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【映画】実写版『リトル・マーメイド』を観て、漂う思考


なかなかに、感想を纏めるのが大変な映画でした。

一つの作品として観るなら楽しめたけど、どうしても手放しで賛美出来ない部分もあったりして。
そんな所を、考えても仕方ないからさらっとまとめることにしたkeikaです( ´∀` )


※注意喚起です


この作品や、出演者様方を意図的に貶めるつもりは微塵もございません。
が、絶賛できるほど出来た人間性は持っていなかったようです。
なので実写版『リトル・マーメイド』LOVE!な方は絶対に読まないでください。

この注意喚起を乗り越えて読んでしまった方は、どんな感想も反論も自己責任で飲み込んで処理してください。
この記事は単なる個人の感想です。



視聴回数1回、日本語吹替え版を視聴


CMのね、豊原さん(アリエルの吹替をされた方)の歌声がどうにも可愛らしくて。
その歌声を聞きに行った、というのが正直な所でした。

でも後から友人と感想を語り合った結果、字幕版にしときゃ良かった~~~と嘆く羽目になる(後述)

前評判が色々あった作品だったし、何より、申し訳ないけれどアリエル役の女優さん(というか本職は歌手さんらしいね)がどうしても好みではなくて。
人種とか肌の色じゃなくて、お顔そのものが、ね……(;'∀')

すまぬ、私の中のアリエルはもっと可愛い女の子像だったし、なによりドレットヘアの人魚がどうしても違和感しかなかったんじゃ~(´;ω;`)



視聴前 ⇔ 視聴後の変化



【視聴前の印象】

  • 「ポリコレとか何か知らんけど思想理念の辺りで炎上っぽくなってるの、気にはなるけどそれより作品としての完成度が大事」

  • 「南米感の強い人魚姫か~、どんなんだろ。あんま南米の人魚ってイメージ無いけどな……」

  • 「歌はめっちゃ聞きたい! 音楽には期待大!」



【視聴後の思考】

  • 「ディズニーとしてこのメッセージは、本当に正解なんだろうか?」

  • 「アリエル……ごめん、君を受け入れるには私の器が足りなかったよ……」

  • 「音楽も歌もめっちゃ良き! これは映画館の良い音響で聞きに行く価値があったわ!」



視聴前の印象を詳しく


「ポリコレとか何か知らんけど思想理念の辺りで炎上っぽくなってるの、気にはなるけどそれより作品としての完成度が大事」

これはもう、前評判とか公開後の感想とかお気持ちとかで得た印象まんまですね。

演者への人種的な配慮だとか見た目の問題(所謂ルッキズム)とか価値観の古い新しいとか、昨今話題の思想理念の部分。
気になるといえば気になる。
けど実際、私の中ではそこまで重要な尺度じゃない。

本来、作品に込められたメッセージが社会的なものでなければならないなんて、そんな義務どの作品だって負ってないです。
作品が持つテーマ、放つメッセージなんて、友情でも努力でも勝利でも、ごく個人的な愛情の発露でも何でも良いわけです。
けれど大きな会社の製作物ともなれば、どうしても無視は出来なかったのか時代の流れか、作品本来の意図していない社会的メッセージまで載せざるを得なくなってしまったかな、という感じですね。

そもそも、作品をみて思想理念がどうのと大声で騒ぐ人たちって、作品の良し悪しを測って物を言う事はあまりない気がして。
例え作品の出来栄えがどうでも、足を引っ張りたいだけの場合が多いのかなと。
せっかく美しいものを観に映画館に行くわけで、個人的にはアニメ版アリエルに拘りもないし、人種的にどうのという辺りも所詮黄色い肌の平たい顔族である私からしたら大した問題じゃないけどね、とすら思ってました。

えぇ、観る前は(^▽^;)



「南米感の強い人魚姫か~、どんなんだろ。あんま南米の人魚ってイメージ無いけどな……」


人魚のモデルとも言われるマナティは、北米から南米、アフリカにかけての大西洋沿岸に住む水生哺乳類。
アメリカ新大陸を発見したコロンブスがマナティと人魚を見間違えたのが最初とも言われていて、確かに生息域としては南米に人魚が住んでいても何ら問題はないのです。

が、どうしても南米のあの明るさと人魚の美しさにがギャップがあるように思えてならない。
その違和感を覚えてしまう部分にこそ、非白人的アリエルがこれほど反発を呼んだか、という疑問の答えのような気もしています。


アジア市場、とりわけ中国、韓国ではかなり売り上げに苦戦しているようだし。
制作発表が行われた2019年ごろには、主演の方をアリエルとは認められないというハッシュタグまで出来たそうな。

みんなアニメ版アリエルが白人風のビジュアルだったから、そのイメージを壊して欲しくなかったのかも。
そして日本では、人魚という物語自体がヨーロッパのものとして齎された部分も大きいのかも知れませんね。


「人魚姫」の原点たるアンデルセンもデンマーク人、つまり白人で、彼の描いた泡となって消える儚い白い肌の美しい存在が人魚だというイメージを、どうしても捨てられない層はいるでしょう。
何せ私自身が「人魚のイメージを捨てられない層」だったし。

それだけの所為じゃないけど、ちょいちょい世界観に浸りきれなかったりした理由の一つには上げられるかなと。


「歌はめっちゃ聞きたい! 音楽には期待大!」

兎に角CMで聞く吹替え版の豊原さんの歌声が細いのに力強くて可愛らしくて綺麗でね、そこを楽しみにして行ったわけですよ!
ここはもう、聞けて大満足!
音楽もラテンの明るさとテンションの高さがあって、軽く楽しく観るにはちょうどいい具合になってた( ´∀` )

要するに、この映画を楽しみたいなら難しい事考えちゃダメ!って凄く思ったかな(笑)

……そしてこの作品をちゃんと鑑賞するなら、やはり最初は英語版で見るべきだったのだな~とも。



視聴後に何を思い、考えたのか



「ディズニーとしてこのメッセージは、本当に正解なんだろうか?」

視聴中も視聴後も、これでずっとモヤモヤしました。
この辺を纏めるのに時間がかかって、何人かの友人にも話して、やっとこさ言葉に落とし込んだ感じ。
まさか軽い気持ちで観に行った映画でこんなにぐるぐるするとは…。

気になったのは、主にこの二つ。

  1. 人の見た目のどうこうを台詞に込めてしまうのは、翻訳側の悪意の表出なのでは?

  2. 旧価値観(トリトン) vs 新価値観(アリエル)、地上(人間) vs 海中(人魚)の対立構造をもっと上手く使ってくれたら……!



1.人の見た目のどうこうを台詞に込めてしまうのは、翻訳側の悪意の表出なのでは?



アースラ(海の魔女:悪役)の台詞にあるこの一言。

「あんな魚顔の女に王子が惚れるなんて、誰が思う?」

これさぁ、人種云々以前の問題じゃない?
主演さんの見た目が好みじゃないとかぬかしちゃう私が言えたこっちゃないのは重々承知なんだけど、でも公式でこういう、人の見目の良し悪しを論うのはどうかなって。

悪役だから、OKなの?
しかも、お互い惹かれ合ってる王子とアリエルの仲を引き裂くために美しい娘に化けたその貌で、他人の容姿を悪し様に言うなんて。
ちょっと引きました。

しかも元の英語版にはない台詞だったみたいで、日本語吹替え版にしかない台詞なのが更にモヤる。
これってさ、日本語翻訳製作サイドにいたってことだよね、「主演の子、可愛くないな」って考えてた人。
それをわざわざ元の英語版にはない台詞にしてまで、言う必要がどこにあったのかなって、今でもモヤモヤしてます。


※ただそれを言うとね~~~。
 見目の良さを賛美するばかりの作品も一方的でどうなの、美意識の押し売りなんじゃないのって言い方も出来てしまう訳で。
 この辺は凄くセンシティブな問題だし、もっと個人個人で嚙み砕いて整理していかないといけないものかもなとも思う。
 巨大企業の製作物だから、なんて理由でディズニーだけが創造性を制限されなければならない理由も勿論ない訳で。

 表現と放言の境目って、なかなか難しい問題よね……(;´・ω・)


2.旧価値観(トリトン) vs 新価値観(アリエル)、地上(人間) vs 海中(人魚)の対立構造をもっと上手く使ってくれたら……!

これは単純に、もっと結末部分でこれまでのディズニーを超えて欲しかったなってだけなんですけど。

作中、絶対に人間の世界になんて娘をやりたくない父トリトンと、人間の世界に憧れて知らない世界を知りたいと足掻いて王子に恋をしてしまった娘アリエルは、結構バチバチ争う訳です。

トリトンはまんま、父権の象徴であり人間は危険だから近付くなと警告する、古い価値観の象徴。
一方アリエルは幼い子供であり、「新しい世界に触れたい」と願う、人魚の世界で言う所の新しい価値観の象徴。

それともう一つ、地上の人間たちは人魚や海の神々を禍為すものと見做し、人魚もまた恐ろしい化物(クリーチャー)だという認識でいる。
片や人魚側もまた、人間は常に互いに争い戦い他者を傷付ける存在であり、結果として沈んだ船によってサンゴ礁や海の環境を壊す破壊者であるという認識。

人間である王子はただ一人、人魚なんてお伽噺さ、と周囲の人間の抱く恐れに共感しない。
海神の末娘たるアリエルはただ一人、姉たちまで口を揃える人間は荒々しく乱暴な生き物だという考え方に疑問を投げかける。

つまり王子とアリエルは、地上と海中世界それぞれのはみ出し者同士が惹かれ合ったというわけで。

父娘、旧価値観と新価値観、人間と人魚といった対立構造が先鋭化する流れがあったのに。
それぞれの属する領域の常識に真っ向から反抗しよう、考え方を変えてみようとする王子とアリエルが劇的に出会ったのに。
何故か最後はお定まりにアリエルが人間になり、王子と結ばれ、王子と共に王子の育った国やアリエルの育った海を出て世界を回る旅に出るハッピーエンドで終わる。


父トリトンの元に姉妹が七つの海から集まるコーラルムーンには、必ず帰って来て海神の集会に参加すると約束をして旅立つアリエルと王子。
それを見送る人間と人魚のそれぞれは、ラストで突然仲良くなって二人の門出を祝い合う。

何と言うか、確かにハッピーエンドなんだけど、創立100周年に「あらゆる境界を超える」とぶち上げたにしては、物足りないエンディングだなと思ってしまった。


「アリエル……ごめん、君を受け入れるには私の器が足りなかったよ……」


※注意:個人の感想です※


これは本当にごめんなんだけど、主演の方の見た目が私の好みから大分外れてしまっていて。
私の中に、「人魚=人ならざる者=人間を誘惑して陥れるもの=美しいものであるべき」という強固な固定観念が埋め込まれてしまっていたのが最大の相容れない原因だったね(´;ω;`)

でもね、正直ね、アリエルのお姉さまのカリーヌ姉さま役の方が主演を張った『リトル・マーメイド』なら、もっともっと、今作の何倍もの美しさで圧倒されるような心地を堪能できたろうなって思ってしまったんだ(´;ω;`)

カリーヌ姉さま、たった三回しかお顔が出ないのよ。
でもそのたった三回で、むしろ初見の一回でも、人の心をわしずかみにする美しさがあるのよ~~~( ;∀;)


それとね、主演の方は歌唱力で抜擢された歌手の方だったそうで。
だからか、お芝居はきっと初めてとかの経験だったんだね。
どうにも表情が乏しくて、映像の主演の方と歌唱力バツグンな、文字通り鈴を鳴らすように可愛らしい豊原さんとの声のギャップがまた大きくて……
ごめん、正直堪能できなかった(´;ω;`)

何なら、助けた王子が人間の世界へ一人戻っていくのを切なく見送るあのシーンで、私はCoCの深きものに遭遇したくらいの恐怖を感じてしまったもの。
あれ、本当ならきっと良いシーンだったんだろうけど……

アリエルの恋しさ切なさより人魚的化物感を先に感知してしまったオカルト狂いは私です(´;ω;`)

最初に日本語吹替え版を観てしまったのも良くなかったかなって。
最初に主演の方の素晴らしい歌唱を浴びていれば、きっと印象は違ったはずだしね。

けど、でも。
やはり歌唱力だけじゃなくて、演技力とかも抜擢の理由に挙げられる人が良かったなって残念感がどうしても拭えない。


「音楽も歌もめっちゃ良き! これは映画館の良い音響で聞きに行く価値があったわ!」


主演の方の演技と日本語吹替え版の演技力歌唱力のギャップはあれど、でも当初の目論見通り日本語版の歌は素晴らしいものでしたよ!

アリエル役の豊原さんは言わずもがな。
カモメのスカットル役の高野麗さんのリズム感とか、何よりアースラ役の浦嶋りんこさんの堂々として雄々しい程パワフルで如何にも魔女然とした悪びれもしない悪辣っぷりがもう、もう最高で……!!

アースラの持ち歌『哀れな人々』を聞きたいがためにサントラまで買おうかガチで悩んだ程に、日本語版の歌唱はどちゃくそに最高の最だったのでホントみんな聞きに行ってほしい(⋈◍>◡<◍)。✧♡
英語版観てから(笑)

因みに英語版を観た友人曰く、英語版のアースラはもっとやれたはず、ということらしいので、アースラ(ヴィラン)を堪能したい人は日本語版がオススメかも( ´∀` )


刺さったところ引っ掛かったところ


視聴前の印象が、視聴後にどんな思考に変化したのかっていう、ある意味メインストリームの感想がこっちだとしたら。
ちょっとだけど心が揺れたのはこの辺り!っていうのも、折角なので余すところなく書き切っちゃいます(笑)


【これが刺さった】



  1. これまでのディズニーには無い”人魚=化物”としての描き方が見られた

  2. アニメ版よりも掘り下げられていたエリック(王子)とアースラ(海の魔女)

  3. やはりCGの技術が素晴らしい……映像自体はめちゃめちゃ綺麗だった




1.これまでのディズニーには無い”人魚=化物”としての描き方が見られた


これは、個人的にすごく「おっ」となった部分でしたね。

パイカリとか、ハリポタとかでは、必ずしも人魚=美しいモノではないような描かれ方をしている昨今。
いよいよディズニーも、人ならざるものとは何か、を真剣に考え出したのかなとワクワクしたり(*´艸`*)

何せアニメ版では大して人魚というところを掘り下げてる印象はなかったもので、今回の実写化において「地上の人間から人魚への感情はこうですよ」という所をきちんと描写したのは素晴らしい取り組みだなって。

人間と人魚。
違う種族であるという隔たりが大きければ大きいほど、「それなのにどうして惹かれ合ってしまったのか」とか「種族の壁を超える困難がどれ程であっても、愛した人のためなら超えられる」とかって感情を、よりダイナミックに描けるんじゃないかと思うんです。

人と、人ならざる存在の恋愛譚には絶対必要なんですよね、両者の世界が、例え近く見えても、絶望的なまでに遠いんだって描写。
結ばれたくても、本来の自分達のままではどうあっても結ばれないんだっていう無力感。
そしてそこを乗り越える為に何を犠牲にして、どんな対価を支払ったのかっていう喪失の物語にこそ、ハピエンをより輝かしく美しいものに見せる力は宿ると思う次第なのです(´∀`*)



2.アニメ版よりも掘り下げられていたエリック(王子)とアースラ(海の魔女)

アニメ版では説明が足りなかったアリエルと王子の恋愛シーンに根拠を与える、良い改変だったなと感じます。

掟を破って人間の世界(=海の上)に顔を出したアリエルは、とある船の船員たちが面白おかしく歌うのを聞き付け、なんと救難艇に隠れてまでその様子を観察します。

そこで聞こえたとある男の苦悩、願い。

育ててくれた国へ恩返しがしたい。
海の果てへ漕ぎだして、どうにか国を、民を富ませる術を得たい。
そしてあわよくば、旅路の中、一時でも己が何者でもない己であると。
地位や出自に縛られず、ただ自由な男で、一人の人間であることを実感して生きていたい。

知らないモノを知りたいだけ、新しい世界に触れたいだけ、それを求めるのが自分という個性なのに。
周りには無理解と、押し付けられる立場、窮屈な制約が蔓延っている。
己と同じはみ出し者の王子の心を知り、同じ孤独を共有するアリエルだからこそ王子に惹かれたんだという部分がすとんと腹落ちする演出です。

このキャラの背景を説明する掘り下げは悪役アースラ(海の魔女)にもあって。
アリエルの父トリトンと兄妹(姉弟?)の仲だったアースラは、海神という地位をトリトンに奪われ海底の薄暗い岩陰に追いやられ、冷遇されたと嘆き続け恨みを募らせます。
その鬱屈した不満から、御しやすいアリエルを監視し、心の隙を突いて(実際はかなり無理矢理感あったけど)不利な取引にアリエルを陥れるまでになる。

こういったそのキャラの背景を無理なく、それでも必要なだけは説明するというひと手間が加わるとキャラの厚みが増して物語を面白くしてくれますよね!


3.やはりCGの技術が素晴らしい……映像自体はめちゃめちゃ綺麗だった


もう、これ以上何も言う事はないってくらいまんまです(笑)

特に前半の海中のシーン。
アリエルたちが歌い舞い踊る姿は思わず見惚れる美しさでしたね。



【引っ掛かったところ】



「もっとアリエルとエリックの恋愛描写を詰め込んで欲しかったな」


これは、すっごく勿体ないなって思う部分でした。

エリック(王子)⇒ アリエルの描写は結構あったんですよ。

自分の命を救ってくれた女性を探し求めながら、同じく海から引き揚げられた憐れなお嬢さんに段々と惹かれていく王子。

何に巻き込まれたのか、服の一枚もないままに海を漂っていたとは思えないくらい、あらゆるものを興味深く好奇心旺盛に観察して知ろうとするアリエル。
その姿にささくれた心を癒されたのか、はたまた力強いものを感じたのか。
天真爛漫さにきゅんとしちゃう純朴な男心的なやつかも知れませんが(笑)、兎に角王子からアリエルへの恋心は分かりやすい描写と演出で満点でした!

けど、残念ながら、肝心のアリエル ⇒ エリック(王子)への恋心描写が……随分と足りないのでは?と思わざるを得なかったかな。

人魚だったころ、「必ず 会いに行く あなたに」と岩場の上から請い願った思い人が目の前にいるにもかかわらず、アリエルは目に入る人間世界のあれやこれやに目移りし放題。
そりゃ好奇心満点なのは分かるけど、もうちょっと王子のことも意識してあげてw

攻めが振り回される描写の資料にはもってこいだけど、違うそうじゃない。
恋愛映画を観に行ってるんですし、先に恋に落ちたのはアリエルなわけですし。
何より、声を失ってまで、大きな対価を背負ってまで人間になってやっと傍にいることができたんですから、王子にもっともっと愛情を傾けるアリエルの様子が描かれても良い筈では……(´・ω・`)

その辺がちょっと足りなかったからか、その後出て来た恋敵(アースラ)に王子を奪われ傷付くアリエルの切なさも、ちょっと薄れてしまったかな、という感がありました。



褒め称えるより、モヤモヤした点を詳らかにする方が余程難しい



視聴直後は結構あったんですけど、噛みつきたい所。
でもそのまま素直にそれを書いちゃうのは、ただの愚痴だし暴言だし。
何より自分の感じた違和感とか疑問点とか不快感とかを、火が付かないように書き表すってとっても難しいので。
大分、ガッツリ減らして、やっと書き切りました( ´∀` )



私は、あの美しさもある、けれどどうにも引っ掛かってもしまう作品を、自分の中で整理したかっただけで。
整理した中で見える自分の固定観念とか、アップデートしきれなかった部分とか、それでもこれは良いと思えた素直になれた演出や表現なんかを見つめることで、自身の嗜好をきちんと把握したかったというだけ。

例えば、どうしても認められない美麗な容姿の人魚への拘りは、自身の容姿へのコンプレックスの裏返しでもあるかなと思わないでもないし。
ただそれだけじゃなくて、人ならざる者への畏怖なり理想像でもあると思っている。

ここで分かるのは、私も大分人魚というモチーフへのイメージが固定化されてしまっているということで。
それは今後、例えば人魚パロなんかの文章を書く時の指針になるのかも知れないし、逆に足枷になるのかも知れない。
それは書いて見ないと分からないし、必要なら固定化されたイメージをもっと強化するか、或いは転換しないといけないんだろうと思う。


結局は何を見たって何を考えたって、私はそれら全てを今後の私の為の肥やしにしていくしかないし、そうするつもりで映画を観ているので。
今回この記事を書くに当たって、モヤモヤした点を減らさないと書き切れなかったっていうのは結構悔しい思いがあります。

そこは自分の文章力の未熟さ故なので、いずれ何かの機会にこの実写版『リトル・マーメイド』を見た時に同じように何か記事を書きたくなったとして。
同じようにモヤモヤした所を減らさないと書き切れないかどうかを、自分の文章力のリトマス紙にするしかないかな、と思う次第。

いやぁ、何かを創るって、表すって、難しいね┐(´∀`)┌ヤレヤレ



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