家族ってなに? vol.27 〜新しく始まった新生活と出会い〜


私が学校を転校してからというものの、生活は大きく変わり始めた。

私は、通信制であったが週に3回学校に通いバイトも始めた。

父は帰宅するのが深夜を回っていたので顔も合わせることもなく、話すこともなかった。

母は学校を転校してもいつものように接してくれ、辞めたことに対して何にも咎めることもなかった。
バイトも始めたのでバイトの愚痴などもよく聞いてくれ、この頃は良好な関係を保てていた。


姉は相変わらず、顔を合わせれば喧嘩ばかりなので、私たちは顔を合わせず会話もしなかった。


祖父母は数ヶ月に1回会うか合わないかだった。
会えば「学校はどうなんだ」なんやら聞かれそうでめんどくさかったので、自然と足が遠のいていた。


新しい生活、

今まで接点を持つこともないような人たちとの出会いの始まりだった。

学校ではいわゆるギャルと言われる人が多く最初は怖く感じた。

絶対友達になんて慣れないと思った。

でも、少しづつ仲良くなっていった
(簡単に崩れてしまった関係だが)

クラスで親友だと思える人にも出会えた。

いろんな世界の話を聞くことができた。

私も、少しづつ変わっていった。

毎朝つけまをつけて、化粧をして、ミニスカートにして登校。

どんどんギャルになっていった。

そんな娘に母は何にも言わなかった。

むしろ、肯定的に捉えてくれていた。
「目重くないの?」「毎朝大変だね」

母は知っていたのだと思う、

見た目は変わっても、私の心、性格は変わっていない。

その時の母の気持ちは思春期の私は何にも気づかなかった。ただただうざいとしか思えなかった。


そんなギャルな高校生時代を過ごし、毎日のようにバイトに行き14連勤もこなしながら過ごしていた。

そんな中私は、将来に不安を持つようになった。
このままでいいのか?将来自分は何になりたいのか?何をしたいのか?
自分の学歴は不利になる。


そんなことを考えている時、自分の好きなK-popをきっかけに韓国語を学んでみようと思うようになった。

そして、それを武器にしていけたらと思えるようになった。

そこで、私はたまたま見つけた韓国2週間留学プログラムに参加することにした。


ここで私は、韓国語の楽しさとともに日韓関係について考えさせられるきっかけ となった。
メディアによって情報錯誤されている両国国民の思想。私はそれがどうしても気に食わなかった。

そして、私はメディアの道に進むことを決め。韓国に留学することを決めた。そして日韓関係をつなぐ存在になろうと決めた。

ただ、私が韓国に関連する職業につきたいこと、韓国に留学することに祖父母は特に祖父は反対だった。

理由は

「なんで日本より劣っている二流の国に行ってなんの意味があるんだ」

そんな言葉を言われた。

でも、私はそんな言葉を無視して行くことにした。



こうやって、マイナスな言葉や決めつけを母にも押し付け自分の思いどりの人生にしようとしていったのだろう。

私は祖父母の駒ではない。祖父母の思い通りに生きる必要はないと思っていた。

でも、祖父はこの頃からJRへの就職を進めるようになってきた。
(自分が国鉄に勤めていたから同じ道に進めさせたかったんだろう)


父は海外に娘一人で行かせることには心配であったが反対することはなかった。




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