自分と向き合う
わたしは解離という
味方であり、恐怖である手段で自分を守ってきた。
大切にされたい、愛されたい
私の中で常にあったこの気持ちを隠して、
大切にされるため、愛されるため
にやってきたんだと思う。
今となっては解離しやすい気持ちのもっていき方が分かるようになってきた……。だから、甘えてるも、逃げてるも、自覚できる。解離した後の気持ちの戻し方が難しい。だから解離をさせなきゃいい。なのに、解離が楽になれるってわかってるからどうしても解離が辞められない……でも、やめなきゃいけない。
あと、大切にされてる、愛されてるって実感して安心感を得るために…解離したせいでほんとに苦しい気持ち、もう無理!ってなると……
死にたい、死ぬ、もう無理、辞める、と喚く。他者からも自分からも見てわかるようにアムカもする。
最初はちゃんと?ほんとに実行しようとして、SOSを出してた。いつの間にか、沼にハマった。死ぬことの恐怖、生きることへの不安に晒されて、苦しくなる。この事実だけは忘れたくない、死ぬ死ぬ詐欺はそれはそれでほんとに苦しいってこと。
でも、詐欺は詐欺で、死ぬの言葉で話を聞いてくれる人がいて、一緒にそばにいてくれる人がいた。大切にされてる、愛されてる。時には生きていたいとまで感じた。私はそれが幸せだった。
……とても、苦しいけど、もう、この幸せから足を洗う時が来たと思う。大切にされたい、愛されたいの気持ちを死にたいに置き換えず、今を頑張る理由に変えていかないといけない。
何か漠然としたものに向かって努力することが、親の愛を求めた幼かった私が必死で点数を取りにがむしゃらに努力した時代に戻るようで、頑張ることから避けてきた。必死で努力しても、私が欲しかった愛情は貰えなかった。
でも、これからは違うと信じたい。
親の愛を求めていないから。私が求めてるのは「看護師」になるという明確な夢で、1人の大人として社会で生きていける人になること。がむしゃらに頑張らなくても、目の前に敷かれたレールの上を上手に走るだけ、そしたらゴールにたどり着く。
だから、これからは
自分を大切にするために、愛するために
頑張ってみたい。
次の通院日で主治医に話してみる。そして、自分の足で歩けるようになるまで、ゆっくりでも考え方を変えていきたい。
ここまで来たら自分に打ち勝って、自由になりたい
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