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賢者のセックス / 第5章 後背位とお尻 / 彼女がセックスについてのファンタジー小説を書いていた六ヶ月の間に僕が体験したこと

「嫌いじゃないけど、そこまで好きでもない」

 翌日の午後、僕たちは入念な調査計画を作った上で、後背位についても注意深く検証した。

 インターネットで調べたところ、後背位には大きく分けて五種類のバリエーションが存在することがわかったので、僕たちは話し合いながら手順書を作り、一つ一つ順番に調査をこなしていった。

 射精のタイミングについては、最低でも二種類のバリエーションをこなした後は、イキたいときにイって良いことになった。ある程度調査が進んできたことでコツも掴めてきたし、射精以前の興奮の高まり具合は見える・見えないには影響しないこともわかってきたから、一つの体位の中で何をどう調べたら良いのかも、予想しやすかったのだ。

 僕たちはまず、ソラちゃんが両肘をついた状態でお尻を高く上げて、そこに僕のものを入れるバリエーションを試した。ポルノの画像や動画では頻繁に見かける体位だ。

 しかし、どれだけ注意深く動いても、この体位では何も見えなかった。どうやら、膣とペニス以外の部分がほとんど接触しないのが原因らしい。

 している最中はソラちゃんも「ああっ」とか「はあっ」という色っぽい声をずっと出していたけれど、終わってからの感想は「嫌いじゃないけど、そこまで好きでもない」という、あっさりしたものだ。結局、一番印象に残ったのは、僕の腰がソラちゃんのお尻に当たる時のタン、タン、タンという音だった。

 次に調べたのは、立った状態でソラちゃんがどこかに寄りかかってお尻を突き出して、そこに僕が挿入する方法だ。しかしこれも成績は悪かった。

 ソラちゃんと僕では腰の高さが違うから、僕はどうしても膝を曲げた状態を維持しなければならない。そうなると僕はソラちゃんに意識を集中出来ないし、身体が接触する場所も少ない。見た目は刺激的だからアダルトビデオではよく使われるけれど、これはそんなに良いものなのかなあ、というのが僕たちの感想だ。ソラちゃん用の台のようなものがあれば、また違ったのかもしれない。

 意外に悪くなかったのは、膝立ちした状態になったソラちゃんに、正座に近い体勢の僕が挿入するやり方だった。僕の膝の曲げ角を鋭角にすることでソラちゃんと僕の腰の高さを合わせることが出来たし、なによりも二人の身体を密着させられるのが良かった。

 僕はこの体位で二つの風景を新たに発見した。一つは両手でソラちゃんのおっぱいを触っている時。もう一つは左手でソラちゃんのおっぱいを触りながら、右手でソラちゃんのクリトリスを触っていた時だ。どちらも何となく見たことがある、東京郊外の風景だった。僕はこの体位で射精した。

 それから僕たちはいつものようにリビングルームのコンピューターデスクの前で、この日の調査結果について話し合った。

 僕たちの調査は毎週、土曜日と日曜日の午後に実施されるようになっていった。ランチを食べた後にシャワーを浴びてベッドルームに行き、その日の分の手順書に従って調査をこなす。それが終わるとリビングルームでデータの整理と検討。夜は調査のことは忘れてのんびり過ごす。その繰り返しだ。

 平日にセックスをすることもあったけれど、平日のセックスは調査のためのセックスではなかった。平日はお互いに仕事で頭が疲れていたから、セックスの最中に難しいことは考えたくなかったのだ。

 でも、平日のセックスにも調査の影響は確実に及んでいた。

 僕たちは以前よりも遥かに時間をかけてキスをするようになっていたし、以前よりも遥かにゆっくりとお互いを愛撫するようになっていた。そうなった理由はよくわからない。ただ、二人ともそうしたかったのだ。キスすらせず、ただ裸になって二人で抱き合っているだけで一時間が過ぎていることすらあった。それだけでもソラちゃんのあそこは、僕のものを迎え入れられるくらいに濡れるのだった。

 僕はソラちゃんとセックスをしている間、色々な風景を見た。それらの風景はセックスをするたびに鮮明になっていった。

 そして、この頃から僕は、射精するときに必ずソラちゃんの名前を呼ぶようになった。それについて、ソラちゃんは良いとも悪いとも言わなかった。ただ、こんなことがあった。二月の中程を過ぎた頃の平日だったと思うけれど、僕は正常位でソラちゃんの名前を呼びながら射精した後、ソラちゃんが涙を流していることに気づいた。

 どうしたのと訊いても、ソラちゃんは黙って小さく首を振るだけだった。恋人でもないのにセックスしている時に名前を呼ぶのはやっぱりまずいのかなと思って、それから僕は射精する時には「イク」とだけ言うようにした。

 でも、それからもソラちゃんは時々は涙を流していたと思う。僕が射精した後で。

ミッショナリー

 後背位の調査の話に戻ろう。一番多くの風景が見えたのは、ソラちゃんが寝そべった状態で挿入する方法だった。ソラちゃんがうつ伏せになっている状態で僕のものを入れると、ソラちゃんのお尻が僕の下腹部に当たる。

 それだけでも何か見えそうだったけれど、ソラちゃんの背中に僕の胸を密着させたり、ソラちゃんの手の甲に僕の手のひらを重ねたりすると、その度にどこかの景色が見えた。ソラちゃんが横向きに寝ている状態で後ろから入れる方法でも、僕は幾つもの風景を見つけた。

 こうして僕たちは二月の一週目に後背位を、二週目には座位と騎乗位の検証を終えた。三週目になると、もはや調査は僕たちの知識と経験と発想だけでは先に進めない地点に至っていた。

 そこで僕たちは、インターネットで調べた不思議な体位のイラストを色々とコピー&ペーストして調査手順書を作り、順番に試してみることにした。「プレッツェル・ディップ」とか「マジック・マウンテン」とか「バレエ・ダンサー」とか「ウィール・バロウ」とか「バター・チャーナー」とか、英語でセックスをする人たちの命名のセンスは面白かった。「アップスタンディング・シチズン」とか「スノー・エンジェル」とかね。

 ちなみに体位は英語では「セックス・ポジション」と言います。僕たちに馴染みのある体位だと、正常位は「ミッショナリー」、後背位は「ドギー・スタイル」で、騎乗位は「カウ・ガール」。画像検索すると色々出てくるので、ご興味のあるむきはどうぞ。

 この時の調査は手順書を確認するために部屋の中を少し明るくして実施したのだけれど、僕もソラちゃんも新しいセックス・ポジションにトライするたびに笑いだしてしまって、収穫は乏しかった。

 ソラちゃんがしみじみつぶやく。

「これって単に膣とペニスを連結させた組体操のようなものだよね」
「これを真顔でやってる人たちもいるのかな?」
「ちょっと止めてよ。想像するだけで笑える」

 そう言いながらソラちゃんが笑い出したので、僕のものはソラちゃんの中から飛び出してしまった。

 英語世界の住人たちが考えたアクロバティックなセックス・ポジションは二人でやるスポーツみたいで、それはそれで楽しかったけれど、僕はついに射精することが出来なかった。

 だから最後に僕たちは一番好きな体位でセックスを終えた。それがどんな体位なのかは、ご想像におまかせいたします。より詳しく言うと、それはソラちゃんが一番好きな体位で、僕はソラちゃんが一番好きな体位だからという理由で、その体位が一番好きなのだ。難しいかな。

 二月三週目までの調査でわかったことを整理すると、次のようなものだ。

■風景が見えるのは、少なくとも僕かソラちゃんのどちらかが相手のことを考えて愛撫や挿入をしている時だけである。

■僕たち二人ともが相手のことを考えて愛撫や挿入をしている時、風景は最も鮮明になる。

■セックスの最中に僕が見る風景はおそらく全て実在する場所である。それらは、おそらく僕の人生の特定の瞬間に僕が見ていた風景の再生である。

■僕が見る風景は、二人の身体のどこが触れ合っているかによって変化する。

 何をしている時にどこが見えるかのリストは膨大なものとなったので、ここでは書ききれない。

 そしてもう一つ、予想もしていなかった現象があった。調査を始めた当初、射精の閾値に近づくと僕は風景を見なくなり、射精の瞬間にはただ射精に由来する快感だけが僕を満たしていた。ところが二月の始め頃から、射精の瞬間にも何かが見えるようになっていったのだ。

 それはまだ望遠レンズのボケのようなものに覆われていて、何なのかはわからなかった。しかし、僕には確信に近い予感があった。このボケが消えた時、そこにはきっととても重要なものがあるはずだ。そこに至るルートも必ずある。ただし、そのルートに入るためのフラグが何なのかは、まだわからない。

帰還不能点

 このようにしてまとめられた情報を見ながら、ソラちゃんと僕は何度も話し合った。僕たちがセックスをしている時に何が起こるのかは、かなり正確にわかってきた。次に問題となるのは、何故それが起こるのかだった。ソラちゃんは例によって難しい言葉を使った。

「機序が知りたいよね」
「機序ってどういう意味?」

 二面モニターの前に座ったソラちゃんは、なんだこいつはそんなことも知らないのかという目で僕の方をちらりと見た。僕が一番知りたいのは、文学部と文学研究科に通っていたソラちゃんが、何故こんなに文学以外のことにも詳しいのかなんだけれど。

「ものごとが起こる仕組みだよ。ちょっと調べてみたんだけれど、記憶が再生されるというのは、単純に言えば過去の体験時に活動していたニューロンのセットが、何かの刺激によって再び活動しているということなのね」
「ええっと、ニューロンって何ですか?」

 またソラちゃんに睨まれた。

 ソラちゃんの左右の手がキーボードの上を旋風のように駆け抜け、モニターに不思議な図形が表示される。

「脳の神経細胞のこと。君の場合も、何かの風景を思い出しているということは、その風景を見ていた時に活動していたニューロンのセットが、何かのきっかけでもう一度活動しているということ」
「そのきっかけというのが、僕たちのセックス?」
「みたいだね。セックスというか、何だろうな。キスはセックスのうちに含まれると思う? 私たちがしているキスがセックスの一部ならば、君の記憶を再活性化させる刺激はセックスと言えるね」
「うわあ、難しいことを聞くなあ」
「ま、こんなものは所詮はシニフィアンとシニフィエだからね。その組み合わせに必然性はない。ソシュール様の言う通り。でも、うん、ちょっとこっちにおいで」

 ソラちゃんに手招きされたので、僕は二面モニターの前に近づいた。

 腰をかがめてモニターを覗き込んだ瞬間、僕の首にソラちゃんの両腕が巻き付き、ソラちゃんの唇が僕の唇に重ねられた。すぐにソラちゃんの舌が僕の中に入ってきた。さっきソラちゃんが飲んでいたアールグレイの味がする。しばらくして、今度は僕の舌がソラちゃんの中に入っていった。湿った音が二人の口の中を行き来した。僕の脳裏には、僕たちの通った中学校の最寄り駅の改札が見えている。改札横のコンビニエンスストア。改札の向かいのパン屋さん。間違いない。これはあの駅だ。

 五分ほどそうしていただろうか。最後に軽く僕の下唇を噛んでから、ソラちゃんの唇は離れていった。

「はい、今のはセックスだったかな?」
「セックスでした」
「じゃあ決まりだ。君の風景の記憶はセックスによって再生される」

 ということは、ついに僕たちはベッドルームの外でセックスをしてしまったのか。

 結界は魔女の手で、というか唇で、完全に破られたわけだ。そこから溢れ出してくるものは何なのだろう? 何かの終わりなのか、何かの始まりなのか。きっとその両方だ。

 僕とソラちゃんの間にある何かが帰還不能点を越えてしまった。僕の心は、その事実に怯えている。そんな自分に、僕は少しだけ戸惑っている。

キリエ・エレイソン(主よ憐れみ給え)

「さて、セックスによって君の記憶の風景が再生されるとしよう。それは何故なんだろうね? その仕組みはどうなっているんだろう」
「僕もそれが知りたいな」
「再生される記憶が鮮明になっていったプロセスが最初のヒントになると思う。あれは結局何と呼べば良いんだろうね。手コキって言うのかな。私の手で君のを愛撫するやつ」
「えーっと、それ、こだわりポイントなの?」
「何だか気になってね。『国語大辞典』にも『広辞苑』にも『大辞泉』にも『明鏡国語辞典』にも「手コキ」という項目はないんだよ。「手淫」は君の手で君のを愛撫することらしいから。じゃあ私は何をしていたんだろうというのが気になって、眠れない」
「嘘だ!」

 ソラちゃんがクスリと笑う。

「うん。眠れないというのは嘘。でも気になったのは本当。ちなみに『リーダーズ・プラス英和辞典』でhand jobを調べたら「《俗》手でやる[いく、いかせる]こと、手淫」とあったから、英語の場合は自分でやるのも他人にやってもらうのも同じ言葉なんだなあと思った。『ランダムハウス英和辞典』だと「{俗/卑}(通例、男が女にやってもらう)手淫(しゅいん)、マスターベーション」とあったから、研究社と小学館では舟を編む人の手淫概念の捉え方がちょっと違うんだね。じゃあmasturbationは自分で触ることで合ってるのかなと思って英英辞典で調べたら、Oxford Languagesでは性的快楽のために性器を手で刺激することとあったのに対して、Merriam-Webster Dictionaryでは手の他に道具を使うのもアリ。Cambridge Dictionaryだと他人の性器を刺激してイカせるのもmasturbationだけれど道具についての言及は無くて ……どうしたの?」
「ごめんなさい。手コキで良いですから先に進んでください」
「じゃあそうするね。最初は私の左手による手コキと、君が私の上になった単純正常位でだけ、何かが見えていた。それから探せば探すほど、君が風景を見る方法は増えていった。そうだよね?」
「ですね」
「これを別の主語を使って言いなおすならば、私が君に風景を見せる方法が増えていったということでもある」
「たしかに」
「あれは、いつの間にかそうなっていったんじゃないんだよ。私なりに試行錯誤をしてたのね。それをもう少し詳しく言うと」

 ソラちゃんは一瞬、目を閉じて何かを考えていた。

「君に、気持ちよくなってもらいたい。そういうことを心から思いながら、手や舌を動かす。それが大事だということが、わかったんだよ。色々と試してみた結果としてね。心から思う。あるいはもっと強い言い方をすると、願う」
「願うの?」
「願う。祈る。ごめんね。おかしなことを言っているね、私は。でも私の知っている日本語の範囲では、これが一番正確な表現になる。願い。祈り。君が気持ちよくなるように、願う」
「神様に?」
「キリエ・エレイソン」

 ソラちゃんがつぶやく。

「えっ? 何?」
「主よ、憐れみたまえ。君、本当にミッション系の大学に行ってたの?」
「ああっ、すみませんすみません」
「私が何に祈っていたのかは、はっきりしないよ。とにかく、私より大きな何か。それが本当にいるのか、在るのかはわからないけれど、それに祈っていたんだと思う。君のものを口でしながらね。心から」

 ソラちゃんがクスクス笑った。

「あれこそがエロスかもしれないな。古代ギリシャ人が考えた愛の一つだ。性愛と訳す。私はこの頃やっとわかってきたような気がするんだけど、性愛と性欲は違うんだね。セックスというメディアを使っているのは同じだけれど、性欲は所詮は自分の快楽の追求だ。でも性愛はパートナーへの愛なんだよ。だってセックスで自分に愛を向けるなら、自分で自分の性器を愛撫してやればそれで良いんだから。パートナーなんて要らない」

 いつの間にかソラちゃんの前のパソコンの画面はスリープ状態になっている。

祈り

 ソラちゃんが話を続けた。

「ね、私は不道徳で不信心な人間だから、これまでは自分の利益になるようなことを、多少のお賽銭を投げて神頼みしてきただけだったんだよ。本当に。なのに、最近では君が私の愛撫で気持ちよくありますようになんてことを、これまでの人生でも記憶にないような真剣さで祈ってたんだ。おかしいよね」
「いや、ありがとう。です」

 本音だった。僕はそんな風にしてソラちゃんに祈ってもらうほどの価値がある人間なのだろうか。ソラちゃんの顔を一瞬だけ苦笑いのようなものが通り過ぎる。

「お礼を言われるようなものじゃないと思うよ。だって、これは私のわがままで始まったプロジェクトなんだからね。私が祈るのは当然の責務じゃないかな。君はどう? どんなことを考えながらしてる?」
「多分……ソラちゃんと同じだと思う。ソラちゃんに気持ちよくなって欲しいなって」
「そうか。ありがとう。いつも気持ち良くなれてるよ。君は今までに私が寝た中ではダントツの男だ」

 僕はなんだか嬉しくなって笑った。でもソラちゃんは笑わなかった。

「だから、まだ仮説段階だけど、私や君がお互いの快楽を心から願い祈る時に、君はどこかの風景を見るんじゃないかな。その祈りが強ければ強いほど」
「不思議だね」
「そう。不思議。それがファンタジーになるんだよ。わくわくするよね。この先に何があるんだろうって。君のおかげだよ。だから……実は一つ謝らなきゃいけないことがあってさ。私に関して言えばね、最初は君をイカせることばかり考えていたんだよ」
「え、どういうこと?」
「こうなったら私も正直に話すけれど。実はね、君がイクところを見るのが好きだった」
「そうなんだ」
「そうなんだよ。君のものを手でしていると、君のものがだんだん濡れてきて、君が悩ましい声を出し始めて、しばらくするとこう、私の手の中のものがフって大きくなって、ドクドクって何かが流れる感触があって、先の割れ目から白い液体が飛び出してくる。あれが面白かったし、ああ、また私の手でイカせてやったぜみたいな征服感もあった。君がペニスを愛撫されている間、私が何を考えていたか教えようか?」
「こいつ早くイカないかな、とかですか?」
「それはないな。君は手が疲れるより前にイってくれる人だから。私が考えていたのはもっとひどいことだよ。男のものと男の指は似ているな、とか」
「指が?」
「そう。スラッとした指の男のものはスラッとしているし、太い指の男のものは太い」
「ひどい!」

 そう言いながらも僕は笑っている。でも、ソラちゃんはやはり笑わなかった。その表情には何かの翳のようなものがあった。

「正常位も同じ。君が私にしがみつきながら可愛い声を出してイク瞬間がね」
「それも征服感?」
「ちょっと違うかもしれないな。達成感? あのさ」
「うん」

「以前に付き合ってた男が困ったやつでね。私のあそこと、前の彼女のあそこを較べるんだ。前の彼女のはペニスに吸い付いてくるような感触があったのに、これは違うって。それと、前の彼女はイキまくってたのに、君はちっともイカないねって。だから物足りないって。自分とセックスするときにイケるように、一人で練習しておいてくれないかとも言われた」

 僕はかなり驚いていた。そんなことを恋人に言う男がいるのか。ひどいやつだ。

奇跡

「それで試してみたんだけどね。どうにも無理だった。他の子はどうなのか知らないけど、私は一人でしようとしても、濡れないんだ。濡れないからオナニーは出来ない。何だか悲しくなって、その時は泣いたよ。ま、そんなだったからすぐに自然消滅したんだけれど、それがちょっとトラウマでね」

 ソラちゃんは小さく首を振った。髪の毛が揺れてソラちゃんの顔にかかった。

「だから私は君がイクところを見て、ひそかに自尊心を回復させてたんだ。この男は私にイかされている、この男は私の身体を欲しがっているって。ごめんね。最初に君を襲ったのも、オナニーが出来ない自分の性欲を処理したかっただけなんだよ。私はイケない身体だけどセックスは好きだから、誰かとしたい。出来れば私を傷つけないような男としたい。それがたまたま君だった。だから君をここへ呼んだ。でも、今度は私が君を傷つけたね。……私は何をやってるんだろう」

 そう言って、ソラちゃんは泣き出した。 僕はどうして良いのかわからなかった。ソラちゃんが傷つけたと言っているものは僕の何なのだろうか? 心? 気持ち? 僕の心は今、傷ついているのだろうか? わからない。

 ともかく泣いているところを見られるのは嫌だろうと思ったから、部屋の照明を消した。それから僕はリビングルームの反対側の隅にあるソファに座って、それ以上はやることが無かったので、じっと目の前の床を観察していた。部屋から出ていった方が良いのかなとも少し思ったけれど、それはちょっと冷たいような気がしたのだ。

 ソラちゃんはしばらくの間、ゲーミングチェアの上で両膝を抱えて泣いていた。それからソラちゃんはのろのろと立ち上がってティッシュペーパーで涙を拭き、ソファの方に近づいてきて僕の隣に座った。

 その後、僕たちは服を着たままソファの上でセックスをした。今度はキスだけのセックスではなくて、僕のものがソラちゃんの中に入るセックスだった。コンドーム越しではあったけれど、僕はソラちゃんの膣の感触は素敵だと思ったから、ソラちゃんの中で動きながらそれを何度も言葉にして伝えた。その度にソラちゃんは「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返した。

 僕は様々な風景の中を旅していった。そして旅の最後に射精する瞬間、「大好きだよ」と囁いた。だって本当にソラちゃんが僕のイク瞬間を見たいというだけの理由で僕とセックスをしていたのなら、僕が神社や田んぼの風景を見ることは無かったはずだからだ。

 きっとそこには小さな祈りもあったのだ。そしてソラちゃんは、僕自身が知らなかった僕を発見してくれた。これは僕に訪れた奇跡だ。

 そこに疑う余地はない。


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