら、ちょっと喧嘩しただけで、戦や戦争になるなんてことがあったので、気が気じゃないですよね

ウクライナとロシアも喧嘩したのが発端だったという噂があるので、やっぱり、人間同士が仲良くするというのはとても難しいことだと思います

同じ民族の中には、協調性というものがあります
その輪のなかで暮らしていくことができれば人は幸せになれると思います

でも、気をつけなくちゃいけないのは、思いやりをなくしたり、感謝の心を忘れないようにすることです

自分勝手な行動は、調和を乱すからです
外部からの攻撃を回避するためには、一致団結している事が重要です
わたしがもし、会社の社長だったらそんな風に考えると思います

もし、わたしが一般社会で重要な役割を担うなら、そのような考え方がとても必要になります
上に立つものが正しい行いをするならば、下にいる人はとても楽しいからです
まあ、そんな感じです

今日は相変わらず寒いけど、もうすぐクリスマスだしなんか書きたいなと思って書きました

では明日もがんばろう!

おやすみなさい(^^)

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