調子は悪いが、気分はいい。それで、いいじゃない。

調子が悪いときこそ、書いてナンボだと思う。
調子がいいときは、何も考えずに書くことができる。
今日は何があったかな。昼ご飯を食べたあたりですごい眠くなって、そういえば朝の通勤の時も運転中すごいねむかった。いつの間にか職場についていた。
コーヒーをもう少し飲んだ方がいいのかもしれない、と思った。
最近仕事は僕の調子とはうらはらに、順調そのものである。あらかじめ仕事を分割して毎日行うということを今年度から実施してみた。ちょっと遅すぎるかもしれないけれど、遅すぎるからといってやらないということは一番避けるべきなので、それはそれでいい。
仕事を切り上げるのもうまくいった。早く帰って、家でぼーっとしていた。
久しぶりに積読、というか昔読んだふりをしていた本をぱらぱらっと読んだ。読書ノートも書いてみた。書くとやっぱり内容が頭に入ってくるわけではなくて、書いたことによって自分が読んだということが証明される気がして気分がいい。気分がいいことを探していこう。このnoteもそういえば気分がいいので僕の場合続いているのだな、と改めて発見した。
ゲームも楽しいのだけれど、気分が悪くなる場合もある。負けたりしたときとか、自分が情けないプレーをすると、ちょっとげんなりする。気分の良さに寄与しない。書くことはどんなに駄文を書いたとしても、書いていない状態に比べて自分をほめることができるので、気分がいい。

気分がいいと何がいいのだろう。特に何もなくても、いいと思える。逆に何かしらのメリットというか、儲かったりしても、後味が悪かったり気分が悪いと何もかも台無しな感じがする。どこまで気分に左右されてしまうのだろうか、と思われるかもしれないけれど、人間いつまでたっても、なんとなく、それとなく生きているものだ、と僕は力強く思う。
気分の良さを左右することを自分の手中に収めておく、ということは、そういう意味ではとても肝要なことだろう。
毎日最近夜に10分たらずほど散歩しているけれど、これも何かしら痩せたり体力をつけるために行っているわけではなく、ただ気分がいいから散歩しているだけである。

目標を見出すということは、もちろん大事なのだろうけれど、目標を達成できるかどうか、ということは気分の高揚に寄与するのだろうか。頑張ることはできるかもしれないが、頑張りたいわけではない。

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