民主的で平等な運営における会議の長さ
皆様こんにちは。なまなま事務局でございます。もう12月となってしまいましたが、11月会議(総会)のご報告です。
①適性に応じた役割分担
前回ご報告したように、今回会議では適性に応じた役割分担を設けるかが話し合われました。
結果としては、いくつかの部署が新たに設けられ、その部署の中で業務を進めていくという形へと移行することとなりました。
②役割分担が生まれた事で時間の使い方が変わる?
ところで、私たちの月に一度の会議は長いことに定評があります。前回は総会だったこともあり5時間超の長丁場となりました。
会議が長くなる理由はいくつかありますが、「全員が全ての情報にアクセスした方がよい」もしくは「アクセスしなければならない」という民主的で平等主義な考えが背景にあるような気がします。
私たちの会議では経営に関わるあらゆることが議題として提出されます。売り上げを伸ばすための戦略からはじまり、現場仕事の反省、あるいは洗い場の使い方、忘年会の日時や料金設定など多種多様です。
難しいことはよくわかりませんが、私たちの運営方法は直接民主主義と呼ばれる形態に近いと思います。
そして皆様ご存じの通り、一般的な企業体、あるいは規模の大きい政治組織などの団体は別の方法を採用しています。岸田首相は自身の「聞く力」をアピールしますが、そんな彼でも外交、財政、社会保障、少子高齢化、選挙対策、コロナなど全ての会議に参加し、全ての情報を事細かに全て聞いているわけではないでしょう。
人間の時間も体力も知識も有限です。一国の首相とあれど、あるいは首相だからこそ、情報は精査されたもの、本当に必要な情報、優先度の高い情報を岸田首相は仕事において聞いているのではないでしょうか。
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国家レベルの話ばかりしても仕方がないので、私たちの話に戻します。
繰り返しとなりますが、私たちは民主的で平等主義な状態を重んじています。しかし、「全員が全ての情報にアクセスした方がよい」もしくは「アクセスしなければならない」という状態が、本当に最善なのかは常に検証が必要だと思います。案外、それが一番楽だから無批判に無検証に、「全員の情報アクセス」の状態を採用しているだけということも「平等」「民主的な運営」を志向する団体の中にはあるかもしれません。
そして、これは今回から私たちが採用した「適性に応じた役割」(=人間の能力には限界と適性がある。また時間と体力も有限である)と通ずる点があります。
もちろん何でもかんでも合理化すれば良いというわけありません。その上で全体で論じなければならないことは何か、共有・議論を全体でしないことはより良いことは何かという視点を持つことは重要だと思います。役割分担がてきたことによって「全体」と「部署内(小チーム)」の議題の棲み分けが今後進むかもしれません。
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