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“絶えざる変化”のなかで。

自然環境リテラシー学 海コース 第2回 2022/7/16~17

まえがき

 先日のこと、私は三重大学において開講されている「自然環境リテラシー学」という講座の実習に参加した。以下は、その時に思ったことや感じたこと、後から振り返って考えてみたことなどを綴った、「ノンフィクションエッセイ、のようなもの」である。

プロローグ

 世の大学生の大多数にとって、7月の中旬と言えば、夏休みの輪郭がおぼろげに見えてくる時期であるとともに、各種期末課題の提出期限が押し迫り、試験を前に危機感を覚え始める頃合いである。そして、それはこの私も例外ではなかった。正直なところ、実習の前日までは「なんでこんな忙しい時期にあるんだよ」「土日が潰れるのはマジで痛いわ」という思いが強く、今回の参加に際し、あまり気が進まなかった。しかしながら、結論から先に白状してしまえば、いざ2日間の実習が終わってみると、そこには「参加して良かった」と思っている自分がいて、何より鳥羽で過ごした時間は素直に楽しかった。
 では、どのような2日間を経て私はそんな風に思えるようになったのか。以下ではそのような心境の変化をもたらした鳥羽での体験について語っていこうと思う。

Day1 : 7/16

 前回に続き、今回の実習初日も午後から天気が崩れ、風が出てくるという予報だった。そのため前日の時点で大幅な予定の変更が決まり、集合時間が早まるとともに、受講者はそのままカヤックに乗艇できる格好で集合するようにとの連絡が入っていた。前回の実習といい、よく予定が変わるなぁと思った。しかし、天気が相手では致し方ない。そんなふうに受け止められるようになったのは、第1回目の実習に参加した際、時々刻々と空模様が移り変わっていく様子を目の当たりにし、その変化を肌で感じた経験があったからかもしれない。
 これは余談であるが、自然環境リテラシー学の実習に参加すると、自ずと「自分が置かれた状況を受け入れる力」が向上するように思う。悪天候のような、「ある程度対策を講じることはできても、それ自体は自分の力ではどうすることもできない、“ままならぬこと”」に直面した時に、不思議と「まぁ、そういうこともある」と思えるようになるのである。道具の扱い方や野外活動における注意点などに関する専門的な知識や技術を学ぶことができるという点以上に、「自分の内面に小さな変化をもたらしてくれる」という点に、私は本講座の魅力を感じる。「知らず知らずのうちに自分の中の“ものごとの受け止め方”が少しずつ変わっている」というと、なんだか少し恐ろしく聞こえるかもしれないが、それが自分にとって心地の良い変化であるならば、私はそれに身を委ねてみればいいのではないかと思う。

 閑話休題。まだ初日が始まったばかりなのに、ついつい「まとめ」的な“いい感じのこと”を言ってしまった。私の悪い癖である。話を進めよう。
 今回の実習において拠点となったのは、三重県鳥羽市にある三重大学の水産実験所である。昨年四月に開所したばかりとあって、建物はまだ真新しい。

写真1: 三重大学の水産実験所. 左方に映り込んでいる背中が頼もしいイケメンは先輩である.

 実習の初日は三重県が行っている「みえアウトドア・ヤングサポーター育成事業」(通称 :「ヤンサポ」)の一環であるとのことで、はじめに三重県の職員の方から説明があった。豊かな自然環境や食文化に代表される魅力的な地域資源を有しながらも、人口減少や少子高齢化の問題に直面している農山漁村地域が三重県には存在する。若者にこれらの地域の魅力を知ってもらい、両者の橋渡しをすることで、農山漁村地域の活性化に繋げることが、本事業の目的であるという。
 県庁の方からお話を伺っていると、ゴロゴロという遠雷の低い唸り声が轟いた。鳥羽駅に着いた時には既に灰色の雲が空に垂れ込めていたが、いつの間にか天気は次第に悪化していた。
 ヤンサポについての紹介が終わると、今回の実習に参加して下さる柴田丈広さんから今日の天候やツーリングのルートについての説明が行われた。
 柴田さんは伊勢志摩地域を中心にシーカヤックのスクールとツアーを行っているアルガフォレストという団体の代表をされている方である。シーカヤックに乗って世界各地の海を冒険し、現在はプロインストラクターをされている柴田さんは、今回の実習における「最強の助っ人」と言っていい。

写真2: 出艇に先立ち,参加者に説明をする柴田さん.

 「岸の近くを騙しだまし行ってみましょう」。天候と想定されるリスクについての説明をしながら、柴田さんはそう言った。
 当時、現地には雷注意報が発令されていて、既述したようにブリーフィングの最中には実際に雷鳴も耳にした。いったん沖に出れば洋上に身を隠す場所は何処にもなく、また、雷を防ぐことは不可能である。そのため、「落雷の危険性があると判断された場合には速やかに陸に上がることができるよう、今回は岸伝いにカヤックを進めていく」とのことだった。
 「騙しだまし」というと、些か聞こえが悪いかもしれない。確かに、この言葉には「その場をどうにか取り繕いながら」といったネガティブな意味も存在する。しかしながら、この語は「様子を見ながら」という意味でも用いられることのある言葉だ。「現在のところ十分に危険性は低いと考えられるが、予報は絶対ではなく、天候が急変しないという保証は無い。空模様を伺いつつ慎重にカヤックを進め、万が一の場合には直ちに陸に上がることができるよう、岸伝いのルートを行く」。柴田さんの言う「騙しだまし行ってみる」とは、きっとそういうことであったのだろう。リスクを全きゼロにすることはできず、「危ないから止めましょう」というのでは何もできなくなってしまう。「不測の事態に備えつつ、その場の状況を見て判断し、臨機応変に対応する」。シーカヤックに限らず、自然の中で何らかの活動する際には、常にこのような心構えが必要になるのではないかと思う。

 柴田さんのお話を伺っていると、急に雨が降り始めた。その雨脚は瞬く間に強まり、気づけば「車軸を流す」という表現が似合いそうな土砂降りへと変わっていた。瞬間、あたりが青白く光り、遅れて絶縁破壊された大気の戦慄きが到達する。「こんな状況の中、本当に海に出られるのだろうか」。タープの下に立ち尽くし、滝のように降りしきる雨の中に閉じ込められながら、そう思った。

写真3: 降るしきる雨. タープの縁から勢いよく雨水が滴り落ちる.

 局所的な雨雲であったためか、数十分もすると雨脚は弱まり、やがて空模様は小雨がぱらつく程度となった。装備や荷物を両手に持って、各自、水産実験所からほど近い広畑の浜へと向かう。
 浜の前まで到着すると、道路脇にはごみの入ったいくつものビニール袋が積まれていた。私たちが到着する前に、地域の方々が下草を刈ったり浜に打ち上げられていたごみを拾ったりして下さっていたのである。「ありがたいことだなぁ」と思う。

 装備を身に着けひと通りの説明を受けると、私たちはさっそくカヤックに乗り込み鳥羽の海へと漕ぎ出した。浜の目の前の小さな入り江に出たところで、今のうちに集合写真を撮っておこうということになり、カヤックの向きを揃え、横一列に並んで撮影したのが次の一枚である。

写真4: 広畑の浜の前の入り江にて,一列に並んだ参加者たち. 

 写真の下方、海面のあたりに目を凝らせばお分かり頂けると思うが、この時も小雨が降っていて、結局この日は夜になるまではっきりしない天気が続いた。しかし、雨は悪いことばかりではない。第一に、夏の強い陽射しに晒されずに済むし、厳しい暑さもかなり和らぐ(寧ろ、雨の日に警戒すべきは熱中症よりも低体温症である)。それに、雨の日には雨の日にしか見られない光景というものがある。

写真5: 雨滴が海面につくる波紋.

 どうだろう。雨の日の海も、それはそれでなかなかに趣深いものだと思いません?(愉しみ方がちょっと渋過ぎるか……。でも、何かいい感じでしょう?)

 閑話休題。記念撮影を終え、入り江から南に出ると、私たちは鳥羽湾の海岸線に沿うようにカヤックを進めていった。あたりには何軒ものホテルが立ち並んでいて、洋上からは普段は目にすることのないそれらの裏側が見えた。

写真6: 海上から見たホテルの背面. 些か不思議な眺めだった.

 天候が持ち直してきたこともあり、少しだけ沖の方に出ることになった私たちは、三ツ島を目がけて海を渡ることになった。この時、柴田さんからは潮流の向きを気に留めておくようにとの指示があった。岸辺から三ツ島の一番手前の島に向かってカヤックを漕いでいる間、船体は進行方向に対して右から左に少し流されていた。つまり、この時・この場所の潮は、概ね東から西の向きに流れていたのである(図1を参照)。果たして一体これが何を意味しているのか、それについてはまた後で語ることにしよう。

図1: 初日の航跡(坂本先生より提供の画像を筆者が加工). 青い矢印は当時の潮流の向きを表す.

 海を渡って三ツ島の東側まで来た私たちは、岸から数えて2番目と3番目の島の間にある狭い隙間を抜け、出発地点である広畑の浜を目指すこととなった。実は、このとき少しだけヒヤリとする場面があった。三ツ島の周囲には岩礁が点在していたのだが、これにぶつかりそうになったのである。
 潮の流れが存在する海においては、波は無くとも船体は次第に流されることがあり、「その場に留まっていたつもりが、気づけばすぐ近くまで岩が迫っていた」といった事態が生じることがある。そのうえ、海面下に潜む岩礁との距離を測ることは難しく、また、次々に現れるそれらの姿は、海上に突出した岩とは違い、ある程度近くまで来てからでないと視認することはできず、注意を払っていなければ容易く船底を擦ったり、時には座礁したりする危険性もある。

写真7: 岩の間を抜けるようにカヤックを進めていく.

 前回の実習で訪れた河芸の海にはまったく岩場は無かったため、今回、鳥羽の海でカヤックを漕いだことで、初めて岩礁の多い海域でカヤックを操る難しさを実感し、単にこれを想像するのではなく、本当の意味で理解することができた。「百聞は一見に如かず」と言うが、「実際に経験すること」は「見ること」よりも遥かに得るものが多い。「頭では分かっていること」と、「腑に落ちていること」「自らの血肉となっていること」は、質的に異なる。後者の理解に達するためには時として理屈だけでは不十分であり、感覚を通じた事象の把握が必要になることもしばしばある。まだ2回しか経験していないのにあまり偉そうなことは言えないが、自然環境リテラシー学の実習が大切にしているのは、その種の理解(言わば、“腹で理解すること”)なのではなかろうか。

 閑話休題。広畑の浜の前の入り江まで戻ってきたところで、山本先生からある生き物を見せて頂いた。アオウミウシである。

写真8: 実習中に姿を見せてくれたアオウミウシ. 

 実のところ、アオウミウシはそれほど珍しい生き物ではない。普通種であり、かつウミウシとしては比較的大きく、また目立つ体色をしていることもあって、磯では割とよく目にするウミウシであると言える。しかしながら、それでもやはり見かけると嬉しいもので、加えてここ最近は見る機会が無かったこともあり、このとき久しぶりにアオウミウシを目にした私のテンションは一気に跳ね上がった。
 やっぱかわええよなぁ、ウミウシ。僕も見つけたかった……(つい素が出て一人称の表記がブレてしまいました)。私が参加する次回の実習も鳥羽において行われる予定であるから、その際にはぜひ自分の目で見つけたい。
 次回の実習における個人的目標:己が眼でウミウシを見つける。

 私がアオウミウシに気を取られていると、第1回の実習時にセルフレスキューを成功させることができなかったという数人が自発的にその訓練を始めた(註:セルフレスキューとは、転覆した際に独力でカヤックに戻ることを指す)。実は、私も前回の実習において最後までセルフレスキューを成功させることができず、そのため一度はこれを達成しておきたいと思っていた。しかし、なかなかそれを言い出すことのできなかった私は、他の受講者がセルフレスキューに取り組む様を少し離れたところからしばらく眺めていた。何度もバランスを崩して“チン”しながらも、みんなめげずに再び立ち向かっていく(註:カヤックでは落水することを俗に「チンする」と言うそうである)。そして、幾度目かのチャレンジにおいて、とうとう2人がセルフレスキューを成功させた。その様はお世辞にもスマートとは言えないものだったが、成し遂げたという事実に何ら変わりはない。「成功するコツは成功するまで諦めないことだ」とはよく言うが、「なるほど、確かにその通りであることよなぁ」と傍から見ていて思った。

写真9: セルフレスキューの訓練に取り組む受講生とこれを見守る先輩たち.

 浜にも上がらず、他の受講生がセルフレスキューの訓練に取り組んでいる様子をじっと見ていた私は、その時きっとやってみたそうな顔をしていたのだろう。先輩が「カイもセルフレスキューやってみる?」と声をかけてくれた。「ちょっとやってみたいです」と私は答えた。「ちょっと」という予防線を張るあたりが我ながら何とも情けないが、兎にも角にもこうして私のセルフレスキュー・チャレンジが始まった。
 前回の実習において散々“チン”する経験を積んだためか、カヤックに乗ったまま海に放り出されることに対してはそれほど抵抗を感じなくなっていた。体を横に傾けてわざと“チン”する。グラブロープを掴んでこれを引っ張り、スプレースカートをコックピットから外して転覆したカヤックからの脱出を図る。続いて船首の方向に回り込み、船体の前方をできるだけ持ち上げてコックピットに入った水を排出、そのままひっくり返った船体を起こして元の向きに戻す。そして後方側面に移動し後部デッキに上半身を乗せるのであるが、パドルを持ったままだと身動きが取りづらいため、その前にカヤックの本体に掛けられているゴム紐にパドルを差しておくと、その後の一連の動作がやり易くなる(ただし、このときコックピットから手を伸ばしても届かない位置にパドルを差してしまうと、これを取るためにもう1度“チン”しなければならなくなるので要注意)。
 さて、大変なのはここからで、まず、上半身を後部デッキの上に乗せるのが一苦労である。反対側の側面にまで届くようにカヤックの船体に手をかけ、その状態から腕力を頼みにして上体を乗り上げさせる。次に、船体を跨ぐようにして腹這いの姿勢をとるのだが、ここまでの動作を成功させるのに既に数回にわたる挑戦を要したことをここに付言しておく。そのあとはコックピットに脚を入れるべく、船体に抱き着いたまま船首の方向へと少しずつにじり寄っていくのであるが、これが思いのほか難しい。船体上にある突出した構造物に身に着けている装備がひっかかり、これを乗り越えようとして上体を起こすと重心の位置が高くなってバランスを崩しやすくなるのである。私の記憶が正しければ、確かこの“腹這い前進フェーズ”の最中に2度ほど私は“チン”している(コックピットまでのあと数十センチの距離がどれほど長く感じられたことか!)。この動作をするときのコツは、左右の脚を開いてその先端が海水に触れるような姿勢を取りながら、できるだけ胸を船体に密着させるようにして進んでいくことである。こうすることにより重心の位置が低くなり、また、左右のバランスも取りやすくなって安定性が増すのだ。
 コックピットの上まで来たら、いよいよそこにお尻を入れるようにしてカヤックに乗り込むのだが、ここが最後の難関である。この時ばかりはどうしても身体を起こす必要があり、重心の位置が高くなるため、必然的にバランスを崩しやすくなる。しかし、失敗を重ねてこの段階まで辿り着くと、「どうしてもここでキメたい」という意識がはたらいて集中力と身体感覚が研ぎ澄まされるためか、結局この過程で失敗することは無く、私は無事にコックピットへと再び乗り込むことに成功した。それが、私が初めて転覆したカヤックへの再乗艇を果たした瞬間だった。

 「できなかった」という悔しさも、「できた」という喜びも、「やってみたい」という気持ちが本物であればこそ生じるものであり、また心の中に残り続けるものだと思う。糧になるという点では両者の価値にさほど違いは無いと思うが、そうは言っても成功体験は失敗には代えがたいものがある。何かができるようになることは単純に嬉しいし、「自分の力で成し遂げることができた」という事実は自信に繋がる。自信がつけばそれに取り組むことはより楽しくなるし、取り組む時間が長くなれば上達もしやすくなる。
 こうして得られる達成感や自信の源泉は、それがある程度自分にとって困難な挑戦であったという点に求められるのではないかと思う。簡単にできること、やればできると分かっていることができても、嬉しさも達成感も得られない。やってみなければできるかどうか分からない難しいチャレンジであればこそ、それを成功させることができた時には自ずと嬉しくなるし、その事実は自信に繋がるのだと思う。セルフレスキューの訓練を筆頭に、自然環境リテラシー学の実習で取り組む内容は、必ずしも易しいもの(=誰でも簡単にできてしまうこと)ばかりではない。しかし、だからこそ、やってみようとすることに価値があり、また、首尾よくできたときには嬉しくなるのではないかと思う。

 閑話休題。広畑の浜から水産実験所まで戻ると、昼食の後、私たちは少人数のグループに分かれてロープワークの実習に取り組んだ。このとき私が教わった結び方の一つにテグス結びがある。これは2本のロープの端を繋ぎ合わせて1本にする際に用いられる結び方なのだが、簡単にできる上に実用性が高く、覚えておくと役に立つ場面もあるように思った。そのやり方について言葉で詳説することは差し控えるが、コマ結びができれば誰でも簡単にできる結び方であるから、興味が湧いた方は是非調べてみて欲しい(余談であるが、「これを最初に考えた人は頭がいいなぁ」と思った。基本的な要素を組み合わせることにより、まったく新しい機能を創造してのけたのだから)。

写真10: テグス結び.

 ロープワークの実習を終えると、私たちは柴田さんのお話を伺うべく、近くの公民館へと移動した。なお、この場所をお借りすることができたのは地元の方々のご厚意があったからであるという。私たちが到着する前に広畑の浜をきれいに掃除して下さっていた件といい、本当にありがとうございました。
 さて、柴田さんから最初にあったのは、シーカヤックという視点から見た鳥羽の海の特徴と、潮流についてのお話だった。
 鳥羽の海は伊勢湾と太平洋の境界付近に位置している。そのため、外洋からのうねりが届きにくく風が無ければ波は穏やかであるという内湾の要素と、沖の方まで出るとうねりが出てくるという外洋の要素を併せ持つ、非常に面白い海域なのだという。また、大小様々の有人無人の島々が点在し、これによって複雑な潮流が生じているそうである。加えて、海上交通が発達しているため船舶の往来が多く、鳥羽の海でシーカヤックを漕いでいると観光船などとすれ違う機会もしばしばあると来ている。何なんだこの属性てんこ盛りの面白い海は!一粒で二度も三度もうまいじゃねぇか!………コホン。地学的なタイムスケールの中で繰り広げられてきた壮大な大地の営みと、歴史的な時間軸の中で脈々と受け継がれてきた人の営み。その双方が相俟って鳥羽の海を魅力的なものにしている、という訳である。

写真11: 地形図を広げ潮流についての説明をする柴田さんと,その話に聞き入る受講生.

 島々が点在するために鳥羽の海には複雑な潮の流れが生じているということは既に述べたが、この点についてもう少し詳しく触れておこう。
 潮流とは、水平方向への海水の移動のうち、定常的でなく(すなわち海流には該当せず)、主として潮汐(主に月の万有引力に起因する周期的な海水の上下動)によって生じるものを指す。伊勢湾を例にとると、上げ潮の間(潮が満ちてくるとき)は湾奥よりも外洋の海水面の方が高く、そのため位置エネルギーの差によって外海から湾内へと海水が流入する。また、下げ潮の間(潮が引いているとき)は外洋よりも湾奧の海水面の方が高く、そのため湾内から外海へと海水が流出する。このように、大まかに見ると潮汐に起因する水位差が潮流を生み出している訳だが、話はそう単純ではない。 
 潮汐表によると、この日、鳥羽では朝の7:00くらいに満潮を迎え、14:00くらいに最も潮が引くとのことだった。従って、私たちがシーカヤックに乗って海に出ていた間は下げ潮の時間帯に当たり、先の話によれば、この間は概ね湾奧から湾の外へ向かって、すなわち西から東の向きに潮が流れる、ということになる。
 では、実際のところ潮はどちら向きに流れていたのか。岸側から三ツ島へと渡る際、柴田さんは潮流の向きを気に留めておくようにと仰っていたが、この時、潮は進行方向に対して右から左の向きに、すなわち東から西の向きに流れていた。……ん?ちょっと待て。それってさっき言ってたのと真逆の向きじゃね?

図2: 初日のカヤック実習時における潮流の概略.

 一体どういうことなのだろうか。実は、これには複数の島々が点在するという鳥羽の海が持つ地理的特徴が関わっている。
 流水の中に障害物があると、これを回り込むようにして流れ込んだ水が物体の背後に逆向きの流れを形づくることがあり、これを反転流と呼ぶそうである。障害物となる島がいくつもある鳥羽の海には、この反転流のような流れが存在するため、局所的に見ると潮汐に起因する全体的な潮流とは異なる向きに潮が流れていることがある。下げ潮で湾奧から外海に受かって、すなわち西から東の向きに潮が流れているはずの時刻に、東から西に向かってカヤックが流されていたのはそういう訳である(以上、柴田さんからの受け売りでした)。

図3: 障害物の後方に生じる流れの模式図.

 また、柴田さんからは世界各地の海をシーカヤックで巡った際の冒険譚も併せてお話し頂いた。しかし、他人の体験談の紹介はこの記事の目的とするところではないので、その詳細については割愛させて頂く。

 さて、柴田さんのお話の後は待ちに待った夕餉の時間である。本日のメインディッシュは、フィッシュorフィッシュ!

写真12: 初日の夜に振舞われた魚たち. スーパーの鮮魚コーナーでお馴染みの一曲,「おさかな天国」のサビの部分(サカナ サカナ サカナ~♪)が脳内にて自動再生される光景である.

 「ここは魚市場か?」とツッコみたくなるような壮観な光景である。そして、この魚たちは山本先生やリーダー・インストラクターを務める先輩方に目の前で捌いて頂いた。特に山本先生のそれはもう見事な手際で、「ここは回らない寿司屋か何かですか?」とひとり思った。

 きらきらと輝く魚たちが次々と三枚に下ろされていくなか、ひと際ヘンテコで可愛らしい魚が姿を現した。ホウボウである。

写真13: まな板の上のホウボウ.写真では分かりにくいが、実物はもっときれい.

 図鑑で見たことはあった。また、記憶にはないが、或いは水族館で見かけたこともあったかもしれない。しかし、至近距離で初めて目の当たりにしたホウボウは想像以上にユーモラスな顔をしていて、かつ、その胸鰭は思い描いていたものよりもずっと美しかった。そして、何と言っても驚いたのがその味である。こんな奇天烈な見た目をしているのに、これがとても美味しいのだ。
 「自然環境リテラシー学の実習が大切にしているのはある種の経験知ではないか」という話は既にしたが、味やにおいはその最たるものであろう。たとえ穴が開くほど図鑑を読み込んだとしても、ホウボウの味は、ホウボウを食べてみないことには決して分からない。当たり前のことではあるが、液晶画面越しに何でも分かったような気になれる昨今にあっては、意外と忘れがちなことでもあるのではないだろうか。

 なお、この鮮魚たちは鳥羽磯部漁協さんから購入させて頂いたものであるという。美味しいお魚をありがとうございました。この日は僕にとってのホウボウ記念日になりました(笑)。

Day2 : 7/17

 自然環境リテラシー学の実習期間中に限り、私の朝は早い。6時には起床し、朝食を終えて準備を済ませる。そして、ブリーフィングの後はいざ出艇!この時点ではまだ天気は曇りであったが、予報によるとこれから晴れてくるとのことだった。雷注意報が発令され、出艇すら危ぶまれるほどの悪天候だった昨日とは打って変わり、今日は熱中症が懸念されるほどの強い陽射しと気温の上昇が見込まれていた。

 広畑の浜から出艇し、これから入り江の外に漕ぎ出していくという段になると、私たちはいくつかの班に分かれ、受講生は各班の班長の後ろについていくこととなった。「みなさん、親アヒルは決まりましたか?」「それじゃあ、親アヒルの後についていってください」と柴田さんは言った。なるほど、一人の先導者の後ろに何人かがついていくというそのスタイルは、確かにアヒルの親子の姿によく似ている。

 鳥羽湾内には観光船や釣り船をはじめとする様々な船舶が航行しているという話は既に述べた通りであるが、広畑の浜の前の入り江から北へ出たところ、鳥羽港小浜南防波堤灯台があるあたりはちょうど港の出入り口にあたるため、特に多くの船舶が行き交う航路の一つとなっている。このような場所を複数のカヤックで横断する際は、船列が縦に延びたり広がった配置になったりしていはいけない。小さくまとまった船団を形成し、素早く航路を横切る必要がある。
 そうした場面において力を発揮する陣形が、“親子アヒルの陣”である。全体をいくつかの小隊に分け、小隊単位で航路を横断することにより、航路を横切る際に船列の規模がコンパクトにまとまり、その機動力が高まる、という訳である(なお、「親子アヒルの陣」は私が勝手にそう呼んでいるだけであり、一般的な呼称ではない。念のため)。

写真14: “フォーメーションoyako-ahiru”により航路を渡る小隊. 小さくまとまっているのが分かる.

 小隊を組んで航路を横断した私たちは、東側からイルカ島を回り込んで半島の西側に位置する目的地の浜を目指してカヤックを進めていった。
 それはちょうどイルカ島の北東部に達し、進路を西向きに変えた直後のことだった。潮の流れが急に強まり、思うようにカヤックが進まなくなったのである。それはまるで流れるプールの中を流水の向きに逆らって泳いでいるような感覚で、パドルで水を掻いているのに岩との位置関係が少ししか変わらないのである。しかしながら、潮の流れが強かったのはごく限られた範囲で、そこを抜けると嘘のようにカヤックは再び前に進むようになった。潮流とはこうもピンポイントで違うものかと思った。

図4: 2日目往路の航跡(坂本先生より提供の画像を筆者が加工). 

 イルカ島を回り半島の北側を岸伝いに西へと進んでいくと、洋上からでないと目にすることのできない光景がそこには広がっていた。

写真15: 半島の北側で目にしたがけ崩れの跡.

 このほかにも、地層が出ている露頭があったり、しかも、その地層も手前の方では30度ほどの傾きなのに、先に進むにつれて60度ほどの傾斜になっていたりして、「大地が生きている」ということを感じさせるダイナミックな景色を見ることができた。

 また、カヤックを進めていると、右前方(北西の方角)に風光明媚な島々が織りなす面白い風景が見えてきた。

写真16: 半島の北側から目にした飛島.

 これらの点々と続く小島は飛島と呼ばれているそうである。言われなければ海外の風景だと思う人もいるかもしれない。私はこの光景を目にしたとき、「なんだかアドリア海みたいだなぁ」と思った。もちろん、私はアドリア海には行ったことが無い。では、どうしてそう思ったかというと、映画『紅の豚』に登場するアドリア海の風景と、目の前に広がっているこの光景が、どこか重なって見えたからである。

 半島の北側を抜けると、私たちはその西側に位置する池の浦である生き物が現れるのを暫しの間待ってみることにした。その生き物とは、スナメリである。
 相手は何処にいるかも分からない海の生き物であり、待っていれば必ず見られるという保証は微塵もなかった。しかし、私たちの願いが通じたのであろうか。なんと、ほどなくして2頭のスナメリが海面にちらりとその姿をのぞかせてくれたのである。ほんの一瞬の出来事ではあったが、それでも生きた野生のスナメリの姿を見るのはこれが生まれて初めてのことだった。これは本当に運が良かったのだと、後から振り返ってみれば思う。

 スナメリに出会うことのできた私たちは半島の方へと引き返し、その西側にある浜に上陸した。そこでは昼食を取りつつ、各々が思いおもいに時間を過ごした。私はというと、浜の左右の岩場を歩き回り、何か面白いものはないかと主に探索をしていた。
 浜の北側にはいくつか地学的に面白いものがあった。まず、岩の割れ目に白い鉱物が入り込んで網目状の模様を形作っている光景を目にすることができた。坂本先生に伺ったところ、この鉱物は石英で、岩の割れ目に入り込んだそれは石英脈と言うらしい。また、あたりには薄く層状にはがれたような形をした岩石も落ちていた。これは結晶片岩といい、変成作用という地球の営みの痕跡を示すものであるという。
 また、浜の南側の磯では何種類かの生き物を目にすることができた。マツガバイ、ヒザラガイ、ケハダヒザラガイ、カリガネエガイ、アラレタマキビ、イボニシ、カメノテ、クロフジツボ、タテジマイソギンチャク、などなど。いずれもここら辺の地域ではよく見ることのできる普通種であるが、最近は磯場に出ていなかったこともあり、束の間の磯遊びは楽しかった。
 その他にしたことで言うと、海に入って四肢を投げ出し、まぶしいほどの陽射しを浴びながら、ただ海面にプカプカと浮いていたりした(PFDというライフジャケットを着ているので、特に体がよく浮くのである)。ひんやりとする海水に浸かり、何も考えず脱力しながらただただ浮いているのは、なかなかに心地いい。2日目に上陸したこの浜では、そんな感じで各々がゆったりとした時間を楽しんだ。

 名残惜しいが、何事にも終わりはある。半島の西側の浜を後にすると、私たちは帰路に就いた。その途中、半島の北側で礫からなる浜に少しだけ立ち寄った。そこには大小さまざまな石ころが落ちていて、水切りを始める受講者もいた。私はというと、面白い石と周囲の探索に勤しんだ。

写真17: 礫の浜にあった石ころたち.

 上の写真の上段中央にある真ん中に穴の開いた石を見て頂きたい。どうしてこんな風に穴が開いているのだろうか。実は、この穴はカモメガイという泥岩や砂岩などに穿孔する二枚貝によって開けられたものである。どうしてそれが分かったかというと、実は、この穴の中にカモメガイの片方の貝殻がはまり込んでいたからだ。また、上の写真に目を凝らすと、ハチマキを巻いたように石の周囲にぐるりと白い帯状の模様が出ている石が混じっているのが分かる。これは通称ハチマキ石といい、石英脈の部分が白いハチマキのように露出しているためそのように見える。

 閑話休題。意外なことに、私がカヤックを漕いでいて一番楽しかったのはこの2日目の復路であった。体力的には最も疲れているはずなのに、すいすいとカヤックを進めることができて、気づけば前に進むのが楽しくなっていた。パドルを動かすことに夢中になり過ぎて、途中で先輩から水分補給を促されたほどである。
 その理由はいくつか考えられるが、ひとつには潮流の向きが関係していると思う。行きは潮の流れとカヤックの進行方向が逆を向いていたが、帰りはそれらが同じ方向を向いていたために、追い潮となってカヤックが滑るように進んだのではないか。また、パドルで水を掻く動作に慣れ、そのコツが掴めてきた、というのもあるように思う。誰かが1分間スピーチの際に言っていたが、疲れによって無駄な力が入らなくなりフォームが最適化された、という可能性もある。いずれにせよ、このとき初めて私はカヤックを漕ぐことそのものがとても楽しく感じられたのだった。
 前回といい、どうもリテラシーの実習はカレーに似ているらしい。その心は、「2日目の方が美味しい」。………お後がよろしいようで。

エピローグ

 広畑の浜に無事帰還し、水産実験所へと戻った私たちは、追われるようにしてテントを片づけ荷物の詰め込みを済ませると、鳥羽駅まで送って頂きそこから帰りの電車に飛び乗った。
 その後、何人かの受講生は五十鈴川の駅で乗り換えの電車を待つことになったのだが、そこで夕立のような激しいにわか雨に遭遇した。ほどなくして雨が止むと、ひとりが小さな虹を見つけた。それは小さく根元の方しか現れてはいなかったが、久しぶりに見た虹であった。「土砂降りのあとに、虹が出る」。それはまるでこの2日間を象徴するような出来事だった。
 これはのちに知ったことなのだが、私たちが帰った後も現地に残りカヤックの後片づけなどをして下さっていた先輩たちも、私たちと同様に土砂降りに見舞われ、そのあとやはり同じように虹を目にしたらしい。
 場所が離れているので同じ虹とは言えない。そもそも、物理的実体のない虹は、視点が違えば異なるものであるようにも思う。けれども、「同じ空の下、同じくらいの時間に、私たちは別々の場所で虹を見上げていたのかもしれない」と言うことはできるだろう。そして、そんな風に考えると、「何だかちょっと素敵だなぁ」と思うのである。うまくは言えないのだけれども。

写真18: 鳥羽の海で先輩たちが見たという虹.

あとがき

 土砂降りの雷雨から始まった今回の実習であったが、2日目は抜けるような青空の下でカヤックを漕ぐことができた。潮の流れは時間や場所によって変化し、それによってカヤックの漕ぎやすさは大きく変わった。この2日間の実習の間に限っても、天気や海の様子はその時々でまったく違う顔を私たちに見せた。そのいずれについても、同じ表情はひとつとしてなかった。
 気温、気圧、湿度、雲量、照度、風向、風速、水温、そして潮流の向きと速さ。どのパラメーターを取っても一定ではなく、それらの値や向きは時々刻々と変化してゆく。そして、それは私たちを取り巻く環境だけではない。私たち自身の身体や心の状態もまた、絶えることなく常に移ろっている。
 「同じ川に二度入ることはできない」と古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは言った。また、鴨長明の『方丈記』の冒頭には、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」とある。同じ瞬間というものはこの世に二つとして存在しない。流転する万物の中に、私たちは生きている。
 変化は好ましいものばかりではない。しかし、変わっていくからこそ、何事も面白くなるのである。いつまで経ってもずっと同じじゃつまらない。季節も、己も、時とともに移ろい変わっていくからこそ、面白い。
 大切なのは、その変化に目を向けることなのだろう。周囲と自らに生じた小さな変化を気に留めること。そして、それを受け入れそれとともに生きていくこと。変わってしまうことを嘆くのではなく、次々に現れる新しい景色を面白がること。それが、移ろいゆく世界の中にあって、一艘の小舟を進めていくうえでのコツなのかもしれない。

散文詩:パンタ・レイ
 世界を統べる真理は不変なのかもしれない。けれど、それによって統べられているところの世界は変化に満ち満ちている。“絶えざる変化”のなかで、息をする。“不変の真理”は、そこにある。

追記

 『次こそは一人でカヤックを漕ぎ通す。それが次回の実習における私の目標である。』前回(6月18,19日)実習時のnoteにおいて、私はこのような目標を掲げていた。というのも、前回の実習において、私は初日に船酔いに陥り、ひとり早々に陸に上がることとなったからである。
 では、今回の実習ではどうだったかというと、両日ともに船酔いになることもなく、最後まで無事にひとりでカヤックを漕ぎ通すことができた。この事実は、私にとって今回の実習における最大の個人的成果である。

謝辞

 最後となったが、コーディネーターを務める先生方、そして、リーダーやインストラクターとしてこの実習を支えて下さる先輩方に、感謝の言葉を伝えたい(特に、今回の実習は初日の朝も早く、また2日目の後片づけは夕立に見舞われ、大変だったと思います。本当にありがとうございました)。また、みえアウトドア・ヤングサポーター育成事業の主体である三重県、及び今回の実習にプロガイドとして参加して下さった柴田丈広さんにも、併せてお礼を申し上げたい。加えて、広畑の浜を綺麗に掃除して下さるなど、私たちが気持ちよく実習に取り組むことができるようご協力頂いた小浜地区の皆様方、本当にありがとうございました。鳥羽の海はとても魅力的なところでした。

参考のリンク

・前回(第1回)実習時の記事:
 “ままならぬこと”とともに。|カイ|note

・柴田さんが代表を務めるアルガフォレストについて:
 https://www.algaforest.jp/

・みえアウトドア・ヤングサポーター育成事業について:
三重県|みえアウトドア・ヤングサポーター募集 (mie.lg.jp)

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