けなすことはいくら的を得た言葉でも相手にはなかなか伝わらない。ほめることばはどんなに適当でも伝わってしまう。

今ナッツを食べている。
健康にいいと思っている。
実際はわからない。
ミックスナッツである。塩気もない。おいしい。

高校の時はキャラメルとかマシュマロとか食べていた。
食べ過ぎていた。通っていた高校の近くのローソンでいつも菓子パンを買っていた。飲み物も基本的に甘い物、カルピスとか小岩井のぶどうジュースとか。
案の定というかぶくぶく太って体重が90キロ近かった。ちょうど部活をやめて何もしていなかったときだろうか。
高校の時の学生証は証明写真を張り付けるシステムで、激太りしていた僕はその写真を貼っていた。
何かのタイミングで同級生にその写真を見られてとても恥ずかしかったことを覚えている。
覚えているが、今思うとその恥ずかしがっているさまも太っているので、太っていることが恥ずかしいならそれを恥じらっていないで食生活を改善したりするべきなんだろうな、と思う。
客観視のようなものが希薄だった。ただただ自意識というか、そういうものが過剰で、傷つきたくない、失敗したくない、というようなディフェンシブな構えを携えて生きていた。
でも思うに、ディフェンシブであることは、守るべき程よい自分というものが確固たる存在として(少なくとも自意識の中では)存在していなければ成立しないんじゃないかと。
当時の僕はどうすればよかったのだろうか。
何か身体的に挑戦して失敗するという経験が必要だった気がする。ああ、部活をやめてしまったことがとても痛手だったんだろうなぁ。

インターネットに入り浸る生活が案の定加速度的に進んでいって、とはいえ何物でもない自分自身みたいなものがどんどん膨れ上がって(インターネットはそういう温床であった、今では少し違うと思う。)もうどうしようもないな、と薄っすら思っていた。
思っていたけれど、身分的にどうしようもなくなった時、つまりニートになってしまったとき、逆に身体的に回復した、というのはなかなか面白い。人間やはり落ちるとことまで落ちたらあとは積み上げるだけなのだ。

あの時から12年ほどたっている。たっているが、その時の感覚は今とかわらない。その時は知らなかったけれど、So what?という感じで生きている。
使いすぎには気を付けたいSo what?という刃物をもって生きている。傷つけるにもリンゴの皮をむくにも僕たちは刃物無しではままならない。

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