僕はつっこみ側の人間なので(ぼけたいという欲望をもっているものの)

意志に逆らうことをテーマにあと少しの2023年を生きていきたい。
具体的には、ロギングをしていくことと、10分の行動の積み重ねということである。
一つの物事に集中しすぎてしまう(そしてそれにバーンアウトする傾向がある)自分としては、いろいろな世界を並行していくことが、結果的にそれらを深めることにもつながっていると感じている。
さらにそうすることで、気分転換にもなる。
自分は活動するエネルギーが少ないタイプの人間で、消極的である。その割にぱっと話すことは好きでずるずるいってしまう。
そういうことを自覚しているだけではそのままである。
去年の軸は対話だったけれど、最近はそれが一歩成長?して訂正可能性になっている。
これももう少し考えたいなと思いつつ、いろいろな分野に応用ができると感じている。例えば対話も、対話可能かどうかということは、その時点ではわからず、対話が難しいと感じてもあとから訂正することは可能で(認知行動療法的?かどうかはまだわからない)、例えば将棋の感想戦などに取り組むということも(まだ負けたときとか自分がふがいないときに感情的になってしまうので結構難しいのだけれど)これはまさに訂正可能性だと思う。
またこうやってnoteを書く事も訂正可能性の一つである。というより、気軽に失敗するために書いている、とまで言えてしまう。

本当の目的とサブの目的について少し前から考えている。
例えばnoteを更新することの本当の目的は自分が文章を書き続けることであって、サブの目的は失敗するため、ということである。失敗する自分自身と格闘していると、いつのまにか、本来の主目的である何かを書き続けるという行為が実践される。これは触媒とでもいえるのだろうか。触媒なしで主目的だけ追い求めようとするとなかなかぱっと動けない(少なくとも自分は)
そう考えてみると、10分で行為をしてみる、ということは、主目的だろうがサブの目的だろうが行為することができて、そこで何かしらの発見ができる(発見は何かしらの行動をしなければできない、ということを最近発見した。その結果がうまくいくとかうまくいかないとかはあまり関係ない。ここでは、主目的がうまくいくことであっても、サブ目的の発見に集中することで、結果的に主目的が達成されてしまうということである。)
今回のノートは5分で書いたが、()を多発すると文脈なんて無視して(本当に無視することは不可能なのだろうけれど)分量を書くことができることがわかった。読むことを考えずに書くという方法(方法と言えるのだろうか?)である。

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