毎日書くことができないのは、毎日書いていないから。
このnoteとは別にworkflowyで毎日5分日記を書いている。
日記といっても、いつどこで誰と何した、ということだけを書いているわけではなく、いわゆるフリーライティングを実践している。
不思議なもので、日記を書こう書こうと思っても、なかなか筆が進まないのに、フリーライティングを行ってみると全く関係ないことでもふと思い出して書きたくなってくる。
5月の6日まで継続して書いていたけれど、ちょっとさぼり気味だった。
なぜさぼっていたのだろうか。あまり覚えていない。
noteさえ書けばいいかなぁと思っていたからかもしれない。実際これも書き直しなんてしないでフリーでライティングをしている。
しかし、本当に誰も読まない(正確には僕だけが読む)フリーライティングとnoteでは、文章の反響が違う。反響というのはコメントやいいね、という意味ではなくて、自分の中での反響である。
書いているときに、自分の中で読み返すというような営みがnoteなどの人の目に触れるということが分かっている文章では必然的に生まれる。書くスピード自体はそこまで変わらないのだけれど、内容がある程度まとまってしまう。いっそちぎろうと思わなければ同じことをぐるぐる回ってしまったりする。
つまり、フリーライティングっぽくできない。
しかし、誰も見ないworkflowyであれば、がしがし書くことができる。
僕の悪癖の一つに、ついつい長文を書いてしまうということがある。
そのためにもフリーライティングはいい。ざくざく書いて、ちぎってぽいという感じである。
一つのことを言うために一文を書いている。当たり前のことのように思われるかもしれない。でも、文章をだらだら書いてしまう。
しゃきしゃきした、みずみずしいエッセーを書いていきたい。
何のために書くかということも、もうわかってきた。毎日書くという行為をするためである。それを継続しようとかそういうよこしまなことはまったく考えていない。
ただ読書に関しては積み重ねていきたいという欲求があるので、これはこれで読書ノートやログをとっていく。
タスクシュートというのは本当にいい。ログが増えていく。
仕事がはかどるとか、いい仕事ができるとか、そんなことはどうでもいい、と思えている時点で僕にはタスクシュートがあっている。毎日する、というこの概念にもピッタリあてはまっている。
みんなも毎日日記を書く、ということをしてみよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?