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23,08,28。テリーファンクの思い出②

昨日に続き、亡くなったテリーファンクの話です。

久しくTVで見かけなかったテリーを久しぶりに見たのは90年台に入ってからで、そのリングは全日本では無く大仁田率いるFMW。しかも「伝説のハードコアファイター」としてでした。

実は彼がバリバリのベビーフェイスだったのは日本のマット界だけで、本来のスタイルはハードコアスタイルのヒールでした。久しぶりにリングで暴れるテリーを見た時には自分も既に30代でしたから彼は50歳を超えていたにもかかわらず子供の頃に見た以上のラフファイトを繰り広げFMWならではの電流爆破系の試合にも参加とその暴れっぷりにびっくりさせられた記憶が有ります。

既に長きに渡っていたラフファイト中心のレスラー生活の代償は大きく、日本での初めての引退時に理由としていた膝のダメージはアングルでは無く、日常生活に支障をきたすほどだったそうですがFMW参加以降も日米を問わずインディー系からメジャー団体と暴れ続け、嬉々としてリングに上がり続ける姿に「この人は本当にプロレスが好きなんだ…」と感心させられました。

アメリカマット界でも一度マジに引退していたテリーですが復帰後も変わる事無くハードコアスタイルを貫いたその姿勢は若手を始めベテランレスラー仲間からもリスペクトを受ける正にレジェンドレスラーでした。

その後も団体を問わず活躍を続け2000年代初めまで現役を続けていたテリーですが、晩年は認知症に侵され車椅子生活だったとされています。

永くプロレスファンだった自分がプロレスを見なくなった理由「全てをプロレスに捧げた者が得る物があまりにも悲しい」を地で行くようなレスラーの一人だったテリー・ファンクですが、子供の頃に見た雄姿と老いてなお己のスタイルを貫く姿は他の報われなかったレジェンド達同様自分の記憶の中で輝きを失う事は有りません。

心よりご冥福をお祈りいたします。プロレスに夢中にさせてくれてありがとう。そして今度こそゆっくり休んでください。

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