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silent|無理してやったことって無理なことなんだよ

無理なことってあるんだよ。
無理してやったことって無理なことなんだよ。
無理すると、本当に全部無理になっちゃうんだよ。
やればできるってやらせるための呪文だよ。
期待と圧力は違うよ。

湊斗から紬へかけられた言葉


数年前に大流行したドラマsilent
もちろんわたしも見ていました
当時、担任していたクラスの中に聾の子がいて
ものすごく影響されて一生懸命手話の勉強してたなあ…
結局、その子とは手話でコミュニケーションをとる前に
転校でお別れになってしまったんだけれど。
偶然にも今年の運動会で再会して、ちょっと話せたのはうれしかったな

そしてこのとき勉強した手話、実はいまも独学で続けているのです
やっぱり人間、言語を獲得するって意欲的にできることなんだろうな
日本語はもちろん、英語や韓国語の勉強をしている人といっしょで
わたしは手話になら意欲的に学びを深めていけるんだな〜
と気づきを得た瞬間でもありました


さて、心に響いた言葉をずっと重ねてきているけれど
silentのこの台詞は、響いたというのはもちろんだけど
それ以上に自分の中で大事にしている言葉です


無理しないと終わらないこと多いし
無理して応えたことの方が感謝されること多いし
無理してがんばるの嫌いじゃないときもある。

それはそう。
人間、適度なストレスはいいらしいから。
でも、がんばりすぎちゃうときもあって
そういうときはすごく苦しくなる。
自分の中にある「がんばりメーター」みたいなものが壊れて
頑張りすぎてることにも気がつけなくて
「まだ大丈夫」「もうすこしやれる」「あとすこしがんばろう」
そうやって自分を鼓舞してしまう。もう無理なのに。
「まだ大丈夫」って思ったら、もうダメなんだな
それが教員時代の気づき。
だって大丈夫なときって「まだ大丈夫」なんて思わないもんね

最近、転職先の同僚でも頑張りすぎてしまう人がいて
見ていて苦しくて、何かできることはないかといつも考えてしまっていて
「頑張らなくて大丈夫」「そのままでいてください」
と伝えていたのだけれど、
本人は頑張り続けたいタイプらしくて。
「頑張らなくていいって言われるとどうしていいかわからなくてつらい」
と言われてしまった。

そっか、そういう人もいるんだよね
自分のものさしで価値観を押し付けてしまったかなと反省。
でも、苦しそうなあの人に何かできることってないかな、
どうかあの人の痛みに寄り添える人がひとりでも多いといいな、と思ってしまう。

傷ができたとき、痛いと思ったことがある人にしかわからない感情ってある
わたしは今回、頑張りすぎて苦しくなるその痛みがわかるけど
経験してない痛みにも寄り添える人でありたいと思う

紬と湊斗


転職してからはまだ短くて感じることはないけれど
前職のときは定時で帰ったり、有給たくさんとったりすると
いろいろいう人もいたりして
そういう悪意が気になってしまうこともあるけれど
せっかく生まれたからには楽しいと思う時間のために生きたいし
自分が笑ってられる状況に身を置くことって大切だなと思っていて。

無理をしないで働くこと、暮らすこと
ついつい忘れてしまうことが多くて潰れそうになることもあるけれど
一生懸命意識して大事にしています

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