どんなに転生もののアニメにはまったとしても、本当に自分の通ってきた道を引き返す発想は生まれ辛い。

時には時間を計らずに書いてみる。
学問に王道はなし、というけれど、それはやり方がいろいろあるよね、というニュアンスで受け取っている。
僕しては、やり方がどうあれ、時間をかけて、あとは多少のお金をかけてなんやかんやとやっていかないと、学問なるものはできないんだろうな、と実体験から考えている。

中学生の後半だけ少し塾に押し込められて、カードゲームをやったりトイレのドアを壊してしまったりしていた。
毎回英語の単語テストを実施されるのが嫌だった。小さい単語帳のようなもので、できなかったらホワイトボードの片隅に名前を書かれて居残りを言い渡される。
宿題をやらなくても名前が書かれる。

自慢じゃないけれど、僕は勉強の方法がわからなかった。
勉強の方法というか、なんだろう、概念のようなものがわからなかった。
授業でこうしなさい、と言われたこともろくにできていなかった。

例えば社会の授業はプリント学習で、毎回穴埋めだった。
ただ、僕が苦手というかほとんど不可能だったのが、そのプリントをノートに張り付けるという作業であった。
社会の勉強で挫折したのではなくて、ノート・プリント管理ができなかったのである。そして当然のようにそれが問題だと僕自身が認識することはなかった。

配られるプリントをそのままノリで張り付ければいいだけなら、まだ簡単だったかもしれない。
ただ、そのプリントの外枠がノートより少し大きくて、それをハサミで切って、そのあとにノリでノートに張り付ける。この工程が僕には管理不可能だった。もちろん管理という概念もなかったのである。

テストのたびにまとめてノートを提出しろ、と言われる。先生は当然のように授業で話した内容や板書がそこに書かれていることを期待していただろう。僕は当然のように、ノートを提出することができなかった。

今でも物の管理などはとても苦手である。
ただ、勉強し直してみて、やり方というか、理解力のようなものは僕にもある程度備わっていることがわかった。一応国立大学に入学できるほどには。
そう考えてみると、学力や勉強というものを考え直さなければならない。

大学の時は家庭教師のバイトを良くしていた。中学生や高校生にどの教科も教えていた。
だいたい、みんな口をそろえて、英語がわからないとか、数学がわからないとか言っていた。
勉強するときに、一番大事なことは、自分が何をわかっていないか、何に躓いているかということを理解することだろう。
僕は決まって、アルファベットが読めないのかい、書けないのかいと聞いた。彼ら彼女らはアルファベットはできる、と当然のように返してきた。もちろん、その中には小文字のbとdが怪しかったり、単語レベルになると書き間違うことが多い子もいた。
そのレベルからやり直すという構えが、勉強に必要なのだろう。何も焦ることはないし、王道もない。道を引き返したらよいことも多い。来た道だから安心もできる。

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