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X-Pro3 / 原点に立ち返って。
写真はもはやタップひとつで撮れる時代。
写真機もオートフォーカスにフルオートでいい写真が撮れるようになって、10年以上が経ちました。
しかし、そんな現代だからこそフィルム時代の「基本のキ」に立ち返って撮影することも必要じゃない?と思うのです。
背面液晶を隠してしまった「FUJIFILM X-Pro3」に、オートフォーカスや絞りオートすら無い完全マニュアルレンズ「Voigtlander NOKTO
あのな、黒って200色あんねん
(トップ画:X-Pro3 + Voigtlander NOKTON 23mm F1.2 SC)
FUJIの樹海に迷い込んでから足掛け4年が経ちました。
当時、X-T100のダブルズームキットはディスコン直後だったのと、コロナ禍も相まってamazonで62000円くらいで投げ売りされてました。今では考えられないですね🧐
安くて軽くてレンズ2本ある〜〜というだけで釣られて買ったのですが、気がつけば
「写真を撮る」ことは、最も人間らしい行為ではなかろうか?
※この記事は酒が回りながら書いていることをお許し頂きたい。
有史以来、写真を撮るという行為は概ね記録のために行われてきた。いつしか記録された写真に心を打たれる人間が現れ、記憶としての写真が生まれるようになった。
今となっては写真を撮るという行為は記録であり、人生の記憶でもある。境界はもはやあいまいになりつつある。
しかし、「人間が意志を持って」「この場面を/この人を撮ろうとして」「シャッターを
フジの樹海からこんにちは
Noteの皆様ははじめまして、𝐓𝐰𝐢𝐭𝐭𝐞𝐫などでお世話になっている皆様はいつもありがとうございます。
生麦と申します。なまむぎです。よく生姜と間違われますが生麦です。
日頃はしがないサラリーマンとして労働に勤しんでいますが、大学生の頃に富士フイルムのカメラを買ったことがきっかけでカメラの世界にどハマりしてしまい、今では立派なFUJIの樹海の住人になってしまいました。
この