「働かない」という社会貢献
「社会貢献」というと、会社員なりボランティアなり、何らかの形で「働くこと」と考える人が多いだろう。
しかし、僕は「働かない」というのも一種の社会貢献であると考えている。
「働かなくても暮らせる」は特権階級
そもそも「働かない」という選択ができるのは、「働かなくても暮らしていけるお金がある人」だけだ。ここでいう「働かなくても暮らしていけるお金」は人それぞれで、実家暮らしで親の収入で暮らすとか、親が残した遺産や自分で働いて築いた資産だとか、あるいは生活保護や年金といった社会保障でもいい。
では、なぜ彼らのような「働かない人間」が社会に貢献していると言えるのか?
もしも彼らが無理に働こうとすると、生活に必要なお金はすでにあるから給料にそれほどこだわる必要がなく、多少低賃金だったとしても働いてしまうだろう。
すると、「働かないと(満足できる水準で)暮らせない人」も同じ条件かそれ以下の条件で仕事を探さざるを得なくなるのだ。それどころか、働く必要がない人が働くせいで「働かないと暮らせない人」の雇用が奪われることすらあるだろう。
つまり、働く必要がない人が無理に働こうとすると、賃金を押し下げる圧力になったり、失業者を増やしたりしてしまうということだ。
働けるのに生活保護を受給している人はただのお荷物じゃないか?」と考える人もいるだろう。しかし、よく考えてみてほしい。単身世帯への保護費なんて、全国で一番支給額が多い東京都でさえ13万円程度(食費家賃水道光熱費込み)だ。果たしてどれだけの人がこの金額での生活に満足できるだろう?この金額で暮らせること自体、ある種の才能ともいえるのではないだろうか?
もしもこの金額で満足できる人が一人もおらず、すべての人がよりお金を使える生活を望んで働きたがれば、雇用の奪い合いが激化し、賃金も低下していくだろう。生活保護での暮らしに満足してくれる人は、実は働く人の雇用と賃金の高さを守っているとも言えるのだ。
下駄を履いた安売りは貧困を増やす
逆に、年金で暮らしながら「子供食堂」的な飲食店を経営している高齢者なんかは最悪だ。
「年金で生活が守られているから利益を出す必要がない」という人が飲食店を経営すると、自分自身や家族の生活費を稼ぐために飲食店を経営している人が価格競争で圧倒的に不利になり、生活が圧迫されたり失業したりするリスクが高くなる。
年金暮らしで子供食堂を経営するというのは、一見すると貧困家庭の子供を助けているように思われるが、むしろ貧困家庭を増やすという本末転倒なことをしているのだ。
年金暮らしでお金と時間が有り余っているなら、地域でボランティアをしながらあしなが育英会にでも寄付していればいい。
このように考えると、「働かなくても暮らせる人」は、実は「働かない」という行動によって「働かないと暮らせない人」の生活を守っていると言えるのだ。
「私は働かないと暮らせないのに、あいつは働かずに暮らせるのがムカつく!」というつまらない嫉妬で彼らを無理に働かせると、結局苦しむことになるのは「働かないと暮らせない人」たちなのだ。
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