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20,02,26。ledzeppelin75年①

大盛況のうちに終了した73全米ツアーでしたが過酷なスケジュールとツアー中の乱痴気騒ぎはメンバーに多大なダメージを与える事になり、特に一番の良識人と言われたJohn Paul Jonesはツアー後に本気で脱退を考えていたことが明らかになっています。

デビュー以来ツアーとレコーディングに明け暮れる日々だったzeppelinでしたが74年をいったんステージから遠ざかる事で様々な事の収拾を図ったようです。

John Paul Jonesに休養を取ってもらいリフレッシュさせて、自らのレーベルSwan Songを設立し、Robert Plantはすっかり痛めてしまった喉の手術。千秋楽のMSGのステージの映画化に着手に新たなるアルバムPhysical Graffitiのレコーディングの開始とのんびり休養を取っていた訳では無さそうです。

問題解決に尽力した74年が明けて75年1月にはzeppelin得意の「異国での公開リハーサル」公演をロッテルダムとブリュッセルで行い、1月20日からはニューアルバムの発表と共に全米ツアーに乗り出しました。

アルバム発表と同時スタートという肝入りのツアーでしたが開始直前にJimmy Pageは指を怪我してしまい(女に噛まれたんじゃないかと囁かれましたが列車のドアに挟まれたとの事で結構大変だったようです)Robert Plantはいきなり風邪をひきJohn Bonhamはと慢性の腹痛と前途多難なスタートになってしまいます。

75年ツアー序盤の音源には定着する事になるニューアルバムからの新曲以外にも後にカットされてしまうWhen the Levee BreaksやThe Wanton Songが残されており演奏自体はコンディション不調から今一つではあるもののマニアにとっては聞き物なライブとなっています。

75年ツアー音源の最大の特徴はJimmy Pageの指が回復するくらいからサウンドボードの高音質で収録されたライブが多数発掘されている事でしょう。
73年物のような少し貧相な音ではなく、バランスの取れた音源でライブ完全収録に近い物も多い為、自分のコレクションもCD枚数的には75年物が一番多くなっています。

ブートCD創成期から高音質で名高いダラス公演がリリースされており、その後のブートバブル末期に次々と他公演もリリースされました。

また、オーディエンス収録でも機器の発達と目的意識の高い録音者による高音質な物が現れるようになり、コンディションの回復とともに実力を発揮し始める当時のzeppelinをしっかり味わう事が可能です。

今回のリンクはツアー後半のzeppelinの大好きなシアトルの3月21日です。アナログブート時代から名演として有名でしたがCDになる事でほぼ完全収録となり、高音質なマスターの登場でさらに素晴らしい内容となっています。
https://www.youtube.com/watch?v=X_eGwe5w0AY
再生時間も4時間近いのですべてを通して視聴する物好きな方は極少数だと思ますが、好調時のzeppelinの凄さがこうした形でが残されているのは感謝の極みです。

壮絶と言ってもいいライブを繰り広げながら全米ツアーを乗り切ったzeppelinは母国イギリスに錦を飾る凱旋公演へと向かう事になるのでした。



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