偶々生まれてしまって、またまた書いて。

何が楽しいかわからなくなってきているので、今日も今日とて書いていく。
気分の浮き沈みのようなものは、人間生きているので、訪れる。
少し前はそれを一定に保つことが、バランスをとることだと考えていたけれど、その調子の波に乗ってみる、というのもまた、一つの態度かな、と思う。
メタすぎる視点を持ってしまうと、現実というか、この身体がどうでもよくなってしまうので、自分の身体性を優先していきたい。
書くことは、メタな自分と身体的な自分のつり合いや、距離感のようなものが図れるいい機会だと思う。

最近は結構毎日やろうと思っていることをこなすことができている。ただ、楽しみにしているようなことが、あまりない。
ポケモンカードは楽しいけれど、実際に誰かと対戦するというところまではいっていない。土日に時間を見つけて大会などに参加することが重要そうだ。
youtubeで動画をみるのは楽しい。ポケカ対戦動画などを見ているとなるほどねぇ、と思える。
ただ、あまり効率や環境を追いすぎるようなことをすると、超メタな自分が出現してくる。そんなことをやって何か意味があるのか、とかもっと他にするべきことがあるんじゃないか(実際にある)とか。
そういう超メタな自分というのも自分なので、邪険に扱うことができるわけでもない。玄関先にピンポンを押されたら、正面切って居間に来られるとなんだか身もふたもない感じがするので、裏側の勝手口からこっそり入ってもらおうかなという算段をしている。

読書メモのようなものをもう少しやり方を変えてみようかなぁと考えている。メタな自分ではなく、本の中の世界に身をゆだねていく。
小説を読むわけではないのでそれが少し難しいのか、いっそ小説を読んでみてもいいのだけれど、なかなか手が伸びない。
漫画や動画、映画など、おもしろいコンテンツがない、と思っているわけではなくむしろ逆に面白いコンテンツが溢れすぎていてやる気にならない、といったところである。それをする理由を求めすぎているのだろう、ということはわかる。
その意味では、僕はまだあまり偶然性に心を許していない気がする。選択可能性、合理性の可能性を妄信してしまっている。
そんなことはないのだ。こうやって僕が毎日noteを書いているのは必然ではなく、偶然だ。書く才能があるとか、書く内容があるとか、そうではない。たまたま、書こうと思って書き続けているだけ。これは忘れてはならない。

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