マイホームへの句読点
大学時代、自宅へまっすぐ帰ることはあまりなかった。
講義のあと、バイトのあと、飲み会のあと
人と会って話してものすごい量のインプットとアウトプットを繰り返した後は、ひとりで街をうろつき黄昏る。
いつの間にか自分の中でルーティン化していて、孤独を満喫できる自分に酔ってもいた。
東京にいる自分の時間が少しでも長いように。
埼玉の実家から通っていたので、なんてことないのだが、
人も街も洗練されたイメージのある東京に漠然とした憧れはあった。
東京は私の自由を叶えてくれた。
何をもって自由なのか、人によるのはわかっている。
私にとっての自由は、親に縛られないこと。
小さい頃から私はあまり自由を感じたことがなかった。
友人とプリクラを撮りに行くと言うと、心配して母親が付いてきた。
好きでもないピアノを10年間習い続け、学校の合唱祭や卒業式で毎年伴奏をさせられた。
親に言われた通り、勉強と部活だけに躍起になっていた。
ずっと監視されている不快感はあったが、気づかないようにしていた。
人生これくらい息苦しくて当然だと自分を納得させて生きていた。
いつもちょっと周りよりお高く留まっていた気がする。
だから友人とも壁を作ってしまい、腹を割って話せたことなんて一度もなかったかもしれない。
私だって、友人と同等に遊びたかったし、ピアノじゃなくて歌がよかったし、恋バナに花咲かせていたかったし。
どれも、内緒にするとか機転を利かせるとか、親に抗うことができれば割と容易く自由が手に入ったはずだ。
だけど従順に育った私には、自分の頭で思考するクセが養われていなかった。
その欠陥は薄々勘づいていたけれど、生き方を変える勇気とリスクにおびえていた。いい子である自分がなかなか捨てられなかった。
でも同じような人間がうんと集まる高校へ進学して、同化していく自分が嫌になり、生きづらさから脱却しようと周囲の人間を巻き込みながらも自分の自由を求めて走り回った。
私はなんてもったいない学生時代を過ごしたのだろう。
そんな後悔が募りに募り、自分の時間を取り返したくて、大学では、反動的になんでも自分で切り開いていきたいと思うようになった。
そして、新しい視野は確実に手に入れた。
そんなこんなで結局今は特に野心もなくケロッと生きているが、今なら不自由だった自分の過去も肯定できる。
すべてが愛おしい。
大学進学を節目として、親も子離れし、私自身も少しは親離れできたように思う。
「大学生活くらい、羽のばしな」
大学受験が終わった3月、母に言われ、私は急に住処を失ったように感じた。
だけど、自由を渇望し続けたおかげで親の考え方を変えることができた。
そして、今わたしは生きている。
もうそれだけで奇跡。
今は実家から通勤していて、帰りに寄り道どころではない。
コロナの時短要請で、街から明かりは消え、雑踏の中の小さな自分に酔うこともできなくなってしまった。
そして、単純に時間がない。
まあいい、
いつかまた東京を彷徨していた自分や、社会人になり失った時間の尊さを嘆く自分を愛おしく感じる時が来るだろう。