挨拶のうちに入らない挨拶

春から社会人だ。

在宅研修でビジネスマナー等の教材に取り組んでいる。


「職場の人たちと円滑な人間関係を築くには、自分から明るい挨拶をしましょう」とあった。

フッ。挨拶なんて朝飯前さ。これで研修だって?!笑っちゃうねwww


しかし、侮るなかれ。あなたももしかしたら私のように挨拶をできていそうで出来ていないかもしれない。



私は誰よりも挨拶に敏感だ。

学校やバイト先の敷地内では殊に、知らない人とすれ違う時でさえ、反射的に会釈をしてしまうことがある。というか、すれ違う相手の存在が病的に気になってしまうからだ。

故に自然な挨拶ではないかもしれない。

高校時代は、ちょっとの顔見知りでさえも挨拶しないと気が済まなかった。こちらがスルーしてしまって感じの悪い人と思われたくなかった。嫌われたくなかったからである。

挨拶しても返してくれない友人の友人の顔前に無理やり手を振って強制的に「おはよう」を言わせたものだ。全く迷惑な人間である。

本意ではないけれど、面白がってくれる人も一定数いて、友人もそれなりに増えたりもしたが、相手の驚きの表情と苦笑いを幾度も見てきた。それでも止められなかった。

反応がないことが一番つらいのだ。


そう、私は挨拶した時、無視されることに怯えている。

最近では、強制挨拶の症状は治まりつつあるが、それでもいまだに挨拶する時、無視されると気が気ではない。そして、無視される原因が私の強制力でないとしたら一体なんだろう。

それは、きわめて単純で、私の声が小さく、自信なさげであるために、気づかれていないのだと思う。

こちらから挨拶して無視されたら恥ずかしい。何度か明るく元気に挨拶をした時に、無視された経験が積み重なり、気付かぬうちに自分の挨拶に自信がなくなっているのかもしれない。いや、すでにあの強制挨拶の時から声も小さく、暗く、タイミングもおかしくて、出来上がっていたに違いない。


無視されていたのではなかった。

私の挨拶は相手に届いていなかったのだ。

挨拶のうちに入らない挨拶をしてきたのかもしれない。


そうだとすると、これまで私が行ってきた膨大な細やかなる挨拶の気遣いの数々は、泡と消えていたのか。


なにせ、私は未だに「挨拶」という漢字をネットで調べないと書けないのだからな。


でも、くじけない。こんなにも挨拶に固執しているなんて、私はよっぽど挨拶が大好きなのだろう。


あかるく

いつも

さきに

つづけて


これからは、確実に相手に届く挨拶を意識しよう。

「工夫・改善・やり続ける」のだ。