書き方を変えてみた。読み手のことはほとんど考えていない。

まとまって書かない。
隙間時間に、思い立ったことを書いていく。中断しまくる。再開しまくる。

WorkFlowyをイマイチ使えていない感覚と、隙間時間に考えた内容をとりあえずメモするのだけれど、手帳やノートを複数もっていて、どこに何を書いたのか忘れてしまって結局あまり有効に使えていないなと思うので、思いついたことなどは、全部WorkFlowyに一元化しようと思う。

文章を書くときの世界、メタ世界との関わり。どんな状況でも、文章を書くという最中はメタな世界の中にいる気がする。現実世界の中断は分断ではなく、むしろ現実のいろいろな面を見ることができる。

今までは、Twitterがその役割を担っていた。アウトプットの場所として悪くはないけれど、必然的に他の人のものを読みすぎてしまう。ついつい気になって検索なんかしてしまって、トレンドのようなものを追いかけようとしてしまう。これは根性で抑えることが難しい。スマホからツイッターのアイコンを消した。

noteの文章はもうここにまとめてアイディアだけ書いておく。
規範意識からの逸脱。こうしなければならない。そこに納得がなければやらなくていい。納得を得るためには、足し算よりも引き算思考かな、と最近思う。

趣味の消費の速さ、おしゃれというのはその流れに対抗することなのかもしれない。あえて、縛りプレイ。非効率、無駄、そういうものが大事なんだろう。味わうというか、時間がないという感じがぬぐい切れなかったけれど、いろいろやめてみると、なんだかちょっと暇だなという空隙がある。

急がないといけなくなってしまうようなことに巻き込まれたくはない。
時間の枠組みから外れる。やらないといけないことから逃げる気持ちはわかる。でも、やらないといけない、苦しい。だから毎日やってみる。
毎日やってみると苦しみを感じることが減ってきた。やっている自分自身がそれを支えてくれるのだろう。

今日は何個かメモした文章を少し膨らまして書いてみた。
どうだろう、なんだか書いた気があんまりしない。ただここまで書くのにコピペも併せて5分しかかかっていない。
おそらく一つの文章を下書きとしてだーっと書くのがいいのだろう。けれど、何がいいのだろうか。こういうスタイルでもかまわないさ。と思う。

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