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ライター仕事と切り身のたい焼き

先生あのね。
切り身のたい焼きを食べました。
という、ただの日記です。

今日は、たい焼きを買いに行く以外、ずーーっと自宅で原稿を書いていた。

ここ2日で3件取材をしたし、先月、福島県で取材をした案件も継続中で、文字に埋もれている。

こういうとき、いつもは呼吸をするように投稿しているFBすら、文字を打とうとすると手が重い。脳が硬直している感じ。


書きかけて、どうも気分が乗らなくて、ふと思い立って珍しくnoteに移ってきた。

Facebookもnoteも所詮はSNSだし、アカウントの主は私だ。
どこに何を書こうが自由だし、気分で決めて何が悪い。noteに切り身のたい焼きを載せることも自由だ!と。

ちなみに、文章を書きすぎて脳が硬くなるのは、スポーツをして筋肉が痛くなるのと同じだと思う。

そういうとき、私はストレッチのために新聞の活字を眺めながら(読まない)、ぼーっとする。

しかし今日はそれだけでは脳をほぐし切れず、気分転換にたい焼きを買いに行った。
小倉餡と芋餡を1個ずつ買って、息子(15)と半分個するんだ。

几帳面な息子が得意げに「公平に切ったよ」と言う。

「ただ縦半分に切れば良くない?」と言うと、「頭も盛り上がってる場所があるし、シッポも上下でシュッとなる角度が違うんだよね」と言う。

息子は私に似て、どこまでが本気で、どこまでがふざけているのかわからないことがある。

切り身を指差し確認して、公平性をチェックする私自身も、自分がどこまで本気なのかわからないので、仕方がない。

遺伝かもしれないし、環境かもしれない。
とにかく、たい焼きは公平に分けたいし、どうせなら視覚的にシュールな方がいいよねと思う親子なのだ。

そんなわけで、たい焼きの切り身をかじりながら、新聞を眺めた昼下がり。

そしてまた夜の部が始まり、原稿に向かう。

休憩にコーヒーを飲みながら、「そういえばFacebookの存在を忘れていたわ」と切り身のたい焼きでも投稿しようかと思ったら、案の定、また脳が筋肉疲労で指まで動かない。


だって、切り身のたい焼きを投稿する社会的意義とか書き手のメリットとか、それを読まされる友達知人のベネフィットもわからない。

で、Facebookを諦めて、試しにnoteに移ってきたら、脳は働かないのに勝手に手が動くから不思議。理由なんてない。自由だ。

この私の脳だから、きっと気分屋で気まぐれで自分勝手でわがままなんだろう。

こうして、文章まで魚のようにぐるぐる回る。

しかも「切り身のたい焼き」と「たい焼きの切り身」どちらを使えば本当に伝えたいことが伝えられるだろうと、そんなことまで気になってくる。

そろそろ原稿に戻ります。
ライターなまず美紀でした。

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