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「ピースライトストーリー」


 三杯目のジャマイカンラムのロックを飲み終えたとこで彼女と出会った。
 ショートボブのよく似合う、ハッキリとした目鼻立ちの如何にも利発そうな苦手なタイプだった、ルーツ・レゲエが流れるような東京の店によくいそうなタイプだった。

 女性の好みは?と聞かれてよく迷うことがある、大人しくて清潔そうでボンヤリとしたタイプの女性がボクは好きだったけど、ボク自身がボンヤリとした人間だったのでボンヤリとした女性とは長く付き合うことができなかった。

 人は誰かを好きになる時、自分と同じ部分があるから好きになるのか?或いは違う部分があるからこそ惹かれるのか?それは酒場の恋愛話の永遠のテーマであったが、ボクはその問いの答えをまだ確信できていない。そして実際に付き合うこと、現実的な生活を考えるとその永遠のテーマは馬鹿げた論議であるようにも思えた。

 ショートボブの女はバーで隣あったボクに煙草をねだった、ピースのライト、箱に残された本数は八本、ボクと彼女の距離も煙草八本分くらいのような感覚だった。
 ここ数ヶ月、数年やめていた煙草が復活していた、きっかけはエイカだった。

 エイカは二十七歳のイタリアンバルのウェイトレス、恵比寿の彼女の店に飲みに行くようになった事がきっかけで男女としての付き合いが始まった。とにかく脚の綺麗な女だった、六ヶ月で彼女とは二十四回セックスをしたが、五ヶ月めに入った頃、ボクらはお互い連絡を自然と取り合わなくなった、なぜだか彼女もいつもボンヤリとしていて、いつも一緒にデートをしていても実在しているのか分からないような、そんな存在感を持っていて、どちらからともなく距離をとった。

 しかし、どんなに薄い恋愛でも恋愛は恋愛であり、ボクの感情の奥底の柔らかい部分は傷がついた。そして気がついていたらピースライトを吸うようになっていた。

 失恋をすると人間は何か「変化」を求める、やけ食いにジョギング、出会い系アプリに習い事、映画や美術館に急に行くようになるのもそういう類の「変化」なのかもしれない、ボクの場合それが煙草だったというわけだ。

 ショートボブの女はラムトニックをかなりの杯数飲み続けていた。ボクの隣の席に居座り、残り8本のピースライトをねだり続ける予定らしい。
 彼女が4本のピースライトを吸い終わるまでにはボクらの関係も明確になっているだろう…。

 単なるバーで隣り合った退屈しのぎの話し相手、コミュニケーションをして友達になるか?或いは随分と発展して男女の関係になるか?
 ボクも彼女もとにかくどんな関係性であっても、「相手」を探していた。そういう淋しさをボクらはお互い持ち合わせていた。

 相変わらず古典的なルーツ・レゲエが流れる店内は木目調のカウンターに客が五人、ソファー席には四人の団体、ボクとショートボブの女以外のカウンターの三人客はどうやら友達らしく、ドナルド・トランプの話で盛り上がっていた。

 こんな東京の片隅のバーでアメリカの大統領の話で盛り上がれるのは素敵なことだろうか?決して意味のある会話に思えなかったが、他人の会話に水をさすような趣味も性格もボクにはなかった。

「話ししていい?」
 ショートボブの女はボクからねだった一本目の煙草を半分くらい吸うと輪郭のハッキリとした声で話しかけてきた。その声を聴き、ボクはやっぱり利発でハッキリとした、ボクとは違うタイプの人間であることにさらに確信を深めた。しかし、これも何かの縁なのかもしれない、ボクは無言でソフトに頷いた。

「ゲームをしない?」
「ゲーム?どんなゲームによるかな、ボクはゲームの類があんまり得意じゃなくて、人生におけるゲームに負け続けているような、そんな男だよ」
 ボクも酔っている、シラフの時より随分と饒舌だ。
「簡単よ、100をいった方が負けのゲーム、いっきに言えるのは3つの数字まで、ほらよく子供のころやったじゃない?あれの164バージョンでどう?」
 彼女はボクの耳に声がよく届くように近づいてそう言った。柑橘系と優しい甘さが混じったようなパフュームの香りが認識できた、嫌いな匂いではなかった。

「何を賭ける?」
 ボクは彼女のパフュームの誘惑に負けじと強い態度で言った。ゲームには賭け事がつきものだ、退屈しのぎならなおさら。
「そうね、お金なんか賭けてもつまらないし…。例えばこういうのはどう?私が勝ったらあなたの秘密を告白してよ。私、人の秘密を収集するのが好きなの、あなたが勝ったら私の明日一日をあなたに差し上げます、何にでもお付き合いしますわよ」
 笑顔の彼女のシワと話し方を考えるとボクと同じ三十代中盤、もしくは大人びた二十代後半の雰囲気だった、自信のある女だった。確かに美人の類だし、今までの人生で「負け」より「勝ち」が多い人生を送り続けてきたに違いない。性格や態度はどうあれ逆ナンパされるには随分とレベルの高い女だった。
「悪くないね、面白そう、いいよやろう」
 ボクは酔って浮遊して何かしらの「相手」を求めている彼女のワガママに付き合うことにした。

 深夜1時、ゲームは本当にスローなスピードで始まった。
「15」を彼女が言った時、お互い目が合った。
「15って数字なんか好き、あなたは?」
「特に思い入れはないかな、十五歳の頃毎日剣道してた、剣道部だったから、頑張ったけど結局地区大会どまりだったね、キミは?」
「十五歳の頃はダンスに夢中だった、ヒップホップ、あの頃流行ってたんだよね」
 どうやら彼女はボクと同世代三十五歳ほどだろうか?ボクはヒップホップが流行っていた90年代、毎日メロコアを聞いて剣道に明け暮れていた。
 そんな感じの会話を挟みながらのスローなゲームゆえ、酒の杯数はさらに進んだ。八杯目ラムリッキーのライムがボクの眠気を覚ます。

「77」をボクが言う。
「ねえ7ってラッキーセブンじゃない?77の並び大好き、7のつく数字を見ると何だか少し運がよくなったようなそんな気がするの?あなたはどう思う?」
 彼女もボクと同じ分だけ飲んでいる、酔いがだいぶまわって目を輝かしていた、酔ってテンションが高くなる女性は好きだ、泣き上戸の十倍はマシだ。
「コンビニの会計が777円とかになった時、確かに嬉しいね、特に恩恵があるわけでも何でもないけど、やっぱり7は特別な数字かも、ボクも好きだよ」
 もしかしたら彼女とキスをしたい自分がいるのかもしれない、名前も知らないショートボブのホロ酔いの女、きっと性格も考え方も真逆だろうけど、彼女の唇が急に愛おしく思えてきた。

「120」随分と酔って顔の緩んだ彼女が言う、その笑顔は魅力的で個性的で今までに見たことがない新鮮なものだった。
 失恋で傷ついた傷を癒やすのはやはり新しい恋だろうか?いわゆるボクの苦手なタイプのショートボブの女にボクはどんどん惹かれていく…。
 となるとやはりこのゲームに勝って彼女の明日一日をボクのものにしなければいけない。軽い気持ちで始めたゲームにも身が入り始める。

 外は冬の東京独特の冷たい風が吹き荒れている、小雪が降るという予報は外れたが、今外に出て寒さを感じるのなら彼女の温かい乳房に埋もれて眠りたい、ピッタリとしたニット地のセーターを着ている彼女の豊満な胸が強調され、ボクの中の男性的野心が徐々に高まる。

「144」ボクが言う。
「しかしなんでこのゲームは164バージョン?164の数字の意味は?」
 ボクは最初から感じていた疑問を彼女にストレートに当てる、ボクは本来生真面目でボンヤリしているがストレートな人間だ。
「さて何でしょうか?164もちょうど良くて好きな数字なのよね」
 彼女はやはり魅力的で挑発的で誘惑的な態度でボクを見つめる。いっそゲームを途中でやめて強引に抱擁したかった。

「164?164ね…例えばキミの背の高さとか?」
 ボクは思いついた事を適当に言う。
「わお、あたり!そう164って私の身長なんだ。私はこの高さから見える自分の視野が好き、ちょうどいいの」
 自分自身を肯定して生きている、やはり彼女は美人で今と自分に満足して生きているに違いない。

 しかし、そんな人間がなぜ何かしらの「相手」を見つけるためにこんなバーを彷徨っているのか?人生というものは実は公平にできているのかもしれない。
 人生において「負け」が少ないタイプにも何らかの不幸は降り掛かっているのかもしれない、あとはそのタイミングが早いのか遅いのか?少しづつ回数多くあるのか?大きなものが少なく降りかかるのか?幸と不幸の量は本当は皆平等に与えられているものなのかもしれない。無神論者だけども、神に会えるとしたら一度聞いてみたいとボクは思った。

 ゲームは続いていく、始めた頃より多くの会話を交えながら、そしてあまりにもタイプの違うプレイヤーはまるで昔から知っていたような温度に高まっていく。
 ショートボブの女の左肩がボクの右肩に接している、そこから彼女の体温が伝わる、心臓の脈と酔って楽しくなってきている感情、そしてその根源にある不幸や闇も伝導してくる。

 この先、どうなるのか?どちらがゲームの勝者になるのか?実はそんなことどうでも良くなってきている。ショートボブの謎の女と出会えた今夜という「時」を切り取りスクラップしたい気持ちが芽生えた。そういう気持ちになれただけで充分なのかもしれない…。
 きっとボクはピースライトの呪縛からも解放されるだろう。彼女との数字ゲームを進めるうちにボクの中の何か毒素のようなものが抜けていくのが感じられた。
 東京の片隅のバーで知らない男女が出会い、酔いに任せてゲームと酒を進めていく、この時間にボクは感謝した。

「164」
 どちらが勝ったか?そんなことはもはやどうでも良かった。ついにゲームは終わったのだ。
 ボクらはどちらからともなく唇を重ねた。店内には客はおろかバーテンダーさえも居なかった、いや実際は居たが、ボクと彼女には見えなかった。
 柔らかい彼女の唇をボクは優しく味わった。残り一本のピースライトに火をつけボクはその副流煙をキスをしながら彼女の肺に送り込んだ。
 そう、もうこの一本で煙草をやめるだろう…。
 やめる「きっかけ」に今夜出会えた、そんな気がした…。

 最後の煙草を吸い終えるとショートボブの女は「カオリ」と名乗った。
「カオリさん、はじめまして、今夜キミと出会えたことはとってもボクにとって価値のあることだったと思う、これからどうなるのか?未来は分からないけど、明日は、そう午後にでも世田谷公園にいきませんか?今度はラムじゃなくてホットコーヒーでも飲みながらゆっくり話したいな…」
 ボクは秘密を告白せずに済んだ。
 彼女は酔ってはいるが真剣な眼差しで頷いた。そしてボクらはついさっきしたキスより濃密な握手をした…。
 カオリの手からは特別なパワーが出ているのが分かった、そしてそのパワーを受けられるのも、もしかしたらボクだけかもしれない、そんな予感を感じられるだけで嬉しく、そして不思議な気持ちになった…。

 木目調のカウンターに残された淋しそうなピースライトの空箱が二人の邂逅をそっと祝福してくれているように見えた…。
「さよならピースライト」
 ボクは誰にも聞こえないように胸の中でそっと呟いた…。


(終)
*オールフィクション

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