見出し画像

賢者のセックス / 第4章 正常位と胸と手のひら / 彼女がセックスについてのファンタジー小説を書いていた六ヶ月の間に僕が体験したこと

エブリデイ・マジック

 その次に僕たちがセックスをしたのは、一月の最後の土曜日だった。前の週の前半はまだソラちゃんが「女の子の日」だったし、後半は僕もソラちゃんも仕事が忙しくて、セックスをするような体力が残っていなかった。

 特にソラちゃんは仕事が大変そうだった。新型コロナウイルスで売上が激減している業種もある一方で、ソラちゃんの会社は新規案件の依頼が殺到しているという。接待費や出張費がかからなくなった分の予算を、人材育成に投資したいという会社が多いのだとか。

 ソラちゃんは毎日、夜遅くまでリビングルームのコンピューターデスクの前で書類を作っていた。僕はソラちゃんの好物のプッチンプリンを冷蔵庫から切らさないように気をつけた。お風呂にはクナイプとサボンのバスソルトを交互に入れた。水曜日と金曜日がクナイプで、木曜日はサボンだ。

https://www.kneipp.jp/

 僕は毎日ソラちゃんより先にベッドに入って、ソラちゃんが冷たい思いをしないように布団を暖めておいた。ソラちゃんは毎晩午前一時頃にベッドルームにやってきて、あっという間に寝てしまった。

 土曜日のランチは名古屋風の味噌煮込みうどんを作った。味噌煮込みうどんを食べながらソラちゃんはテレビをつけて、前の週に録画してあった「宇宙よりも遠い場所」の第四話を見ていた。乗鞍高原での訓練回。四人の女子高生の心が南極に向かって重なり合う、僕にとっての神回の一つだ。

 うどんを食べ終えたソラちゃんは、頬杖をついて最後の日の出のシーンを見ながらつぶやいた。

「これもファンタジーだよね」

 どういう意味だろう? こんな健気でキャラの立った女子高生の集団は、おっさんの妄想の中にしかいないという意味だろうか。

「「宇宙よりも遠い場所」って何一つ超自然的なものは出てこないけど、結果としては奇跡みたいなことが起こるじゃない。メインのストーリーラインは母と娘の物語で、死んだ母親の貴子が娘の報瀬(しらせ)を見守りながら導いているみたいな感じで進んでってさ、最後のオーロラと未送信メールなんか、そんな完璧なコンボが決まるかよってくらいに出来すぎた話なんだよね。でも、こんな奇跡が、もしかしたら現実世界で這いずり回ってる私たちにも起こるかもしれない。そう思わせてくれている、そこが「宇宙よりも遠い場所」の魔法なんだって気がしない?」

 僕はこんな時、わかったような顔で「なるほどね」なんて感心してみせたりはしない。ただ、黙ってソラちゃんの話の続きを待つ。僕がソラちゃんの食べ終わった食器を流し台に下げて戻って来ると、ソラちゃんはテレビを消して目を閉じていた。まるで眠っているようだった。僕はソラちゃんの向かいの椅子に座り、ソラちゃんの顔を見つめた。しばらくしてソラちゃんは目を開くと、僕を見てにこりと笑った。

「脇明子が『ファンタジーの秘密』の中で、トールキンの功績はおとぎ話に出てくるような道具的なエブリデイ・マジックを否定して、伝説や叙事詩の魔法的な力や自然そのものに潜む大きな魔法をファンタジーの中心にしたことだって書いててね。たしかにそうだなあって。わかるよね?」

 先生、さっぱりわかりません。僕は首を振った。

指輪を捨てる話

「君、『指輪物語』は読んだ?」
「映画は見たよ」
「じゃあ映画で良いや。あの三部作の一番の中心になるストーリーは、主人公のフロドが「一つの指輪」を滅びの山の火口に捨てに行く話だよね。その「一つの指輪」は何なのかというと、すごい魔力で全世界を支配出来るという、君にわかりやすい言葉で言えばチートアイテムだ」
「ですね。チートアイテム」
「民話や童話に出てくる魔法の道具って基本的にはチートアイテムでさ。それを手に入れれば誰でもチート技が使える。アラジンの魔法のランプとかね。ドラえもんのひみつ道具にも似てるかな。でも、それは世界の行方を左右したりはしない。むしろ、それを使うとどこかしら世界に無理が生じて、ゲームバランスが崩れる。だよね?」
「うん、わかる気がする」
「だからトールキンはフロドとサムに、指輪を捨てに行かせたんだよ。これからのファンタジーはチートアイテムで物語を作るもんじゃないんだぞって。もっと大きなものを語ろうぜって。生きる意味とか、世界がこうして存在する理由とかをね。藤子・F・不二雄が描いた大長編ドラえもんだって、クライマックスで発動するのはひみつ道具の力じゃなくて、のび太の勇気や仲間たちの友情でしょ。エブリデイ・マジックやチートアイテムは大きなファンタジーを生み出さないんだ」
「ああ、なるほど」
「って考えると、「宇宙よりも遠い場所」はトールキン以降のファンタジーの系譜に入れても良いのかなって思いました。ごめんね。色々喋っちゃって」
「いや、大丈夫だよ。面白かった。勉強になりました」
「ありがとう。私はさ、いつか私の人生にも魔法の瞬間が訪れると良いなって思ってて。でもそれはある日突然、魔法使いがやってきて私に魔法をかけて、私を今とは全く違う誰かにしてくれることじゃないんだよ。例えば宇多田ヒカルか水原希子がツイッターで私の小説を褒めてくれたら、きっとそれだけで何万部も売れてベストセラーになるんだと思う。でもね」

 ソラちゃんは苦笑いを浮かべた。

「それは奇跡ではあるけれど、私の欲しい奇跡じゃない。あ、もちろん宇多田ヒカルや水原希子には褒められたいよ。でもそれとは別にさ。この宇宙のどこかにある自分にしか見えない星を追いかけて、追いかけて、それがいつか空から自分の手の中に降りてきたらね。どんな小さな光でも、どんなか弱い光でも、その私だけの光を世界に届けられたらって。それで世界のどこかの片隅を一瞬でも照らすことが出来たらね。それが私の欲しい奇跡で、私が見たい魔法の瞬間なんだと思う。わかるかな?」
「うん」
「君はどう? そんな魔法の経験をしたことはある?」
「ないと思う」
「そうだよね。なかなかないよね。普通に生きてたら」

 ソラちゃんはそう言って立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ、しようか」

鳥居


 順番にシャワーを浴びてから僕たちはベッドルームに行って、調査の続きに取り掛かった。この日は正常位の調査である。

 ベッドに座って僕たちはディープキスをした。左腕でソラちゃんの上半身を支えながら、僕はいつもよりもゆっくりと、ソフトなキスを繰り返した。この日のキスはとても長かった。いつもならば一分くらいでキスは終わりにして、すぐにおっぱいを吸ったり下の方を触ったりするのだけれど、何故か僕はいつまでもキスをしていたい気分だった。ソラちゃんも同じ気分だったようで、僕が唇を離すと、今度はソラちゃんの方から僕の唇を求めてきた。

 僕たちは一〇分以上、もしかすると二〇分くらいそうやってキスを続けていたかもしれない。キスをしている間、僕の脳裏にはどこかの風景が見えていた。ディープキスでどこかが見えたのは初めてのことだ。でも、それは後で伝えれば良いと思っていた。僕はソラちゃんとの長い長いキスに没頭していたかった。

 ようやく相手の唇に満足した僕たちは、お互いを見つめあった。僕の腕の中にいるソラちゃんは、さっきまでリビングルームで「宇宙よりも遠い場所」とトールキンと宇多田ヒカルについて熱弁をふるっていたソラちゃんだった。

 僕は驚いた。この部屋の中で僕がおっぱいを吸ったりペニスを入れたりしていた女性は、ソラちゃんはソラちゃんであっても、部屋の外で僕が話をして一緒にご飯を食べるソラちゃんとは別の人だという感覚があったからだ。今までは。だからこそ、ベッドルームの中でのことはベッドルームの外に持ち出さないという切り替えが出来ていたのかもしれない。でも、この調査を始めてからというもの、ベッドルームを外界から隔絶していた結界の力は弱まる一方だ。

 僕はソラちゃんを見つめたまま、ソラちゃんの太ももと太ももの間に指先を伸ばした。ソラちゃんのあそこはびっくりするくらいに濡れていた。すぐにでも挿入出来るほどに。僕は無言でコンドームを着けると、そっと先端をソラちゃんのあそこに当てた。軽く先端を上下させて入り口を探している間にも、ソラちゃんはびくりと身体を震わせていた。

「入れるね」

 僕のものは、するするとソラちゃんの中に収まった。それからゆっくりとソラちゃんに覆いかぶさる。そこでもう一度キスをする。

 感じやすいソラちゃんだから、僕が腰を突き出すたびに「ああん」とか「気持ち良い……」とつぶやいている。いつものバリキャリ魔女の低い声とは別人のような可愛い声だ。僕はセックスの最中のソラちゃんの声を聞くと、この時間が永遠に続けば良いのにと思う。僕の脳裏には神社の鳥居が見えていた。鳥居は石で出来ている。これまでで一番くっきりとした映像だ。

じゃがいも畑

 今日の予定は「このまま体位を変えずに射精」となっている。最後までずっと正常位。僕はしばらく同じ体勢で動いていたけれど、少し飽きたので、軽く身体をひねってソラちゃんと自分の胸を離し、右手でソラちゃんのおっぱいを触った。ソラちゃんの固くなった乳首を人差し指と中指でつまむ。

 すると、驚いたことに僕の脳裏に映し出されている風景はがらりと変わった。今度は、これはどこだろう。畑? 畑だ。丘の上の畑。見渡す限りの畑。緩やかな斜面。そこに数え切れないほどの畝があって、何かが植えられている。じゃがいもだ。僕はここを知っている。幼稚園の遠足で芋掘りに行った場所。ということはソラちゃんもここを知っているはずだ。

 思わず僕は目を開いた。さっきまで僕の背中に回されていたソラちゃんの腕は、いつの間にかベッドの上にあった。胸を愛撫している間にそうなったのだろう。何となくその左手が所在無げに見えたので、僕はソラちゃんのおっぱいから右手を離してソラちゃんの左手に重ねた。ソラちゃんが僕の右手を握る。

 その瞬間、またしても見える景色が変わった。

 田んぼだ。どこかの田んぼ。小さな棚田。コッペパンのような形をした小さな田んぼが六枚。季節は初夏だろう。緑色の水稲が元気よく伸びて田んぼを覆っている。時折、風が吹いて稲を揺らす。僕はここも知っている。ここは……。

 そこまでだった。身体の奥底から湧き上がってくる快感に抗しきれなくなった僕は、ソラちゃんの奥に激しく自分のものを突き立てながら精液を放出した。

 射精の瞬間、思わず僕はソラちゃんの耳元で彼女の名前を呼んでしまった。こんなことをしたのは初めてだった。この部屋の中ではお互いに名前を呼ばないというのも、暗黙の了解の一つだったからだ。ソラちゃんがベッドルームの外に僕たちのセックスを持ち出したように、僕はベッドルームの中にソラちゃんの名前を持ち込んでしまった。僕は少しだけ後悔していた。

 ソラちゃんは何も言わずに、ただ黙って僕の頭を撫でていた。

告白

 この日の調査活動でわかったことは幾つかあった。まず、ディープキスでも何かが見えるようになったこと。ただし、何が見えるのかはまだはっきりしない。

 それから、正常位でも僕の右手の位置によって見えるものが変わること。ここではわかりやすくするために、両腕でソラちゃんの体を抱いている状態を単純正常位、僕がソラちゃんの左胸を愛撫している正常位を左胸正常位、僕の右手とソラちゃんの左手が繋がれている正常位を左握手正常位と表記するけれども(笑わないでください。僕たちは大真面目なんです)、それぞれ次のような風景が見えた。

■単純正常位 どこかの神社の鳥居。

■左胸正常位 二人が通っていた幼稚園の遠足で行った丘の上の芋畑。

■左握手正常位 区画整理されていない田んぼ。多分知っている場所。

 シャワーを浴びてリビングルームに戻った僕たちは、コンピューターデスクの前でモニターを見つめている。

「これ、びっくりだよね。想像以上に色々出てきた」

 ソラちゃんはそう言って紅茶を口にした。トワイニングのレディ・グレイ。僕はおやっと思った。注意して見ると、ソラちゃんは少しだけれど化粧をしている。僕の知る限りでは、ソラちゃんは休みの日は基本的にすっぴんだ。今日はこれからテレカンでもあるのだろうか。それともどこかに出かける予定があるのか。

 でも、そんな僕の視線などソラちゃんは気にかける気配もない。

「変数をまた増やす必要があるかな、これ。今までは挿入後は愛撫部位をペニスにして、愛撫方法の列に体位を入れてたけど、これはどうなんだろうな。逆方向の行為でもなにかあるのかな? 君が私を手で愛撫する時にも何か見えたりするんだろうか? 君、何か心当たりはある?」

 ソラちゃんがモニターを眺めながら尋ねる。

「ない、かなあ……」

 僕は言葉を濁した。

 そう。たしかに僕がソラちゃんを指先で愛撫している時には何も見えなかった。今までは。それが何故なのかについても、今の僕には心当たりがあった。

 ただし、それを口にすることには強いためらいもある。ソラちゃんを傷つけてしまうかもしれないからだ。

 ソラちゃんがちらりとこちらを見た。

 僕は思わずソラちゃんから目を逸らした。

 ダイニングテーブルの上に置かれたロイヤルなんとかのティーポットが目に入る。

 本当はわかっているのだ。

 本当はわかっているのだ。

 今、僕は嘘をつきかけている。

 僕が本当に恐れているのは、ソラちゃんを傷つけることじゃない。

 ソラちゃんに嫌われることだ。

 そして、ソラちゃんに嫌われた僕のセックスパートナーとしての役割が、小説が完成した時に終わることだ。

 それが怖いだけなのだ。きっと。

 今でもソラちゃんの名前を入れてインターネットを検索すれば、写真入りのビジネス記事は山ほど出てくる。この美女がセックスをテーマにした小説を発表したとなれば、話題にならないはずがない。上手く行けば書店での平積み、そしてベストセラーを狙えるだろう。

 正直に言えば、セックスという人目を惹きやすいテーマの小説を若くて綺麗な女性であるソラちゃんが書くことで、世間の注目を集めようとしているんじゃないかと思ったことも無いわけではない。僕はそのために利用されているだけなんじゃないかと考えたこともある。

 しかし、ソラちゃんがそんな卑小な動機でこの小説に取り組んでいるのではないことは、今日、はっきりわかった。ソラちゃんは今、ソラちゃんだけに見えるたった一つの星を全力で追いかけているのだ。

 そして、ソラちゃんが星を掴まえられるかどうかは、僕の協力次第だ。

 僕にとって大事なことは何だろう?

 ソラちゃんとセックス出来ることなのか、それとも……

 しばらくの沈黙の後、僕はためらいながら口を開いた。

「でも、一つ思ったことがあってさ。正直に言うね。あの、ソラちゃんってその、言い方は悪いんだけど、何をしても感じる人だから……僕は凄く適当にやってたと思う。今考えると。ソラちゃんの中に入れることと、ソラちゃんの中で出すことしか頭に無くて、それ以外は雑っていうか……」

 ソラちゃんは真剣な眼差しで、じっと僕を見つめている。

「なるほどね。それで?」
「でも、これ始めてからのソラちゃんって多分、僕を気持ちよくすることに、すごい集中してたと思うんだ。その違いが多分、風景が見える見えないの違いだったんじゃないかなって」
「じゃあ、君が今日、私の左の胸を愛撫した時は? あれは私の胸が君の指を愛撫したんじゃないよね?」
「それなんだよ。あの時、僕はソラちゃんのことを考えてたと思う」
「手を握った時も?」
「……うん」
「そのあと、君はすぐにイったよね。その時は?」
「同じ」

 だから僕はソラちゃんの名前を呼んでしまった。

「そうか」

 ソラちゃんが微笑んだ。

「正直に話してくれてありがとう。色々と思うところがあったよ。たしかにそう、私は感じやすいんだろうね。それで迷子になっていたのかもしれない。でも、君としてると」

 そこまで言ってソラちゃんはちょっとだけ首を傾げた。僕はソラちゃんの言葉の続きを待った。

「……まあ良いや。止めた。それよりも君のことだ。同じ体位でも膣とペニス以外のコンタクトポイントが違うと、見えるものが違う。そして、何かが見えるかどうかは、私たちがそれぞれ相手のことを考えているかどうかに依存する。これで正しいかな?」
「と思います」
「よし、じゃあ今日はこれで終わり。続きは明日にしよう。それよりも今日は飲もうよ」

 そう言ってソラちゃんは仕事用のパソコンの電源を落とし、冷蔵庫からとっておきのクラフトビールを取り出した。常陸野ネストのペールエールだ。

 それから僕たちはテレビのスイッチを入れて、ビールを飲みながらネットフリックスの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を全話通して見た。孤児だったヴァイオレットが手紙の代筆の仕事を通して「愛してる」という言葉の意味を学んでいくというアニメだ。見ている途中でお腹が空いたので、僕たちはウーバーイーツでケータリングを頼んだ。結局ソラちゃんはテレカンをしなかったし、外出もしなかった。

 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の最終話を見ている間、僕たちは一言も話さなかった。ヴァイオレットの最後のモノローグ「私は今、「愛してる」も、少しはわかるのです」の瞬間、僕はそっとソラちゃんの顔を見た。ソラちゃんは泣いているようにも見えた。

 その夜、ベッドの中で僕たちはもう一度、長い長いキスをした。僕がこれまで付き合った全ての女の子と交わしたキスを全て合わせたよりも、長いキスだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?