なまねぐ

エッセイを書いています。ついに詩も書き始めました。読んで、何か考えてくれたら、嬉しいで…

なまねぐ

エッセイを書いています。ついに詩も書き始めました。読んで、何か考えてくれたら、嬉しいです。

最近の記事

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毎日書くことができないのは、毎日書いていないから。

このnoteとは別にworkflowyで毎日5分日記を書いている。 日記といっても、いつどこで誰と何した、ということだけを書いているわけではなく、いわゆるフリーライティングを実践している。 不思議なもので、日記を書こう書こうと思っても、なかなか筆が進まないのに、フリーライティングを行ってみると全く関係ないことでもふと思い出して書きたくなってくる。 5月の6日まで継続して書いていたけれど、ちょっとさぼり気味だった。 なぜさぼっていたのだろうか。あまり覚えていない。 noteさえ

    • 連休が終わって。

      この連休はなかなか濃厚な日々を過ごしていた気がする。 一人でぼーっとする時間というものがなかった。 このあと寝るまでの時間は、ぼーっとしておこう。 今日はちょっと食べ過ぎた。 何も考えずにお金を使っている。 ただ、僕だけで使ったわけでは無い。 幸福ということは、こういうことだろう、と思う。 生活に派手さはないけれど、充実している。 何をどうやればいいのか、ということはもちろん完璧では無いにせよ少しずつ自分の中で腑に落ちている。 時間について考えてしばらく経っている。 最近

      • ポメラを買ってよかった。

        次に何をするというのがわかっているということは、馬鹿にできないほどの効果を生む。 タスクシュートクラウド2を導入してそれがわかってきた。 ルーティンタスクやその日にやろうと思ったプランを実践する力がついてきたように感じる。 ただ、プロジェクトの概念が自分の中では無かった。 プロジェクトというのはタスクがたくさん集まってできたキメラみたいなものである。 一日一日に集中するタスクシュートではやっつけることが難しいのでは?と思っていた。 4月ごろにざっと読んでいた先送りゼロを読

        • そぼろぼろぼろ。

          太刀魚の骨は硬い。 ぱっと見たとき、そんなに太くないし、何より短い。 その骨がかみ砕こうとしても、おいそれと砕けない、しっかりとした骨だった。 身はほろほろで、箸で掬うとすぐに崩れた。 骨の間に、ちいさい身がくっついて離れない。 めんどうになって、骨ごと口に含んでみた。しかし、その自己主張の強い骨に気圧され、身と共に口から吐き出した。 骨になってまで抵抗しようという意志はもちろん太刀魚には無いだろう。 だけれども、僕を拒むその骨の強さに、生きている実感を感じた。 魚料理は昔

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        毎日書くことができないのは、毎日書いていないから。

          人生に、革命を。

          仕事について考えている。 仕事術のようなこと、効率を上げていくこと。 先輩などを見ているとそれには限界があるような気がしている。 物理的な時間は1日24時間で、丁寧に丁寧に仕事をしようとすればするほど、時間は溶けていく。 僕はまだそこまで仕事量が多いわけでは無いけれど、それでも一日の拘束時間は長い。 休日も作業というよりは、準備のような物をしなければならない。 しなければ次の週の自分が苦しむことは目に見えている。 とするとなかなか今の段階でも仕事量が多いのではないだろうか

          人生に、革命を。

          ノスタルジーを感じるのは、その時の感覚を忘れてしまったから。

          今Eテレでよくわからないドキュメンタリーがやっている。 おもしろい。 カメラワークも、やりとりもカオスだけれど。 字幕がないから、いいなと思う。 引きこもりの人の話もでてきてる。 ただ、実際生活というのはカオスなものなんじゃないだろうか。 僕はきちきちっとできているわけではない。 仕事の時はある程度は仕方ないなぁと思いつつ、だらしない自分が嫌だなぁと感じている。 ということは、僕はきちきち族なのだろう。 ただ、きちきち族の中でも仕事が中途半端なんだろうなぁと思っている。

          ノスタルジーを感じるのは、その時の感覚を忘れてしまったから。

          へいてん

          へいへい

          更新しないよりはする方がいい。

          適切な難易度というものがある。 ゲームをやっていると、ついつい簡単にしてしまう。 難易度が高いとクリアできないからである。 いや、クリアできないと思う閾値が低くなってしまうのである。 難易度調整できるゲームが最近多いなと感じている。 倒れまくったら相手のHPを減らしてくれたりするものもある。 そういう救済措置がないとクリアできないときや、時間がもったいないときもあるから、そういうのは使うことがいいんだろうなぁ、と思う。 でもなんだか、そういう調整自体が嫌だなと思ってしまう

          更新しないよりはする方がいい。

          クソゲーをつかまされた日にゃ。

          熱を持って何かを行うことを欲している。 ただ僕は、熱しやすく冷めやすい。 この寒暖差で、僕の精神はぼろぼろになっていた、というように思う。 粘り強さとか、地味さとか、そういうもののほうがかえって人生を支えてくれる。 今僕がのうのうと働いている一番の原因はそれである。 好きでも無いことを、一番地味に取り組んでいた。毎日毎日飽きることもない。 飽きるということは、ある程度やったな、と思うところから始まるのかもしれない。 やればやるほど、嫌になったりわからないと思うことが増える

          クソゲーをつかまされた日にゃ。

          秋を前に。

          何も無い真っ白い画面にただひたすら文字を打ち続ける。 いつの間にか始まった自分の趣味のようなもの。 形式は概ね変わっていない。文字だけで行っている。それ以上でも以下でもない。 動画はおろか、画像すら提示していない。 何かマニアックなことを書いているわけでも無い。 少し環境が変わっているが、成果物にはあまり影響はない。 ポケモンカードをやろうやろう、と思っているけれど、なんだか嫌になってきている自分がいる。 負けたくないものの、ガチになりたくない、というところである。 新しい

          秋を前に。

          その気になるかな。

          自分が何をして楽しいと思えるのだろうか。 嫌なのが、大体何でやってみたわ楽しい、ということである。 僕じゃ無いとだめだ、ということはほとんどない。 替えが効いてしまうのである。 今ここに集中するという話があるが、おそらくそういう不安に対する防波堤のために設定されているのだろう。 自分をそこまで絶対視する必要もないんじゃないか、と最近は考えている。 まぁある程度、ぼちぼち、それなりに、やっていけたらそれでいい。 そこには確固たる決意みたいなものは必要ではない。 ただ、それ

          その気になるかな。

          noteを書くことがこんなに楽しいだなんて。

          まぁいいかな、と思えることを積み重ねる。 聞いていたポッドキャストから、いい表現が聞こえてきた。 後悔を無くすとそれはそれで不自然だから、ある程度の後悔があった方がむしろ、いい。ということである。 確かにそうだな、と思う。 今の僕があるのは、うまくいったことのおかげでもあるけれど、あのときの手痛い失敗、辛い思いの上に立っている。 もちろんできればそういう経験はない方がいいし、気分良く生きるためには邪魔な者だと思う。 けれど、痛みのようなものを知らないと、想像力というものが働

          noteを書くことがこんなに楽しいだなんて。

          恋に恋してはいけない。

          気分の良さというものを最優先していきたい。 難しいのが、目先の気分の良さを優先しすぎると、あっというまに破綻するのである。 例えば今僕はゲームがしたい。 ただ、明日提出しなければならない書類を作成する必要がある。 下書きのレベルしかまだできていないので、ある程度作業時間が確保しなければならない。 もちろんその提出しなければならないものを突っぱねてもよいのだけれど、そうすると、仕事で困る、というか自分の気分が悪くなる、と考える。 捉え方を変えてみると案外この考え方は悪いもの

          恋に恋してはいけない。

          人生の処方箋

          僕は頭がいい。 どういう風に頭がいいのかというと、人の話を聞いているとその要点がすぐ理解できる。 相手が何をいいたいのか、ということがすっとわかる。 話を聞いているアピールをするときに、一番よい方法は相手の話を要約して相手に伝えることだ。それはとてもたやすい。 ただ、人の話の要点がすぐにわかる、ということは、必ずしもよいことばかりでは無い。 むしろ、デメリットもある、と最近になって思う。 実際に相手の話を聞いて、その結論めいたこと、相手のいいたいことが全部聞かなくてもわ

          人生の処方箋

          毎日、触る。

          夏の振り返り。 この夏はどういう夏だっただろう。 ぱっと思い出せない。 比較的健康で過ごしていたかな。 計画していた旅行は一つは途中でキャンセルするということになったけれど、それはまぁしょうがない。 読書に関しては、うーん、なんかうまくできていない気がする。 読み返すことが多かったような夏だった。 そして特に読破もしていないし、感動もそこまでしていない。 ただ暑かったなと思う。 夏の終わりから走るようになったし、ちょっと考えるようになった。 考えることを休憩していた

          毎日、触る。

          限界を迎えられるのだろうか?

          問題があることが問題ではない。 そのことは十分わかっているつもりだった。知っているつもりだった。 ただ、失敗したくない、と本能のレベルで思ってしまっている。 これは今の僕の致命的な弱点である。 これがわかったので、じゃあどうしよっか、というところである。 自分のコントロールですべてできるわけではない、という諦めを持っていればいいんじゃないだろうか。と、ふと考えた。 自分で何でもできる、と考えると、誰かに頼ることも難しいというか情けなかったリ恥ずかしかったりするのでやり

          限界を迎えられるのだろうか?