同世代に向けて書こうと思ったけどあきらめた。

このノートを読んでくれている人はどんな人なのだろうか。
僕はあまりそういうことを考えずにただたれ流していた。
とりあえず同年代の人に向けて、それもちょっと日常につかれているような、そういう人に向けてこれから書いていきたい、と思う。もちろん条件は変えない。1000文字程度で10分間かけるだけ書いて、特に編集もしない。たれ流すようなエッセーである。

僕の同年代の人は、新入社員という感じでもなく、そこまでベテランでもなく、といったところだろう。毎日につかれている。
でも、疲れているだけではない。と僕は思う。何か楽しみとか、日常に潤いのようなものを実は持っている。
そういうのを常に意識することは結構難しい。だいたい失くしてしまったあとに、その大切さに気が付く、というあるあるなことである。
人間当たり前に思ってしまうものである。
僕に置き換えてみると、今の職場は結構恵まれている。仕事がまぁあんまり恵まれているかどうかはわからないけれど、少なくとも上司や同僚はいいひとばかりである(ほんとに)。ただそれでもにっちもさっちもいかないときがある。
そう考えてみると、仕事だけの人間になることは難しい。もちろんそうやって舵を切ってしまうことは今の時代でもできるだろうし、大いに感謝されたり、ある側面で自己充実感を得ることができるだろうけれども、自己の形がいびつになってしまう。

僕の同年代の人に言いたいことは、自分というもののバランスをもっと取っていこうということである。もちろん自分がアンバランスなことは自分が一番知っているだろうけれど。コンプレックスだって慣れただけでなくなったりはしないということもわかって久しいだろうけれど。
その為の提案としてひとつ、あきらめるというのはどうだろうか。
ただ、あきらめるためには、あきらめられるほど挑まなければならないといけないという、あきらめパラドックスがあると思う。何の思い入れもないものをあきらめたところで何にもならない。

その意味では片想いとか失恋とかそういうのはとってもいいあきらめチャンスだったんだろうな、と思う。
あきらめることで、あきらめなかった部分が見えてくる。あきらめたものは戻ってこないけれど、自分の形はまた変わっていくことができる。
あきらめるために挑戦するという新しい概念を得つつ今日はもう活動することをあきらめる。

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