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【コーチの自己探究】 「怒り」よ、ありがとう。

コーアクティブの礎に乗ってコーチングする時、
私は、俗に言う”ネガティブ”に分類される感情に
焦点を充てるのが好きだ。

悲しい。寂しい。憎い。怒り。恐怖。

なぜかというと、そういった感情は、
セッションだからこそ丁寧に扱えるからだ。

そして、それらの感情が出ているのは、
クライアントさんの願いや価値観がみえてくる
一つのサインだと思うからだ。

日常をこなそうと生きるとき、
人はそれらに蓋をしてしまいがちだ。

それも「生きる」ということであるから
間違いではないが、”ネガティブ”な感情に
向き合うことが必要な時も、必ず訪れる。

だから、クライアントさんがそれらの感情を
出した時、私は自己管理の中で密かに嬉しい。

と同時に、覚悟を決めて、
最後までともにいようと誓って進む。

なぜここまで”ネガティブ”感情に惹かれるのか。
思い返すと、幼少期からずっと向き合ってきた
感情がある。

それは、「怒り」。

私の小学生の時の夢は、
「内閣総理大臣になること」だった。

理由は、「将来は問題が山積み」と
教科書に書かれた社会の現状を放置している
ように見えた、大人や政治家に「怒った」から。

好きで弾いていたピアノ。なぜ大学卒業まで
続けられたかといえば、

うまく弾けない自分に「怒って」、
負けるもんかとピアノの前で
泣きながら練習し続けたから。

中学3年生から始めた、NGOでのボランティア。
私はなんの不自由もなく生活しているのに、

生まれた場所が違うだけで理不尽な人生を
強いられる子どもたちがいるという状況に、

やり場のない「怒り」を感じ、
居ても立ってもいられなかったから。

いつも「怒り」が、私を突き動かしてきた。

怒っている時、私の中に湧き起こる声は、
決まった一言だ。

「なんで?」

なんでやらないの?なんでできないの?
なんでこうなってるの?

沸々と、心臓から、身体の中心部分が
湧き立つ感覚。

そしてそこには、裏の声がある。

「できるはずじゃん」

あなたなら。この人たちなら。わたしなら。

なぜ「怒る」のか。
それは、対象を信じたい気持ちがあるからだ。
理想は実現すると、信じているからだ。

それでも、目の前の現実がそうでないとき。
理想と現実のギャップが大きいほど、
怒りも大きいのだ。

だから私は、「怒り」という感情に、
「ありがとう」を伝えたい。

この声があるから、私は成長し、成熟し、
たくさんの経験をすることができた。

最近、自分のこれまでの人生を話す機会がある。
良くもまぁ、色々やってきたなぁと思う。

どの経験も無駄ではなく、全て自分で決めて、
自分で向き合ってやってきた。これは本心だ。

成果が残っていないことも多いけど、
充実した、満足いく人生だ。

そう思えるのは、「怒り」に突き動かされ、
行動することを止めなかったから。

「Co」だけじゃない、「Active」もあるのが、
コーアクティブの私が好きなところだ。

ここまで書いてくると、痛感する。
私はコーアクティブに「出会った」のではなく
「最初からそう生きていた」んだと。

今そうだと気づいている人よりもっと多くの人が
コーアクティブで生きていたはずで。

今はそうでなかったとしても、
コーアクティブに生きていきたいと、
奥底ではそう思っているはずだと、私は信じる。

コーアクティブに生きる人を増やしたい。
夢を語るだけでなく、今の社会に確実に、
インパクトを残したい。

だから今日も、遥か高い理想に向かって
怒りをエネルギーに、
コーアクティブに生きていく。