20,11,20。プロレスから格闘技へ④
プロレスであれ格闘技であれ、名を残すファイターには必ずと言ってよいほど「頂点を感じさせる試合」があったと思っています。
プライドの始祖である高田であればUWFインター時代の対北尾戦でしょうか。あくまでプロレスの範囲内だったとはいえ北尾の「蹴りはこっちでさばきますから本気で来ていいですよ」と言う言質を逆手に取ったハイキックKOは正に最強のイメージそのもだったと言えるでしょう。
プライドを背負って立つ選手となった桜庭の頂点を感じさせる試合といえば何と言っても2000年PRIDE GRANDPRIXでのホイス戦です。
レフリーストップ&判定無しの1R15分×無制限という冗談の様なルールにも拘らず6R90分に渡る熱戦の末のホイス陣営からのタオル投入によるKO勝利という結末は桜庭の名を一気に世界中に響き渡らせることになりました。
おまけに90分という長丁場にも拘らずグラウンドでの膠着は少なく「ここでこれをやったら絶対盛り上がる」というアイディアあふれる桜庭らしい試合展開で世紀の一戦を見守るすべてのファンを熱くさせる偉業でしたが、以降緩やかに下降線をたどり始めた印象があります。
その兆しは2001年のPRIDE.13以降の対ヴァンダレイ・シウバ3連戦から始まったと感じています。既に年齢は30を超え、強豪との連戦で疲労の溜まっていた桜庭にとって体重差が10kg近くある打撃のスペシャリストとの相性は最悪でした。
のほほんとしたイメージの桜庭ですがファイターである以上あたりまえに負けず嫌いです。数々の試合映像を今見てみると「相手の土俵で勝負しようとする」悪癖があるともいえるでしょう。20代前半の若き打撃のスペシャリスト相手にその悪癖は致命的でした。
そして4点ポジション状態の相手に打撃が可能というルールも重なり、タックル失敗状態の頭部にいわゆるサッカーボールキックを浴びせられ初戦はTKOによる敗北という結果になります。
試合後に「それほどダメージは無い。ストップ早すぎない?」と語った桜庭でしたが彼は負けず嫌いな上に無類の強情っぱりである事は後の大ダメージを負った数々の試合を見れば明らかです。
後にミドル級の階級が設定されヘビー級相手の無茶なマッチメイクは少なくなりますが結果的にミドル級王座をめぐるシウバとの戦いは3連敗となり桜庭のコンディションは明らかに悪くなっていきます。
プライド自体はヘビー級選手の充実でまだしばらく栄華を誇りますが、立役者である桜庭は正に「使い潰され」始めていたと言えるでしょう。