虐待してる!?…気づいた、お母さんへの手紙
なぜ、虐待は起きるのでしょうか?
NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾムです。
水は低いほうへ流れる。
と言いますが、
自分の中のネガティブな感情を原因として生じる怒りは、弱者へと向けられます。
ネガティブな感情を原因として表出する怒りを、テープ式心理学では、【ガードの怒り】と言います。
やり場のない【ガードの怒り】は、弱い者へと向けられます。
家庭内で最も弱いのは、お子さんです。
怒りはお子さんに向けられます。
【ガードの怒り】をお子さんへ向けてしまう状態のお母さんであれば、ご自身が過去に、何らかの【出来事】や【言葉】によって、深く傷付いていると思われます。
傷つく事によって、テープ式心理学で言うガムテープが貼られ、
更に、
【自分】というものが縮こまって、【自分】が無いことにより、他人との境界が曖昧で、
「私と子供」ではなく、
「私の子供」
という感覚しかもてないのかも知れません。
わたし という 個
と
こども という 個
ではなく
私の手、私の足、私の子供……私の一部分
ということです。
【自分】が無い とは
本当に【自分】が消えてしまったということではありません。
心に傷を負った事により、【自分】が小さく、固く、極小のサイズまで縮こまったということです。
【自分】は決して消えません。
ガムテープを見つけて、剥がす事によって、【自分】は大きくなります。
【自分】が存在を増せば、境界線も鮮明になり、お子さんの存在を尊重できる様になります。
お子さんを個として認識できないままに、自分の一部分との認識で傷つけるのは、自傷行為にも通じることかも知れません。
虐待、自傷行為、暴力行為などは、表出する形は違いますが、
原因は全て、傷つけられて、ネガティブな感情のガムテープを貼り付けたことにあります。
虐待は、する側も、される側も、そこに虐待があることに気がつかない場合がとても多いです。
心理的虐待はもちろん、お子さんに明らかな外傷が残る身体的虐待であっても、その行為が虐待であることを、当事者親子は認識しないことは稀ではありません。
今、子供に虐待をしている親自身が、そのまた親からの虐待が日常化していた場合、虐待は普通の状態です。
それ故、気付くことが困難になりがちなのです。
気付かなければ、親から子、子から孫へと連鎖するのは、明白です。
情報化時代の現在では、虐待も一般に知られる様になりました。
子供が、身体的に外傷が目立つ様な虐待行為は、世間の目もあり、もしかすると、減っているのかも知れませんが、心理的な虐待はむしろ激増している様に思います。
やはり、【家族】という他人が踏み込みづらい場所で起こることなので、把握すら、かなり難しいことなのだと思います。
心理的虐待は、虐待の当事者が気付くこと以外、手立ては無いに等しいと思います。
ところが、心理的虐待の場合は、身体的虐待よりも、更に、はるかに当事者が気付くことが困難で、親子共々、虐待行為を愛情や親しさの表現、そして、しつけだと信じ込むことが通常と言ってもよいぐらいです。
虐待から抜け出すには、本人が気付き、本人が、どれくらい自分と向き合えるかに、かかっています。
これほど困難な生立ちにもかかわらず、
私は自分と向き合う決断をする。
その思いが、鍵になります。
気づいた、お母さんへの手紙
かつて、あなたは怖い思いをしました。
かつて、あなたは苦しい思いをしました。
そして、あなたは深く深く、傷つきました。
やがて母となり、
あなたは、かけがえのない、お子さんとめぐり逢いました。
愛しい、この子に
大切な、大切な、この子に
あなたは、怒りをぶつけてしまう。
あなたが傷ついた、あの日のように
あなたは、かけがえのない、この子を傷つけてしまう。
この子が言う事を聞かないから。
この子がうるさいから。
違います。
原因はお子さんではなく、お母さんの心の中にあります。
他人の心は変えることは出来ませんが、唯一変えられるのが、ご自分の心。
だから、変えられます。
だから、変えられるんです。
あなたは悪くない。
この子も悪くない。
誰も、誰も、悪くありません。
あなたは、気づきました。
それでいい。
それで、じゅうぶん、素晴らしいのです。
あなたは勇敢です。
だって、ご自分と向き合おうとしている。
あなたは母性です。
だって、この子と生きようとしている。
あなたは、知っています。
心の奥の、もっと奥で。
本当は
この子が愛しいんです。
ご自分の心と向き合いましょう。
気付かれたのです。
今がその時です。
あなたはよくぞ気付かれました。
もう、ご自分と向き合い始めた証拠です。
愛しいと思う眼差しを
落としてあげて下さい。
あなたが大切、と語りかけて下さい。
頭を撫でてあげて下さい。
そして、抱きしめてあげて下さい。
お子さんは望んでいます。
あなたも望んでいるはずです。
気付きはじめた、あなたであれば、
その日は、決して遠くありません。
大丈夫。
お母さん、あなたは、もう大丈夫。
あなたは、気付きの淵に居ます。
向き合いましょう。
愛しいお子さんの目を
まっすぐに見つめて、
生まれて来てくれてありがとう。
そう言える日は、すぐそこです。
NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾム
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