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僕と死にたい死にたいおばさん

【頼む、死ぬんだったら、その前に来て】
「死にたい」と思っていて、この「死ぬな」の冊子を眺めているとしたら、たぶんあなたは大丈夫。最悪、どうしても死にたくなったらNAMARAに来て。でも、それが夜でNAMARAが閉まっていたら、とにかく事務所が開くまで待ってて。頼むから、死ぬんだったら、その前に来て。どうやって死んだらいいか一緒に考えるから。僕は頑張れとか努力とか反省とか希望とか大嫌い。夢を持てとか絆が大切とか願いは叶うとかも大嫌い。でも、世の中にはこんな言葉が氾濫している。言葉が悪いんじゃなくて、なんとなく薄っぺらな感じで使っている感じが嫌いなの。ふざけるな―と叫びたくなることもある。もし、世の中のウソに嫌気を差しているなら、僕らは仲間かもしれない。連絡を待っている。
小冊子死ぬな!コラムより)

このコラムは今から4年前に書いたものです。
結果10人くらい電話がありました。
現在でも4人の方と連絡を取っています。

今でも定期的に電話している糸魚川(いといがわ)の「死にたい死にたいおばさん」は、毎日何回も掛けてきました。
どうやらうつ病で苦しいらしい。
「家族は?」と尋ねた所、数年前に息子が交通事故で死んで、その三か月後に夫は癌で亡くなったそうだ。

「それは大変だったね」と声を掛けると、そんなことはどうでもいい、いまの鬱が苦しいと即答。

聞いた所によると、死にたい死にたいおばさんはいつも寝てばかりの生活で、ヘルパーさんが週に二回来て、ご飯を作ってくれて、他の日の分もレンジで温めればいいように用意し、お風呂にも入れてくれるそうだ。
もうそれ以外はずっと何もやる気が起こらず寝ているらしい。

死にたい死にたいを繰り返し言ってくるこのおばさんは、何もやる気が起こらないと言っている割には、電話だけはかなりのやる気を出して掛けてくる。
命の電話にもガンガン掛けているようだ。
他に四人ほど電話がつながる人がいるらしいが、誰だってずっと話してはいられないので、繋がらないときは僕に掛けてくるらしい。
「だってさびしいんだもん。」
これも死にたい死にたいおばさんの口癖。

ある日、猛烈にさびしいと訴えてきた。もうこのさびしさに耐えられないと。
そこで僕は再婚したらと提案した。
無理無理無理無理無理無理―と珍しく大きな声で連呼してきたけど僕は、だってさびしさが紛れるじゃないと、さらに結婚をすすめてみた。

「でも、わたし何も出来ないし、寝ているだけよ。誰が結婚してくれるのよ。」とおばさんは言うので、
「寝たきり老人とかどう?いつも一緒に添い寝してくれるし、相手も何もしないから罪悪感もないでしょ。」と僕はすぐさま切り返す。

彼女はいつの間にか笑っていた。
電話だけはかなりやる気のおばさんなので、
「ハローページのあ行から片っ端に電話して、寝たきり老人が出るまで掛けたらいいよ。たまたま、はい、寝たきりですって出たら、結婚しましようとプロポーズしてさ、しばらくは寝たきりオンラインデートでもしてさ、」
と話していた時、僕の言葉を遮る様に
「ダメ。今、わたし顔を見せられない」と言いながら笑っていた。

もちろん、こんなやり取りができるまでには、何回も電話で話しているわけで、いつまで続くのだろうと思っていたら、昨年、体調が良くなったと知らせが届いた。
これで電話のやり取りはなくなるのだろうと思っていたが、今でも電話は掛かっている。
「いま、どこだと思う?海にいるのよ」
「今日は喫茶店にいます」
外に出れた報告をしてくるのだ。

最近はとうとう僕に宗教をすすめてきた。
僕はほとんどの宗教に入っているので、あっそれ、もう入っているよと伝えたら、あの死にたい死にたいおばさんが、いまでは「生きるって素晴らしいおばさん」に変身して、明るい声で、「やっぱり頼りになるのは江口さんと神様よね」と、神と同列に語られるのには恐縮したけど、まだしばらく電話は続きそうだ。



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基本的にこのnoteでは新潟お笑い集団NAMARAの活動を通して、感じたことや、これからの取り組みなどを紹介していきます。

YouTubeでは、ナマラ江口としてのリアルな活動をお届けしておりますので、こちらも覗いていってみて下さい。


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