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引きこもりは「救うべき存在」なのか?

「引きこもりに支援を」

という言論をたびたび耳にする。

その背景にあるのは「人は社会に出て働くべきである」という固定観念であり、これは逆の言い方をすれば「社会に出て働かない人間は健全ではない」ということだ。

しかし、私は引きこもりに支援は必要ないと考えているし、むしろ彼らを「救おうとする」ことこそ社会にとって「悪」だと思っている。


働かないことは「悪」なのか?

そもそも、社会に出て働かないことは「悪」なのだろうか?

例えば、アラブの石油王たちはほぼ全員サラリーマン経験がないかと思うが、それを「悪」や「不健全」と感じる人はほとんどいないはずだ。「働かなくても生活できるんだし、むしろ羨ましい」と思うくらいだろう。

そんな石油王たちと同じで、引きこもりのほとんどは働かなくても生活できる環境にいるだけだ。雨風しのげる実家に住み、親の収入や資産で暮らすことができ、あるいは生活保護で低コストに生活ができているのだから、「悪」でも「不健全」でもなく「働く必要がないから働いていないだけ」なのだ。

彼らは「救うべきもの」どころか、むしろあくせく働かないと生きていけない一般庶民とは違い、有閑階級ともいうべき存在なのだ。

「働きたい人たち」が増えることの弊害

考えてみてほしいのだが、もしも社会のお望み通り引きこもりを「救う」ことができ、彼らが働くようになったら、一体何が起きるだろうか?

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