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父と寿司と思い出と。

先日、父の十三回忌を執り行いました。
とは言ってもなにぶんこの御時世なので母とふたりだけ、会食もなしのひっそりとしたものでありましたが私は当時ここに書くこともはばかられる大変な問題をかかえておりとても心中穏やかではいられないなかでの十三回忌。

こんな気持ちでこの日を迎えるとは本当に露ほども思っていませんでした。(後日その問題も解決したのでまあこうしてこの文章を書けているわけですが。)

そして今日は父の命日でした。
緊急事態宣言中につき夫と別居し実家に滞在中の私は仕事帰りに寿司など買って来て吸い物を作り、父の好物だった梨を剥きおいしいねぇなどと母と話しながら夜を過ごしておりました。

今はそれほどでもないのですが、私が子供の頃はそれなりに裕福な暮らしをしていたのではないかとふと思うことがあります。

公務員の父と内職をしていた母と祖母とひとりっ子の私、という家族構成で(実は両親は再婚で父の前妻さんとの間にふたりの子供が居たことを知ったのは私が高校生の頃の出来事でしたがそれはまた別のお話)(ちなみに祖父はシベリアで亡くなっているのですがそれもまた別のお話)まあ何不自由なく育った、のではないかと思っています。
結構な田舎で今でも映画館やスーパーマーケットは無くお洒落なカフェなんて夢のまた夢、という町というよりは村に近い土地ですが唯一小さな書店だけはあり子供の頃の私は毎月配達してくれる学年誌が何よりの楽しみでしたし(それはたのしい幼稚園から小学六年生まで続きました)母は何故か婦人雑誌の新年号のみを配達してもらっておりました。豪華付録目当てだったのかしら。
そして父が季節毎に家族を連れて行ってくれるお寿司屋さんが隣県のとある街にありました。そこは父の古い友人がその奥さんとやっている、カウンターとお座敷二つのこぢんまりした空間でしたがたいへん居心地が良く、美味しいお寿司をいただきながら家族で楽しいひとときを過ごしたことを懐かしく思い出します。
父が一言「この子にはおまかせで、あと桶で三人前」と言うと体格の良い大将は威勢良く返事をしニコニコと「おねえちゃん、大きくなったねえ」「学校は楽しい?」などと私に声をかけつつも手早く、それでいて丁寧に次々とお寿司を握り、朗らかな女将さんも大将に目配り私達に気配りし時に笑いあいながら私のもとに運ばれてきたそれはもちろん好きなネタばかり。
当時はそれがただ嬉しくて美味しくて夢中でしたがいま思うと昭和の寿司職人の大将と女将さんのプロフェッショナルな仕事を子供の頃とはいえ目前に見ていたということはなんて贅沢なことであったのだろうかと感慨深いものがあります。年を経たせいか余計に。

そして食べ終わる頃私はカウンターで言葉少なに寄り添う男女の後ろ姿にあらぬ妄想をかきたてられる早熟な少女へと成長…していたらそれはそれでドラマチックなんですけどねえ。三十手前で父が亡くなるまで色気とは無縁(でしたがその後四十で結婚できました)な娘の与太話にお付き合いくださってありがとうございました。

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