見出し画像

『Loveはじめました』みたいな楽曲がきっと、ミスチル人気を強固にしてきた

いつだったか、「Loveはじめました」と検索ボックスに打ち込んだら、「Loveはじめました こわい」と予測変換がでてきた。

Mr. Children『LOVEはじめました』。2002年『It's a wonderful world』の収録曲だ。

***


今年30周年を迎えた彼らを見ていて改めて感じるのだけど、長く愛されるアーティストとはきっと、上手く化けてきた人たちなんだろうなと思う。

「若者」として世に出て、青さや勢いで攻めたあと、どこかで大人になるというか、成熟するというか。たとえばアラサー、アラフォーになった時に、楽曲と一緒に歳を重ねられる人たち


『Loveはじめました』がリリースされたのは、ミスチルのメンバーが32歳になり、まさにアラサー転換期を迎えていた頃だった。

実際この曲にも、当時のミスチルがどんな風に「化けて」きたのか、その痕跡が刻まれてる。

同時期の『Any』や『優しい歌』みたいに、心境の変化をストレートに表現しているわけじゃない。テーマとしては、20代の頃に歌っていたものに近い。だけどその分、小さくなったランドセルを背負ってる小学6年生みたいに、昔との違いを感じさせる --- そんな曲だ。

「楽曲と一緒に歳を重ねる」ことが長寿アーティストのひとつの特徴だとすれば、『LOVEはじめました』にはミスチルが長く愛されてきた秘密が、少なくともその一端が、隠れているのかも知れない。


「LOVEはじめました」はこわい曲なのか


さて、冒頭の予測変換に話を戻そう。

『LOVEはじめました』はどうも、怖がられたり、意味を探られたりすることが少なくないらしい。

この曲ではたしかに、なかなか物騒なことも歌ってる。「ホテルで刺される少女」とか、「死刑になりゃいい」とか。

殺人現場にやじうま達が暇潰しで群がる
中高生達が携帯片手にカメラに向かって
ピースサインを送る
犯人はともかく
まずはお前らが死刑になりゃいいんだ

たかがピースで殺意を燃やすなんて、こわい。そんな反応もわかる。


・・・でも多分、「死刑」の響きから受ける印象ほど、この主人公は怒ってるわけでも凶暴なわけでもない。

だって、その後に予定されてる「中田のインタビュー」に、もうすっかり関心を持ってかれてるから。

犯人はともかく
まずはお前らが死刑になりゃいいんだ
でもこのあとニュースで
中田のインタビューがあるから
それ見てから考えるとしようか

そう。この人は、まじめに「死刑反対論者」や「賛成論者」の意見を読んで考えを研ぎ澄ませたり、それを世間に主張していく気なんてさらさらない。

「たまたまテレビでやってる旬なネタ」を目の前にしたらすぐ後回しにしちゃう、その程度の感情で、「死刑」なんて重い言葉を使ってるだけだ。



言葉がめちゃくちゃ軽いのだ。「愛」が冷やし中華と同列に語られるくらい、「命」が中田のインタビューに負けるくらい軽い。



しかも、「もうどうでもいいや」じゃなく、「その後考えるとしよう」というのがまたミソで。

だってこの人、多分もう考えない

インタビューが終わる頃にはきっと、テレビから流れてくる別の話題に気をとられて、「ピースする人たち」のことなんて覚えてもない。

本人もそんなことわかってるくせに、とりあえず「その後考える」ボックスに放り込んで、曖昧なまま話を終わらせる。このセリフ自体が、もう軽い


偽りなく飾りもない まぎれもない想いだけがある歌


とはいえ、主人公がテキトーで軽い人間なのかというと、それは真逆で。

ミーハーさや軽さに我慢ができず、「ま、ちょっとくらい飾られててもいっか」なんて折り合いをつけることができず、ひたすらキラキラギラギラしてるものに噛み付いては化けの皮を剥がそうとしてる


その矛先は、ネオンサインがギラつく繁華街とか、ちょっとオシャレな名前がついたエスニックフードに向かっていくのだけど、

でも多分、一番の標的は「売れっ子バンドとしてのミスチル」だったんじゃないかなと思う。



なにしろ前半でさんざん噛みつき散らかしたあと、間奏を挟んで曲はここにたどり着くのだ:

僕は愛してる人に愛してるという
ひねりのない歌を歌おう
意味なんかないさ 深くもないし
韻だって踏んでない
ただ偽りなく飾りもない
まぎれもない想いだけがそこにはあるんだ

もともとひねりをきかせた詞が得意で、韻だってさんざん踏んできたくせに、そんな自分たちの楽曲に背を向けるように「飾りもない」「深くもない」歌を歌おうだなんて言う。



ちなみにそういう、自分たちの楽曲や実績に背を向けるような詞は、当時のミスチルのオハコだった。

自分たちがヒットチャートで一大現象を巻き起こしたまさにそのタイミングで「退屈なヒットチャートにドロップキック」をかましたのを皮切りに、桜井さんはずっと「勲章などいらない」、「バカげた仕事」、「(ヒットパレードは)うわっぱりのオンパレード」などと歌い続けてきた。

20代前半で突然メガヒットメーカーになり、のしかかってきた重圧。世間が期待する「ミスチル」らしさ。見えてしまった業界の裏側。そういうものを吹き飛ばそうとするように。

『LOVE はじめました』も、そうした楽曲の延長線上にある。とは思う。


だけど。


ちょっと下の表を見てほしい。1994年から2002年にかけてのミスチルの歌詞をいくつかピックアップし、時系列で並べたものだ。


1994年(桜井さん24歳) 退屈なヒットチャートにドロップキック
1995年(25歳)勲章などいらない
1996年(25歳)自分らしさの檻の中でもがいてる
1996年(26歳)天に唾を吐きかけるようなやり場のない怒り
1997年(26歳)この感情は何だろう 無性に腹立つんだよ
1997年(26歳)時が苦痛ってのを洗い流すならタイムマシーンに乗って未来にワープしたい
1997年(26歳)あっぱれヒットパレード うわっぱりのオンパレード

<<<<< 1997年 活動休止(27歳)>>>>>

1998年(28歳)胸に抱え込んだ迷いがプラスの力に変わるように
1999年(28歳)マイナス思考で悩みまくった結果この命さえも無意味だと思う日があるけど「考えすぎね」って君が笑うと10代のような無邪気さがふっと戻る
2000年(29歳)よどんだ街の景色さえ愛しさに満ちてる
2001年(31歳)優しい歌忘れていた(中略)愛する喜びに満ち溢れた歌
2002年1月(31歳)君が好き
2002年5月(32歳)LOVEはじめました
2002年7月(32歳)そのすべて真実



こうして並べてみると、『LOVEはじめました』のリリース時期は、桜井さんがひたすら怒りや苦痛を吐き出してた時期とは少しずれてることがわかる。

この曲は、それまでの怒りソングたちの延長線上にはあるかも知れないけれど、完全な仲間じゃない。

社会批判ソングを出しまくっていたミスチルが、活動休止をはさんで一息ついて、「優しい歌」を取り戻し始めた・・・『LOVEはじめました』がリリースされたのは、そんなタイミングだったのだ。


***

似てるようで違う、20代の社会批判ソングと30代の『LOVEはじめました』


この記事を書き始める前、『LOVEはじめました』は『傘の下の君に告ぐ』(1997年)に似てると思ってた。

愛さえも手に入る自動販売機さ
屈折した欲望が溢れる街

『傘の下の君に告ぐ』(1997年)

「愛」を「自販機のペットボトル」に例えてるか「冷やし中華」に例えてるかの違いで、言ってることはまぁまぁ一緒だと。

だけどこうして時系列で並べて見比べてみたら、どうもそうは言えなくなってきた。

『LOVEはじめました』は皮肉だとばっかり思ってたけど、実はひょっとすると字面通りの意味というか、「愛する喜びに満ち溢れた歌」再開宣言だったりしたりするのかも?なんて思えてくる。



それから、さっきも引用した「ひねりのない歌」。ここを、1996年『mirror』と並べてみると:

僕は愛してる人に愛してるという
ひねりのない歌を歌おう
意味なんかないさ 深くもないし
韻だって踏んでない
ただ偽りなく飾りもない
まぎれもない想いだけがそこにはあるんだ

『LOVEはじめました』(2002)

ロクでもなくポップなんてもんでもなく
ましてヒットの兆しもない
ただあなたへと思いを走らせた
単純明快なラブソング

『mirror』(1996)

この2つも、一見すごく似てる。ように思える。


だけどよーく比べてみると。

1996年の「単純明快なラブソング」は、「ヒット」の対極として描かれてる。

「ヒットパレード」を「うわっぱりのオンパレード」呼ばわりしていた当時の桜井さんにとって、「ヒットの兆しもない」は正直さ・純粋さの象徴というか、ある種のほめ言葉でさえあったんじゃないか

もちろん「ヒットの兆しもない」歌なんて、まずプロデューサーから待ったがかかるし、ミスチル現象ど真ん中だった彼らに許されるわけがない。オフの時に口ずさむくらいはできても、ミスチルの活動に取り込めるような何かじゃなかった

大げさな言い方をすれば幻のような理想郷のような存在、それが1996年の桜井さんにとっての「単純明快なラブソング」だったのかも知れない。


それに対して『LOVEはじめました』はどうか。

僕は愛してる人に愛してるという
ひねりのない歌を歌おう
意味なんかないさ 深くもないし
韻だって踏んでない

6年前と比べると、なんというか、相当現実的になってる

別に深くなんかなくたってプロデューサーのOKはもらえるだろうし、まして「韻を踏んでない」だとか、「ヒットの兆しもない」に比べたら完全にどうでもいい

というか実際4ヶ月前には、「愛してる人に愛してるというひねりのない」タイトルの曲 〜『君が好き』〜をリリースし、きっちり売り上げも出してるし。


ここはひょっとして、「最近こんな方向性の曲も試してるよ!」っていう所信表明だったんだろうか。

「商業音楽」対「正直で純粋で素朴な歌」みたいな二項対立からは卒業して、ミスチルに期待される役割みたいなものも受け止めた上でいろいろ試してるよ!みたいな。


そして冒頭でも取り上げた、中田と死刑のくだり。

殺人現場にやじうま達が暇潰しで群がる
中高生達が携帯片手にカメラに向かって
ピースサインを送る
犯人はともかく
まずはお前らが死刑になりゃいいんだ
でもこのあとニュースで
中田のインタビューがあるから
それ見てから考えるとしようか

思えば、それまでのミスチルソングでは、批判対象は外側にあることが多かった。「偽善だらけ」で「欲望が服着て歩」いてる世の中でも、自分たちだけは「将来有望」だとか言ってしまう、そういうところがあった。

満ち足りたマニュアルにそった恋の中
もがいてる将来有望な僕らがいるよ

『Dance Dance Dance』(1994年)

だけどこの『LOVEはじめました』には、がっつりブーメランが仕込んである。「命を軽々しく扱いやがって」と怒る「僕」張本人が、軽々しく「死刑」なんて口にする、そんなツッコミどころが用意してある。


かつては現代社会に水平チョップを浴びせる側に立っていたのが、「この世に生まれた気分はどんなだい?」と問いかける側に立っていたのが、自分もなんだかんだ同類だと認められるようになった。そしてみんなと一緒に「押し合いへし合い」この街を歩いてく一員として自分を描くようになった。

そのせいか、同じように社会批判ソングを歌っていても、地に足がついたように感じる。どうせ逆らえぬ人を殴りたがるような、苦痛を洗い流すために未来にワープしたがるような、現実逃避感がなくなったというか。

「擦れずに心を磨いて」いける自信こそなくても、逃げずにこの世の中の一員としてやっていく、そんな覚悟を感じさせる。


***

『LOVEはじめました』。

決してシンプルな曲じゃない。

よくとっていいのか悪い意味なのかよく分からず、ヘラヘラ笑ってしまいたくなる箇所のオンパレードだし、当時の桜井さんの心境の変化を読み解くには『Any 』とか『優しい歌』の方がよっぽどストレートでわかりやすい。

だけどきっと、大人になる、成熟するってそういうもんなんだろうと思う。変化は一夜にして起こるものではないし、その途中にはたぶん混沌としたわかりづらいフェーズを通過する必要がある。羽化真っ最中の幼虫みたいに。

ミスチルが強いのはきっと、「羽化途中の姿」まで含めて全部さらけ出してきたからなんだろう。青年が脱皮を繰り返して大人になり、歳をとり、老いや終わりを意識し始めるところまで全部みせますっていう。

だから。

ミスチル人気を大きくしたのは『Tomorrow Never Knows』とか『終わりなき旅』とか『sign』みたいな楽曲かも知れないけれど。

その息の長さ、裾野の広さ、支持の強度を作り出してきたのは、わかりづらかったり、一筋縄でいかなかったり、矛盾する感情が含まれてたりする、『LOVEはじめました』みたいな楽曲たちだったんじゃないかと思うのだ。


ミスチルに関する他の記事


音楽に関する他の記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?