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二つ目の母校

今日は午後、母校の公開研究会へ。

母校といっても初任校であり、私の卒業学校ではない。でも、ここで初任時代を過ごした日々を私は一生忘れないだろう。

あの時と同じ校舎、同じ空気。純粋に、まっすぐに科学を楽しむ子どもたちと先生たちがいた。そして、私が担任した子どもたちとも会うことができた。約3年ぶりの再会。本当に大きくなったなぁ。委員会活動や一年生のお手伝い。もう立派な学校のリーダーになっていた。

研究会が終わった後、正門を出ると・・・なんとそこには私が担任した子どもたちが10人ほど集まっていた。

私が出てくるのを待ってくれていた。

「先生にもう一度会いたかった。」「また先生の授業ききたいなぁ。」「一緒にドッジボールしたとき本気ショット投げたよね!またみたいなぁ。楽しかったなぁ。」

・・・そんなかわいい子どもたちだけども、このクラスは大変だった。家庭の事情が複雑な子が多かった。不登校もいた、児相にも教育センターもスクールカウンセラーも、ありとあらゆる教育相談機関が関わる問題クラスだった。

大学院で不登校を中心に子どもの問題行動や教育相談について研究していた私は「なんとかしてやろう」と息巻いた。しかし、私の力などとうてい及ばなかった。

目に見えるようにクラスが崩れていく。子どもたちの目から光がなくなっていく。何もかも手からこぼれていき、何も感覚がなくなっていく。今まで勉強してきたことはなんだったのか。不登校の子どもたちと出会い、大学院で学びながら教育相談機関にも勤めていた経験はなんだったのか。

私は挫折した。

そんな中でも、周りの先生や助けてくれる子どもたちがいた。私を信じてついてきてくれる子どもたちがいた。自分を信じて前を向くことができた。

私にそんなに世の中甘くないと教えてくれたのも、子どもたちを想う気持ちはかならず届くと教えてくれたのも、この子たちだった。

このクラスは私の教員人生の原点だ。教員免許を取って試験に受かったら教員になれるんじゃない。子どもたちを想う気持ちが、子どもたちが、私を先生にしてくれるんだと。心からそう思う。

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