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近くなればなるほどに寂しさを感じさせる人

かつて私を虐待した母は、老いました。

85歳を超え、左手の麻痺、視力の著しい低下、歩行困難、排尿の為の管が身体に入り、認知症を発症、24時間の介護を要する為、施設に入居しています。

随分小さくなりました。

母の認知症は調子に波が有り、良い時は、かなり込み入った話が出来ますが、調子が悪いと頭で考えた事(妄想)と現実が入り交じる様です。

切ないのは、本人におかしな事を口走っているという認識が有り、
「母さん、今、夢と混ざっているよ。」と私が言うと、我に帰り、「そうかい。」と納得し、「頭がはっきりしない。」と訴えたりします。

身体が思う様に動かないのは、なんとなくその大変さは想像し易いのですが、

頭が思うに任せない状況、そして、その事を本人が認識する状況は、酷な気がしています。

辛いし、怖いだろうと思います。

数年前までは、簡単な料理なら自分で煮炊きもしていたのです。

母は笑うと愛嬌があります。

施設でお世話になっている職員さんも、口を揃えて可愛らしく笑う、と言ってくれます。

私は長い事、この母との関係に悩みました。

母に執らわれました。

私が本当の意味で、自分の人生を主人公として歩き出したのは、つい最近です。

それまでは私の人生は、母のものでした。

物理的には何百キロも離れていました。

経済的には完全に別々でした。

一昨年の暮れに母が倒れるまでは、10年に一度会うか会わないか、という頻度でしか、会うことはありませんでした。

それでも、私の心には母が居座り、私は人生を明け渡して生きました。

自分の人生が他人事にしか感じられないまま、私は生きました。

母が倒れ、他に面倒を見る者は無く、私は郷里に数十年振りに居を移しました。

小さくなった母を前に、色々あった母と息子だけれど、
母は私の娘になったと思う事に決めました。

小さな娘だから、嘘もつく。
小さな娘だから、憎まれ口も叩く。
小さな娘だから、我がままも言う。

それでも我が娘なのだから、大丈夫。

そう思いました。


しかし、我々は普通の親子ではありません。

かつて、虐待、被虐待の関係性だった母と息子なのです。

そして、母は生涯でただの一度も、自らを省みる事は無かった様です。
母は私を虐待した時のままの母でした。

私は虐待を原因とした「生きづらさ」を抱えました。

紆余曲折あり、私は「生きづらさ」を手放し、結果、随分変わりました。

随分変わった私は、母の姿がはっきりと見える様になってしまいました。

母には、親子の情などというものは無く、この世の人は、母にとって
利用価値の有る人と、
利用価値の無い人の、
二種類しか存在しない事がわかりました。

母は、他者を純粋に励ますという事が理解の外なのです。

励ます、励まさずにはいられない、という感情は、色々な感情が存在しますが、最上級に暖かい感情だと思うのです。

私は母から何らかの意図を持って、「おだてられた」事はあっても、
何の意図もなく、励まされた事は一度もありません。

母はそのままの母でした。

自分に利があると判断すれば、称賛し、
利用価値が無いと見るや蔑みます。

そして、利用価値がある人を取り込む為に、利用価値が無い、或いは、虐げても反抗しないと踏んだ相手を貶め、利用価値がある人と「仲間」である事をねちっこく強調します。

つまり、
利用価値がある人と自分は同等の仲間で、利用価値が無い、或いは、無抵抗の人は虐げて構わない存在と言う事を猛アピールするのです。

つい先日も、面会の際、私に対する母のおだてが始まり、息子はこれは何かあると察知します。

暫くして施設の母担当の職員さんが、私と母の話しの輪に入った途端、
「Yさんだけが頼りです。いつも感謝してます。」
「お前はYさんに挨拶したのか!」
「挨拶もまともに出来ないんです。Yさん、気を悪くしないで下さいね。この子は何にも出来ないんです。昔からああでこうで…。」

Yさんは、母の「挨拶したのか!」の剣幕に驚き、老婆の猫撫で声にたじろぎ、その後の目の前で突然はじまった「息子バッシング」に目を白黒させます。

私は、
「ああ、昔は人前ではいつもこうして何も出来ないバカ息子と言われ、それに引き換えアナタはスゴい、素晴らしいと他人を褒めちぎる光景を見たなぁ。」
と思い、子供の頃に引き戻される様な、妙な感覚を味わいました。

この、母のおかしな社交術はまともな人からは、奇異の目を向けられ、敬遠されるのですが、母としては、これが最上級の人との接し方なのです。

だから、私は幼い時、そうする意図を持った母に、おだてられハシゴに登った状態で人前に出され、ハシゴを外されて落下する、母の奇妙奇天烈な社交術の道具でした。

母を娘だと思う事を決めてはみたものの、余りにも直接に触れる様なシチュエーションに、心の傷がビリビリと反応します。

普通は近くなると暖かくなる筈が、母は近くなればなるほどに、冷ややかに感じられる人なのです。

ある時は人を道具に使い、ある時は哀れな自分を意図的に演じ、ある時は女帝に成り上がる。

自分が作った仕掛けに、息子がかかった時の抑えようにも抑えきれない母の笑みを私は知っています。

娘と思おう、母の良いところだけを見て、母の可愛らしいところを探して、良い晩年を過ごして貰おう、と思っても、

母の姿を見渡せる様になってしまった息子は、

人を蔑む事が心底楽しいと感じる人がいる事を、

日々、見せつけられます。

静かに眺めていたものが、冷ややかに眺める構えに変わってゆく自分に気づきます。

人の人生をジャッジするなど必要無い事は、腹に落ちていると思っていたのですが、

母が大昔、愛そのものの存在として、この世に生を受け、

何があったのなら、人が痛む様を見て、歓ぶ境地にまで墜ちてしまったのか、と思うと、

「母が選んだ人生なのだから、これで良かった。」

とは、どうしても思えないのです。

この先、私の心がどう変わるかは、わかりませんが、

許せてないものを、許せたと思い込むことだけはしないと決めています。

機能不全家庭の母子には、拭えない傷もあるような気がしています。

しかし、傷の痛みに呑まれない自分である、とも信じています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム




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