アマプラに入って『ゴジラ-1.0』を観た話。
先輩に「ゴジラ-1.0を観給え」と言われたのでG.W.にアマプラ入って観ましたという話のまとめ。
感想語り散らかす機会を設けると聞いてたのでその機会に語ろうと思っていたんですけど、なくなるかもしれないということなので、せっかくなので書き残しておきます。
ゴジラ-1.0のネタバレあります。
その他、「終戦のローレライ」「シン・ゴジラ」などに触れていますがこちらはネタバレと言えるほどのネタバレはありません。
☆前提☆
・なみあとはゴジラシリーズは未試聴です(他の物語がどのようなものかは知りません)。
・なみあとのゴジラ知識は「東京湾近海に住むめっちゃでかいトカゲ(核融合で生きてるぽい?)(火とか吹く)」程度です。
・『-1.0』に続けて同日に『シン・ゴジラ』を観ました。
・戦中・戦後の時代背景とかの知識はふんわりです。
・『-1.0』やゴジラの裏設定とか別シリーズの設定とかシナリオとかそういうのは一切わかりません。
・『-1.0』を「まいなすいってんぜろ」と呼んでいたらおかあさんに「マイナスワン」と訂正されました。
そんな感じです。
れっつご。
■物語とかシナリオとか
シナリオに過不足がない、見事な物語だと思いました。
というかまず、「要らないとこ書かない」を徹底しているなと思いました。
どうして典子さんがあきこちゃんを拾ったのかとか、一緒に船に乗った人たちの過去とか、まったく書いていないわけではないが、詳細なところを深堀りしていない。
「特攻兵の生き残り(逃げた)である主人公がどのようにして立ち直り、ゴジラという脅威に立ち向かい、勝利し、戦後を生きるか」の一本筋を書くっていうところから逆算して考えていったシナリオなんじゃないかなと思いました。
敷島の、死んだ父母との思い出とかもほとんど書かれないし。不要なところが徹底して省かれている、という印象でした。
時代設定から考えられる対ゴジラ武器などについての設定に無理がなく、占領下で軍がないこと、武器がないことがちゃんとシナリオに生かされているところが好き。
あんまり日本史詳しくないですけど、さすがに高雄と震電くらいは知っていたので「高雄!!!!!」「震電!!!!!」ってなった。
でもこの状況下で主人公が元特攻兵でしたら帰りのガソリン抜きそうですよねフフってなってたらほんとに抜いたのでにっこりした。
わたしの中で、福井晴敏『終戦のローレライ』(映画『ローレライ』)を思い出させる映画でした。あれ結構好き。学生時代に原作も映画も観た。清永のラストがとても印象に残っている(余談)。
そしてこの-1.0も、まさしく「日本でしか作れなかった物語」だと思う。
特攻とか、戦後の日本とか、ゴジラというコンテンツが生まれた国であることもそうだけど。かつて核投下という圧倒的な力による破壊を受けた国だということも。
そういうところも、この映画が海外で受けた要因の一つかなと思う。
戦争により心折れた一人の男が、再度、今度はゴジラという避けられない脅威に出会い、いかにして未来を生きようと思うかを描いた、いい物語だったと思います。
■好きな登場人物とか
好きな人物は「澄子さん」「学者」。
わたしは梅崎春生『蜆』が好きで、戦後の世界は「助け合い」みたいな人情だけでは絶対にないのだと思っている。
ああいう「くさした」人が、数年をかけて敷島の力になっていくのがとてもよかった。きっと中盤以降の彼女は、戦地帰りの敷島にああいう態度を取ってしまったことを後悔しているだろう、という想像が難くないのもすごくいい。
学者は個人的趣味としてああいうキャラクター好き。って感じです。学者としてのプライドがありそうというか、当時のまだ未熟な学術知識をなんとかフル活用して活路を見出そうとするところが好き。
神木隆之介君に演技力はなまるあげます。絶望とか前に進もうとして折れるところとか苦悩するのとかもう演技力はなまる。
あきこちゃんかわいい。あきこちゃん100点。
■ちょっと納得がいかないこと
何度も言ったとおり、過不足なく、とても美しく見事にまとまっている物語だと思います。
高評価なのも頷けるし、わたし自身も観終わって「いいもの観たな」と思えた。
ただ、どうしてもこの物語に納得のいかないことがあって、これは単純にわたしの好みの問題であるのですが(また、「『ゴジラシリーズ』というのは基本的にそういうものなんだよ」って言われると、「なるほどそうなんか」と思うと思うんですけど)、現状のわたしの感想の一つとして、
どうして人間の後悔だ未練だという「人の背負った業」の解消を「ゴジラという非人間のもの」に背負わせた・向かわせたのか。
災害級の化け物が戦後の東京に現れた、だから頑張って追い払う、は特に不自然には思わない。
戦地で最後まで戦い抜けなかった、死にながら生きるようだ、そこから何かのきっかけで立ち直る、未来を生きたいと思うようになる、もそれはそれでまったくいい物語だと思う。
シナリオにも過不足なくて、とてもいい話だと思う。
高評価なのも頷ける。
だけど、敷島の後悔とか、彼が戦いから逃げたこととか、心の弱さとか、トラウマとか、もっと広く言ってしまえば先の大戦が勃発して日本が負けたことだって、結局のところ「人が勝手に始めて人のせいで生まれてしまったもの」であるのに、なぜ人の事情とまったく関係のない生命(?)を、人の心の弱さを乗り越えるための道具・手段として使うのか。
人のせいで生まれたものは人の内で収めるべきではないのか、というやりきれなさ。
ゴジラ、動物というか、災害、なんなら神に近いものであることを考えても、それを、人間の感情の置きどころなんていうものに使っていいのかという疑問? なんか、そんな感じ。
うまく言えている気はしないが、どうしてもそこだけが腑に落ちない。
あくまでわたしの好みからの観点なのでそれがいいとか悪いとかではない。
というか、それがあっても過不足なくてよくできた物語であるのは変わりない。
ただ、そういう意味合いで、選べと言われたら、わたしはマイナスワンよりシン・ゴジラを選ぶかもしれない。です。
人の感情の置きどころとかそういうものにゴジラを利用するのではなく、純粋に「いまを生きる人が、守るべきものを守るための戦い」を見せたという意味で。
でもラストシーン、物語中でひたすら前を向き続けた典子さんの首元に傷が残っているところ、「ちゃんとゴジラ無辜の民にわるいことしとるやんけ」「敷島にやり返されてもまあいいか」感がちょっと植えつけられたので、↑のやりきれなさが少し解消されて溜飲が若干下がりました。
(この傷にもちゃんと別に意味があるよ、という話は聞きましたがあくまでわたしの解釈として)
(ちなみに「典子さんがゴジラに吹っ飛ばされた」ってだけでは「敷島が力不足で典子さんを守れなかった」という印象が強く残ってしまったので、「ゴジラもわるいことしたなあ」にはあまり至らんかった)
■まあそんな個人的趣味はさておいて、この物語に一番言いたいこと
これは『シン・ゴジラ』にも共通して言えることなんですが、
なんで攻撃したあと「やったか!?」って言うの?
それ言っちゃダメって義務教育で教わったでしょ!?
以上。
ちなみになみあとのおかあさんは「敷島は最後散った方が美しいと思う、典子も生きてたし、どっちも欠けてないのご都合主義にまとまりすぎじゃない?」と言っていて、それも一つの感想かなとは思うのでここに。
個人的には「ここまで敷島苦しんできたんだから、ラストは幸せな未来があったっていいじゃない」と思う。
面白かったしとても美しい物語だと思いました!
ありがとうございました!
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