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アウトサイド ヒーロー〜文明崩壊した世界でヒーローが頑張る話〜

ライジング:ヒーロー オブ ナカツガワ

ーー木曽路はすべて、山の中である。

 旧文明の文人が書き記してから、幾世紀が過ぎただろうか。

 かつて疫病が広まり、多くの人々が倒れた。病苦から人類を救うと期待された特効薬までも、更に多くの人々を苦しめた。国々は境を閉ざし、閉塞は停滞を、そして不平等と憎悪を生み、ついに世界を戦禍が焼いた。

 戦火は容赦なく、ひとつ、またひとつと国々を呑み込んでいった。やがて火が燃え尽きると、国々はことごとく灰と化し、山河も、人も獣も大きく傷つけられ、歪められた。文明の礎は、焼け跡の中に突き崩された。

ーー今や木曽路はすべて、山の中に眠っている。


 生き残った人々は去り、村々は荒れ果てた。かつては多くの車が行き交った幹線道路も崩れ落ち、森の中にオールド・チュウオー・ラインの遺構が横たわるのみとなっている。

夜明けの薄暗がりの中、二つの影が瓦礫の道を駆け抜けていた。先を行くのは大量の荷物をくくりつけた、傷だらけの大型バイク。小石をはね飛ばし、大きなコンクリート片を乗り越えながら、速度を落とさずに突き進んでいる。

すぐ後ろにつくのは、ワゴン車ほどはあろうかという四つ足の獣だった。姿は熊に似るが、顔や腕など、黒い体表の至るところから赤みがかった琥珀色の棘が突きだしていた。丸太のような前肢と、短いが更に太くたくましい後ろ脚を跳ね上げ、大小の瓦礫をかき分けるようにしてバイクに追いすがっている。両目は爛々と輝き、走りながら二条の光の線を描くよう。黄ばんだ牙を剥き出して、涎をだらだらと流している。獣は空腹に苛まれながら長い冬を越し、ねぐらから這い出てきたばかりだった。

 瓦礫の道は山の等高線をなぞるように、谷沿いに敷かれている。山が険しくなり、傾斜する道を登っていくにつれて、谷底も遠ざかっていく。バイクの男はアクセルを引き絞り、車体にしがみつくようにして走り続けるが、大熊を引き離すことはできなかった。

 道の先が消えたように見えなくなる。峠に差し掛かったのだ。男はバイクを停め、背負っていた小銃を構えた。追い付いてきた獣が後ろ脚で立ち上がると、すぐさま引き金を引く。

 タタタ、と弾丸が続けざまに飛びだし、突き刺さるが熊は動じない。「“モンスター”と仇名される重度変異獣をも屠る」という宣伝文句を頼りに買った弾丸も、実際の化け物には豆鉄砲の役にも立たなかった。 男は口汚く罵りながら、銃を放り捨てた。

 巨獣は銃撃が止んだと見るや、両腕を大きく振り上げて吠えたてた。男は荷物の中からロケットランチャーを取り出すと、素早く安全装置を外して身構える。そして突っ込んできた獣の顔面に撃ち込んだ。

 至近距離でロケット弾が直撃しても尚、大熊の勢いはそがれなかった。しかし弾着の衝撃を受けた上に右目は潰れ、顔中を破片に切り裂かれて、突撃の狙いは僅かに外れていた。男はロケットを撃った衝撃でバイクごと倒れた。獣は男の頭上を突っ切り、道の外に飛び出した。

 巨体は小さくなりながら吸い込まれるように谷底に落ちていく。やがて暗闇の中に見えなくなり、どぷんと水音が響いた。

 男はすぐに起き上がり、バイクを立て直してエンジンをふかした。後ろも振り向かずに峠を駆け降りて、旧街道の奥へと向かっていった。


 瓦礫の道、オールド・チュウオー・ラインは山に沿い、山を越え、時に山に押し潰されながらも、木曽路の奥へと伸びてゆく。しかし防壁に囲まれ、文明の灯を守る町は、ナカツガワ・コロニーから先には残っていなかった。

 大熊をやり過ごした後、男はひたすら東に向かってバイクを走らせ続けた。この町の門にたどり着いた頃には、昇った陽も山際に沈みかけ、空を濃紺と橙色に染め分けていた。

 正門の詰所でバイクを降り、荷物を置くと、男は手ぶらで町の中に入った。広い通りを数分歩くと、町唯一の酒場“白峰酒造”に行き着いた。旧文明期においても“歴史的建築物”と呼ばれていたであろう瓦葺き木造の店構えに、丸に“白”の字が染め抜かれた暖簾がかけられている。

 男は暖簾をくぐって引き戸を開けた。煙草と合成燃料の煙が、肉の脂と酒の匂いが、笑い声や調子外れの歌、それを野次る声が溢れだしてくる。店の中に足を踏み入れると、人々は静まり返って男を見た。

 青い肌に橙色の斑模様が浮かんでいる女給が、三つ目や四つ目の中年男たちが、白い綿毛に覆われた老夫婦が、蜥蜴様の三角頭をした若者が、その外ありとあらゆる姿をした“ミュータント”、突然変異者たちが、じっと男を見ている。“真人間”などは1人もいない。


 ここは異形たちの町。狂暴に変異した自然から文明を守る最前線にして、平穏と正常を取り繕う人々から追いやられ、居場所をなくした者たちが住み着く町、ナカツガワ・コロニー。

 擦りきれたライダースーツを着た男は、酒場の客たちの視線を受けながら、まっすぐ店の中を歩いていった。店の外観とは異なり、カジュアルなバー風にしつらえた酒場の奥にあるカウンターでは、額に二本の角を生やした恰幅のよい壮年男性がグラスを磨いていた。男がカウンターの前で立ち止まると、酒場のマスターもグラスを置いた。

「この店に“真人間”の客が来るとはな。連絡は来てないが、見張りは寝てたのか?」

「『今は忙しいから、直接酒場のマスターに会って話をしてくれ』って言われたよ。荷物は全部預けてボディチェックも受けてきた。財布以外は何も持ってない」

 旅人が両手を上げて見せると、マスターは舌打ちして、「俺に入管までやらせやがって」と愚痴をこぼしながら、タブレット端末を取り出した。

「名前と歳は?」

「レンジ、名字はない。29歳だ」

 マスターはタブレットでレンジの顔写真を撮ってから、質問を続けた。

「この町に来た目的は何だ、観光か? まさか“酒場に泊まりたい”なんて言うんじゃないだろうな」

 “酒場に泊まる”というのはミュータントバーで、“店の女給を一晩買う”ことをさす隠語だった。客からの視線に刺々しいものを感じながら、レンジはマスターを見ていた。

「違う」

「じゃあ、何のためにこんな町に来た」

 今や店内の客たちは皆、レンジとマスターのやりとりを見守っていた。

「イミグレーションだ。この町に移住するために来た」

 客たちは大きくざわめき、さざ波のようにひそひそと話し合っている。

「真人間が! この町にお引っ越しとはな! 何十年ぶりだ一体?」

 マスターはそう言って大げさに笑ったが、レンジは笑わなかった。

「わかった。これまで重度ミュータントや、ジャンキーに前科者も受け入れてきたんだ。今さら“真人間”だからって追い出すのは筋が通らんな」

 マスターはレンジに、カウンター席に掛けるように促した。

「ありがとう」

 透き通った水が入ったグラスをレンジの前に置くと、マスターは「さて」と言って話を始めた。

「この町に住みたいならば、守ってもらうべきことがいくつかある。まずは……」

 そう言いかけた時、カウンターの上の通信機がけたたましい音をたてた。マスターが機械のスイッチを入れると呼び出し音は止み、代わりにザリザリとした小さなノイズが流れ始めた。やがて砂嵐の向こうから、若い男性の声が聞こえてきた。

「タチバナさん、こちら正門だ」

「ゲンか、この野郎仕事放っぽり出しやがって」

 タチバナは怒鳴るが、ゲンと呼ばれた男は話し続けた。

「すまないタチバナさん、緊急事態だ。オニクマが町に向かってる。よく見るのよりも2回りくらいでかくて、傷だらけで片目が潰れてる。相当気が立ってて、見るからにヤバい」

すぐにタチバナも声の調子を切り替える。

「わかった。警備部と猟友会を向かわせろ。とにかく町から引き離すんだ」

 通信機越しに指示を飛ばした後、タチバナは客たちに呼び掛けた。

「話は聞いてもらった通りだ。大物が出た。野郎共は正門の守りを固めて欲しい。女子どもと老人衆はシェルターに入れ。アオはアナウンス頼む。レンジはそこで待ってろ」

 青肌の女店員がカウンター横に備え付けられたマイクを使って避難誘導のアナウンスを始めると、客たちは慣れた様子で列をつくり、素早く酒場から去っていった。

 後にはタチバナとレンジ、アオと呼ばれた店員が残された。アナウンスを終えたアオが、食器や酒瓶が残された店内を片付け始める。

「レンジ、話の続きだ。この町に住みたいならば、町を守らなきゃならん。動ける奴は得物を持って前に出る。モンスターともやり合うんだ。わかったらさっさと武器を持って、正門に行くんだな」

 レンジはぐいとグラスを空けて立ち上がった。

「わかった。けどここに来る途中で銃を落としてしまって、他に武器も持ってないんだ。何か使えるものを売ってくれないか」

「銃や弾は売れんぞ。真人間の業者は出入りしないし、使う奴は自力で用意するからな。だがまあ、真人間にしか使えん物はあるか……」

 そう言ってタチバナは、カウンターの下から掌ほどの大きさをした鈍く輝く銀色の箱を取り出した。カードケースに似た扁平した直方体で、中央には大きなレバーが付いている。手に持つと見た目以上にずしりと重い。

「何ですかこれ」

「旧文明のショッピングセンター跡から見つかった、ヒーローショーのための小道具だ」

「ヒーローショー」

 レンジは胡散臭いものを見るように眉根を寄せた。

「旧文明の当時物で、ショーだと言ってもバカにできない性能らしいんだがな。きついプロテクトがかかってて、ミュータントは使えないんだ」

「まさか武器って、これですか?」

 撮影用ドローンの準備を始めたタチバナに、レンジは恐る恐る尋ねる。

「おう。他に武器もないし、お前やってみろ」

 事も無げにタチバナが答えた。時間がない、他に選択肢がないことは、レンジにもわかっていた。片目が潰れたオニクマ、と聞いて心当たりもあった。あんな怪物と丸腰でやり合うなんて御免だ。

「どうやって使うんです?」

「そいつをへその下辺りに着けろ」

 ライダースーツの上から、へその下ーー丹田の辺りに箱を当てると、左右からベルトが飛び出して腰に巻きついた。レンジは驚いた声をあげるが、タチバナは気にせずに続ける。

「『変身』って言いながら、レバーを下まで降ろしきるんだ」

 電源が入ったドローンが飛び上がり、レンジに焦点を合わせた。

「言わなきゃダメですか」

 無言でレバーを降ろしてみるが、元の位置に戻ってくるだけで何も起こらなかった。

「言わなきゃダメみたいだな」

「畜生!」

 レンジは自棄になって叫んだ。

「“変身”!」

 がちゃりとレバーが降りきって、ベルトの下に固定される。

「『OK, let's get charging!』」

 ベルトから音声が流れ、地を這うような太い低音と、稲妻を思わせる鋭いエレキギターの音が店の中を満たした。

「しゃべった!」

「『ONE!』」

 力強いリズムに合わせて、ベルトがカウントを始める。

「言っただろう、ヒーローショーだって。声や音楽は気にすんな」

「やたら音質が良くないですか、ノリがよくて耳から離れないんですけど」

「『TWO!』」

「これ一台あれば、どこでもショーができたんだと。喜べ、旧文明の最終モデルだ」

「何だよ、このしょうもないハイテクは!」

「『THREE! ……Maximum!』」

 レンジの体を黒色のボディスーツが覆っていく。その上からベルトと同色の鎧とヘルメットが形作られ、金色から鮮やかな青色へとグラデーションがかかったラインが走った。

「『"STRIKER RaiーDen", charged up!』」

「よし、変身できたな」

 レンジは銀色の籠手をまとった自らの腕をまじまじと見たり、両掌を開いたり閉じたりしている。

「本当に変身しちゃったよ」

 タチバナは新人ヒーローの肩をポンと叩いた。

「そのヒーローの名前は雷電というそうだ。さあ、正門でバイクを受け取って、村の奴らの応援に行くんだな」

 ドローンにまとわりつかれながら慌てて酒場を出ていく雷電を、タチバナと店員が見送った。

「さて、うまくいくかね」

「かっこいい……」

「はぁ? あれがなぁ……」


 正門前では既に鉈や農具、あるいは鉄パイプや角材を手にした人々が集まり、門を封鎖していた。オニクマがすぐそばまで近づいている。レンジは門の横にある詰所に駆け込んだ。

「守衛さん、タチバナさんからの許可は取った。バイクを持ってくよ」

 通信機の前に座っていた、岩のような顔をした男が顔を上げる。

「レンジ君か、話は聞いていたよ。随分見違えたなぁ」

 放り投げられたバイクの鍵を、レンジは片手で受け止めた。

「ありがとう」

「だけどレンジ君、オニクマはすぐそこまで来てるんだ。バイクはあまり役に立たないかもしれないよ」

「まずは町から遠ざければいいんだろう? きっと大丈夫。俺に考えがある」

 雷電の乗ったバイクは詰所の通用口から、塁壁の外に飛び出した。人々に踏み固められた土の道を駆けると、オールド・チュウオー・ラインに入る出前で、人だかりのできた小山が迫ってくるのに行き当たった。

 町に近づいていたのは、果たして今朝谷底に落ちていった大熊だった。暗闇の中でぼんやりと光る棘はところどころが欠け落ち、新たな棘が生えはじめている。顔の右半分は棘に被われ、眼は完全に塞がっていた。

 熊はうなり声をあげながら後ろ足で立ち上がり、しがみつくミュータントたちを前肢で掻き分けながら、じりじりとコロニーに近づいていた。人垣の外から撃ち込まれる銃弾にも気に留めない。

 雷電は大熊の横を走り抜けると坂道を駆け上がり、ヘッドライトを巨獣に浴びせかけた。

「来いよ熊野郎、今度は左目だ! “電光石火で、カタをつけるぜ!”」

 オニクマは燃えるような左目でレンジを捉え、悲鳴に近い雄叫びをあげると、ミュータントたちには目もくれずに、瓦礫の道を走り去るバイクを追いかけた。


「オニクマを町から引き離せるとはな。何があったか知らんが、よくやった雷電」

 ヘルメットの中からタチバナの声が聞こえてきた。

「今度は何なんです? 勝手に口が動いて決め台詞みたいなやつを言っちゃったんですけど」

「あれは“大見得”機能だな。AIがショーの流れを判断して、適切なタイミングで体を動かし、決め台詞を言わせるんだと」

「何でもありだな旧文明」

「ここまでは順調だが、これからどうする、何かあてはあるのか?」

 レンジはミラーを見る。琥珀色の光をまとう黒い影が迫っていた。

「近くに遺跡がありましたよね。そこまで誘導しますよ」

「わかった。抜かるなよ」

 通信が切れる。雷電は巨獣と付かず離れずの間合いを保ちながら、西へ西へとオールド・チュウオー・ラインにバイクを走らせた。


 かつて、旧街道には一定の間隔を置いて、各地に休憩所が設けられた。行き交う人々の憩いの場は、今は遺跡となって面影を留めている。

 雷電はバイクのヘッドライトとドローンの照明を頼りに、ナカツガワ・コロニーから数キロメートル先の休憩所跡にたどり着いた。建物は崩れ落ちていたが駐車場の跡地は残っており、森を四角く切り取っている。アスファルトはそこかしこに裂け目が入り、細い木や背の高い草が突きだしていた。中央には照明灯の柱が建っている。文明崩壊の後も太陽光発電によって廃墟を照らし続けていたが、ナカツガワ・コロニーの人々が部品を持ち去り、光を失って久しかった。

「タチバナさん、ここでやるよ」

 雷電が駐車場跡地の隅にバイクを停めると、ドローンは高く飛び上がり、照明灯の上に停まった。森に囲まれた四角い駐車場が、リングのように照らし出される。

「そのスーツの性能からすると、1人で戦った方がやりやすいはずだ。けど、他の奴らも後ろに控えさせてるから、危ないと思ったらすぐ助けを呼ぶんだぞ」

「了解」

 駐車場のゲート跡に、憎しみに燃える火の玉が迫っていた。琥珀色の燐光をまとった大熊は暗闇から飛び出してくると後ろ脚で立ち上がり、黒い影を落としながら、身構える雷電を見下ろした。

「タチバナさん、このヒーローの武器は何なんだ? 銃か、剣か……」

「そりゃお前、変身ヒーローの武器と言えばステゴロに決まってるだろう」

 激しい息遣いだったオニクマが大音声で吼えると空気が震え、森の木々をざわめかせる。

「そんなの無理だって!」

 獣が両腕を振り上げ、飛びつくように突進してきた。雷電が身をかわすと、丸太のような双腕が宙をつかむ。熊が続けざまに左腕を横に凪ぎ払うと、ヒーローは後ろに跳び退いた。レンジが予期するよりも軽々と体が動いている。

「避けてる! 生きてる!」

「そのスーツは着ているやつの身体能力を何倍にも高める機能がある。ビビらないで、ガンガンいけ」

オニクマは牙を剥き出すと、四つ足で突っ込んだ。雷電が横っ飛びして避けると、獣は瓦礫の山にぶつかり、前肢で突き崩した。

「あんなのには効かないって!」

「パワーアシストが付いてる。マニュアルの通りなら、モンスターだって殴り倒せるはずだ」

「その謳い文句は信用できないんですよ!」

 オニクマは立ち上がり、身に降りかかった瓦礫が落ちるままになりながら雷電に向き直る。すぐさま両腕を振り上げて叩きつけた。

「見える!」

 雷電は腰をおとして、大熊の懐に潜り込んだ。狙いは獣の死角、右腕の真下。オニクマが頭を下ろすのに合わせて拳を突きだすと、右目を被う棘に直撃した。

 電光を走らせながら2発、3発と続けざまに拳を撃ち込む。棘の眼帯が砕け散り、獣の顔面から血が吹き出した。

「よし、いいぞ」

 タチバナは喜んだが、雷電はすぐに後ろに跳び退いた。

「まだ来ます」

 オニクマが苦痛に満ちた雄叫びをあげると、傷口から新たな棘が生え出した。より太く、より長く、より鋭く。鬼と呼ぶに相応しい風貌になると、アスファルトを踏み砕きながら雷電に襲いかかってきた。

 牙の直撃をかわして殴りかかろうとするが、大熊はすぐさま右腕を振り回し、近付く隙を与えなかった。再び突っ込んでくる巨獣をかわしながら、雷電はヘルメット内の通信機に話しかけた。

「タチバナさん、もっと威力のある技とかはないのか?」

「あるにはある。けどバッテリーの都合で、確実に撃てるのは一発だけだ」

 オニクマが腕を地面に叩きつけて大きく抉る。砂利のように細かく砕かれたアスファルトが舞い上がった。

「十分です。どうしたらいい?」

 雷電は大きく間合いを取って身構えた。

「“サンダーストライク”って言いながら攻撃するんだと。パンチでもキックでもいい」

「それだけですか」

「そうだ」

「言わなきゃダメですか」

「そうだな」

 ドローンから放たれる光が弱まりはじめた。暗い駐車場に、オニクマの棘がほの赤く光る。

「ドローンの充電がそろそろ限界だ。こちらからのフォローも長くは持たない」

「やってみますよ。“一撃で十分だ、決めるぜ!”……ああもう!」

 “大見得”機能で決め台詞を言わされながら、雷電はオニクマに向かって駆け出した。

 脚甲に閃光をまといながら右腕めがけて走る。獣が腕を振り下ろすと更に姿勢を低くして、滑り込むように左脇の下に潜り込んだ。巨獣がフェイントに気付いて向き直った時、雷電は上体を大きくひねり、拳を引き絞っていた。

「うぉぉ、“サンダーストライク”!」

 雷電の全身に走ったラインが青白く輝いた。

「『Thunder Strike』」

 ねじった体をバネにして右腕を振り抜く。電光を走らせた拳が、オニクマの正中線を捉え、胸に突き刺さった。

「『……Discharged!』」

 巨獣の総身がびくり、と痙攣したかと思うと動かなくなった。雷電が拳を静かに引き抜くと、巨大なオニクマは地面を揺らしながら崩れ落ちた。

 スーツのラインから光が消え、レンジもその場にへたりこんだ。

「やったな雷電、大手柄だ」

「もうこりごりですよ、こんな……」

 声を弾ませ、躍りだしそうな勢いのタチバナにそう言い返すと、レンジは大の字になって仰向けに倒れた。

「バッチリ撮れてるからな、編集は任せておけ。明日の朝には、チビどもの人気者にしてやるぞ……」

 疲労の限界を迎えたレンジは、うきうきと話すタチバナの声が遠くで聞こえるのを感じながら、意識を手放していた。


フォロウィング:ユージュアル アフェアズ オブ ア ユージュアル タウン

 月を隠した黒雲から、しとしとと雨が降り続いている。オーサカ・セントラル・サイトの周辺に点在するサテライト・コロニーの1つ、タカツキ・コロニーの街明かりは消え始め、数件の酒場の看板がライトの光を受け、夜闇の中で銀糸のような雨を浴びながら照らし出されていた。

眠らない店の1つ、路地裏に立つミュータント・バー“宿り木”。しかし今夜は客の姿はなかった。

 決して美しいとは言えない店の床を、若い女給がモップで掃除していた。鮮やかな赤いショートヘアが、薄暗い店内をちょこちょこと動き回る。隅から隅へとモップを動かしては、バケツで絞る。彼女の働きぶりがなければ、店のいかがわしさと乱雑さは一層増していただろう。

「ママ、床掃除終わりました」

 赤毛の女給がカウンターに声をかけると、大きな鰐頭を持った長い首がカウンターの下から伸びてきた。

「ありがとう、ことりちゃん。ぴかぴかになって、まるで表通りのレストランみたいじゃないの」

 ママが深い河のようなアルトで言うと、ことりは「やだもう」とさえずるような声で返しながら、モップを片付けた。

「後はカウンターの下でお掃除おしまいだから、もうあがっていいわよ」

「いいんですか、まだラストオーダーまで時間ありますよね?」

 ママは再び頭をカウンターの下に潜らせた。

「いいのよ、昨日の今日でこんな遅くに、お客なんか来やしないんだから!」

 ことりはカウンター席に腰掛けた。

「そんなに酷かったんですか、昨日の保安官という人?」

 ママは起き上がると、「しょうがない子ね」と言いながら巨体にそぐわぬ身のこなしでノンアルコール・カクテルを作り、ことりの前に置いた。「夜の部にデビューした雛鳥ちゃんへのご褒美よ」

「ママ、大好き!」

「調子いいんだから……でも、そうね、あなたずっと昼だけだったから、あの腐れデッカーのことは知らないわよね」

 そうことりに言った後、「知らなくていいんだけど」とママはひとりごちた。

「お店の中で暴れたんでしょう。それでも、ママがそんなにお客さんのことを悪く言うなんて、珍しいですね」

 ママはボトルから澄んだ海老茶色の液体をグラスに注ぎ、氷を放り入れてぐいと呑んだ。

「あんなの、お客さんじゃないわよ。偉そうで柄も悪いし、飲むもの食べるもの文句タラタラな上に支払いも渋るんだから、これまで何度追い出そうと思ったことか! ケガした子には悪いけど、通報しておおっぴらに出禁にできて、清々するわ」

「ケガしたのってチドリさんですよね、町を離れるって本当ですか?」

 ママの目付きがふいに鋭くなる。

「あなた、チドリちゃんと仲良かったかしら?」

 ことりは気後れしそうになったが、胸を張って答えた。

「ずっとお世話になってました。昼の部が終わった後すぐに店に来て、バックヤードで私に歌を教えてくれたんです」

 カラン、とママが持つグラスの中で氷が音を立てる。

「そうだったの、いい後輩を育ててくれたお礼に、退職金はしっかり出さなきゃね。……町を離れるのは本当よ。ケガは大したことないの、でも」

 ママは言葉を切ってグラスを置いた。

「でも?」

「ことりちゃん、チドリちゃんの為にも、この話は人に言ってはダメよ。今から言う話は、優しい先輩からの最後のアドバイスを、遣り手ばばあが代わりに言っているんだと思いなさいね」

 ことりは頷いてカクテルグラスを置いた。

「あの外道、チドリちゃんの常連だったのよ。後から聞いた話なんだけど、チドリちゃんは脅されたり殴られたり、酷いことをたくさんされてきたんだって。相手が保安官だからって言い出せずにいたの。あいつ、女の子には金払いがいいから、それも泣き寝入りしてた理由でしょうね。でも一週間前、あのデッカーは帰り際に言ったのよ。『次はニルヴァーナを試す』って」

 ニルヴァーナ。その悪名は夜の世界には疎いことりの耳にも伝わっていた。強い依存性を持ち、不用意な使用から中毒に陥ると抜け出せなくなると警鐘を鳴らされているにも関わらず、服用するとたちまち、天にも昇るような高揚感、目覚ましい有能感と集中力の発露、感涙にむせるほどの全能感を一度に味わうことができる……など、惹句は枚挙に暇がなく、オーサカ・セントラル・サイトとそのサテライトの闇の中に広まり続けていた。

「ニルヴァーナって、あの何とかいう麻薬?」

「そう、LDMAね。それで奴が次に来たのが、丁度昨日だったってわけ。チドリちゃんは耐えられなくて断ったの。そうしたらあいつ、逆上してチドリちゃんに襲いかかったのよ。店にいた他の女の子たちや他のお客さんのことも、デッカーの権威を笠に着て散々に罵ってね。でもお客さんたちが奴を取り押さえてくれて、その間に私が通報したというわけ」

 ことりは静かに聞いていた。

「チドリさんは、どうなるんですか?」

 ママは自分とことりのグラスを、カウンターの向こうに引っ込めた。

「チドリちゃん本人はしっかりしてるわ。もっと早く言い出せればよかった、って言ってたけど。これを機会に、あこがれの町でやり直すって」

「あこがれの町、ですか」

 ことりは、タカツキ・コロニーの外をほとんど知らない。地域の中枢であるオーサカ・セントラル・サイトの市街地も、店の先輩たちや羽振りのいい客からの伝聞だけでしか知らなかった。

「いくつも山を越えて、ビワ・グレート・ベイの向こう、ナゴヤ・セントラル・サイトの奥に、ミュータントだけの町があるんですって。どんなミュータントも受け入れる町、そこでお店を持つんだってあの子言ってたわ」

 ミュータントだけの町! ことりは様々なミュータントが大通りを練り歩く様を想像した。明るく、堂々とした人々はおしゃべりを楽しみながらミュータントの店で買い物して、日が沈みかける頃にはチドリの酒場に集まるのだ。酒を酌み交わし、チドリの歌に聴き惚れる。客たちの喝采まで聞こえてくるようだった。

「すごい……!」

「ね。あの子も随分苦労したし、夢を追いかけるのを、応援してあげなくちゃね」

 ママはことりに背を向けて、二人分のグラスを洗い始めた。

「そろそろ、あがってもいいのよ」

「ママのお仕事終わるまで待ってます」

 ママは嬉しそうに「もう、この子は」と言いながらグラスを拭き、棚に片付けた。そして振り返って、カウンターに頬杖をつく少女に向き直った。

「ね、ことりちゃん、あなたはこれからどうしたいの?」

「どう、って?」

「今日は女の子が足りなかったし、夜の部に入ってもらえて助かったわ。でも、これからも夜の部に出続ける必要はないの。お客を取る必要もね」

「私は……」

 ことりが両手首の羽根をもぞもぞと触りながらそう言いかけた時、ドアが開いた。ベルが乾いた音を立てる。

「いらっしゃい」

 ことりがぱたぱたと入り口に駆け寄った。

「席にご案内します」

 店に入って来たのは、ずぶ濡れの男だった。"真人間"で、年の頃は二十代半ばほどだろうか。かすれた細い声で「ありがとうございます」と言い、案内に従ってカウンター近くのテーブル席についた。ことりからタオルを受け取り、ごしごしと頭を拭く。

「ご注文はお決まりですか?」

「何か、食べる物はありませんか」

 男はうつむいたまま尋ねた。

「ごめんなさいね、今日はもうミールジェネレーターを使える子が帰っちゃったのよ。パックのレーションを温めるくらいしかできないけど、いいかしら?」

 ママがカウンターから声をかけると、男は姿勢を変えずに「それで、お願いします」と答えた。

 色の薄いカレーライスと人造米、真っ赤な漬物がレトルトパックから皿に盛り付けられて運ばれてきた。ことりが皿とスプーンを置くと、男は「ありがとう」と言うや、すぐにスプーンを取ってカレーライスをかきこみ始めた。無心で貪り、あっという間に食べ終えると、コーヒーを注文した。

 食器を片付けたことりが、すぐにコーヒーカップを運んできた。男はカップに口を付け、すするように少し飲むとカップを皿に戻し、むっつりと黙って真っ黒なコーヒーを見ていた。しばらくするとまた一口すすり、コーヒーを睨む。同じ動きを一時間ほど繰り返していた。

 コーヒーカップが空になるのを見計らって、ママが声をかけた。

「ごめんなさい、そろそろ閉店なのよ。お勘定お願いできるかしら」

 男はとびあがるように席を立ち、深く頭を下げた。ことりは無銭飲食かと思ったが、違った。

「お願いします、ここに泊めてください」

「そう言われてもねぇ。今日はこの子1人だし……」

 ママがことりを見る。今夜はもう店じまいするつもりだったし、まだことりには早いとも思っていた。今日だって、もし客がことりに目を付けたら、助け船を出すつもりだったのだ。

 男が顔を上げる。疲れきって、助けを求めるような顔。ことりは夜の店に顔を出すことは数えるほどしかなかったが、こんなに困った顔をしながら「店に“泊まり”たい」という男の人を見たのは初めてだった。

「ママ、いいですよ、私」

「ことりちゃん」

 ママは言いかけた言葉を引っ込めた。

「わかったわ。何かあったら、すぐに呼んでちょうだい」


 ことりは店の2階、廊下の突き当たりにある二〇一号室の鍵を受け取った。「足下に気をつけてくださいね」と声をかけて男の前を歩き、店の奥の薄暗い階段を上がる。

「わたし、ことりって言います。お兄さんのお名前は?」

「レンジです」

「そんなに固くならなくていいよ、お兄さんの方が年上みたいだし。こんなお店に来るのは初めて?」

「うん」

 男の声から、少し緊張の色が抜けたようだった。2階に出て、オレンジ色の灯りに照らされた細い廊下を歩く。

「そっか。私もお客さんを取るのは初めてなんだ……着いた。この部屋」

 扉に付けられた金属板に、“二〇一”と数字が彫りこまれている。ことりが鍵を差し込んで回すと、カチャリとやけに耳に残る乾いた音が廊下に響いた。

「どうぞ。靴は入り口で脱いでね」

 扉を開けたことりに促され、中に入る。入り口のそばにはシャワールームがあり、奥の狭い部屋に大きなベッドが横たわる。小さなチェストや鏡台、文机が申し訳程度に並べられていた。そして壁には、閉め切られた小さな窓が一つ。

「狭い部屋だよねぇ」

 ことりはそう言いながらチェストからバスローブを取り出した。

「着替え、どうぞ」

「ありがとう」

 レンジが着替えを手に突っ立って、女の子が部屋を出るのを待っていると、「準備するから、先にシャワー浴びてほしいんですけど」と頬をうっすらと染めたことりに言われ、シャワールームに押し込められたのだった。

 数日ぶりに温かいシャワーを浴びると、肌が少しひりついた。肌に深く食い込んでいた汚れを、ちからをこめてこそげ落とす。備え付けられていた剃刀で髭を落とし、顔を洗って鏡を見た。ようやく“見られる”顔になったと思う。疲れの色は見てとれるが、それはセントラルにいた頃も同じだったので気にならなかった。

 バスローブを着てシャワールームから出ると、バスローブ姿の赤毛の少女がベッドを整えていた。給侍服は壁際のワードローブに掛けられている。

「えーと……」

 なぜ彼女がまだいるのか、なぜバスローブに着替えているのか、尋ねようと思ったが、うまく言葉が出なかった。声を聞いたことりが振り返る。

 シャワーを浴び、身綺麗になると随分印象が変わる。優しそうな人でよかった、とことりは思った。深く息を吸い、ぽかんとしている男に微笑みかけてから深く頭を下げる。

「今夜はよろしくお願いいたします。不慣れなことも多く、不手際もあるかと思いますが、精一杯御奉仕いたします」

 顔を上げ、バスローブを脱ぎ捨てると、幼さの残る、瑞々しい肢体がさらけ出される。白い肌は薄明かりの中で艶やかな光を放つようだった。

「ちょっと、ちょっと待って、だめだって!」

 レンジは慌てて床に落ちたローブを拾い上げ、ことりに被せた。ことりは不満げに口を尖らせる。

「ちょっとお兄さん、私初めてだけど覚悟してきたのに、ひどいじゃないですか」

「そういうのはいいんだよ」

 レンジが顔を背けると、ことりは素早く回り込んで顔を見上げた。

「ここは“そういう”お店なんです!」

「でも、俺は泊まりたいって言っただけで……」

 ことりは呆れたようにため息をついた。

「ミュータント・バーですよ、ここ。“泊まる”ってそういうことなんだけど、知らなかったんですか?」

 ことりの両手首と首は、朱鷺色の羽根に包まれていた。

「ごめん、知らなくて、俺……」

 ことりは店に入ってきた時のようにしょんぼりしている青年に、ベッドに腰かけるように促した。素直に従ったレンジの横に、ことりも腰かける。

「レンジさんは、どこから来たんですか?」

「セントラルの、オールド・キャッスルの近く」

「随分遠くから来たんですねぇ。もしかして、ずっと歩いてきたの?」

「うん」

 ぼそぼそとレンジが答える。ことりは迷子の面倒を見るような気持ちになっていた。

 ことりが体をもたれかけると、レンジは拒まなかった。

「お疲れ様です」

「うん、ありがとう」

「何かしても、しなくてもお代は変わらないんだけど、しなくてもいいんですか?」

「いえ、いえ、いいです、大丈夫です、お金は払います」

 じっと目を合わせながら顔を近づけてきたことりから逃れて、レンジはベッドに突っ伏した。

「そこまで言われると、プライド傷つくんですけど」

 うつ伏せになったレンジの頭を突っつきながら言うことりに、レンジは耳を赤くしながら言い返した。

「初めてなんでしょう、もっと自分を大切にしなさい!」

 ことりは思わず吹き出して、レンジの頭を撫で回し、髪をぐしゃぐしゃにした。

「変なひと」

 レンジは黙って動かない。ことりは優しく撫でて髪を整え直し、レンジの頭に手を置いて子守唄を歌い始めた。

 柔らかい声で紡がれるスローテンポのメロディに抱きしめられ、レンジは深い眠りに落ちていった。


 鳥のつがいがさえずり合う声を聞きながら、レンジはふかふかの布団の中で目を覚ました。

 質素な木製の家具が並ぶ室内には、大きな窓から陽が射し込んでいる。壁には木の板が打ち付けられ、そこから突き出したフックにライダースーツの上半身部分が掛けられていた。

 体を起こすと全身に重だるさを感じる。布団を剥がして立ち上がり、よたつきながら上着に近づいた。内ポケットの中にあるジッパーを下ろして指を突っ込むと、金属質の手触りを確かめた。

 取り出したのは、紐で結んだ銀色のペアリング。くすんだ小さな指輪と、未だ艶の残る大きな指輪。レンジは掌の上に置いてしばらく指輪を見た後、握りしめるようにしながら内ポケットに戻した。

 懐かしい夢だった。知らないはずの景色までありありと思い浮かべられるのは、少女がその夜の出来事をあまりにいきいきと話していたからだろうか。レンジは少しの間目を閉じてから、ジャケットを取って袖を通した。

 ノックの音が響く。

「はい、どうぞ」

 窓の反対側にあった扉が開き、橙色の斑模様が入った青肌の少女が顔を出した。背丈はレンジと同じくらいだが、童顔のためか身長ほどの圧迫感はない。他の部位よりも倍近く大きい両手に、掃除機やら雑巾の入ったバケツやらを持っていた。彼女は昨夜、酒場で働いていた女性店員だった。

「アオさん、でしたっけ? おはようございます」

「はい、おはようございますレンジさん。昨日はお疲れ様でした」

 長い髪の間から笑顔がこぼれる。

「ありがとう」

「お礼を言うのは、私たちの方です。あんなに大きなオニクマを退治してもらって……雷電がいなかったら、町がどうなっていたかわかりません」

 真っ直ぐに感謝の心を伝えられて、レンジは答えに困った。雷電に変身していたら、気の利いた台詞の一つでも言わせてくれたのかもしれないと思ったが、それはそれで恥ずかしいことになりそうだ。

「食事の用意ができているので、下に降りて食べに来てくださいね」

 アオがそう言って扉の向こうに引っ込むと、レンジも両肩と首をぐるりと回してから部屋を出た。

 階段を降りると、一階は酒場“白峰酒造”のバックヤードに繋がっていた。大きな扉を開けると、酒場のホールに出る。客の姿はなく、タチバナが一人、テーブル席に腰かけてコーヒー片手に“カガミハラ・ウィークリー”という名前の新聞に目を通していた。

「おはようございます」

 レンジが声をかけるとタチバナも顔を上げる。

「おはよう。昨日はお疲れさん。よく寝てたが、体調はどうだ」

「身体中が重くて、しんどいですね」

「あれだけ動き回ったんだからな、筋肉痛だろう。まあ、じきに治るさ。厨房に行ってメシをもらってきたらどうだ?」

 レンジとタチバナが話していると、アオがいそいそとお膳を手にやって来た。

「レンジさん、準備できてますよ。さあどうぞ」

 料理をタチバナの向かいの席に並べて、にこにこしている。

 レンジは長身の少女に見守られながら腰かけた。大小の椀が蓋を被って盆の上に並んでいる。隣には緑茶と、青い瓜の漬物が添えられていた。

「いただきます」

 蓋を取ると、味噌汁と白飯が湯気をあげた。濃い色の味噌汁には根菜や茸、そして大量の肉が、一口大と言うには大ぶりに切り分けられて詰め込まれていた。見た目は味噌煮に近い。山菜か野草で獣肉の臭い消しをしているのだろう、青い薫りが、素朴な豆味噌の香りと混ざりあって広がった。

「アオの手料理だぞ」

 タチバナがニヤニヤしながら言うと、アオは恥ずかしそうに頬を染めた。

「せっかくの素材を、ジェネレータに入れるのがもったいなくて」

「わあ」

 レンジは恐る恐る、箸で肉塊を引き上げる。

「この肉は何ですか?」

「レンジさんが昨夜退治したオニクマです」

 同じ材料でもミールジェネレータに放り込まれて謎肉や卵らしきものに加工され、ベーコンエッグ擬きになって出されるのと、どちらがマシだろうか。

「せっかくの初手柄なので、レンジさんには一番美味しい、右掌を取り分けて用意していたんです」

 アオが胸を張る。

「わあ……」

 ままよ、とばかり口に入れると、野趣のある香りを鼻の奥で感じた。しかしそれも一瞬で、すぐにきりりとした苦味が舌に抜け、爽やかな野草の薫りが広がった。脂身と茸の旨味、根菜の甘味が溶け出した汁が染みたオニクマの肉は蕩けるように柔らかく、滋味深かった。

 なにも言わずむさぼり食べるレンジを見て、アオは満足そうに微笑んだ。


「ご馳走様でした」

 料理を完食し、湯飲みも空にしてレンジは手を合わせた。タチバナも新聞を置く。

「さてレンジ、お前さんには今日からうちで働いてもらいたいんだが」

「えっ、そうなんですか」

 何の伝手もなく流れ着いた身としては願ってもない話だ。よっぽどの事がなければ。

「勤務内容を、教えてもらえますか」

 アオが盆を取り上げ、タチバナのコーヒーカップも一緒に載せて片付けていく。タチバナはアオに「すまんな」と言って軽く手をあげてから、警戒するレンジに答えた。

「そうさな、うちは酒場をしながら、町のまとめ役みたいなことをしてるから、まず酒場の仕事がある。接客はしなくていいんだが、こまごまと仕事があってな。片付けとか山に食材やらを採りにいったりとか、まあ言わば雑用だな」

「なるほど」

 まとめ役、というのは事実だろうと、昨夜の店内を思いだしながらレンジは考えた。

「それと、ヒーロー活動だな」

「ヒーロー」

 二つ返事で引き受けようとしたレンジが固まる。

「地域の子どもたちに雷電のヒーローショーを見せるんだ。この前みたいにモンスターが出たら、雷電として闘ってもらう」

「それも撮るんですよね?」

「もちろん、ドローンでばっちり撮る。リアルな闘いは、迫力があるな。昨日のを編集してみたが、これはいい。カガミハラに持っていっても受けるんじゃないか」

「ありがたいお話ですが、お断りさせていただきます」

 レンジが立ち上がりかけると、タチバナは細長い紙切れをテーブルに置いた。

「何です、請求書?」

 手に取って見ると目玉が飛び出るほどの金額が書き込まれている。桁を3つほど間違えたのではないか、と思うほどだ。

「お前さんに貸した雷電の変身ベルト、“ライトニングドライバー”っていうんだがな、ほぼ無傷で発掘された旧文明最終期の遺物なんだが」

 非常に貴重なものだということは、嫌というほどわかる。タチバナは勿体ぶった調子で続けた。

「使ったやつを登録して、他の人間には使えないようにしちまうんだと。だから、買い取ってもらうことになるんだが、どうしてもこれだけかかっちゃうんだよなあ……このままヒーローを続けてくれりゃあなあ、ベルトを貸すだけで済むんだけどなあ」

「慎んでお受けいたします」

 レンジが降参して頭を下げると、タチバナはニッタリと笑って、ライトニングドライバーをレンジの前に置いた。

「契約成立だな、これからよろしく頼むぞヒーロー」

 レンジが渋い顔でドライバーを受けとると、飲み物を手にしたアオが嬉しそうにテーブルに近づいてきた。

「レンジさん、これからよろしくお願いします。雷電と一緒に働けるなんて、夢みたい!」

 そう言って山葡萄のジュースを差し出す。レンジは「ありがとう」と言って受け取った。心地よい酸味が口の中に広がる。

「マスターには、これを」

「おう」

 タチバナは受け取ったカップを傾け、中身をぐびりと飲むと目を白黒させた。

「これは何だ」

「マスターにも、オニクマの一番いいところを取っておきました。熊の胆ドリンクです。残さず召し上がれ」

「残さずったって、お前さんこれは」

 アオは笑顔を崩さず、微動だにせずタチバナを見下ろしている。

「慎んでいただきます」

 先程のレンジと同じ位に渋い顔で、タチバナはコップの中の液体を飲み干した。


「今日の仕事って、どんなことをやるんですか?」

 レンジは口直しとばかりに水をがぶ飲みしているタチバナに尋ねた。

「ウチのについて行って、顔見せがてら近くの温室で野菜を仕入れたり、山で茸を採ったり、だな」

 タチバナはそう言うと、店内を見回した。

「そういえば、マダラはどうしたんだ?」

 コップを片付けに来たアオに尋ねる。

「朝ごはんを食べてから、バイクを診る、って言って外に出たきりですね」

 店の外で子どもが「わーっ!」と元気な声をあげているのが聞こえる。レンジは外に飛び出した。

 店の前にレンジ愛用のバイクが置かれ、ところどころの部品が取り外されて地面に並んでいた。青い斑模様がついたオレンジ色の肌の青年が、部品を調べては拭いたり、油をさしたりネジを留め直したりと、せわしなく手を動かしている。近くに子どもが二人並んで、バイクをいじる青年を見ていた。

「おい、何を勝手にやってるんだ」

 レンジが戸を開けるなり、バラバラになったバイクを見て怒鳴ると、部品を持っていたカエル顔の男が顔を上げた。

「あんた、ちゃんとメンテナンスしてないだろ。セッティングが滅茶苦茶でひどいじゃじゃ馬だ。昨日の夜、ここまで運ぶのに苦労したんだぜ」

「だからってお前……」

 腹をたてるレンジの前に、アオが割って入った。

「レンジさん、兄が勝手をしてごめんなさい。けど、兄は機械いじりの腕だけはいいんです。任せてみてもらえませんか」

「俺、ひどいこと言われてないか」

 不満げなアオの兄をタチバナが肘でつついて黙らせる。

「わかりました。アオさんが言うなら、お任せします」

 カエル頭の男はバイクの部品を置いて頭を掻いた。

「まあ、声をかけずに始めちゃったのは悪かった。俺はマダラ。よろしくな」

「俺はレンジだ。今日からこの店で働かせてもらうことになった。よろしく頼む」

「つまり、“ストライカー雷電”を続けてくれるってことだな。そいつは何よりだ」

 マダラが右手を差し出す。レンジは雷電には気乗りしなかったが、こたえて握手を交わした。それまで警戒していた子どもたちも、レンジの近くに寄ってくる。

「ねぇ、お兄ちゃんって"ストライカー雷電"なんだね!」

 目を輝かせて犬耳の少年が話しかけてくる。

「昨日はありがとう!」

 腕や頬に鱗が生えている少女も、顔を赤くしながら言う。

「すっごくかっこよかった!」

 二人が声を合わせて言うと、レンジは恥ずかしそうに頬を掻いた。

「ありがとう……タチバナさん、あれをこの子たちに見せちゃったんですか?」

「おう、子どもらの反応が見たくてな」

 子どもたちは、嬉々としてヒーローごっこを始めた。

「いくぞ、“でんこうせっかで、かたをつけるぜ”!」

「“サンダーストライク”!」

「ちょっとリンちゃん、雷電が二人もいたら、ヒーローごっこにならないじゃないか」

「何よ、アキちゃんが勝手に始めたんじゃない。あたしだって雷電やりたい!」

 言い争い始めたアキとリンの前に、両手をワシワシと動かしながらアオが立ちはだかった。

「はっはっは! ヒーローが二人になったところで、このディーゼル皇帝に勝てるかな?」

 アオに相手をしてもらった二人が夢中になってヒーローを演じているのを、タチバナは目を細めて見ている。

「この調子なら、他の子どもたちにも受けるだろうよ」

「おやっさんもアオもひどいよ、俺がみんなの避難誘導してる間に、雷電のリアルバトルをじっくり見てたんだろう」

 バイクの部品を組み付けながら、マダラがぶつぶつと文句を言う。

「あの時にはお前さんが当番だったから仕方ないだろう」

「そうは言うけどさ、俺の調整がうまく行ったか、気になるじゃないか。パワーアシストのリミッターを外すとかさ、デリケートな部分もあったんだから。サポートなしでぶっつけ本番なんて危ないに決まってるだろ」

 マダラは手が動くほどに口も回るたちのようだった。

「タチバナさん、俺そんなに危ない状況で戦ってたんですか」

「マニュアルがあったし、サポートはできた」

 タチバナがむすっとして言うと、作業を終えたマダラが顔を上げた。

「無事にライトニングドライバーの初運転ができたことは認めるさ。でも、次からは俺もサポートに入るよ」

「おう」

 二人の話が終わると「『午前9時をお知らせします……』」と町内放送の時報が流れた。

「もうそんな時間か。マダラ、レンジ、早速出発してくれ」

「はいよ。レンジ、バイクはとりあえず部品を戻して動かせるけど、調整が終わるまでもう少しかかるんだ。これからもちょくちょくいじらせてもらうぜ」

「了解。よろしく頼むよ」

「よしレンジ、まずは変身だ」

 タチバナが大きな背負子を持って言う。

「ここでですか?」

「仕方ないよ、変身したら身に付けてるものは皆、スーツの一部になっちゃうんだから。これはすごいんだぞ、分子再構成システムっていう、ミールジェネレータにも使われてる旧文明の技術で……」

 語り始めたマダラに付き合うのが面倒臭くなって、レンジはライトニングドライバーを腰に巻き付けた。

「“変身”」

 突っ立ったままレバーを引き下げると、力強い音楽が流れ始めた。

「『OK, let's get charging!』」

 子どもたちとアオが雷電ごっこをやめて、「変身してる!」と言いながらやってきた。

「『ONE!』」

 テンションの高い声がカウントを始める。

「変身する時に棒立ちってのはどうなんだ?」

「テレビ放送してた“ストライカー雷電”のデータがうちにあるんで、後でレンジに見せて、変身ポーズを練習してもらいますよ」

 タチバナとマダラがぼそぼそと話し合っている。

「『THREE!』」

 アオはわくわくしながら見ているが、子どもたちは冷静になっていた。

「何だか地味だね」

「うん、変身はかっこよくない……」

「『Maximum!』」

「二人とも、始まるよ!」

 ボディスーツと装甲がレンジの体を被い、全身に雷光を思わせるラインが走った。

「『"STRIKER RaiーDen", charged up!』」

「やった!」

「やっぱり、かっこいい……!」

 変身の終わった雷電は、背負子を受け取った。

「農家のみなさんによろしく頼むぞ」

「承知しました。じゃあ、行ってきます」

 銀色に輝くヒーローは黒く磨きあげられた木の枠を背負い、カエル男の案内で山に向かう道を歩いていく。

「なんか、あまりかっこよくない……」

 ぼそっと言ったリンの頭が、アオの大きな手に包まれた。

「働くってかっこよくないことばっかりだよ、リン」

「ふぅん」

 リンは口を尖らせる。タチバナがポンポンと手を叩いた。

「さぁ、俺たちも店を開ける準備をしよう。手伝ってくれたチビには、アオのおやつが出るぞ」

「今日はプリンもどきに桑の実シロップをかけちゃうよ」

 子どもたちは「わあー」と歓声をあげ、先を争って店の中に入っていった。アオとタチバナも微笑みながら店に戻った。


「俺はひ弱なんだからな、力仕事は期待するなよ」

 山道をひょいひょいと歩くマダラが、振り返って雷電に声をかけた。

「どこがひ弱だよ、スーツ着てても追い付けないんだけど」

「そりゃパワーアシストとは関係ない。慣れの問題だよ。……着いたぞ」

 山道の途中に、ふいに開けた空間が広がった。ここはナカツガワ・コロニー周辺に点在する農業プラントの一つ。中央には壁に覆われた巨大な温室が建ち、その周りに物置小屋や休憩所やらが並んでいる。

 マダラは温室の入口にあるインターホンを鳴らした。

「『はいはい、どちら様?』」

 スピーカー越しに年配の女性が尋ねてくる。

「白峰酒造の者です。水曜日までの分の野菜を頂きに参りました」

 マダラが社員証を見せながら言う。

「『あらまあマダラちゃんじゃないの。今日はアオちゃんはいないんだねぇ。野菜持って帰れそうかしら?』」

「今日は新人を連れてきたので、大丈夫ですよ」

「『あら、そうなの! それじゃあ、入口を開けるわね』」

 大きなシャッターがきしむ音をたてながらゆっくり開くと、中は民家風の土間になっていた。野菜が積まれたリヤカーが置かれ、無数の赤い角を生やした緑色の肌のお婆さんが立っていた。

「お疲れ様。お茶くらいしか出せないけど」

「いや、ありがたいです。いただきます」

 女性が魔法瓶から湯呑みに模造麦茶を注ぎ、マダラに手渡した。

「あっ、これって俺、飲めないんじゃない?」

「右耳の辺りをなぞるように、ぐるっと指を回してみな」

 マダラが言った通りに雷電がヘルメットの上をなぞると、顔の周りの装甲がぱかりと開いた。レンジは「おお、開いた!」と嬉しそうに声をあげて、マダラから渡された湯呑みを受け取った。

「おかみさん、紹介します。今日からうちで働くことになったレンジです」

「よろしくお願いします」

 マダラに紹介してもらい、レンジもあわてて頭を下げる。

「まあまあ、タチバナさんから聞きましたよ、片眼の暴れオニクマを退治してくださったんですって! ありがとうございます。それにしても、面白い格好をした方なのねぇ」

「実はですね、このたび、うちの保安官事務所でヒーロー事業を立ち上げることになりまして……」

 マダラは二杯目の茶を受け取って説明を始める。プラントの女性が「あらあら」と言いながら話を聞いているのを、レンジはよく冷えた麦茶を飲みながら見ていた。

「ヒーローショーというのはよくわからないのだけど、孫が喜びそうだねぇ。タチバナさんのとこの若い人が町を守ってくれるのも心強いし、さすが、面白いことを考えなさるねぇ」

「ありがとうございます」

 マダラが頭を下げると、レンジも一緒に頭を下げた。

「頭を上げてくださいな。いつもお世話になってるのは私たちですよ。今日の分のお野菜も、持っていってください」

 そう言ってリヤカーの上の野菜の山を手でさした。

「でも、これだけの量のお野菜、アオちゃんもいないけど運べるかしら? 他のプラントにも行くんでしょう?」

 マダラが雷電の背中に、袋詰めになった野菜を積み上げていく。

「雷電のスーツがあれば大丈夫ですよ……ほら!」

「まあまあ、すごい力持ちなのねぇ。それじゃあ、タチバナさんとアオちゃんにもよろしく言っておいてちょうだいね」

 雷電はマダラと一緒に麦茶のお礼を言うと、背負子に野菜袋を積み上げて温室を出た。

「これは雷電のスーツがないと運べないな」

 山道を歩きながら荷物の重さを感じないことに、レンジは驚いていた。マダラは得意気に「ふふん」と鼻をならす。

「このまま、あと三ヶ所プラントを回るぞ。場所も覚えてもらうから、しっかりついてこいよ」


 二人は十数分、時に数十分山道を歩いてプラントをはしごした。どのプラントもマダラと雷電を丁重に出迎え、大量の農作物を持たせてくれた。

 四つ目のプラントを出る時には、雷電の背中には軽トラック一杯分かと思われるほどの荷物が積まれ、マダラもキャベツではち切れそうになった袋を背中に担いでいた。

「あとは、この道を下れば、行きの登山口と反対側の登山口に、出るから……」

 マダラは拾った枝を杖にして呼吸を乱し、体をひきずるように歩いている。

「本当にひ弱なんだなあ」

「お前、スーツを脱いで、言ってみろよぉ」

「スーツがなかったら、こんな荷物運べないんだが」

「そりゃ、そうだ。畜生、なんか悔しいな」

 マダラが両手で杖をついて深く息をついた。レンジも立ち止まる。

「こんなに野菜を仕入れるんだな」

「当たり前だろ、酒場なんだから」

 息を調えながらマダラが答える。

「酒場ではジェネレータ使うんだよな?」

「じゃあ、食うものの材料に食えないものをぶちこむの?」

 尋ね返されて、レンジは言葉に詰まった。

 ミールジェネレータに木の枝を放り込めば野菜炒めもどきができるし、ネズミの死骸を入れたならステーキも出汁巻き卵も、魚の刺身だって作ることができる。材料が腐っていようが重金属や放射性物質で汚染されていようが、安全な食品に加工できる。

 だからこそ、ジェネレータで作られた食べ物は安価で手に入るし、何を原料にしているか分かったものではないのだ。それはオーサカ・セントラルの目抜通りだろうが、タカツキ・サテライトの裏通りだろうが変わらなかった。

「やな言い方して悪かったな、レンジの言うことはわかるさ。俺も違う町でジェネレータ使ってるのを見たことがあるし」

 そう言いながら、マダラはふたたび坂道を下り始めた。レンジも続いて歩く。

「でも、それは『ジェネレータの本来の使い方じゃない』って俺にメカニックを教えてくれたじいちゃんが言っててな。この町じゃ、野菜は充分手に入るんだし、わざわざ変なものを入れることはないさ」

「なるほど、そりゃそうだ」

山道を下った先に、緑のトンネルの出口が見える。

「もうすぐ町に着くぞ」

「荷物が多すぎて茸採りまで手が回らなかったけどな」

「明日に回すさ。それよりも、戻ったら次の仕事が待ってる。俺はちょっと休むけど」

「あっ、ズルいぞ」

「俺はひ弱だって言ってんだろ! お前だって、雷電のスーツを脱いでそれをやってみろよ」

 二人は言い合いながらトンネルを抜け、まぶしい昼下がりの陽射しの中に出ていった。ナカツガワ・コロニーの登山口ゲートがすぐ目の前に建っていた。


 レンジとマダラが白峰酒造に戻ってくると、酒場と厨房の掃除を終えたアオと子どもたちが、行儀よくテーブル席についてプリンを食べていた。タチバナはカウンターの向こうでタブレット端末と格闘している。

「ただいま戻りました」

「レンジさん、兄さんお帰りなさい」

 アオが返すと、子どもたちも口々に「お帰りー」と返した。一仕事終えた満足感からか、二人とも輝くような笑顔を浮かべている。タチバナが作業を終えて顔を上げた。

「お疲れさん。どうだった?」

「どのプラントもいい感じの反応ですね。野菜もいつもより多目に持たせてくれてます。すごい量なんで、とりあえず入口に置いてますよ」

 マダラがカウンターの前まで行って報告する。

「野菜はこのまま、俺が運びます。どこに持って行ったらいいですか?」

「冷蔵庫の場所を教えるよ。ついてきてくれ」

 タチバナがカウンターから出て、雷電スーツ姿のレンジを厨房に連れていく。マダラは二人に声をかけた。

「俺はちょっと休ませてもらいますね」

「はいよ。体力つけろよ」

「兄さん、プリンはどうする?」

「残しといてくれ。次の仕事前に食べるよ」

 アオに言い残し、マダラは店のバックヤードに向かって歩いていった。


 レンジは野菜の山を厨房に運びこみ、タチバナから指示される通りに押し入れのような冷蔵庫に並べて入れた。一仕事終えると、アオがガラスの鉢に入ったプリンを出してくれた。

「兄さんがジェネレータで作った“プリンもどき”なんですけど」

 そう言いながらアオは笑うが、濃厚な甘味を持つピンクがかった黒いソースが絡んだプリンは舌触りもよく、疲労感を忘れさせるような味わいだった。

「いや、うまいよ。ありがとう」

 ぺろりと平らげたレンジを見て、嬉しそうにアオが笑う。

「お粗末様でした」

 時計を見ていたタチバナが「皆、集合してくれ」と声をあげた。

「これから店を開けるんだが、レンジはバックヤードに回ってほしい。使い終わった食器を洗って乾かして、また厨房に戻すのが主な仕事だが、必要があればゴミ出しとか、他の雑用もやってもらう」

「わかりました」

「アオはいつも通りホールだ。時々厨房で“日替わりメニュー”の様子も見てくれよ」

「はい」

「マダラはどうした?」

 “STAFF ONLY”と書かれたドアが開いて、マダラのカエル顔が飛び出した。

「すいません遅れました! このまま厨房に入ります」

 言うなり首が引っ込み、ドアがバタリと閉まった。

「よし、いつも通りだな。じゃあ開店だ。暖簾を出してくれ」


 店が開いてしばらくすると、レンジは食器の返却口と洗い場、厨房をひっきりなしに行き来していた。食器を受け取って洗い場の食洗機にかけ、乾燥が済んだ皿や碗を厨房に運ぶ。ミールジェネレータの前にいるマダラに渡すと、すぐに新しい料理が機械から滑り落ち、食器に受けとめられたかと思うと整った見た目で盛りつけられていた。それをアオが取って、ホールに運んでいく。代わりに置いていったメモを見て、マダラが次の注目に応えるためにジェネレータを操作する。レンジは返却口にやって来た食器を受け取り、再び洗い場に戻るのだった。

 日付が変わる前に酒場の営業は終わった。客が去ったホールの片付けを終えると、アオは「お疲れ様でした」と言ってさっさと引き上げていった。

 残ったレンジとマダラがテーブルに突っ伏していると、タチバナが二人の前にオニクマシチューの碗を置いた。

「二人ともお疲れさん。“日替わりメニュー”が残ってたから、夜食にどうだ」

 煮込まれてトロトロになったスジ肉が、ドミグラスソースの中に転がっている。レンジは「いただきます」と言うや、ガツガツと食べ始めた。

「俺はやめときます、おやすみなさい……」

 マダラは立ち上がると、ふらふらしながら従業員寮に歩いていく。

「おやすみ」

「おやすみ。明日もよろしくな」

 タチバナはレンジの正面、マダラが座っていた席に腰かけてシチューを食べ始めた。

「お前さん、こういう仕事には慣れてるみたいだな。よく働いてくれて助かったよ」

 レンジはほんの一瞬固まったが、すぐにもう一口シチューをすくって、口に運んだ。

「ありがとうございます」

 黙々と食事を続け、シチューの碗を空にすると「ごちそうさまでした。おやすみなさい」と言って席を立った。

「おやすみ。食器は一緒に片付けとくから、置いといていいぞ」

 タチバナに声をかけられると、レンジは「ありがとうございます」と言って歩き去っていく。

「レンジ、昨日の夜の動画、町内の回線にアップしたぞ」

「えっ」

 振り返ったレンジがぽかんと口を開ける。

「はははっ、皆の反応が楽しみだな」

「勘弁してくださいよ……」

 ばつが悪そうにわらった後、会釈して従業員寮に向かっていくレンジを、タチバナは黙って見送っていた。


 寮の階段を上がり、2階の自室に戻ると、レンジは灯りも着けずに布団を広げ、うつぶせに倒れこんだ。

 ジャケットの上から、内ポケットの指輪に手を当てる。目を閉じると、タカツキ・サテライトの裏通りに建つミュータント・バーのホールや厨房、従業員部屋が次々に、まぶたの裏に浮かんでは消えた。

 柔らかい翼を広げて空に遊ぶような少女の歌声が、どこかから聴こえてくるように感じるのだった。


 翌朝も朝陽と鳥のさえずりに起こされたレンジは、顔を洗ってホールに向かった。ベーコンエッグもどきの朝食を摂った後、タチバナから背負いかごを渡された。

「今日は昨日できなかった茸採りだな。元々の予定だった獣避けの柵の点検も、一緒に進めてくれい」

 レンジがかごを背負い、マダラが機材の入ったリュックサックを背負うと、タチバナが声をかけた。

「レンジ、変身していけよ」

「えっ、今日もですか」

 二人は白峰酒造を出ると、ログハウスやコンテナハウス、バラックなどが入り雑じって並ぶナカツガワの町中を、登山口に向かって歩き出した。雷電は歩いている間、そこかしこから見られているのを感じていた。憎しみや恐れの視線ではない。むしろ興味に近いものが向けられているのを感じる。

 建物の影に、数人の子どもたちがいる。近づいては来ないけれども、話しかけたそうな顔をしてこちらを見ていた。

「すごく見られてるな」

 レンジがぼそりと言うと、マダラはニヤっと笑った。

「昨日の動画を見て、お前さんのファンになったんじゃないか? 手でも振ってやったらどうだ?」

「やめてくれよ」


「あれが、ストライカー雷電」

「かっこよかったねぇ」

 ミュータントの子どもたちは、かごを背負った雷電が歩き去っていくのを見送ってから話し始めた。

「お話ししてみたいな」

「真人間なんだろ、相手してくれないよ。バカにされるかもしれない」

「雷電は、そんなことしないよ!」

 グループにまざっていたアキが声をあげる。

「何でそんなことがわかるんだよ」

「昨日会ったもん!」

 リンがアキの手を握って言う。

「あまり話はしてないって、リンちゃん昨日言ってたの、知ってるんだからな!」

 言い返されて、リンは口をきゅっと閉じる。アキは雷電とマダラが向かっていった山をにらんでいた。


 レンジとマダラはしばらく山道を登った後、背を屈めて沢沿いの小道を歩いていた。

「これは?」

 山菜を採っていたマダラがやって来て、レンジが指さした茸を見る。

「うまいやつだ。採っといてくれ」

「はいよ」

 レンジはかごに付いていたナイフで、茸を根元から刈り取った。

「このナイフ、よく切れるな。金属じゃないみたいだけど、何でできてるんだ?」

「ミュータントのでかい猫がいてな、その牙を磨いで作るのさ」

 マダラが地面に視線を這わせながら答える。

「うへえ」

 レンジは茸をかごに放り込むと、よく似た茸が近くに生えているのに気づいた。

「これも同じ茸じゃないか?」

 持っていた大量の茸と山菜をかごに入れてから、マダラがレンジの背中越しに覗きこむ。

「これはよく似た違う茸だな。毒があって食えない」

「まじかよ、そっくりじゃないか」

「まあ、経験がないと難しいさ。俺は小さい頃からやってるからな。さて、そろそろ獣避けを見に行くとしようか」

 雷電がかごを背負い、二人が立ち上がりかけた時、マダラのポケットから電子音が鳴り始めた。
通信機を取り出して、画面を立ち上げる。

「救難信号だ。行こう、雷電の力が必要になるかもしれない」

「わかった」


 ナカツガワ・コロニーを取り囲む森は、その外縁を獣避けの柵によって区切られている。柵の周囲は木が刈られ、帯のように拓けた土地が延びていた。

 救難信号は柵の程近くから発せられていた。雷電はマダラに先行して、柵沿いの道を駆け抜けていた。

「木が倒れて、柵が壊れてる!」

 立ち枯れた大木が根元から折れ、柵を押し倒して大きな穴をあけていた。

「『信号はその近くだ。人影を探してくれ』」

 通信機でモニターしていたマダラが、雷電のヘッドスピーカー越しに指示を出す。

「了解」

 見回すと、近くの木立がなぎ倒されて新しい獣道ができていた。

 道の先には、大きな猫型のモンスターが横たわっていた。白色の毛皮に、茶色のぶち模様がついている。頭には数発の銃弾が撃ち込まれ、開いた口からは大振りのナイフを思わせる鋭い牙が二本生えていた。

「モンスターの死骸だ。でかくて、2本の牙が生えてる奴だ」

「『雷電のカメラ越しに、こっちでも見えてるよ。ダガーリンクス、牙山猫だな。……けど、死んでる? 本当に?』」

「頭を何発も撃ち抜かれてる。間違いない」

「『信号は消えてない。まだ何があるはずだ。まずは人を探さないと……』」

 マダラが言いかけた時、牙山猫の向こう側に繁った低木がガサガサと揺れた。

 身構えるレンジの前に、猟銃を担いだ赤い顔の中年男性が転がりでてきた。そのまま地面に這いつくばり、必死の表情と身振りでうつぶせるように訴えている。雷電も従った。

「助けに来てくれたのか! あんた確か、タチバナさんとこの動画の」

 狩人が声をひそめて言う。レンジも小声で返した。

「雷電です。何があったんですか?」

「狩りに出たら、山猫たちが茨鹿を狩ってるのに出くわしてな。触らぬ神にと思ってたが、柵の破れ目から鹿と山猫が禁猟区に入っちまった。何とか食い止めようと思ったんだが」

「あの山猫はあなたが?」

 レンジの問いに狩人が頷く。

「あの一匹が精一杯だ。他の猫は逃げ出した。あいつはまだ残っているが、俺の弾じゃ歯が立たん」

「あいつって?」

 立木がなぎ倒され、枝を踏み折る音が近づいていた。

「『茨鹿だ!』」

 ヘルメットのスピーカーから、マダラが叫ぶ。樹の幹を思わせるような脚に支えられ、引き締まった巨大な筋肉の塊が浮かんでいた。更にその上に太い首が建ち、2つの目玉がギラギラと光っている。大鹿は薄く緑色を帯びた毛皮に被われていた。全身の至る所から袋角が肉厚のひだとなって幾重にも重なって飛び出しているさまは、バラの花を思わせる。

 茨鹿は右前脚を引きずって、鼻息荒く周囲を睨んでいる。どの脚も鋭い刃に切り裂かれて血がにじみ、花びらがこぼれ落ちるようだった。

「マダラ、どうしたらいい?」

「『柵の向こうに追い出すのは難しいだろう。繁殖期の茨鹿は神経質だし、狩り立てられて気が立ってるはずだ。もちろん、放っておく訳にもいかない。近くの柵が直せないし、そいつ自身もプラントを荒らすからな』」

「じゃあ、やるしかないのか」

「『ああ、頼む』」

「了解」

 雷電は大きく跳んで、うつぶせている狩人から離れると立ち上がった。

「俺が相手だ鹿お化け、“電光石火で、カタをつけるぜ!”」

 茨鹿は雷電を見下ろすと、雄牛のような低い声で嘶いた。そうして地面を揺らしながら、猛然と突っ込んできた。

 雷電は突撃を横跳びで避け、鹿が体勢を立て直して再度走り込んでくると、脚の間を潜り抜けた。茨鹿の注意を狩人から逸らしたのを見計らうと、手負いの右前脚を殴り付けた。巨大な鹿は構わずに右脚を大きく振り、雷電を引き離した。

「びくともしない! 熊以上の難物だな」

 鹿は後ろ脚で立ち上がり、大振りで左前脚を打ち下ろす。地面が大きく抉れた。

「『まだ足りないんだ。もっと撃ちこみ続けてくれ』」

「簡単に言ってくれるなあ」

 重機に見まごう巨体の突撃をいなし、柱のような脚を蹴りつけて跳び退く。

「『雷電のスーツは、蹴り飛ばされても大丈夫なはずだ。踏みつけられたら危ないから、それだけは気をつけて』」

「もっとやれってか!」

 雷電は茨鹿の股ぐらに潜り込み、左前脚に取りついた。足関節に狙いを定めて殴り続ける。鹿が脚を振り回そうが、後ろ脚で立ち上がろうが武者ぶりついた。

「このスーツは、物を投げるのも強化してくれるのか?」

 殴り続けながらレンジが尋ねる。

「『威力も弾道計算もサポートしてくれるはずだが、どうして?』」

「決め手が足りない。必殺技を使う。充電はどうだ?」

 大鹿が脚を大地に激しく打ち付けた。雷電は転がり落ちて距離をとる。

「『一発分なら、いけるよ』」

 鹿は雷電を正面から睨み付け、体当たりしようとしたがよろめいた。ひたすらに殴られた左前脚の関節が悲鳴をあげたのだ。

「“一撃で十分だ。決めるぜ!”」

 スーツにしゃべらされた決め台詞を口から出すままにして、雷電は茨鹿の蹄に巻き上げられた石をつかんだ。体勢を崩し、落ち込んだ頭に狙いを定める。

「“サンダーストライク”」

「『Thunder Strike』」

 ベルトから音声が発せられ、全身が青白く輝く。雷電が振りかぶると、全身の電光が肩から腕に集まっていく。

 腕を振り下ろして石を投げると、加速した石は一直線に撃ち出され、スラッグ弾のように巨大な鹿の眉間に突き刺さった。そして頭蓋骨を穿ち抜き、脳を貫いて彼方に飛んでいった。

「『Discharged!』」

 茨鹿は断末魔すらあげずに、地響きを立てて倒れこんだ。


 柵に応急処置を施してからマダラが追い付くと、三人は獲物を運んで山を下りた。といってもマダラと狩人は、雷電が引きずっている鹿と山猫が引っ掛からないように、周りの枝を切り払うのがせいぜいだったのだが。

 コロニーのゲート前には、タチバナを通じて話を聞いた人々が集まっていた。興味津々の子どもたち、家事を終えた主婦、避難してきた農業プラントの労働者たち、その他野次馬たちが集まり、山狩りの装備を固めた猟友会と警備部の面々が待機していた。

「雷電が帰ってきた!」

 大きなリヤカーを引いてきたアオが、肉塊を引きずる雷電を見つけて大きく手を振ると、野次馬たちもワアッと声をあげた。男たちはレンジたちに駆け寄り、大鹿と山猫を担ぎ上げてリヤカーまで運んでいった。

 タチバナが雷電の肩を叩く。

「お疲れさん。よくやってくれた」

 プラントの人々が口々に礼を言う。子どもたちも笑顔で近づいてきた。雷電は変身を解いて皆の顔を満足そうに眺めた。

「あれ、アキとリンは?」

 子どもたちも驚いて互いに見回す。真っ先に駆け寄ってきそうな二人連れの姿がなかった。子どもたちがざわつき、大人たちにも波が広がった。

「どうした、アキとリンがいない?」

 マダラが人混みをかき分けてやって来る。

「あの二人には、発信機つきのタグを持たせてるんだ。何かあればすぐに探すことができるようにね」

 マダラが通信機の画面を立ち上げる。地図を開いて画面をさわると、離ればなれになった2つの点が表示された。

「ひとつはこっちに向かってる。もうひとつは山の中だ!」

 人々はざわめき、山狩りの相談をしていた猟友会と警備部の面々は顔を強ばらせた。

 すると山を見張っていた人々の中から「リンが来たぞ!」と声があがる。雷電とマダラたちが駆けつけるとひざをすりむき、泥や木の葉にまみれたリンが、泣きべそをかきながら大人たちに囲まれていた。アオが優しくだきしめる。

「リンちゃん、どうしたの?」

「あたしが、こっそり雷電についていきたいって言ったから……山に入ったら、山猫がいて……アキちゃんはあたしを逃がすために、おとりになる、って言って……」

 リンが泣きながら、途切れとぎれに話すのを聞いて、レンジは銀色のベルトを腰に巻き付けた。

「行ってくる。マダラ、ナビを頼む」

「待ちなよレンジ、ベルトの充電は切れてるだろ」

 マダラは通信機を操作しながら言った。

「必殺技以外は何とかなるだろ」

「ちょっとだけ待ってな……来た!」

 エンジンの音が近づいてきて、バイクの黒い影が走り込んできた。無人の大型バイクはクラクションを鳴らし、人垣を左右に分けながらレンジの前に停まった。ボディのキズやヘコミも修理され、陽に照らされて艶やかな光を放っている。

「どうだ、今朝のうちに修理も調整も終わったんだぜ」

「お前、自動操縦なんて勝手につけやがって」

「いいから、バイクに乗って変身してみな」

 マダラは悪びれずに言う。レンジは文句をあきらめ、バイクに跨がってベルトのレバーを下ろした。

「“変身”!」

「『OK,Let's get charging!』」

 激しいエレキギターとベースの音が轟き、ベルトがカウントを始めた。

「おねがい雷電、アキちゃんを助けて!」

 リンが叫ぶと、レンジは親指を立ててみせた。

「任せて」

「『……Maximum!』」

 黒いボディスーツと鈍い銀色の鎧がレンジを覆うのと同時に、バイクも銀色の装甲に包まれた。

「『"STRIKER Rai-Den", charged up!』」

「成功だ! これがストライカー雷電の相棒、サンダーイーグルだ!」

銀色の装甲には金色から青にグラデーションがかかったラインがかかり、ヘッドライトは猛禽の眼のように鋭い光を放っている。雷電はコツリとバイクを小突いた。

「まさか、ここまでするとはな! 怒る気も失せたよ。なんの役に立つんだこれ」

「いいか雷電、サンダーイーグルはライトニングドライバーのバッテリーを充電する機能があるんだ。バイクのパワーもかなり上がってる。そのまま山道を走れるぜ」

 タチバナが撮影用ドローンを飛ばし、装甲バイクにまとわりつかせた。

「道の修理とかは気にするな。ぶっ飛ばしていけ!」

「了解!」

 雷電はバイクのエンジンをふかし、木々のトンネルに飛び込んだ。


 装甲バイク“サンダーイーグル”は砂利にタイヤを吸い付けるようにしながら、坂道を駆け上がった。一基ずつ搭載された水エンジンとバイオマスエンジンが、息の合った二人三脚で安定した回転数を保っている。マダラの調整は完璧といってよかった。

「マダラ、あんた大した腕だよ」

「『ありがとう! ……バイザーに信号の方向をポイントするよ』」

 マダラが言うと、視界の端に三角と丸のサインが浮かび上がった。

「『三角が雷電、丸がアキの持ってるタグだ。ルートはこちらでナビする。しばらく道なりだ』」

「了解」

 アキの丸は一ヶ所に留まって動かない。マダラが通信機越しに「次の分岐を左」「次は真っ直ぐ」と指示を飛ばす。山道を走り続けると、三角と丸がじりじり近づいていった。

「『もう少しだ! そこのカーブで道を外れて、そのまま真っ直ぐ藪に突っ込め』」

「無茶を言うなあ!」

 文句を言いながらも、雷電はためらいなく藪の中を突き進んだ。石を弾き飛ばし、枝を折りながら道を作っていく。藪を抜けるとダガーリンクスたちが群れ、細い木の周りにたむろしていた。

 行き掛けの駄賃とばかりに一頭を撥ね飛ばす。黒い毛皮の山猫は「ギャン!」と短い悲鳴をあげて転がった。

「『アキは木の上だ!』」

 白地に黒ぶち、茶色の縞模様、茶色と黒の三毛……とりどりの毛色をした山猫たちが雷電を取り囲む。アキは木にしがみついたまま叫んだ。

「助けて、雷電!」

「任せとけ! ……まとめて来やがれ、どら猫ども、“電光石火で、カタをつけるぜ!”」

 雷電はバイクを乗り捨てると、跳びかかってきた山猫を避けた。

「充電はどうなってる?」

 次々に襲いかかる山猫たちから身をかわしながら雷電が尋ねる。

「『必殺技、一発と半分ってとこかな』」

「まとめて一発分にして、放電時間を伸ばせないか?」

「『やってみる』」

 脚に噛みつこうとした山猫を蹴り飛ばす。猫たちは跳びかかってはかわされ、殴られては距離を取ってを繰り返しながら、じりじりと包囲網を狭めていった。今や、前脚を伸ばせば爪の先が雷電に届きそうなほどだ。

「『……できた!』」

 大きく息を吐き出してマダラが言った。

「『放電時間はこれまでの倍だ!』」

「ありがとう!」

 ダガーリンクスたちが壁になって迫る。一斉に身を屈めて、跳びかかろうとした瞬間、雷電も膝を落とした。

「“サンダーストライク!”」

「『Thunder Strike』」

 閃光を纏った右脚が円弧を描き、波のように襲いくる山猫たちを凪ぎ払った。

 撃ち漏らした山猫が間髪入れずに跳びかかってくると、雷電は身を翻して左脚を放つ。雷光の曲線が再び山猫たちを貫いた。

「『Discharged!』」

 立ち尽くす雷電の周りに、ダガーリンクスたちが重なって倒れていた。

 木から滑り落ちるように降りてきたアキは、雷電に抱き止められると泣き出した。ひとしきり泣くと「もう、大丈夫」と言って袖で涙を拭き、雷電の腕から地面に降りた。

 雷電は近くに乗り捨てていたサンダーイーグルを起こすと、座席の荷物入れを開けてヘルメットを出し、アキに投げ渡した。

「わっ」

 アキがあわてて受け止める。

「それ被って、後ろに乗りな。リンが心配してるぞ」

「うん!」


 アキと雷電を乗せたバイクがナカツガワの町に戻ると、鹿狩りを終えた時以上に集まった人々が歓声をあげて、二人を出迎えた。アキは大泣きしているリンとアオからきつく抱き締められ、雷電は町中の人々からもみくちゃにされた。

 人々は祭りの日かのように笑い、歌いながら一団となってナカツガワ・コロニーの中央通りを歩いていった。

 白峰酒造の前にはクレーンが置かれ、首を落とされて皮を剥がれた茨鹿が吊り下げられていた。巨大な肉塊の血抜きは既に終わり、ところどころの身が削ぎ落とされている。タチバナが店の中からテーブルと椅子を運び出していた。

「皆、おかえり。今日は雷電の活躍を祝って、白峰酒造のおごりだ。鹿鍋を食べていってくれ」

 人々は一際大きな歓声をあげた。皆で手伝ってテーブルを並べ、席が足りない分はブルーシートを広げて、宴会が始まった。レンジはブルーシートに腰を下ろすと子どもたちにまとわりつかれながら、ミュータントたちが酒を酌み交わし、鹿鍋に舌鼓を打つのを見ていた。

 大宴会は参加者の歌や踊りを交えながら日が沈んだ後も続いたが、子どもたちがうとうとし始めたのを見たタチバナが拡声器で皆に呼びかけ、酒場が普段店じまいするよりも早い時間に解散した。

 参加者たちも一緒にテーブルと椅子を片付け、茨鹿の肉塊を部位ごとに切り分けて冷蔵庫に放り込むと、祭りの後はあっという間に片付けられた。アオはアキとリンを寝かしつけるために二人を連れていき、マダラは「ライトニングドライバーの調整をする」と言い、ベルトを持って自室に引っ込んだ。

 客たちも去り、がらんとした酒場のホールにタチバナとレンジが残った。タチバナはカウンターの奥からとっておきのウイスキーを取り出すと、ロックにしてなめるように呑みはじめた。客がいる間は呑まないと決めているのだった。

「おやっさん、お疲れ様です」

「お疲れさんは、お前さんだろうに。しかし、レンジからもそう呼ばれるとはなあ」

 タチバナは笑ってグラスを置いた。

「レンジも呑んでなかったろう、どうだ一杯?」

「ありがとうございます。でも、俺は飲まないんで……」

「そうか」

「おやっさん」

「うん?」

「雷電をやらせてもらって、ありがとうございます。お蔭で俺、町の人たちに受け入れてもらえました」

 タチバナは「よせよ」と言って笑った。

「ベルトを渡したのは俺だが、その後はお前さん自身の頑張りじゃないか。まぁ、そう言ってくれるのは嬉しいんだがな」

 タチバナがグラスに再び手を伸ばしかけた時、レンジが「あの」と声をかけた。

「どうした?」

「この町に、チドリさんという人はいませんか?」

「チドリ、ねえ……」

 少し考えたが、名前に覚えはなかった。

「わからんな、どんな“なり”をした人なんだ?」

「女の人なんですが、歳は俺より少し下だと思います。こめかみの周りと首から胸元までと、肘から下が鳥みたいな羽に被われています。脚は、脛の辺りから下が鱗になっていて……」

 タチバナは腕を組んで「ふーむ」とうなった。

「やっぱりわからんな。少なくとも、今この町にはいないだろう」

 レンジはがっかりしたような、どこか安心したような表情で、タチバナの答えを聞いていた。

「そうですか。ありがとうございます」

「そのチドリという人は、お前さんの、その……何だ、ツレか?」

 タチバナの問いに、レンジは「違いますよ」と返して軽く笑う。

「会ったことはないですけど、姉みたいな人です」

「ふうん」

 タチバナは要領を得ない答えに再びうなって、ウイスキーをぐびりと呑んだ。

「ははは、俺にもまだ分からないんです。……それじゃ、おやすみなさい」

「俺からも、ちょっといいか」

 帰りかけたレンジの背中に、タチバナが声をかけた。

「はい?」

 レンジが立ち止まり、二人が黙るとホールは静まり返った。

「その……俺はこの町で保安官の真似事をしてるんだが」

「はい」

 乾いた声でレンジは返した。

「お前さんの経歴を見せてもらった。オーサカ・セントラル保安管区で保安官殺しの嫌疑がかかっていることもな」

 レンジは口を一文字に閉じて、話を聞いている。

「勘違いさせてしまっては済まんが、お前さんを逮捕するわけじゃないんだ。その保安官は悪名高い腐敗デッカーでな。俺も保安官である手前、人を殺すのはいかんと言うしかないが、そいつは調べれば調べるほど、いつどこで殺されてもおかしくなかった。実際、悪徳デッカーがぶち殺されるなんて、よくある話だ。管区をまとめる巡回判事にとってもそいつは厄介者だったんだろう。捜査はすぐに打ち切られた。管区の後ろ暗い事情も一緒に闇に葬って、な」

 レンジは黙って、話の続きを待っている。タチバナは努めて軽い語調で話を続けた。

「まあ、お前さんにかかってたのはあくまで疑いに過ぎないし、ここまでオーサカ・セントラルの捜査が来ることはないさ」

「俺です」

「ん?」

「俺が撃ったんですよ、そのデッカー」

 表情を変えずにレンジが言う。

「そうか」

「何も言わないんですね」

 タチバナは、レンジの表情を探っていた。良心の呵責や、逮捕への恐怖は見えなかった。

「一昨日に言っただろう、この町はどんな奴だって受け入れる、ってな。……いや、一番気になっていることは、そうじゃないんだ」

 タチバナは話を区切り、仕切り直して話しはじめた。

「デッカー殺しの現場で、ミュータントの女の子が撃たれて亡くなってるんだが」

 レンジの目に、怒りとも哀しみともとれぬ色が浮かぶ。

「それが、どうかしたんですか」

 冷徹ささえ感じさせる無機質な声だった。タチバナはレンジの事情に踏み込みすぎたかと思い、一呼吸して間を置いたが、やはり話を続けることにした。

「やって来たばかりだが、お前さんはこの町でよくやってるよ。だが、それは普通の“真人間”にとってはよほど大変なことだってのも、俺は知ってるつもりだ。ミュータントの中にたった一人で入っていくというのはな。普通はどこかでミュータントを恐れるもんだ。それか“自分はミュータントを差別しない人間だ”って意識が鼻につくか、だな。しかし、お前さんはそんなことはなかった。自然にこの町に入ってきたんだ。町の奴らは、ただ役に立つストライカー雷電としてお前さんを受け入れたわけじゃない。仲間として認めたんだ。……だからなあ、俺はお前さんのことを、もっと知りたいと思ったんだ。それで経歴を調べて、事件に出くわした。犠牲者の女の子が気になったのは、長年の保安官稼業から来るクセみたいなものだ」

 レンジは黙って聞いていたが、眼差しの険しさは少しやわらいでいた。

「おやっさんが言った通り、よくある話ですよ」


 脳裏に、タカツキ・サテライトの裏路地が広がった。ごみ袋の山の間に、男がうつ伏せになって倒れている。雲の切れ間から射す月光が、横たわる赤毛の少女を照らした。

 ことりは胸に赤い染みを拡げていたが、穏やかな表情で両目を閉じている。

 よくあることだ、とレンジは内心、繰り返して言った。悪徳デッカーが路地裏で殺されることも、ミュータントの女の子が撃たれて死ぬことも。

 どこにでもあるような町の、ありふれた出来事に過ぎないのだ。

「デッカーらしいやり口で嫌な思いをさせたのは悪かった。お前さんが背負ってるものが何かはわからんが、話すことで楽になるのなら、いつでも話を聞くぞ」

「ありがとう。……でも、大丈夫です」

 レンジは「おやすみなさい」と言って再び歩きだした。戸口に入るとき、振り返ってタチバナを見た。

「おやっさん、また明日もよろしく」

「おう」

 “STAFF ONLY”と書かれたドアが小さくバタリ、と音をたてて閉まる。タチバナは一人で残り、グラスを傾けた。


イヴェント:シェイド オブ フォート カガミハラ

 大宴会から2週間程経ち、レンジはナカツガワ・コロニーでの生活にすっかり馴染んでいた。

 毎朝、酒場のホールに降りて食事をとった後、雷電スーツを身につけて山に向かう。山での仕事は川魚や山菜、野生の果物といった山の幸を採ったり、点在する農業プラントを回って作物を受けとるというもので、時には山中の人工物ーー獣よけの柵や見張り小屋などーーを点検して補修することもあった。初めの一週間は毎日マダラと一緒に山に入ったが、次の一週間は山の仕事を一人で任されることもあった。そして夕方から夜まで、保安官事務所を兼ねた酒場“白峰酒造”で雑用仕事に追われるのだった。

 ヒーロー、“ストライカー雷電”としての仕事は、この二週間特になかった。元々ナカツガワ・コロニーを訪れる者はほとんどいない。獣たちも間引かれ、町も山も平穏そのものだった。

 タチバナは雷電がダガーリンクスの群れを蹴散らしてアキを助けた場面を撮った後、すっかり動画撮影に“はまる”ようになり、雷電が出かける時にはドローンをつけるようにしていたが、狙い通りの画が撮れるわけもなかった。雷電スーツの姿で魚を釣ったり、小屋の掃除や修理をする映像を撮るのがせいぜいだった。

 あまりののどかさに業を煮やし、キソジ・オールド・パスの山中に雷電を向かわせて、ミュータント化した野生の獣と戦わせることもあった。殺気をみなぎらせて突っ込んでくる装甲猪を相手に立ち回ることは、レンジにとっては恐ろしく刺激的な体験であったが、出来上がった動画を見た子どもたちの反応は今一つだった。


 子どもたち相手の上映会を終え、開店を待つ酒場のホールに“ストライカー雷電”の製作陣がたむろしていた。

「『また動物を狩ってる』って言われましたね」
 子どもたちの呆れた表情を思い出しながら、テーブルに頬杖をついてレンジが言う。

「装甲猪とサシで正面からやり合うなんて、普通できることじゃないんだぞ」

 カウンターでグラスやボトルを並べ直していたタチバナが、ムスッとしながら言う。

「俺、また無茶ぶりされてたんですか」

 立ち上がりかけたレンジを、「まぁまぁ」と言ってマダラがなだめた。

「俺としてはいい実戦データが取れたからよかったけど、やっぱり子どもたちには物足りないんじゃないですか」

「それじゃどうする? 何かいい案はあるか?」

 黙って話を聞いていたアオが「はい! はい!」と手を挙げた。

「やっぱり、雷電が怪人と戦うのを見たいと思います!」

「それ、お前が見たいだけじゃん……まあ確かに、俺も見たいけどさあ」

 意見の合った兄妹が「やっぱり、原作を再現してディーゼル帝国のエンジノイドを……」とか「いや、現代に合わせてサイバネティクス凶悪犯とか、暴走オートマトンとかを出した方がリアリティーが……」などと盛り上がり始める。

「おやっさん、実際問題、できるんですか? そういう、敵怪人みたいなの……」

「そうだなぁ……技術部次第かな?」

 そうレンジに答えたタチバナが、マダラに目配せをする。

「怪人ねぇ……まあ、ガワだけなら簡単にできますけど、誰が着るかですよね」

 マダラは眉間にしわを寄せて、アオをじっと見た。

「私……?」

「俺としては、あまりやらせたくないんですけどね」

「こんな役回りで済まんなアオ、背丈からすると、お前さんが一番“映える”んだよ」

 うつむいてかすかに震えているアオに、タチバナが申し訳なさそうに声をかける。

「あー……いや、おやっさん、こいつの場合は違うんです」

 マダラが言いかけると、アオはがばりと顔を上げた。

「私が、ストライカー雷電に出れるんですか!」

 今にも立ち上がって踊りだしそうな喜びようだった。

「お、おう……」

「どんな怪人になれるのかなあ、今からすっごく楽しみ! 私も脚本作りに参加できるんですよね?」

「いいんじゃないか……?」

「やったー!」

 戸惑うタチバナを尻目に、アオは立ち上がってくるくると回りはじめた。

「そうと決まれば、まずはオリジナルの“ストライカー雷電”を見直して研究しなくっちゃ! レンジさんも一緒に見ましょう。やっぱり、本物の雷電を見とかなくっちゃ! ……いえ、レンジさんの雷電が偽物ってわけじゃないんですけど! でもやっぱり、変身ポーズはやれる方がいいと思うんです」

 アオの勢いに圧されて、レンジは「はい」と答えた。

「すまんなレンジ、こうなったら妹は止まらないんだ。俺も付き合うから……」

 マダラが同情して言った。そのままレンジを引っ張っていきそうなアオを、慌ててタチバナが止める。

「来週末に、うちがカガミハラ買い出し班になる。申請を通しておくから、撮影はカガミハラでやるぞ。それまでにプロットを組むから、よろしく頼むぞ」

「わかりました! レンジさん、あまり時間がないので、ちょっと詰め込みになっちゃうけど、頑張りましょうね!」


 アオは早速、従業員寮3階の談話室に“重要会議中、立ち入り禁止”と書かれた札を提げると、レンジとマダラを連れて部屋を占拠した。酒場の営業時間以外は談話室に籠り、三日間をかけて旧文明期の特撮テレビドラマ“ストライカー雷電”を見続けた。作品としては素晴らしい出来であったが、長寿番組だったために膨大な話数があり、とても見尽くせるものではなかった。アオは每話目を輝かせながら画面にかじりついていたが、レンジは2日目の途中からぼんやりしはじめ、マダラも3日目が終わる頃には、テニスボールのように大きな目をショボショボさせていた。

 タチバナが「そろそろ、脚本作りに回るように」と声をかけてくれて解放された時には、レンジはストライカー雷電の変身ポーズをすっかり身につけていた。それから談話室にタチバナを加えた4人が集まり、脚本作りの議論に明け暮れた。

 タチバナの“つて”により、舞台はカガミハラ・フォート・サイトの裏路地、廃工場が多く並ぶ再開発地区に決まった。敵怪人については議論が紛糾したが、タチバナの「子どもたちに受けるには、よりイメージしやすい敵の方がいい。俺たちは原作の続きを作るわけじゃないんだ」という言葉に泣く泣くアオが折れた。その結果、犯罪組織が操る危険なオートマトンを鎮圧する、という筋書きになり、脚本が組み立てられていった。

 タチバナは会議をはじめて2日で脚本を書き上げると、必要な小道具をかき集めた。マダラは寮の地下倉庫からオートマトンのジャンクパーツをかき集め、アオのための着ぐるみに仕立てあげた。

 計画開始から一週間経った朝には、タチバナが運転する、野菜や装甲猪のベーコンなどを満載したトラックと、マダラ・アオ兄妹の乗る撮影用のバン、そしてレンジのバイクが勢揃いして、白峰酒造の前に並んでいた。

「大人ばっかりずるい!」

「何でみんなで行くの、いつもは2人くらいで行ってるのに?」

 見送るアキとリンの問いに大人たちはギクリとしながらも手を振った。

「ごめんな、俺たちも仕事だから……」

「土産を楽しみにしてな」

「今日はヒトミちゃんのお母さんのところでご飯食べさせてもらってね。遅くなるかもしれないけど、帰ったら連絡するから」

「じゃ、行ってきます」

 トラックを先頭にした三台は、列を連ねて動き始めた。


「先輩」

 軍警察の制服を着た若年の捜査官が、並んで歩く人物に声をかけた。話しかけられた人物は、「んっ、んふん」などとわざとらしい咳払いをする。

「メカヘッド先輩、指示を受けていた第6地区の地図と物件使用者のリスト、準備できました」

 ため息をつきながら捜査官が言い直すと、“メカヘッド先輩”は「ふふん」と満足そうに鼻で笑う。彼の頭は機械部品と金属製のカバーによって覆われ、表情はおろか素肌さえ見えなかった。

「ご苦労さん。会議室も取ってくれてるな? そこに置いといてくれ」

「承知しました。4C会議室です」

「サンキュ」

「あのう」

 大股で歩き去ろうとする男を、捜査官が呼び止めた。

「……これは広報課の業務ではないかと思うのですが……」

 メカヘッドが無機質な白い廊下の中央に立ち止まって振り返る。額のセンサーライトが光り、後輩の顔を捉えた。

「何だ、不満か?」

「いえ、失礼します」

 恐縮する後輩捜査官は一礼すると近くの階段を上っていった。後輩を見送った後、メカヘッドも向き直って歩き去っていく。一連のやり取りを見ていた女性警官が、隣にいた同僚に話しかけた。

「メカヘッド先輩、いつもより静かだけど機嫌悪いの?」

「いや、そんなことは……今日はいい方じゃないか? むしろ気合いが入ってる、というか……」

「ふーん」

 カガミハラ軍警察一般捜査部最先任、自らを“メカヘッド先輩”と呼ばせる男は周囲の声も気にせず、早朝の署内を大股で歩いていった。


 ナカツガワ・コロニーを出発した一行は、オールド・チュウオー・ラインのでこぼこ道を西に走っていた。

 列の最後尾を走るレンジのヘルメットに内蔵されたインカムが電子音を鳴らし、着信を知らせた。

「『タチバナだ。感度どうだ?』」

「レンジです。よく聞こえてます」

 レンジが答えるとアオ・マダラからも問題なしとの返信があり、タチバナは短く「よし」と皆に伝えた。

「『レンジ、ナカツガワまで来る時にカガミハラを通ったと思うが、あっちからどれくらいかかった?』」

「夜更けに出発して次の日の夕方に着いたんで、大体丸一日ですね」

「『オールド・チュウオー・ラインはあちこち崩れてるから、道に沿って行ったら確かにそれぐらいかかるだろうなあ』」

 マダラがそう言うと、すぐにタチバナが続ける。

「『これから俺たちはオールド・ラインから離れた道を通ってカガミハラに行く。四、五時間くらいで着くだろう』」

「そんなに早く着くんですか!」

 驚くレンジに、通信機の向こうのタチバナは得意気に「ふふん」と笑った。

「『途中で分かりにくいところもあるから、しっかりついてきて覚えてくれよ』」

「了解」


 しばらく瓦礫の道を進んだ後、トラックは道路脇の茂みに突っ込んだ。バンとレンジのバイクも後ろに続く。地面には2本の太いわだちが刻まれ、道が先まで伸びていることを示していた。

 時折顔にかかってくる枝を押しのけながら進むと林が途絶え、荒れ野が広がっていた。等間隔に打ち込まれた虎縞模様の杭をなぞるように、拓けた原を駆けていく。途中に横たわる川には旧文明期の橋が残されていた。ところどころ補修されている橋を渡り、岩だらけのはげ山を越え、再び荒れ野を行く。

 やがて森が見えてくると、隊列は再び緑のトンネルの中に入った。わだちをなぞって走り続けて森を抜けると、再びオールド・チュウオー・ラインのに戻っていた。瓦礫の道の先には、暗灰色の城壁がそびえ立っていた。


 カガミハラ・フォート・サイトは港湾コンビナート群を抱えるナゴヤ・セントラル・サイトの北に位置する、旧文明期の軍事基地跡に建てられた城塞都市である。ナゴヤ・セントラル防衛軍によって実質的に運営され、同軍の本拠地として、地域の治安維持と凶暴化したミュータント獣を駆除する拠点として機能していた。

 タチバナが重厚な正門の前にトラックを停め、インターホンでやり取りを済ませると門がゆっくりと開いた。バンとバイクを門のそばにある駐車場に停め、車を降りた3人はトラックの荷台に乗ってにぎやかな大通りをゆっくりと進んだ。

 ナカツガワ・コロニー産の作物やモンスター肉を卸すのは、大通り沿いに大きなビルを構える老舗、“会津商店”。店の前にトラックを停め、タチバナを先頭に一行はビルに入った。

 店のカウンターには大型ミールジェネレータが連なり、食料品を買い求める人々が列をなしていた。部屋の隅にはテーブルが置かれ、取引のある企業のエージェントが店側の担当者と話し込んでいる。

 にぎやかな中で、「ミュータント」と誰かが小声で言う。ささやきは波のように広がり、スーツ姿の企業エージェントから買い物袋を提げた主婦まで、店内にいた客の視線が3人のミュータントに集まった。店内には他にミュータントはいなかった。タチバナ一行の周りから、静かに人が退いていく。

「タチバナ様、いらっしゃいませ。すぐに専務が参ります」

 いかつい黒服の社員が客の波をすり抜けて、慌ててやって来た。

「いや、こちらこそどうも。お心遣い感謝します」

 タチバナが丁寧に返すと、黒服はますます恐縮して小さくなった。

 店の奥から「はい、ちょっと失礼しますよ」と低い声がすると、客と店員が左右に動いた。部屋の中央にできた道を通って、小袖姿の小柄なお婆さんがきびきびと歩いてきた。レンジの身長の半分を超えるくらいだが、全身から気力が溢れ出るようで、身長にそぐわぬ迫力がある。細い目は鋭い眼光を放っていたが、タチバナの前に立つと途端に上品な老婦人然とした微笑みを浮かべていた。

「タチバナさん、ようこそおいでくださいました」

「専務さん、いつも丁寧にありがとうございます。うちの者も毎週お世話になって……」

 タチバナが挨拶を返すと、専務は落ち着いた色遣いの袖を手に当てて「ほほほ」と笑う。

「よしてくださいな。わたくしどもこそ、いつも新鮮な野菜やお肉を卸していただいて、感謝しております。この間の鹿ハムは、食通の方から殊に好評をいただいたんですよ」

「それも、会津屋さんに扱っていただいてこそですから」

「お上手なんですから……今回はどのような物を見せていただけるんですか?」

 専務の目が鋭い光を放った。

「いつも通りにプラント産の野菜と、装甲猪のベーコンをお持ちしました。それと、猪と牙山猫の毛皮も積んでます。病疫と汚染の監査は、うちの者が済ませておりますが」

「まあ、まあ! すぐに運び込ませましょう。毛皮も、うちから付き合いのあるお店に紹介させてもらいますね。今回も、こちらの監査が済み次第の入金になりますが構いませんか?」

「私は結構です」

「ありがとうございます。決算が済むまでカガミハラ市街に留まっていただく必要がありますが、さほど時間はかかりますまい。今回もありがとうございました」


 専務と店員たちに深々と頭を下げられて、ナカツガワ・コロニーの一行は店を出た。客たちがざわめく声を背中に聞きながら、店の自動ドアが閉まった。

 タチバナは「ナカツガワ共有」と大きく書かれたステッカーが貼られた小型端末機をアオに渡した。そして3人にそれぞれ封筒を渡すと、店員たちによって早々に荷台が片付けられたトラックに乗り込んだ。

「ちょっと早いが、封筒は今月分の給料だ。個人的な買い物に使ってくれ。俺はトラックを駐車場に運びがてら、ロケのことを軍警察の人と詰めてくるから、端末に入金されたら先に買い出しを始めていてくれ」

「いつも思うんだけどさ、何で共有財布を俺に持たせてくれないの?」

「お前さんの金遣いが信用できんからだ。売り上げを全部ジャンクパーツに宛てた時には眩暈がしたぞ」

 兄の悪癖を思い出して、アオが渋い顔をしている。

「あの時には発電機と変電装置を直すために、あれだけの部品が必要だったんだよ。実際、部品は余らなかっただろう?」

「修理が必要だったことは認めるし、お前さんの目利きは確かなんだがなあ。断りなしに勝手に進められると困る、ってこった。レンジもよろしく頼むぞ。3人で相談して買い出しを進めてくれい」

 タチバナは話を終えると手を振り、車を走らせていった。

「全く、参っちゃうよな」

「兄さんは反省したほうがいいと思う……」

 珍しく目尻のつり上がったアオに責められ、マダラはぐうの音も出なかった。

「もうしません……報連相大事……」

「全くもう」

 しょんぼりするマダラと頬を膨らませるアオに、レンジが「まあまあ」と割って入った。

「俺、カガミハラの町はよく知らないんだよ。何があるか、とか買い出しって何を買うのか、とか教えてくれないか?」

 兄妹はくすりと微笑んだ。

「それじゃあまず、電気街でジャンクパーツを探すぞ」

「レンジさん、兄は無視してください。まず新聞と雑誌を仕入れに行きましょう」

「なんだよ、冗談だって! あとは服や雑貨かなぁ」

「順番に行こう。俺も自分用に何か買おうかな」

 兄妹がやり合い、レンジは辺りを見回しながら、3人は並んで大通りを歩いていった。


「急な相談で済まなかった。ここまで丁寧に準備してくれるとは思わなかったよ、ありがとう」

 軍警察庁舎の4階にある小会議室で、タチバナが渡された資料に目を通してから言った。

「先輩からの連絡ですからね。気合いも入るってもんです」

 向かい側の席に腰かけたメカヘッドが、揉み手をはじめそうな恭しさで言う。

「どうだかな。お前のことだから、何か裏があるんじゃないかって疑っちまうよ、俺は」

「ハハハ」

 メカヘッドは乾いた声で笑うが、否定しなかった。

「それと、最近の事情も教えてくれたのがありがたかった。撮影のネタに使わせてもらったよ」

「非合法薬物の密売シンジゲートの話ですか? これで話題になって、抑止力になるなら大歓迎です。いくらでもリークしますよ」

「おい、おい……」

 調子よく話すメカヘッドに、タチバナは苦笑する。

「他に確認事項とか、あったか?」

「そうですね……」

 メカヘッド後輩は持っていた紙ファイルをパラパラとめくり、ページを開いてテーブルに置いた。

「特撮ドラマの撮影と聞いてますが、使う資材は申請書の通りで変更ありませんか? 市街地は武器の使用が禁止されてるので、火薬とかもちょっと量が増えただけで面倒になるんですよ」

「そこは変更なしだ。火薬も最低限の分量で、後は合成すれば何とかなるんだと」

「それなら問題ないでしょう。しかしすごい技術ですね」

「まあ、うちの技術者に任せっきりなんだがな」

 メカヘッドは資料を片付けながら話を聞いていた。タチバナも受け取った資料を書類鞄に入れる。

「そんなもんじゃないですか。素人が簡単に手を出せるもんじゃないでしょ。……先輩、せっかくなんで何かつまんで行きませんか。カツ丼でもあんぱんでも」

「どうせここの食堂で、経費で落とすんだろ。だいいち何だよ、その取り合わせ……」

「本当は是非お連れしたい店があるんですけど、この時間は開いてなくて」

 タチバナは壁にかかった時計を見ながら立ち上がった。

「これから撮影があるからなぁ。皆を待たせると悪いし、今はやめとくよ。画が撮れたら連絡するから、お前のおすすめって店に皆で行って夕飯にしないか。いかがわしい店じゃないんだろう?」

「それもいいかもしれませんね。……新人さんはどうです?」

「よく働いてくれてるよ」

「……本当にデッカー、殺してそうですか?」

 メカヘッドの言葉が不意に鋭くなった。

「カガミハラ軍警察は関知しないんじゃなかったのか」

 タチバナがにらむと、メカヘッドは肩をすくめた。

「別に逮捕しよう、ってんじゃないんです。巡回判事と軍警察のトラブルになることがわかりきってる案件、上は誰もつつきたがりませんよ」

「だが、お前は違うんだろう?」

「俺はお巡りさんですから。市民が危険に曝されるようなら手を打つまでです」

 タチバナは大きく溜め息をついた。

「お前にデータベースをあたってもらった手前、こっちも突っ張りきれんな。……認めたよ、『自分がやった』ってな。まあそうなんだろう」

 メカヘッド後輩は「へえ」とだけ言って聞いていた。

「それ以外は人を殺せるような奴に見えんがな。何か訳ありなんだろう」

「わかりました。何か起きない限り、こちらからその件に首を突っ込むのはやめておきましょう」

 二人はそれぞれ書類鞄を持った。

「そうしてくれ。何もないことを願うよ。じゃあ、また後でな。……どんな案件を抱えてるか知らんが、根を詰めすぎるなよ」

「ええ?」

「色々考えてる時ほどヘラヘラしたりマジメになったり、落ち着かなくなるのは昔から変わってない、ってこった」

 後輩は自らのメカヘッドに右手を当てた。

「タチバナ先輩にはかないませんね」


 タチバナと別れるとすぐにアオが持つ端末機が電子音を鳴らし、入金が済んだことを知らせた。画面には結構な額面が表示されている。

「ナカツガワじゃ賄えないものを1週間分買い込むのさ。これくらいはいるんだ。さあ行こう」

 レンジが目を丸くしていると一緒に画面を見たマダラが言う。3人はカガミハラの大通りを歩き始めた。

 レンジはアオとマダラに案内してもらいながら3人でカガミハラの町を歩き、ナカツガワに持ち帰るものを買い集めた。

 酒場に置く新聞と雑誌、町の貸本屋に卸す本に絵本、漫画と、皆が自由に利用できる電子書籍のデータ。老若男女の衣類は、「デザインの参考になるものを」と町の仕立屋から依頼されてのものだった。そして化粧品、衛生用品、玩具など。それぞれの店で注文したものは、駐車場に停めている車に運ぶように手配した。


 昼過ぎに目ぼしい店を回り終え、駐車場に戻ると荷物は既に荷台に詰め込まれ、扉に納品書がべたべたと貼り付けられていた。マダラが伝票を集めて読み上げ、アオが端末の画面を見て収支を確認する。

「全部あるね」

「よし、作業完了だな」

 帰り道の会津商会で買ったサンドイッチの袋と水筒を抱えて、レンジがやってきた。

「ただいま。いくつか選んで買ってきたよ。紅茶とコーヒーをおまけしてもらった」

 2人は「ありがとう」と言い、そのまま3人で駐車場に座ってサンドイッチを分けはじめた。順番を譲られたレンジがBLTサンドを取ってコーヒーをコップに注ぐと、兄妹も嬉しそうに袋を覗きこんだ。

「会津屋さんに顔を覚えてもらったな、やったじゃないか。……ハムカツサンドもらうぞ」

「私、玉子サンド! コーヒーも貰うね」

「じゃあ、俺は紅茶にしよう」

 皆が食べようとしたタイミングで、鞄を持ったタチバナが戻ってきた。

「おーい、お疲れさん」

「おかえりなさい」

「サンドイッチ買ってきたんですよ。おやっさんもどうです?」

「すまんなレンジ、いただくよ」

 タチバナはレンジから紙袋を受けとると、厚焼き玉子のサンドイッチを取った。

「こいつがたまらなく好きでね」

 返された袋から、若者たちは二つ目のサンドイッチを選んだ。玉子サンドを取ったマダラが顔を上げる。

「おやっさんの方こそ、手続きありがとうございました。うまくいきましたか?」

「ああ、問題ないそうだ。皆の買い物はどうだった?」

「買い物、全部済ませました。納品も引き落としも済んでます」

 一つ目の玉子サンドを食べてからアオが答え、端末をタチバナに返した。マダラも納品書の束を渡す。タチバナは画面を流し見た。

「問題無さそうだな。黒字になった分は、町の積み立てに回そう。……レンジ、カガミハラはどうだった、どう思った?」

「そうですね……俺は立ち寄っただけだったんで、これだけ賑やかな町だったとは思いませんでしたよ。会津商会の専務さんがすごく丁寧だったのに驚きましたけど……」

 レンジは言いよどんで、コーヒーをすすった。会津商会の丁重なもてなしについて触れると、"それ以外"が頭をもたげてくるのだった。

「すまんな、言いにくいことだと思うが……この町でのミュータントの扱いはどう思った?」

 マダラとアオがサンドイッチを置き、じっとレンジを見ていた。

「こいつらは精々、ナカツガワとカガミハラくらいしか町を知らないんだ。外の世界のことを、教えてやってくれないか」

 レンジはコップを車止めに置いた。喉が乾くような錯覚を覚え、生唾を飲んでから口を開いた。

「そうですね……結論から言うと、他の町に比べたら随分丁寧だと思います」

 マダラもアオも納得いかない、とばかりにもぞもぞ動いている。

「最後まで聞けよ。……二人に詳しく話してくれないか」

 レンジはうなずいて、二人を正視した。

「会津商会以外の店に行ったら、店員はだいたい素っ気ない態度で、視線をろくに合わせてくれないよね。そんな扱いされて嫌な気持ちになるのは当たり前だと、俺も思う。でも、他の町ではミュータントがもっと酷い扱いを受けてるところは、ざらにあるんだ。物を売ってくれないのはまだいい方だ。足元を見てふっかけられたり、わざと不良品を掴ませたり……他の客からも酷い言葉をかけられることもある。道を歩いているだけでミュータントじゃない人間から陰口されたり物を投げられる。この町では避けられるだけなんだけど。行方不明になったり殺されても、まともに取り合ってもらえないで、なかったことにされることだって、よくあるんだ……」

 マダラとアオはぐっと固まって話を聞いている。

「ごめん……」

「謝ることはない。レンジの言ってることは事実だからな」

 タチバナがきっぱり言った。

「ミュータントがどう見られてるのか、知っておくことも必要だ。……さあ、飯を食ったら撮影に行くぞ」

 そして、玉子焼きのサンドイッチを口に放り込んだのだった。


 アオとマダラは俯いたまま、レンジは二人をチラチラと見ながら、それぞれ無言で昼食を済ませた。紙袋などのゴミをバイオマス発電機の分解槽に突っ込むと、レンジのバイクとマダラ・アオ兄妹に加えてタチバナも一緒に乗ったバンは、撮影現場に向かって出発した。

 脚本の流れや撮影機材の確認など、とりとめなく話すうちにマダラとアオは気持ちを切り替えていた。

 ロケ地となるカガミハラ市街第6地区ーー廃工場が並ぶ再開発地域ーーに着くと、真っ先にバンから飛び出したタチバナが通りを見て回り、撮影場所の検討をはじめる。しばらくすると早足で戻ってきて、運転席で待つマダラに話しかけた。

「場所の見当がついた。設営を始めよう」


 カガミハラ・フォート・サイトに暮らすミュータントは、さほど多くはない。流入するミュータントの多くにとって、この町はナカツガワ・コロニーをめざす中継地点に過ぎなかった。

 昔から町に住み着いている者、様々な事情からオールド・チュウオー・ラインの奥地へと分けいることを断念した者たちが、うらぶれた路地や再開発地域の廃ビルの谷間に、ひっそりと暮らしている。彼らはコミュニティを作る程の力もなく、それ故にか非ミュータントから手酷い排斥を受けることもなかった。

 廃ビルが朽ちながら立ち並ぶ第7地区の外れ、ビルの隙間に挟まれた木造のぼろ家の戸口に、ミュータントの若い女性が立っていた。首の周りから胸元にかけて、鳥の飾り羽根のような羽毛に被われている。両手には手首から振り袖のように翼が生えていた。髪をまとめ、黒い艶やかなドレスと薄いショールを身にまとった姿は、再建計画もなく見捨てられた町の死骸の中にあって、一際目を惹いた。

「それじゃ、おじいさん、またお店にも顔を出してくださいね。お孫さんも心配してましたから」

「いつもありがとう。チドリさんのところで孫が働かせてもらって、本当に感謝しているよ。“止まり木”がなかったら、あの娘だってどうなっていたか……」

 家の中から出てきた灰色の老人が、女神を信奉する修行者のように両手を組みながら言う。

「私はできることをしているだけですし、あの子もよく働いてくれてます。だから、あまりかしこまるのはおやめくださいな」

「それはすまなんだ」

 チドリが老人に手を振って立ち去ろうとした時、見慣れぬバンとバイクが隣の第6地区に向かって走ってくのが目に入った。

「珍しいですね、車がこの辺りを走ってるなんて」

「ああ、なんだか隣の地区で撮影があるそうだよ」

「撮影……」

 チドリは走り去るバイクに乗った男の背中を、じっと見送っていた。


 マダラとレンジは車から出した機材を並べて、無人の工場跡地に即席の撮影編集ブースを組み立てていた。マダラの指示でレンジが機材を結線して、発電機を接続したマダラがスイッチを入れると、各所のインジケータが点灯して画面が立ち上がった。

「オッケー、準備完了だ」

 タチバナが起動したドローンのカメラを通して、工場内の映像が画面に写し出される。

「映像も問題なさそうだな。音声はどうだ?」

 ドローンを操作しながらタチバナが尋ねると、マダラは起動中の機材を確かめた。

「いけます。拾えてます」

「よし。俺は現場の設営に行ってるから」

 タチバナが撮影ブースを出た直後、入り口に停まっていたバンの後部扉が開いて、アオが降りてきた。

「インナー着替え終わりました。兄さん、スーツの着付けお願いします」

 スタイルのよい長身をぴったりしたインナースーツが包み、ボディラインを際立たせている。レンジは慌てて目を反らした。

「すぐ準備するから、部屋の隅で待っててくれ」

 マダラは横目でレンジを睨みながら、着ぐるみを入れたコンテナが載った台車を転がした。


 オートマトンの内部装甲をそのまま使っているだけあって、着ぐるみを身につけたアオは両腕を巨大な武器に改造し、ソフトスキンの外装を取り去った戦闘用オートマトンにしか見えなかった。

「すっごい! 私じゃないみたい!」

 鏡を見たオートマトンが女の子のように喜ぶ。

「どうだい、制作サイドとスーツアクトレスと造形師の要求を完璧に融合させたこの仕上がりは!」

「大したもんだな。……けど、三つめのは要するにお前のこだわりじゃないか」

「それがなきゃ形にならないだろ?」

「うーん、そんなもんか……」

 オートマトンの顔面が大きく上下に裂け、アオの顔がのぞいた。

「ありがとう兄さん、スーツアクトレスも大変満足です」

「おう」

「それと……レンジさん、他の町のミュータントのこと、話してくれてありがとう。私、勝手に傷ついてました。ごめんなさい」

「いや、それはアオが謝ることじゃ……」

「ちゃんと聞けなかったのは事実ですから。でも、こうやって撮影の準備をしてたらすごく楽しいし、私って幸せだって思えたんです。いい画が撮れるように頑張りましょうね!」

 笑顔の眩しさに、レンジも微笑んだ。強い娘だ、と思う。

「……うん、頑張ろう」

 二人の話を聞いていたマダラが、張り合うように手を挙げた。

「はい! はい! 俺だってレンジの話を聞かせてもらって、よかったと思ってますぅ!」

「うん、わかってる、わかってる」

「兄さん、みっともない……」

「ちくしょう!」

 二人から駄々っ子を相手するようにあしらわれてマダラが悔しがっていると、戻ってきたタチバナが入り口から顔を出した。

「準備できたから、撮影始めるぞ。……お前たち、何やってんだ?」


 文明崩壊の直後は簡素な設備が稼働し、工員たちがひっきりなしに行き来していた第6地区の大通りも、生活圏を取り戻した人々が過去の技術を“再発見”するにつれて人は去り、今や静まり返った廃工場街と化していた。

 道のそこかしこに模造品のドラム缶や燃料タンクが転がっている。雷電と殺人オートマトンが闘うときに思う存分壊せるように、タチバナが組み立てて配置したものだったが、よほど近寄って注視しない限り、模造品と気付くのが難しいほど精巧に作られていた。

 ライダースーツ姿のレンジが通りの中央に立つと、撮影用ドローンがホバリングしながら見下ろしている。

「『これから撮影を始める。レンジ、アオ、準備いいか』」

 ドローンのスピーカーからタチバナの声。工場内のマイクを通して指示を出しているのだ。

「いけます」

 レンジがドローンに向かって答える。

「『大丈夫です』」

 今度はドローンから、アオの声が聞こえてきた。スーツに内蔵したインカムを使って話しているのだった。

「『よし、マダラのナレーションから、脚本通りに進める。3……2……1……アクション!』」


「『カガミハラ・フォート・サイトの陰に蠢く犯罪組織、非合法な武器と麻薬を売りさばく死の商人のアジトを、ストライカー雷電はついに探り当てた……!』」

 声色をつくってマダラが読み上げるナレーションを聞きながら、レンジは変身用ベルト“ライトニングドライバー”のバックルを丹田に押し当てた。銀色のベルトが左右から飛び出し、腰に巻き付く。

「“変身”!」

 そう言うと同時に、バックルについたレバーを押し下げた。

「『OK, let's get charging!』」

 軽く腰を落として両足を踏ん張る。何度も映像を見ながら練習した体勢だ。

「『ONE!』」

 両腕を大きく伸ばす。“チュウゴク・ケンポー”の一種を元にした動きだとマダラが教えてくれた。

決して周囲に隙は見せないが、激しいビートや軽快なカウントとは裏腹の悠然とした動きで両腕を旋回させる。

「『TWO!』」

 アオは「戦いの中でも余裕がある感じが格好いい」と話していた。レンジにとってはスーツを身につける前に呼吸を整えることができるので、この動きはありがたかった。

「『THREE! ……Maximum!』」

 カウントが完了するのを聞いて身構える。全身を黒いインナースーツが包み、鈍い銀色の鎧とヘルメットがその上に形作られた。身体の各所に、雷光のようにラインが走る。

「『"STRIKER RaiーDen", charged up!』」

 変身を終えた雷電は、周囲を警戒しながらシャッター街となった通りを歩く。縦に走る黄色い帯が、くすんでところどころ剥げ落ちているシャッターの前に差し掛かった。

「どこにいる……?」

 この台詞は合図だ。そのまま1秒につき一歩歩く。1歩、2歩、3歩。

 黒い丸に笹の紋が入ったシャッターを突き破って、両腕にハンマーと杭打ち機を取り付けた戦闘用オートマトンが飛び出してきた。両腕を大きく振り回し、天を仰いで合成音声の咆哮をあげる様は、アオが操演しているとは思えない仕上がりぶりだった。

「出たな、殺人オートマトン! “電光石火で、カタをつけるぜ!”」

 雷電スーツの“大見得”機能によって発せられた決め台詞を合図に、2つの人影が走り出した。二人にピントを合わせたドローンが自動追尾して飛んでいく。

 互いに睨み合いながら1つ、2つと区画を越え、大きな工場前の駐車場跡に出た。元々積み上げられていたドラム缶に加え、模造品のドラム缶をタチバナが置いて、城壁のようになっている。ここが雷電とオートマトンの決戦地になるのだ。

 オートマトンが立ち止まり、右腕のハンマーを繰り出す。雷電が両手で受け止めると、ハンマーの勢いが殺がれ、軽く押される感覚があった。レンジは自力で後ろに跳び、転がって受け身を取る。

 雷電を弾き飛ばしたオートマトンは力を誇示するように両腕を振るい、近くに置かれていたドラム缶の1つを真上から叩き潰した。中から紙吹雪が舞い上がる。


「いい感じじゃないか! アオにこんな才能があったとはな!」

「いや、あれは好き過ぎてのめり込んでるだけです。……あれ?」

 撮影編集ブースで、タチバナとマダラはドローンから中継されている映像にかじりついていた。満足そうにタチバナが言うが、マダラは眉間にシワを寄せている。

「おやっさん、今アオが潰したの、うちで用意したドラム缶じゃないですね」

 上機嫌だったタチバナが途端に青ざめた。

「なんだって! 撮影を中断するか?」

「いや、あの工場は随分前から放置されてるはずです」

 すぐさまマダラはメカヘッドが用意した撮影地の資料をめくる。

「……リストを見たらやっぱり空き家みたいですねあそこ」

 タチバナはほっと息をつくと、気持ちを切り替えるためにか豪快に笑う。

「よし、このまま進めるぞ」

 画面の中では、雷電の拳とオートマトンの両腕に仕掛けられた武器が激しく撃ち合っていた。レンジとアオが何度も打ち合わせ、組み手をして作り上げてきた通りの演舞だ。両者は時おり回転して立ち位置を入れ換え、さながらダンスを踊っているようだった。足元にはドラム缶から飛び出した色とりどりの短冊が散らばっている。

「……何ですあれ? あの、ドラム缶から出てきた……」

 タチバナはタブレット端末を取りだし、ドローンの映像を呼び出す。足元を拡大すると、シートには等間隔を保って錠剤がパックされていた。

「まじかよ、あれは……」

 編集部の会話を聞いていたレンジが足元を見る。インカム越しのレンジと、タチバナが同時に叫んだ。

「『LDMA!』」

「合成麻薬だ!」


「LDMA!」

 雷電が叫ぶのと同時に、ドラム缶の山の陰から黒尽くめの人影が立ち上がり、レンジとアオを取り囲んだ。ヘルメットに目出し帽、タクティカルベストとプロテクターで身を固めている。構えた小銃が、一斉に雷電とアオを捉えた。

「こいつらっ!」

 レンジは咄嗟にアオをかばい、オートマトンスーツを抱きしめた。タタタッと乾いた音が響き、雷電の背中に衝撃が響く。

「くそっ!」

 ドローンは銃撃を避けて障害物の狭間に着地していた。絶え間なく届く映像を確認していたマダラが叫ぶ。

「『レンジ、連中の銃じゃスーツは抜かれない。アオも大丈夫だ。ガンガンやってやれ!』」

「了解!」

 レンジが話している隙を狙って、黒尽くめの一人が忍び寄っていた。雷電の死角から、大きく銃の台尻を振り上げた。

「駄目っ!」

 雷電に銃が叩きつけられる前に、アオが右腕のハンマー……の形をしたグローブで殴り付けた。

「ぐぇぶ」

 拳が鈍い音をたてて腹にめり込むと、男は間抜けな声を空気と共に吐き出した。アオが腕を振り抜くと、黒尽くめは勢いのままに飛んでいき、ドラム缶の壁に突き刺さった。ガラガラと音をたてて缶の山が崩れ、不逞の輩を押し潰す。取り囲む黒尽くめたちは一瞬固まったが、後ずさりながら銃を構え直した。

「『武器を持った奴を取り逃がすな!』」

「了解!」

 タチバナの檄に短く答え、雷電は身構える。

「“電光石火で、カタをつけるぜ!”」

 雷電が決め台詞を言い始めると共に、黒尽くめたちは一斉に引き金を引いた。

 レンジはスーツによって半ば強制的にしゃべらされながらも動き続けていた。アスファルトを蹴り、弾丸の雨を掻い潜って最も手前にいた男に殴りかかる。銃で右の拳を防がれると、すぐさま左を放ち、みぞおちに叩き込んだ。

「『二人目!』」

 タチバナが喜び勇んで言うが、雷電は男に蹴りを放つと後ずさった。

「まだだ!」

 黒尽くめは倒れない。取り落とした銃を拾い上げると、素早く再び構えた。

「どうなってるんだ、手応えがないぞ!」

「『ちょっと待ってくれ……』」

 今や黒装束たちは雷電を標的にしていた。銃を鈍器として振りかぶり、雷電の周囲を取り囲んでいる。

「『……ごめん、スーツのリミッターとセーフティをつけたままだった! すぐ外すよ!』」

「早く頼む!」

 殴りかかる男の顔面を打ちすえて足止めし、後に続く集団を封じる。左右から回り込んできた敵が顔を出すたびに、もぐら叩きのように殴る、蹴る。

「きりがない!」

 黒尽くめたちはすぐさま体勢を立て直し、4、5人が一度に雷電に組み付いて、動きを封じた。残りの数人が廃工場に向かって走り出す。

「ちくしょう! 逃がすかよ!」

「レンジさん!」

 アオが雷電に駆け寄ろうとした時、マダラが叫んだ。

「『……解除できたよ!』」

 雷電を押し潰していた黒い塊が盛り上がった。リミッターを解除したスーツの力で、黒尽くめの集団に組み付かれたまま立ち上がったのだ。

 セーフティを外した総身に力をこめると、四肢に稲妻が走る。軽く感電した男たちを投げ飛ばすと、雷電は駆け出した。鎧に走るラインが光の帯を描く。

 廃工場に向かって走る黒装束たちの最後尾に追いすがって殴り倒すと、二人目を跳びげりで沈めた。三人目は銃を構えて応戦の体勢を取ったが、遅かった。雷電が大きく踏み込んで間合いを詰め、雷光を纏った拳を放つ。最後に残った男はタクティカルベストに拳の形を烙印されて吹っ飛び、大の字になって倒れた。

「逃がさないって、言ってるだろう」


 黒尽くめたちが沈黙したことを確認したタチバナが、バンを走らせてやって来た。動かない黒装束の男たちを拘束すると、レンジやアオと一緒に運んで並べ置く。作業を済ませるとドローンを拾い上げてため息をついた。

「やれやれ、とんだ撮影になっちまった。軍警察が来るまで休憩だな。……この映像、使えんかなあ」

 ドローンのスピーカーから「『いや、無理でしょ』」とマダラが返す。

「また撮ればいいじゃないですか! 次はもっといい殺陣ができると思うんです!」

 アオがスーツのフェイスカバーを開いてタチバナを慰めた。

「『お前は自分がスーツ着たいだけだろ……』」

 レンジは雷電スーツを解除せず、撮影班のやり取りを背中で聞きながら廃工場に近づいていった。

「なあ、マダラ、連中は何をしたかったんだろうか?」

 タチバナの手からドローンが飛び立ち、レンジの後ろについてきた。

「『麻薬の証拠隠しをしたかったんじゃないの?』」

「それはわかるんだけど、この工場が気になるんだよな」

 雷電はシャッターが降りた廃工場の前に立った。中に人の気配はなかった。

「『脱出口とかじゃない? 排水溝とか、地下道とかが伸びててさ』」

 足元にはマンホールがあり、シャッターの横には操作盤がついていた。部品は黄ばんでいるが、故障や破損があるようには見えなかった。

「それが“カタい”んだろうけど……おっ、動くな」

 操作盤に電源が通っている。レンジが盤上のキーを適当に押していると、液晶画面に“無効な操作です”と表示された。

「駄目か……」

「『出鱈目に押して、開くなら苦労しないさ』」

「そりゃそうなんだけどさ……お?」

「『どうかした?』」

 レンジが所在なげにキーを押し続けていると、液晶に“不正侵入の疑い 10秒以内に停止コードを入力”と表示され、機械音と共にカウントが始まった。

「何だか知らんが、反応してくれたな」

「『完全に警戒されてんじゃん! 何がくるかわからんぞ!』」

 雷電とドローンは、液晶画面が“3……2……1”と変化していくのを見守っていた。“0”が表示されると同時に、正面のシャッターが大きな音をたてて上がり始めた。

「おーい、レンジ、何やってんだ!」

 タチバナが駆け寄って来るが、身を屈めてシャッターの向こうを覗き込んだレンジは、すぐに起き上がって制した。

「おやっさん、アオと一緒に下がっていてくれ」

 シャッターが持ち上がると、艶消しの黒で塗られたパワードスーツが立っていた。2メートルを優に超える機体を、重厚な外殻が包んでいる。四肢はパワーアシスト用のシリンダーが組み込まれて巨大化し、人間の骨格から離れた造作をなしていた。各部に這わされたコードとパイプが、どこか生皮を剥がされた動物のような生々しさを感じさせる。

 シャッターが開ききる前に、パワードスーツ頭部のセンサーライトが赤く光った。

「来る!」

 黒い巨人が歩きだし、上がりかけのシャッターを破って工場の外に現れた。センサーの赤い光は雷電を捉えている。

「上等だデク野郎! “電光石火で、カタをつけるぜ!”」

 パワードスーツの拳が振り下ろされる。雷電が避けると、地面に叩きつけられた衝撃で周囲のドラム缶がひっくり返った。

 雷電はすぐさま回り込み脇腹を殴り付けるが、装甲がわずかに歪むだけだった。黒装束の巨人は上体を回転させて、雷電を弾き飛ばす。

「クソほど固いじゃないか!」

 標的を他に逸らすわけにいかず、レンジは振り下ろされる拳の雨を避けながらパワードスーツの周りを走り回った。隙を狙って殴り付けるが、パワードスーツはびくともしない。雷電は殴り返され、両腕で身をかばったが、大きく飛ばされてドラム缶の山を崩して中にめり込んだ。

「さすがに衝撃がきついな……!」

 パワードスーツは目標を見失っておろおろ歩いている。雷電はドラム缶を掻き分けて跳び出した。

「『雷電、あの装甲は相当固い。関節を狙うんだ!』」

「セオリー通り、ってか。必殺技の充電はどうだ?」

 赤い眼光と睨み合う。巨人が大きな拳を振り上げた。

「『……駄目だ! 安全モードで無茶させ続けたからな!』」

 打ち込まれる拳を避け、再び至近距離にまとわりつく。

「なら仕方ない! アオたちの避難は?」

「『ついさっき終わったよ!』」

 鈍い銀色のスーツが、アスファルトに叩きつけられた巨人の拳を蹴って跳び、広く間合いを取った。

「それならいける!」

 雷電は積み上げられたドラム缶の山を駆け登ると、山から山へと跳び移った。パワードスーツはカメラアイを動かして敵を追うが、ドラム缶の上を自在に跳ね回る雷電を捉えきれない。

 巨人を散々翻弄すると、雷電は崩れた山の上に降り立った。パワードスーツが拳を振り下ろすと、大きく跳び上がる。

 パワードスーツの腕がドラム缶を押し潰した時、雷電は上空に浮いていた。赤い光が再び敵を捉えるが、身構える前に雷電は重力に任せて巨人の肘関節を踏み抜いていた。

 子どもの背丈はあろうかという前腕部がへし折られて転がると、パワードスーツは片側の重りを失い、バランスを崩す。着地した雷電が曲がった膝を蹴ると、巨体は仰向けになって地面に倒れた。

 立ち上がろうとしたパワードスーツが左腕で地面を押そうとすると、雷電は腕に抱きつき、身体をよじるようにしてもぎ取った。再び倒れた巨人の脚から配線とパイプを引きちぎり、取り付けられていたシリンダーを叩き壊すと、パワードスーツは仰向けのまま動かなくなった。

「よし!」

 雷電がパワードスーツの残骸を見下ろしていると、タチバナとアオが駆け寄ってきた。

「今度こそ、終わりだな」

「レンジさん、お疲れさま」

 サイレンの音が近づいてくる。

「おいでなすったな」

 タチバナがそう言って大通りに視線を向けると、アオとレンジも一緒に振り向いた。


 赤いパトランプを点灯させ、灰色の軍警察車両が列をなして近づいてきた。工場前の路上に停まると、車内から制服姿の軍警官たちが現れ、隊列を組んで歩いてきた。先頭の車両からは黒いドレスを纏った妙齢の女性と、無骨な機械部品の頭をしたスーツベスト姿の男が降り立った。機械頭の男が手をあげると、軍警官たちが立ち止まり、憲兵たちが揃って敬礼した。

「ナゴヤ・セントラル軍警察、カガミハラ分隊であります。……先輩すいません、部隊の編成に時間がかかっちゃって」

 メカヘッドは敬礼を解くと、途端にへらへらしながら言う。

「おう、もう終わってるぞ」

「それは何より! 俺たちの仕事もはかどるってものです! 皆さんもお怪我はありませんね? ご協力ありがとうございました」

 雷電スーツを解除したレンジとアオは呆気にとられて機械頭の私服警官を見ていた。

「始めろ」

 メカヘッドが短く指示すると、憲兵たちの半分が銃を構えたまま廃工場に入っていった。もう半分の軍警官は武器を背負い、数人を除いて工場前の検分と、拘束された不審者たちの収容を始める。最後に残った数人が、メカヘッドの後ろに並んだ。

「皆さんには署まで同行頂き、簡単なインタビューに答えて頂きます。これは状況の確認をとる必要上おこなうもので、お時間はさほど頂きませんし、不正行為の嫌疑によるものではありません。断って頂いても構いませんが……」

「協力しよう。皆はどうする?」

「構いませんよ」

「私も」

「『俺も。……あっ、すいません、離れたところにいるんで、すぐ向かいます』」

「構いませんよ、車でお迎えにあがります」

 メカヘッドは宙に浮かぶドローンのレンズに話しかけた後、再びタチバナたちに向き直った。

「皆さんも、署員の運転する車にお乗りください。……ナカツガワ・コロニーの正保安官とご家族の方々だ、失礼のないように!」

「はい!」

 さらに向きを変えて憲兵たちに指示を飛ばすと、メカヘッドはレンジを呼び止めた。

「タカツキ・サテライトのレンジ君」

 レンジは表情こそ変えなかったが、強い眼差しで私服警官を見た。

「はい、なんでしょう?」

「君は俺の車だ」

 メカヘッドはセンサーライトを光らせながら、レンジに一歩迫った。

「色々と話を聞かせてもらいたいのでね」


 黒いドレスを着たミュータントの女性に話しかけられた後、レンジはメカヘッドと二人で車に乗り込んだ。ドアが閉まり、女性が足早に去っていくまでを、アオはじっと見ていた。

「おーい、そろそろ行くぞ」

 灰色の軍警察車両に乗り込もうとしたタチバナが振り返って声をかける。

「はーい!」


 レンジは車から降りると、運転していたメカヘッドに先導され、カガミハラ軍警察署の無機質な廊下を歩いていた。西陽が窓から射しこんで白い壁に薄いオレンジの縞模様を描いている。二人は無言で歩き、“取調室”と彫られた札が提げられた部屋に入った。

「どうぞ」

 狭い部屋に、二脚の椅子を挟んで小さな机が置かれている。卓上にはライトスタンド。部屋の隅には資料棚と、もう1つの作業机。天井に吊られた白い照明灯が、冷たく室内を照らしていた。壁には鉄格子がはめられた小さな窓がひとつだけ。

「奥の椅子に座ってくれ」

 レンジが促されるままに腰かけると、反対側の席に私服警官が腰かけた。

「どうだい、この部屋は。旧文明の映像資料を集めて再現してみたが、なかなか様になってるだろう? 本当は窓を大きくして、ブラインドをつけたかったんだがなあ……」

「はあ」

 レンジが気のない調子で相槌を打つと、メカヘッドは咳払いをした。

「まずは被疑者の逮捕と捜査協力に感謝する。俺はカガミハラ軍警察署の一般捜査部に所蔵する……いわばお巡りさんだな。この仕事に就いて随分長いから、皆から親しみを込めて“メカヘッド先輩”と呼ばれている。よろしく頼むよ」

「レンジです。よろしくお願いします。私のことはよくご存知のようですが……」

「畏まらなくていいよ。……悪いが、オーサカ・セントラルの保安官資料を見せてもらった。と言うより、タチバナ先輩から君の来歴を調べるように頼まれたからなんだがな。気を悪くしないでくれよ?」

「いえ、大丈夫です。タチバナさんからも話は聞いていましたから」

 メカヘッドは自らの頭を平手でポンと叩いた。

「あっ、俺のことも聞いてたの? いやあ、参っちまうな! ……タチバナ先輩、俺のことは何て言ってた?」

「いえ、メカヘッドさん……」

 メカヘッド先輩が身を乗り出して、センサーライトが光る頭部を近づけてくる。

「せ、ん、ぱ、い、で頼む」

「……メカヘッド“先輩”のことは、何も聞いてません」

「ちぇっ」

 レンジが疲れを感じながら言い直して答えると、私服警官はがっかりして声をあげ、席に戻ると背筋を伸ばした。

「冗談はさて置いて、質問に移ろう。レンジ君……君は」

「はい」

 ひと呼吸おいてから、メカヘッドが尋ねた。

「チドリさんと、どういう関係なのかね?」

「はい?」

 鼻の孔もないのに、鼻息荒くメカヘッドが迫る。

「あのチドリさんが! 俺たちの歌姫が! あんなに親しげに話しかけて……おまけに受け取ったのはプライベートの名刺だろう! 俺は見落とさないぞ!」

 レンジはチドリから渡され、財布にしまいこんだ名刺を取り出した。

「これですか?」

 メカヘッドは慌ててセンサーライトの周りを手で覆う。

「いや、いや、見せなくていい! おこぼれでチドリさんの個人アドレスを知ろうなんて、そんな卑怯なマネはしないぞ、俺は!」

 うんざりしながら、レンジは名刺を戻した。

「とにかく、そんなものを持てる人間なんて限られている! お前はチドリさんと元々深い関係にあり、久しぶりに会った……違うか?」

「違います、初対面ですよ」

「信じないぞ! 状況証拠はあがってるんだ!」

 拗らせたファンの駄々っ子めいた言動に、レンジは深く溜め息をついた。

「彼女とは初対面ですよ。……彼女の関係者と知り合いだったので、その縁で俺の名前を知っていたそうです」

「関係者というのは、君がタカツキ・サテライトを出るきっかけになった事件にも関係しているのか?」

 メカヘッドが急に真剣な調子で尋ねると、レンジは肩をつり上げた。

「約一年前、タカツキ・サテライトで保安官殺しが起きた。殺人の嫌疑をかけられた君はすぐに出奔したが、数ヵ月も経たぬうちに捜査は取りやめ、事件は闇の中だ。君は自由の身になりながらも旅を続け、とうとう最果てのナカツガワ・コロニーにたどり着いた」

「デッカーを殺したのは俺です」

 レンジがきっぱりと言うが、メカヘッドは動じない。

「それは予想していた通りだ。だが、俺が知りたいのはそこじゃないんだ。君を逮捕するつもりもない。軍警察だって、どこの巡回判事だって、君を逮捕しようとはしないだろう」

 そう言ってから指を組み、姿勢を崩す。

「……君は“ブラフマー”を知っているか?」

「いいえ」

 レンジが全く覚えのない名前に困惑して答えると、メカヘッドはうなずいた。

「まあ、そうだろうな。ブラフマーというのは、麻薬やあるいは非合法な武器、機械部品など、後ろ暗いものを闇から闇へと売りさばくシンジゲートだ。オーサカ・セントラルを中心に各地に根を張り、カガミハラにも数年前から拠点を作っている。……はじめは君も協力者か構成員だと思っていたが、全く怪しい線が見つからなくてね。思いきって直接聞いてみようと思ったが、やはり無関係みたいだな」

 メカヘッドは笑いながら話した。レンジもつられて愛想笑いをつくる。

「あの、それってうっかり聞いたら不味い話でしたか?」

「いやいや、その手のスジ者からすれば常識みたいなもんだ、問題ないよ。おおっぴらに話すことでもないけどな。……さて、君がこんな話を聞かされている理由が、タカツキの事件に関係していると言ったらどうする?」

 笑うのをやめてメカヘッドが尋ねると、レンジも真顔になった。

「聞かせてもらえますか」

「被害者の正保安官、いやさ、君がぶち殺した腐れド外道の悪徳デッカー、ヨシオカはブラフマーの構成員だった。保安部へのスパイ活動をしながら、オーサカ・セントラルのあちこちに合成麻薬をばらまいていたのさ。そいつが殺された後、セントラルの巡回判事と保安部は不祥事の揉み消しと組織を摘発するためのネタ探しに躍起になった。けど、麻薬がほんの少し出てきただけでね、ちゃちなヤクの売人としての証拠しか上がらなかったのさ。仕方なくそれで捜査は打ちきりだ。ところが半年以上経って、カガミハラの裏路地に合成麻薬が現れた。かつてオーサカ・セントラルにはびこったのと同じタイプで、分析したところ不純物も含めて成分が完全に一致した。俺は麻薬のデータベースからオーサカの事件に当たりをつけていて、そこに関係者の君が現れたというわけだ」

 滔々と話すメカヘッドに、レンジは手を上げた。

「メカヘッド……先輩、もしかしなくてもこの話って、一般人が聞いちゃ駄目なやつなんじゃ……」

 メカヘッドは愉快そうに笑った。

「そうなんですね?」

 青くなりながら尋ねるレンジに、メカヘッドは顔を近づけて言った。

「君が“聞かせてくれ”って言ったんだぜ」

「そうなんですけど!」

 メカヘッドは席を立つと、言葉を失っているレンジの肩をポンと叩いた。

「これで俺たちは一蓮托生、ってやつだ。市民を守るためにお互い頑張ろうぜ、ヒーロー」

 資料棚横の机に置かれた内線機が呼び出し音を鳴らす。メカヘッドが受話器を取った。

「はい、取調室。なんだ、俺に……? ああ! すぐ行く。待っていてほしいと伝えてくれ!」

 内線のスイッチを切ると、うきうきしてレンジに向き直った。

「楽しいインタビューは終わりだ。飯にしよう。行くぞ!」


 メカヘッドとレンジがカガミハラ署の正面ロビーに着くと、昼とは違う艶やかな黒いドレスを纏ったチドリが、紙袋を持って椅子に腰かけていた。二人がやって来たことに気づいて、立ち上がって小さく手を振る。

「お二人とも、遅くまでお疲れさまでした。お腹が空いているかと思って、差し入れを持ってきたの。うちのお店で出してるものだけれど……」

「いやいや、ありがとうございます! チドリさんから差し入れだなんて幸せだなぁ! ……ん?」

 受け取ったメカヘッドは中を覗き込んだ。

「1つしか入ってないみたいですけど……?」

 チドリが小さく微笑んだ。

「それは、メカヘッドさんの分」

「ほーんと!」

 紙袋を持って小躍りしそうなメカヘッドを見てから、チドリはレンジの手を取った。

「では、レンジ“君”はうちに引き取らせてもらいますね」

「えっ?」

「ええっ!」

 男たちが驚きの声をあげると、チドリは楽しそうにクスクスと笑った。

「私、ただ待っているのは性に合わないから、捕まえに来ちゃった」

 そう言ってレンジの手をやさしく引き寄せる。

「私の店にご招待するわ。聞かせてもらいたいこと、私も沢山あるんですからね」

 メカヘッドは紙袋を抱えたまま、カガミハラ署の正面玄関を悠々と歩き去るチドリと、なすがままに連れ去られていくレンジを見送った。

「そりゃないぜ」

 紙袋の中に入ったボール紙の箱には、具材がたっぷりと入ったクラブハウスサンドイッチが詰められていた。

「今度は店で注文しよう……」


 カガミハラ署の隅の、窓のない部屋。押収物件を一時的に保管するための倉庫に、第6地区の廃工場から回収された物品が運び込まれていた。合成麻薬は全て金庫に収められ、棚にはところどころに傷のついた防具類や粗雑な作りの銃器。パワードスーツの残骸は大きなコンテナにまとめて放り込まれている。工事の敷地内から押収された種々の機械部品も、数字が書かれた札をつけられ、乱雑に並べられていた。

 大人がすっぽり入りそうな板状の機材が「13」と大きく書かれた紙を貼られ、部屋の奥に置かれていた。表面にある小さなインジケータに「信号途絶」と表示される。

画面の横にあるランプが、ぼんやりとした赤い光を点滅させ始めた……


ピリオド:ジ エンド オブ ザ リヴェンジズ

 アオとタチバナとマダラはカガミハラ署に連れていかれた後、簡単な状況説明を済ませるとすぐに解放された。

 再び軍警察の灰色の車に乗って現場に戻ると縞模様のテープが張り巡らされ、黒尽くめとパワードスーツが現れた廃工場前から即席の撮影編集室を設営した空きビルの前まで、通り一帯が封鎖されていた。

 車を運転してきた憲兵に案内されてテープをくぐり、内側に取り残された機材を集めてバンに積み込むと空は暗くなりはじめていた。3人は荷物を満載したバンの前に集まって、レンジが戻るのを待っていた。

「大方、機械頭の刑事に絡まれてるんだろう」

 タチバナの通信端末がメッセージの着信を知らせた。ポケットから取り出すと、レンジからだった。本文をざっと見てから、タチバナは端末機をしまいこんだ。

「レンジから連絡があった。取り調べは終わったが、用事ができたから遅くなるんだと。先に帰っていてほしいとさ」


 レンジはその夜、日付が変わって数時間してからナカツガワ・コロニーに帰ってきた。酒場のホールに顔を出すと、タチバナに「遅くなってすみません」と謝った。

 タチバナはレンジの顔を見る。背負っていた荷物を下ろしたような表情を見て、「おう、お疲れ」とだけ返した。二人はそれきり無言で、レンジは従業員寮に入っていった。

 それから二日間、ナカツガワは平穏そのものだった。タチバナは次の撮影計画を練り、マダラは撮影機材を片付けた後、地下室の工房で機械いじりに精を出していた。アオはアキとリンにカガミハラの話をせがまれながら、一緒に酒場の掃除や料理の準備に動き回っている。レンジは山に出てプラントを回ったり、町の人々から力仕事の手伝いを頼まれ、あちこちに顔を出していた。


 カガミハラの事件から二日後、開店準備のために酒場のホールにやってきたレンジに、タチバナが言った。

「メカヘッドからお前さんに連絡だ。直接会って話をしたいんだと。今日明日中に来れないか、と言ってきてるが」

 レンジはすぐに動き始めていた。

「今から行っていいですか」

「おう、明日まで有給扱いにしとくから」

「ありがとうございます。行ってきます」

 バイクを取りに従業員寮側の入り口に歩いていくレンジを、不安げなアオと不思議そうな顔をしたタチバナが見送った。

「レンジさん……」

「あいつ、そんなにメカヘッドと仲良くなったのか?」


「こんなにすぐ呼び出されるとは思いませんでしたよ」

 数時間後、レンジはカガミハラ第4地区、微かに翳りがみえる繁華街の路地裏に構えられたミュータント・バー、“止まり木”のホールでソファに腰かけていた。

「すぐにまた会えて嬉しいわよ、私は」

 給侍服を着たチドリが、レンジの前にグラスを置く。薄紅色の液体が照明を浴びて、微かな泡を立てていた。

「ノンアルコールカクテルだけど、よろしかったかしら?」

「ありがとうチドリさん」

「んー?」

「……チドリ姉さん、いただきます」

「うふふ、はーい!」

 赤くなって言い直すレンジを見ながら、チドリはニコニコしている。

 レンジの正面に座ったメカヘッドが、水の入ったコップをつつきながら二人のやり取りを見ていた。

「レンジ君を呼びつけたのは、俺なんですけどぉ」

「メカヘッド先輩に言われて、この店に来たんじゃないですか」

「なんで二人でそんなに楽しそうなんだよぉ、第一、なんでママが女給の格好して、お姉ちゃんなんだよぉ」

「あら、今日はお店も閉めてるし、せっかく弟が来てくれたのだから、私がおもてなししようと思って」

「弟! やっぱり、弟! レンジお前、チドリさんとは初対面だったんだろう? どういうことだ!」

「ははは……」

「お前の方が年上だろ! なあ、何をしたんだ? ……いや、ナニをしたかなんて聞くつもりはないんだけど!」

 ごまかし笑いをするレンジの襟を捕まえてメカヘッドが追いすがる。

「似合うかしら?」

 チドリが指先でスカートの裾をつまみ、膝をゆるめてポーズを取ると、メカヘッドは途端にデレデレして手を離した。

「似合ってますよ! 写真に撮りたいくらいだ」

「店内での撮影と録音は固くお断りいたします」

「ああ!」

 きっぱりと言われてメカヘッドが頭を抱える。

「その、本題に入ってもらえますか? 何で俺を呼んだのか……それに何でこの店なんです?」

 先ほどまでふざけた調子だったメカヘッドは手を下ろし、指を組んだ。

「署内がゴタついててな。俺が独断で動いてるのを知られるのが、ちょっとまずいんだよ。この店は信頼できるしな」

「あら、あんまり物騒な話なの? お店が休みでよかった、と言うべきかしら」

「すまないな、ママ。だが今回の件はこの店にも関係していることだ」

 気楽な様子だったチドリが姿勢を正す。メカヘッドは若くして店を取り仕切るママの顔を見てから、話を始めた。

「昨夜、この店で働いている女の子が不審者に襲われる事件があった。幸い、たいした怪我にはならなかったが……」

 話をチドリが引き継いだ。

「実はその前の夜も、ミュータントの女の子が声をかけられることがあったの。うちの店の子じゃなかったんだけどね。それで怪しいから、店を休んで様子を見ようと思ったの。……軍警察にも相談してたんだけど、いい返事をもらえなかったのよ。レンジ君とメカヘッドさんが動いてくれるなら大歓迎よ」

「ありがとうママ。実はこの不審者というのが曲者でな、証言を聞いてみると、どうやら素体剥き出しのオートマトンのようなんだ」

「でも、オートマトンなんて動かすのにも整備するのにも、すごい額の金と技術がいるでしょう。簡単に使えるもんじゃないですよ」

 話を聞いていたレンジは納得できかねていた。チドリも口を挟む。

「そんな貴重品を、たかだかミュータント娘のナンパに使うかしら? この前の撮影みたいに、着ぐるみになって人が動かしてたんじゃないかと思うのだけど」

 メカヘッドは両掌を天井に向けて首を振った。

「まず、着ぐるみって線はないだろうね。二度目の事件では、犯人は女の子を突き倒した後、近くのビルの壁をヒョイヒョイ登って逃げていったんだと。人間が着ぐるみを着てやるなら、ヘタにオートマトンを使うよりも高い技術がいる。タチバナ先輩のところは例外なんだぞ」

「サイバネ手術を受けた人なら、できるんじゃないですか?」

 レンジの投げた疑問に、チドリが答えた。

「この町では武器を持ってる人だけじゃなくて、サイバネ手術を受けた人も管理区域に住まないといけないの。厳しく管理されてるから、自由な行動は難しいでしょうね」

「ママの言う通りだな。サイバネ手術を受けた賞金稼ぎや傭兵も当たってみたが、その晩は皆、管理区域から出てないそうだ。……それとオートマトンを疑う理由がもう1つあってな。それが軍警察のゴタゴタと関係してるんだが……」

 メカヘッドは言葉を切った。

「第6地区の事件で押収したコンテナから中身が脱走した。どうやらオートマトンだったらしい」

「それは……」

「ほぼ決まり、と言っていいんだけどな。署内は責任の擦り付けあいですったもんだしてるのさ。おまけにどうやら、連中の協力者も紛れ込んでるみたいでね。どこで誰に目をつけられるか、わかったもんじゃない。だからママの店を使わせてもらった、ってわけだ」

「なるほど」

「それで、レンジには捜査の協力を頼みたくてな。こうやって呼び出したわけだ」

「わかりました。やりますよ」

 レンジとメカヘッドが握手をかわす。

「レンジ君がいるなら安心ね。私も頑張らなくちゃ」

 二人の話を聞いていたチドリがやる気満々という様子で、両手を握りこぶしにしてみせた。手首から伸びている翼もふわりと動く。

「えっ?」

 メカヘッドが固まった。

「犯人はミュータントの女の子を狙ってるんでしょう。それなら、私が一肌脱がなくちゃね!」


 初めて会った時から、レンジにとってチドリは“思いきった行動をする人”だった。

 最初の事件があった夜、黒尽くめの集団やパワードスーツを倒し、メカヘッドの取り調べから解放された後、レンジはチドリに案内されて街灯に照らされた繁華街を歩き、第4地区の路地裏にあるミュータント・バー、“止まり木”にたどり着いた。

「ただいま」

 扉を開けると、ホールで給侍していたミュータントの女の子たちが振り向いた。

「お帰りなさい、ママ」

「マネージャーが心配してましたよ」

 チドリは壁の時計を見やる。

「あら、もうこんな時間! マネージャーと話して、準備してくるわね。レンジ君は席について、待っていてもらえるかしら」

「あっ、はい」

 チドリは店の奥に引っ込み、レンジは甲虫のような灰色の殻に被われた手足を持つ女給によって、ホール中央の席に案内された。アンティーク調で統一された店は客の入りもよく、テーブルはほとんど埋まっている。レンジは片身の狭い思いをしながら、「予約席」と書かれた札が立つテーブルの前に座った。

 目の前には一段高いステージがあり、壁際には年代物のアップライト・ピアノが置かれている。周りの席を見回すと、客たちはささやくような声でお喋りしながら、ステージに意識を向けているようだった。

 女給を口説く者はいないし、女性客やミュータントの客が多いことも、レンジにとって意外だった。皆、ミサ前の救済教徒のように、何かが始まるのを待っているのだ。

 奥の扉を開けて、冊子を脇に抱え、艶やかな生地のスーツを着た白髪の男性が入ってきた。チドリがその後に続く。男性がピアノの前に座り、三つ目用の老眼鏡をかけた。チドリがステージに立って会釈すると、客たちが一斉に拍手で応えた。

「今晩もお越しくださって、ありがとうございます。ごゆっくり、お楽しみください」

 照明がゆっくりと落ち、ステージが浮かび上がる。ピアニストの指が軽快なテンポで盤上を踊り、メロディが弾け出た。

「この曲は……!」

 ことりがよく歌っていた曲だった。チドリが歌いだす。ピアノにのってステップを踏むように、軽やかに。高く歌い上げるフレーズはさらに軽く優雅に。突然の低いキーは、“溜め”を作ってから大木の幹のように太く、豊かに。

 客たちは静かに聴き入っている。レンジは目を閉じて、豊かなメロディに聴き入った。

 約一時間のステージが終わると客たちは余韻にひたりながら、三々五々帰っていった。レンジがどう動くべきか決めかねていると、四つ目の女給が「楽屋でお待ちしています チドリ」と書かれたメモをレンジに渡した。

「ご案内します。どうぞ……」

 囁くように言って歩きだす女給の後について、レンジはステージ奥の扉に入っていった。

 扉の先には廊下が続いていたが、チドリの楽屋は入ってすぐにあった。女給がノックすると「はーい」と返事があり、ショーの高揚から頬を薄紅色に染めたチドリが出迎えた。

「さあ、どうぞ」

 楽屋の中に通され、言われるままにテーブルの前に座る。チドリは「ジェネレータで淹れたものだけど」と言って、紅茶のカップを置いた。

「ありがとうございます。よかったですよ、舞台」

「そう言ってもらえると嬉しいわ」

 レンジは紅茶を一口飲み、カップをソーサーに戻した。

「一曲目のあの歌……」

「ええ、私がことりに教えたの」

「気に入ってたみたいで、よく歌ってましたよ。他の歌も、聴き覚えのある曲ばかりで」

「そうなの! 少し前の曲だったけどあなたに聴かせようと思って、急いで差し替えてもらって、よかったわ。……あの子は?」

 レンジは両膝を押さえつけるように手をのせた。

「一年前に死にました。ヨシオカに射たれて……」

 チドリは静かに聞いていた。

「そう」

 立ち上がって、レンジに背中を向ける。

「ことりから何度か、手紙が届いてたの。あなたのことも、いつも書いてあってね。だから初めて会った気がしなかったんだけど……そう。最近は手紙がなかったから、どうしてるのかと思ってだけど、そうだったのね」

「俺は、ことりを守れなかった」

 チドリは振り向いた。

「ヨシオカに執着されていたのは私だもの。ひどい因縁を残したのは私」

「それが、ヨシオカはあの後、ことりにつきまとうようになって……」

「ろくでもないやつね」

 そう言って笑うチドリの目尻に、光るものがあった。レンジはうつむき、チドリは両手で顔を覆った。


「お見苦しいところを見せて、ごめんなさい」

 数分で泣き止むと、チドリは顔を拭いてレンジに向き直った。

「いや、いいんです。……ナカツガワに戻らないといけないんで、そろそろ行きますね」

「そうなの。一晩くらい泊まっていったらいいのに」

「勘弁してくださいよ……」

 動揺して目をそらすレンジを見て、チドリは愉快そうに笑った。

「あら、うちは“そういう”営業はやってないのよ。あなたは弟みたいなものだから、特別よ。……“そういうこと”が目当てなら、蹴りとばしてたけど」

 レンジは苦笑いした後、ライダースーツの懐に手を入れ、指環と反対側ーー右の隠しポケットから、灰色のメモリーカードを取り出して、テーブルに置いた。

「録り貯めていた、ことりの歌です。俺はまだ、聴けてないんですけど」

 チドリは手に取ると、ぎゅっと握りしめた。

「ありがとう。今度は一緒に聴きながら、色々話せるといいわね」

「それじゃあ、また」

 戸口から出ようとするレンジに、チドリが声をかける。

「待ってるわ。その時には、もう少し畏まらないで話をしてくれると、お姉さん嬉しいな」

 レンジは振り返って笑った。

「チドリさんの方が年下じゃないか。……また、すぐに顔を見せるよ」


 チドリが「暗い中でも目立つように」と着替えている間、レンジは“止まり木”の入り口横の壁にもたれて、三日前の夜を思い出していた。

 ベルが乾いた音を立てる。

「お待たせ」

 白いドレスに着替えたチドリが、扉を開けてやって来た。

「よく似合ってるよ」

「ありがとう。本当はエスコートしてもらいたいのだけど」

「まあ、距離を取って後ろから追いかけるから」

「頼りにしてるわね」

「『おーい、俺もモニターしてるんだが』」

 二人のつけたインカムに、メカヘッドの声が聞こえた。近くに停まったスポーツ・カーに待機しているのだった。

「メカヘッドさんも、よろしくお願いしますね」

「『はい! お任せください!』」

 チドリは「うふふ」と笑って歩き始めた。夜の町に蝶が舞うように、スカートが緩やかに翻り、闇に溶けていく。

「よし、俺も始めますか……!」

 レンジは銀色のベルトーーライトニングドライバーを腰に巻き付けた。

「“変身”!」

「『OK, let's get charging!』」

 掛け声と共にベルトのレバーを下ろすと、力強い音楽とシャウトが響いた。

「『ONE!』」

 道行く人々が驚き、振り返る。

「『変身シーンを初めて見るんだけどさ』」

 カウントと音楽を聴きながら、メカヘッドが言った。

「『TWO!』」

「何ですか?」

「『このやたらノリノリな音楽とシャウト、どうにかならんもんなの?』」

「『THREE!』」

「どうにもならないですね。気にしないでください」

 すっかり諦めたレンジがあっけらかんと言うと、インカム越しにチドリが吹き出す声が聞こえた。

「『……Maximum!』」

「俺はもう馴れました!」

「『そう……ヒーローも大変だな』」

 街灯に照され、雷電スーツが鈍く輝く。金から青にグラデーションがかかったラインが走った。

「『"STRIKER Rai-Den", charged up!』」

「よし!」

 雷電が左掌に右の拳を打ち付けると、両手の間に雷光が弾け飛ぶ。道行く人々の視線を集めながらチドリの後を追い、カガミハラの繁華街を歩き始めた。


 まだちらほらと人の姿が残る大通りを、白いドレスのチドリと雷電スーツを身につけたレンジが、距離をとって歩いていた。オートマトンだと思われる不審者が出没したのは、しばらく歩いた先にあるうら寂しい区画だ。

「『ねぇ、レンジ君』」

 個人通話回線を開いたチドリが、歩きながら話しかけてきた。

「チドリ姉さん、何かあった?」

「『いえ、大丈夫。ちょっと二人でお話ができそうだったから。……レンジ君は、どうしてナカツガワまで来たのかな、って』」

「それは……ことりが話していた“憧れの町”だったから。俺には他に居場所はない、って思ったから、かな」

「レンジ君は、ことりと一緒にここまで来たのね」

「どうかな。……チドリさんは、その……」

 レンジが言葉を濁すと、チドリは微かに笑った。

「『私がナカツガワの手前で落ち着いてることが気になるのよね』」

「タカツキを出る前に、ことりの部屋を整理したんだ。チドリさんからの手紙も、何通も出てきた。けど、カガミハラにいるってことは書かれてなかったから、ことりも、そして俺もナカツガワにいるんだと思ってたよ」

「『私もね、ミュータントだけが暮らす町に憧れていたの。でも、この町で一休みしようと思った時に、町で暮らすミュータントのことが目に留まったの。この町ではミュータントだからってひどい迫害を受けることはないわ。オーサカやナゴヤのサテライト・コロニーとは比べられないほど治安もいいし』」

「うん」

「『でもね、居場所はないのよ。仕事もないし、よるべになるコミュニティーもない。町の人から無視されているの』」

 レンジは無言で聞いていた。

「『諦めた人は細々と暮らしてる。若い人は定期便を使ってナゴヤ方面に行くわ。危険なオールド・チュウオー・ラインに分け入ってナカツガワを目指す人は殆どいないの』」

「それで、この町でミュータントのために働こう、って思ったんだね」

「『できることをしよう、と思って動き回っていたら、あっと言う間に数年が経ってしまったわ。ことりからの手紙には、ナカツガワにいるはずの私を応援するメッセージがあって……でも、私は本当のことを言えなかったの。結局夢は叶えられなかったのだから』」

 二人は歩き続ける。人通りが減り、灯りも少なくなってきた。

「チドリ姉さんは、何も後ろめたく思うことはない。ことりだってきっと、話を聞いたらあなたをもっと尊敬したと思う」

「『ありがとう。……レンジ君、私、ことりの歌を聴いたの』」

 チドリが話を続けようとした時、インカムがピロリと音を慣らして新しい通話回線が開いた。車内から通りを監視していたメカヘッドが、グループ通話を始めたのだ。

「『想定エリアよりちょっと離れてるが、ヒギシャが来た。二人とも警戒を』」

「『はい』」

「了解」

 二人が答えて数秒後、男が反対側から道沿いに歩いてきた。日中は暑いと言ってもよい陽気が続いているというのに、冬物の長いマントを着ている。軍帽を目深に被り、俯き気味で表情は窺えなかった。男は足を軽く引きずりながら歩き、チドリと10メートルほど離れた街灯の下で立ち止まった。

「『見られてる……!』」

 チドリがそう言って立ち止まると、男は小刻みに震えはじめた。

 チドリが後ずさる。一歩、二歩、三歩。男の震えが激しさを増した。

 悲鳴を上げてチドリが走り出すと、男はがくりと前傾した。と思うと喉の奥から吐き出すような悲鳴をあげ、チドリに向かって駆け出した。

「A,aaア、アッ、アッ、ち、ちちち、ちっ、ちdoりィィィっ!」

 姿勢を変えずにチドリに追いすがる。駆けながら速度を増し、手が届こうとした時、

「やらせんよ」

 駆けつけた雷電が男の顔を殴りつけた。

 チドリは道路脇に停まったスポーツ・カーに走り込む。意識の外から一撃を喰らった男は回転しながら吹っ飛び、街灯の支柱に打ち付けられて倒れた。

「『見事だ、ヒーロー』」

「いや……」

「『ああ、これからだ』」

 男が殴られた頬をさすりながら起き上がる。

「『そいつは人間か?』」

 帽子が脱げて、つるりとした頭部とカメラアイがあらわになった。マントもはだけて手足が街灯に照らされ、金属質の光沢を放っていた。

「こいつは確かに、オートマトンだが……」

 オートマトンが口元ーースピーカーの周りを拭う。

「『この人間らしすぎる動きは何だ?』」

 よろめきながら立ち上がると、オートマトンは両手で頭を抱えた。

「アア、ア……ち、ちち、ちっ、ちっchiドり……? O,ooオれはァァぁ……? あっ、アア、こここっ、こトriりりり……!」

 激しく身震いしながら、存在しない頭皮を掻きむしる。

「錯乱してる……?」

「『今だ、捕まえろ!』」

「了解」

 雷電が駆け寄ろうとすると、オートマトンは地面を蹴った。

「跳んだ!」

 オートマトンは街灯の上に跳び乗ると、雷電を睨み付けてからビルの隙間に潜り込んだ。雷電も後を追ってよじ登るが、オートマトンは既に消え去っていた。

「やられた……」

 人の姿が消え、コンクリートの建物群をオレンジ色の街灯が照らしている。

「『まずは姫様が無事だったことをよしとしよう。“止まり木”に戻るぞ』」

 インカムからメカヘッドが呼び掛けた。

「了解」

 雷電スーツを解除すると、湿気をはらんだ重い夜風がレンジの頬を撫で、通りを吹き抜けていった。


 “止まり木”に戻ると、メカヘッドのスポーツ・カーが店の前に停められていた。

「ただいま」

 レンジが店に入ると、カウンター席に腰かけていたメカヘッドが殺気がこもっているかのようにセンサーライトを光らせたが、すぐに普段の調子に戻った。

「レンジ君、お疲れ様。チドリさんも無事で、ホシのアタリもついた。今夜の捜査はひとまず成功だ、そうだろう?」

「ええ……」

 店の奥からチドリも顔を出す。

「お疲れ様、レンジ君」

「チドリ姉さんもね。随分顔色が悪いよ」

 チドリは微笑んでいたが、顔は青ざめていた。

「ありがとうレンジ君」

 そう言いながら、手早く模造コーヒーを淹れてカウンターに置いた。

「どうぞ。……もう遅いからデカフェにしたけど、よかったかしら?」

 レンジはチドリに向かいあって腰かけた。

「いただくよ」

 カップに口をつける。軽く傾けてからコースターに戻すと、チドリが口を開いた。

「あのオートマトン、私の名前を呼んだわ。それにことりの名前も」

「うん」

「あれは、ヨシオカだったんじゃないかしら」

「それは……」

「チドリさん、ヨシオカはもう死んでる」

 レンジが否定できずにいると、黙って話を聞いていたメカヘッドが口を挟んだ。

「あれはヨシオカじゃない。どうしてあなたの名前を呼んだのかはわからんけどな。……とにかく、今日は大変なことが多すぎた。早く休んで、しっかり眠ったほうがいいよ」

 レンジも頷く。

「俺が見張ってるから」

「あっ、レンジばっかりずるいぞ! 俺も寝ずの番をするから、大船に乗ったつもりでいてくれよ!」

 チドリはくすりと笑った。

「二人ともありがとう。しっかり休ませてもらうわね」

 チドリが店の奥に引っ込むと、ホールにはレンジとメカヘッドが残った。

 メカヘッドが手元のコーヒーカップを取ると、下顎に当たる部分がぱかりと開いた。カップを傾けて、中身を流し込む。

「そうやって飲むんですか……」

 顎パーツが元の位置に戻り、メカヘッドはコップを置いた。

「うん、レンジに見せたのは初めてだったか。それならもう少しインパクトがある見せ方をしたほうが……いや、そんなことはどうでもいい」

 そう言いながらメカヘッドは席を立った。何かを見るわけでもなくホール内を歩き回ってから、レンジに向き直った。

「レンジ、君はあのオートマトンをどう思った?」

「そうですね……気になることは色々ありますけど、一つ言うなら……人間らし“すぎる”」

 メカヘッドは手近な椅子に腰かけて脚を組んだ。

「そうだよな! あまりに人間臭かった。必要のない動きまで、無理やり再現させられているような……」

「あるいは、機体そのものに人間の意識がとりついて動かしているような……」

「おいおいレンジ、君までオカルトじみたことを言い出すのか?」

「説明しにくいんですけどね、チドリさんの言ったこと、わかる気がしますよ」

 メカヘッドは自分の頭をポンポンと叩いた。

「……君が殺したんだろう?」

「ええ」

 レンジは動じず、確信を持って答えた。

「死んだ奴を蘇らせるなんて、旧文明だってできなかっただろうな」

 レンジは黙りこむ。

「だが、まあ、あのオートマトンに何か仕込みがあったのは事実だろうな。今回の捜査はいいネタになった。これで上も、重い腰を上げるだろう。……今夜は我らが歌姫が、穏やかに眠れることを願うばかりさ」

「……そうですね」


 その夜は結局、何事もなかったかのように明けた。チドリがコーヒーにバタ付きパン、そして茹で卵とフライドビーンズがついたナゴヤ・トラッド・スタイルのモーニング・プレートを持ってホールにやって来ると、三人は早目の朝食をとった。

「ママ、ごちそうさま。レンジもお疲れさん。俺はあのオートマトンのことを調べてみるよ」

 食事を済ませるとメカヘッドはそう言って、朝焼けの町に出ていった。レンジも大きく伸びをする。

「レンジ君、これからナカツガワに帰るのよね。でも、ちょっと休んでいった方がいいわ」

 勧められるまま、“止まり木”の従業員控え室を借りてベッドに寝転がる。チドリが歌の練習をしている声が遠くから聴こえてきた。簡素な作りの家具が置かれた天井の低い部屋に、タカツキでことりと暮らした従業員寮の屋根裏部屋を思い出しながらレンジは目を閉じた。


 ことりに手を出さずに眠りについた明くる朝、どこか安心したような、しかし目尻を吊り上げたバーのママにこってり絞られながら代金を支払うと、レンジはまだ目覚めぬタカツキ・サテライトの路地裏をさまよい歩いていた。そこまで広い町ではなく、すぐに一回りすると再びバーの近くに出てきた。

 これからどうしようか、まずは今夜の寝床と働き口を探さなければ。

 レンジは携帯端末を取り出した。タカツキの都市内回線に接続していると、

「……放してください!」

 聞き覚えのある少女の声が耳に入った。見回すとバーから1ブロックほど離れたごみ捨て場の前で、大小二つの人影がもみ合っていた。

 昨夜同じベッドで眠った赤毛の少女ーーことりが、大柄な中年男に腕を掴まれていたのだった。男は下腹を中心に贅肉がついてだらしなく太っているが、広い肩幅や太く締まった脚や手に、かつて鍛え上げられていた頃の面影が残っていた。胸元には保安官であることを示す、花を象った金色のバッジが留められている。たるんだ肉に埋もれた目の奥に暗い炎を燃やし、ことりを睨んでいた。

「お前は酒場の娘だろう。チドリはどこへ行った!」

「言いません! ……放して! 人を呼びますよ!」

 悪徳保安官がせせら笑い、少女を掴む手に力を込めた。

「嫌!」

「誰を呼ぶってんだ、この町で! 腰抜けの副保安官が来たところで、怖くも何ともないわ!」

 デッカーが吼える。血の気が失せた顔でことりがうなだれた時、レンジは携帯端末をかざして近付いていた。数メートルの距離まで近づくと、端末に向かって叫ぶ。

「オーサカ・セントラル保安部ですか? 保安官が市民に暴力を振るってます! 場所は、タカツキ・コロニーです!」

「『はい、こちらセントラル保安部です。通報ありがとうございます。音声と映像は鮮明に届いています』」

 携帯端末のスピーカー越しに、セントラル保安部が答えた。悪徳保安官は青ざめ、ことりは一筋の希望に力を得て顔を上げた。

 デッカーのポケットから鋭い電子音が鳴り響く。保安官は少女の腕を放すと、慌てて連絡端末を取り出した。

「『ヨシオカ正保安官、応答してください。こちらオーサカ・セントラル保安部管制室です』」

 起動ボタンを押すと、大音声のスピーカー通話が始まった。ヨシオカは慌てて端末を操作するが、スピーカー通話は解除できなかった。これは命令であり、警告でもあったのだった。

「『……ヨシオカ正保安官?』」

「はい! 管制官、応答が遅れ、申し訳ないです!」

 ヨシオカが慇懃に謝る。解放されたことりは、レンジに走り寄った。

「『ヨシオカ正保安官、タカツキ・コロニーで6時32分40秒に緊急通報が入っています。管制室は貴官を、本件の重要参考人として手配しました。ついては当該通報より24時間以内に、報告書を提出しなさい。証拠として提供を受けている映像の閲覧を希望する場合は、タカツキ保安官事務所の通信端末から、資料請求書式のメールで12時間以内に申請しなさい。命令違反あるいは、報告書の内容に疑わしい点があった場合、貴官の保安官資格は剥奪されます。尚、報告書を受理した後オーサカ・セントラル保安部への出頭辞令を通告します。これは“保安官並びに巡回判事に係わるセントラル・サイト間協定”に基づいた正式な通告です。また、通話内容はオーサカ・セントラル保安部が録音し、証言として利用できるものとし
ます。何か疑問点はありますか?」

 ヨシオカの顔は通信端末からの通告を聞きながら赤くなったり、青くなったりしていたが、ついにはくすんだ紫色になり、両手を握りしめて震えだした。

「ヨシオカ正保安官?」

「はい! 委細承知致しました!」

 即座の返答を要求する管制室からの呼びかけに慌てて答えると、保安官の端末はぶつりと音をたて、通信を終えた。

 ヨシオカは携帯端末をポケットにしまい込み、録画を続けるレンジとその背中に隠れて様子を伺うことりを睨んでから足早に立ち去った。

 デッカーの姿が見えなくなると、レンジも録画をやめて大きなため息をついた。

「レンジ君!」

 背中にくっついていたことりが声を震わせて、そのまま抱きついてきた。

「ありがとう……怖かった……」

 レンジはそう言って泣くことりの頭を、優しく撫でたのだった。

 レンジはことりに連れられて、バー“宿り木”に戻った。ことりはレンジを自分の部屋に住まわせることを提案し、二度寝しかけたママとレンジを仰天させた。ママは激怒したが、ことりは引かなかった。ヨシオカとの一幕を話すと、ママも渋々折れた。

「ことりや他の子にも、ボディーガードが必要だろうね。だが、犬猫を拾ってくるんじゃないんだ。一緒の部屋なんて許可できないよ!」

 そうしてレンジは“宿り木”の屋根裏部屋に住まいを得て、ミュータント・バーの雑用兼、女給たちのボディーガードとしての仕事にありついた。

 ことりはその頃、夜の“宿泊”客を取らずに、昼の女給仕事を続けながらバーの歌姫として生計をたてることを決心していた。夜毎、女給の尻を目で追う客たちの前に立って歌った。はじめは気にも留められなかったが、ことりはめげなかった。

 数週間たち、何ヵ月も歌い続けるうちに、歌を目当てにする客たちがやって来るようになった。ことりに言い寄る不埒者はいたが、レンジが間に入って引き下がらせた。

 ことりはレンジの部屋に入り浸るようになり、とうとうママも一緒に暮らすことを認めた。

 二人で過ごした日々が、色鮮やかな走馬灯となって、現れては通りすぎていく。そして、

 満月が雲の割れ目から覗き、タカツキ・サテライトの裏路地を照らす。横たわることりは胸を撃たれ、息も絶え絶えだったが尚、白磁の人形のように美しかった。

 近くのごみ捨て場には胸と頭を撃たれて絶命したヨシオカが突っ伏している。レンジはヨシオカの銃を手にしていた。この銃から放たれた弾丸が、二人を撃ち抜いたのだった。

 焦点の定まらなくなった瞳で、ことりがレンジを見上げる。唇が震えながら動いた。


 レンジは昼前まで眠り、チドリのノックで目を覚ました。胸のポケットに手を当て、指輪の感触を確かめてから起き上がる。

 ホールに降りてまかないの昼食までいただいてから、開店前の“止まり木”を後にした。店の外に出て笑顔で手を振るママを見て、従業員たちは「あれがママの連れ合いか……」等と、ヒソヒソと話し合った。

「あなた達?」

 レンジが角を曲がり、姿が見えなくなると、チドリは笑顔のまま振り返った。

「とても元気なようだから、今日は開店前までみっちり店の大掃除をやってもらいますからね」


 黒い雲が空を覆い、風が粘り気を増す中、レンジはバイクを走らせた。

 ナカツガワ・コロニーの門をくぐる頃までは持ちこたえていた天気も、ヘルメットをトランクに入れ、バイクを押して町中を歩き始めた途端に崩れた。激しい土砂降りを背中で受けとめながら、レンジは酒場に向かった。

 バイクを軒下に停め、“白峰酒造”の扉を開ける。

「只今帰りました」

 カウンターではタチバナがグラスを磨き、ホールでは酒場で引き取られて暮らすアキとリンが模造麦茶のピッチャーを脇に置いて、大きな紙に覆い被さるようにして何かを描いていた。

「おう、おかえり」

 タチバナが入り口を見て言うと、子ども達も顔を上げた。

「レンジ兄ちゃん、おかえり!」

 犬耳のアキが返す。鱗肌のリンは「おかえり!」と言うなり立ち上がって、店の奥に顔を突っ込んだ。

「アオ姉、レンジ兄ちゃん帰ってきたよ! すっごく濡れてる!」

 店の奥から、パタパタとスリッパの走る音が響く。

「レンジさん、おかえりなさい!」

 アオは頬をうっすら染めて、手に持っていたバスタオルを差し出した。

「ずぶ濡れになっちゃいましたね! シャワー使いますか?」

「ありがとう、使わせてもらうよ」

 頭をごしごしと拭いているうちに、マダラも顔を出す。

「レンジおかえり。ひどい雨だな。サンダーイーグルは無事かい?」

「今は普通のバイクだろ」

 レンジは笑った。

「今回はそんなに無茶をしてないはずだ。軒下に停めてるよ」

「裏に回して、診せてもらっていいか?」

「助かるよ」

 マダラはすぐに動き始めていた。扉の前で振り返る。

「これもメカニックの仕事だ。レンジはシャワー浴びて、さっぱりしてきなよ」

「ありがとう。……おやっさん、マダラ、後でちょっと、見てもらいたいものがあるんだ」


 酒場の暖簾をかけると、馴染みの客たちが次々とやって来た。ホールでは注文と料理が行き交い、バックヤードでは食器が右往左往して、新しい料理が盛り付けられるや、ホールに戻っていった。レンジはホールに出ると、客たちから昨夜は何をしていたのかと尋ねられた。皆話題と娯楽に飢えているのだ。レンジは曖昧に笑って、バックヤードに食器を片付けた。

 住民たちの半数以上がやって来ては、胃袋を満たして帰っていくと、アオは店の暖簾を下ろした。


「それでレンジ、見せたい物って何なんだ?」

 壁には工具が掛けられ、そこかしこにジャンクパーツが転がるマダラの地下工房。ライトニングドライバーとタブレット端末を載せた作業机を囲み、男三人が顔をつき合わせていた。アオは先に部屋に帰っていた子ども達の様子を見に、従業員寮に戻っている。

「マダラに頼んで、雷電スーツのカメラから映像をサルベージしてもらったんです」

 レンジが映像データを立ち上げる。白いドレス姿のチドリが、こちらに走り込んでくる姿勢のまま静止画となって映された。

「誰だ、この美人」

「そこじゃないですよ。再生しますね」

 レンジが画面に触れると、チドリは瞬く間に画面の向こうに消えていった。奥からマント姿の人影が、おぞましい叫び声をあげて突っ込んでくる。画面の中に鈍い銀色の腕が伸び、走ってきたマント男を殴り飛ばすと、男は勢いよく吹っ飛んで街灯に直撃した。

「おい、これ……」

 問いただそうとするタチバナを、レンジが制した。

「説明は後でします。見せたいのは、もう少し先です」

 倒れ伏せた男は、すぐさま口元をぬぐいながら起き上がった。カメラがゆっくり近付いていく。

 帽子を失い、マントがはだけて、オートマトンの素体が街灯に照らし出される。オートマトンは立ち上がり、両手の指で頭部装甲を削るように掻いた。カメラがさらに近づこうとすると手を止めて睨みつけるようにアイカメラを向け、跳び上がって建物の陰に消え去った。

 レンジが映像を停める。

「どうです?」

 タチバナは「うーん」と声を出して唸った。

「メカヘッドとこんなことやってたんだな、お前……」

「すいません、事後報告になっちゃって」

「いや、それはいいんだ。何かワケありだとは思ってたし、あいつはふざけたやつだが、ふざけたことはしないからな」

 そう言った後、タチバナは「さて」と言ってレンジに尋ねた。

「こいつは一体、何なんだ?」


 レンジがカガミハラのミュータント襲撃事件と、その犯人だと思われるオートマトンについて説明すると、二人は更に難しい顔になった。

「こいつがオートマトン……?」

 タチバナが画面をコマ戻しにしながら言う。

「この前の撮影みたく、着ぐるみなんじゃないか?」

 マダラが画面を停止させた。

「いや、この手足や首の関節を見てくれよ。こんな細い中に、人間の体は入らない」

「だがなあ、お前さんがこしらえたみたいな、パワーアシストのついた着ぐるみに人間が入らなきゃできないだろう、この動き」

「この前の着ぐるみ、パワーアシストはついてないよ」

「はあ?」

 口をあんぐりと開けたタチバナを気にせず、マダラは話を続けた。

「メカニックから言わせてもらうと、こいつはオートマトン、あるいは全身義体化したサイバネ者だろう。そうとしか言えない」

「けど、サイバネ手術を受けた人じゃないらしい」

「メカヘッドが言ったのなら、確かだろうな。じゃあ、これはオートマトンか」

「認めたくないけど。ここまで人間らしい動きをさせるために、どれだけ複雑なプログラミングが必要になるか……俺は専門外だけど、すごく手間がかかるのはわかるよ。できなくない、と思うけど。でも、わざわざするかな、こんなこと……」

 そう言ってマダラが黙り込む。タチバナは手を叩いた。

「とにかく、こいつがあの工場から出てきたオートマトンだってことは、メカヘッドも俺たちも合意したわけだ。そこから先は、一旦現場の奴に任せよう。また何か動きがあれば、向こうから連絡を取ってくるだろうからな」

 タチバナの言葉で会議は終わった。階段を上がろうとするレンジに、マダラが声をかける。

「レンジ、アオと話をしてやってくれないか。昨日から心配してたみたいなんだ」

「わかった。ありがとう」

「まあ、男友達との仲を取り持つなんて、俺だってあまりやりたくないけどな」


 従業員寮の3階にある子ども部屋では、子ども達がようやくそれぞれのベッドに入り、すやすやと寝息をたてはじめたところだった。窓には激しい雨が打ち付けているが、遊び疲れた二人はもはや気にならないようで、安らかな表情で瞳を閉じている。

 アオは椅子に腰かけてアキとリンを見守っていた。二人が寝ついたのを確かめると立ち上がりかけたが、床に落ちていた画用紙を見つけて手に取った。

 オニクマやダガーリンクス、その他よくわからない怪物をやっつける“ストライカー雷電”が紙いっぱいに描かれている。画用紙を文机の上に置くと、アオは眠る子ども達を見て微笑んだ。


 カガミハラのメカヘッドから連絡があったのは、翌日の夜だった。タチバナはその日のうちに方々に連絡を取り、翌日の昼過ぎには自治会の寄合に出かけていった。

 残った三人が酒場の開店準備を済ませてホールに集まっていると、タチバナが帰ってきた。

「ただいま。皆、準備ありがとう」

 そう言うと軽く咳払いする。

「今週末のカガミハラ買い出しも、うちが担当する事になった。レンジとマダラ、それと俺で行くから、よろしく頼むぞ」

「この前も行ったのに、またカガミハラに行くの?」

「大人ばっかりずるいよ!」

 翌朝、カガミハラに運ぶ作物を満載したトラックとレンジのバイクが“白峰酒造”の前に停まっていた。見送る子ども達が口を尖らせる。

「どうしても、俺が顔を出さなきゃいけない要件ができてなあ。すまんな。お前達のことは、アオに頼んでるから」

 運転席のタチバナが謝ると、助手席のマダラが顔を出す。

「ごめんよ、お土産買ってくるよ」

「ごめん、行ってくる」

 レンジも謝り、トラックとバイクは正門に向かっていった。

 不満タラタラの子ども達は、アオに肩を抱かれて仕方なく二台を見送った。トラックの姿が見えなくなると、アオの大きな両手が二人を包んだ。

「わっ」

「アオ姉……?」

 アキとリンが見上げると、アオはニコニコして言った。

「私たちも、行っちゃおうか……!」

 二人の返事は決まっていた。

「うん!」


 前回は撮影機材を積んでいた“白峰酒造”のバンに、アオとアキ、リンの三人が乗り込んで走り出した。正門前に着くと、守衛のゲンが岩のような顔を出した。後部座席のアキとリンは、急いで身を隠す。

「あれ? アオちゃん、タチバナさんたちはついさっき出たけど……どうかしたの?」

「大急ぎで届けなきゃいけないものがあるんです」

 アオは昨夜から練習していた通りに言い訳した。

「そっか。気をつけてな」

 ゲンに見送られて正門を抜けると、アオは大きなため息をついた。子ども達が顔を出す。

「アオ姉、大丈夫?」

「ありがとうリン。大丈夫、慣れないことをして緊張しただけだから」

 アキは首を伸ばしてあちこちを見回し、初めての冒険に目を輝かせている。

「ナカツガワを出ちゃったあ……!」

 アオは背筋を伸ばし、しっかりとハンドルを握り直した。

「さあ、カガミハラに行くよ! 私、一人で運転するのは初めてだけど、頑張るから!」

 アオは幸い、カガミハラへの道をよく覚えていた。しかし藪の中に隠れた轍をたどり、わずかな目印を頼りに荒野を行き、断崖の道や遺跡の橋を渡るのは、子ども達にとってはそれだけでスリルに満ちた大冒険だった。

 獣道から飛び出して瓦礫のオールド・チュウオー・ラインに乗り上げる。車が目指す先に、木々の間から灰色のカガミハラ城塞が見えてきた。疲れの色が見えてきた子ども達が、顔を真っ赤にして歓声をあげる。

「よかった、何とかついた……」

 城門に向けて車を走らせながら、アオは小さい声で独りごちた。

 “白峰酒造”の社員IDを見せると、あっさり入城許可が下りた。車を駐車場に停め、三人は“会津商店”の前に張り込んだ。店の前には、ナカツガワ・コロニーのトラックが停まっている。黒服達が店からぞろぞろと出てきて、トラックの積み荷を運びはじめた。

「そろそろ出て来るはず……」

「来たっ!」

 黒服の列にまぎれるようにして、店からレンジが出てくる。

「後を追うよ……!」

 アオが声を忍ばせ、身を屈めて尾行を始めた。

「おっちゃんとマダラはいいの?」

「いいの!」

「待ってよ、アオ姉!」

 アキとリンも、慌ててアオを追う。

「絶対、何をしてるのか突き止めるんだから……!」

 レンジは人のまばらな大通りを歩いて先週と同じ店を見て回り、ナカツガワに持ち帰る物を買い集めていた。少し離れた物陰にアオが潜み、更に後ろに子ども達が、買い与えられた棒つきキャンディを咥えながらくっついていた。

「ここまでは、いつも通り……」

「普通に『来ちゃった!』って言ってさ、一緒に買い物したらいいじゃん」

 隠れるのに疲れたアキが言う。

「まだだめ。きっと何かあるから……!」

 アオは確信を持って返した。

「あっ!」

 リンが小さな声で叫ぶ。

「誰か来た!」

 指をさした先には、黒いドレスの女性がレンジに手を振っていた。レンジも手を上げて返す。

「きれいな人……」

 リンはうっとりして言った。両手首から翼が生えたミュータントの美女はレンジに歩き寄る。短く言葉を交わすと、レンジは女性が持っていた買い物袋を受け取った。二人は並んで大通りを歩いていく。

「レンジ兄ちゃんの彼女かな?」

 少し興味が出てきたアキが言うと、アオを気にするリンがたしなめた。

「アキちゃん!」

「うふ、ふふふふ……」

 アオが笑いはじめる。

「アオ姉?」

 満面の笑みを浮かべながら、アキとリンを左右の手でつまみ上げた。

「わっ!」

「後をつけるよ……逃がさない……!」

「ひええ……」

 長い髪を逆立てんばかりの気迫に、子ども達は震えながら運ばれていった。


 くたびれたライダースーツ姿の男と艶やかなドレス姿の女は親しげに語り合いながら、徐々にうらぶれた通りに入っていった。

 アオはアキとリンを抱えたまま二人を追う。相変わらず人通りは少なく、長身の女性ミュータントの奇行が注目を集めることはなかった。

 やがて男女は、飴色のレンガで飾られた店の前に入っていった。扉が閉まるのを確めてから、アオは店の前に立つ。

 リンがもぞもぞ動いて顔を上げた。

「アオ姉、ここなんの店?」

 ミュータント・バーだと気づいてアオは固まった。

「アオ姉……?」

「こっ、こんな店に昼間から? ででで、でも昼間からそんなことはないだろうし……いや、同伴ってことは、やっぱりそんな……だめ、こんなところに二人を連れていくわけには……でも……」

 アオがブツブツ言いながら顔を真っ赤にして悶えていると、すっかり落ち着いたアキがするすると地上に降りた。

「中にレンジ兄ちゃんがいるんだろ、とっとと入っちゃおうよ」

 そう言って勢いよく扉を開ける。

「こんにちはー!」

「あっ、ちょっと、アキ!」

 元気な声であいさつするや飛び込んでいくアキを追いかけて、アオもリンを抱えたまま、ミュータント・バー“止まり木”の中に入っていった。


 アキが店の中に入ると、女給と話し込んでいた機械頭の男が振り返った。

「ん?」

「わっ」

 頭についたセンサーライトの光が、アキの顔を捉える。

「ママかパパはどうした? 子どもが一人で入る店じゃないぞ」

「えっ、えっと……」

 アキがまごついていると、アオが追いついてきた。さっとアキが後ろに隠れる。

「ごめんなさい、何かやっちゃいましたか、この子?」

 メカヘッドは自分の頭をポンポンと叩いた。

「ああいや、子どもが来るなんて珍しいな、と思いましてね」

「あら、うちはちっちゃい子も歓迎よ」

「メカヘッド、設営終わったぞ」

 店の奥からチドリが出てきた。後ろからタチバナも続く。

「ママ!」

「マスター!」

 タチバナが驚いて固まると、その後ろを歩いてきたマダラとレンジが背中にぶつかった。

「ぐえっ」

 タチバナとレンジの間に挟まれて、マダラが声をあげる。

「アオ、お前さんなんで来た?」

「ごめんなさい、私……」

 店に入るまでの勢いを失っていたアオがタチバナに謝ると、後ろに隠れていたアキが顔を出した。

「おっちゃん達ばっかりずるいぞ! いつも僕たちを置いていってさ!」

 リンもアオの腕からするすると降りる。

「アオ姉は、私たちを連れてきてくれたんだから!」

 アオも顔を上げた。

「私に何も知らさないで、何か大事なことを勝手に進めているのが嫌なの!」

「お前達……」

 タチバナが答えに困っていると、チドリがぽん、と手を叩いた。

「まずはお昼にしましょう! これからの事は、ご飯を食べながらゆっくり話をすればいいわ」

 気が立っていた子ども達も、初めて見る「お子さまランチ」を前にすると目を輝かせた。アオも皆と一緒にカレーライスを食べると、随分落ち着いたようだった。

 食事を済ませるとアオを含めたナカツガワの面々とメカヘッド、チドリは店に残り、アキとリンは女給達に連れられてカガミハラ観光に出ることになった。

子ども達は「また大人達だけで話をする!」と不満気だったが、メカヘッドが「関わったらお前達が危険に曝されるだけじゃない。もしお前達が人質に取られたり、悪い奴等に教われたら、アオさんや雷電はお前達を守ろうとして、もっと危険な目に遭うかもしれん。それでいいのか?」と尋ねると、二人は黙って考えてから、女給たちと一緒に出かけることにした。

「メカヘッドさん、ありがとうございます」

 メカヘッドは「まあまあ」と言ってアオに頭を上げさせた。

「危ないことをしようとする子どもをとめるのも、おまわりさんの仕事ですからね。……それじゃ、あの子達が帰ってくる前に話を終わらせましょう」

「はい、では皆さんをVIPルームにご案内しますね」

 そう言ってチドリが店の奥に入っていく。レンジ達も続いた。

 一団は店の奥の、廊下の先にある大きな部屋に通された。

「普段はあまり使っていないから、埃っぽかったらごめんなさいね」

 チドリが部屋の照明スイッチを入れると、渋みのある年代物の木材でしつらえた内装が、艶やかな光沢を放った。ところどころに蔦草や花の浮き彫りが施され、シャンデリアに照らされている。

 テーブルや椅子、棚にライトスタンドといった家具類も調度が統一され、上品にまとめ上げられていた。部屋の中央に置かれた大きなテーブルにはノート型、タブレット型を取り混ぜて、数台の端末機が並べられていた。

「ここが、今回の操作本部だ」

 メカヘッドが皆に向けて言った。

「それぞれのメンバーでは、把握している情報が違っているだろう。新しく分かった情報もある。事のあらましから、順を追って話そう」

 メカヘッドは資料のファイルを片手に話し始めた。


 約一週間前、ナカツガワ・コロニーからやってきた撮影グループが、カガミハラ市街の第6地区で動画撮影をおこなった。この撮影が同地区内に潜伏していた闇取引シンジケートのアジトを刺激した。10名からなる構成員が撮影班を襲撃するも、返り討ちに遭うという事件が起きた。襲撃犯は全員逮捕され、装備品とアジト内の資材や薬物はカガミハラ署の倉庫に収容された。

 しかし収容物の一つ、大型コンテナには特殊なセキュリティがかけられていた。アジト内の電気機器回線から発生する信号を受信し“続けなければ”、ロックが解除される、というものだ。果たしてコンテナのロックは外れ、中に入っていたオートマトンの素体が起動し、マントと帽子を盗んで脱走した。ここまでが最初の事件が起きた日の夜に起こった出来事だ。

 翌日、二日目の深夜に次の事件が起きた。第6地区と第7地区の境界に当たる区画で、夜遊び帰りの若いミュータント女性がオートマトンに襲われた。被害者は腕を掴まれ、もがいて軽い怪我を負った。ミュータントは抵抗されると女性を解放し、「違う」と言い残して道沿いの建物をよじ登って脱走した。

 三日目には午後11時頃、このミュータント・バー、“止まり木”で働く女性が第6地区で襲われた。オートマトンは被害者を押し倒して怪我を追わせるも、すぐさま逃走。この時に不明瞭なうめき声をあげていたという詳言がある。

 四日目の夜、おとり捜査をしていたチドリがオートマトンに襲われる。オートマトンは錯乱した様子でチドリの名前を叫びながら迫るが、雷電に殴り飛ばされると逃げ去った。これが午後10時頃のことだ。

「少しずつ、事件が起こる時間が早まってきている?」

 レンジが言うと、メカヘッドは頷いた。

「一昨日にはオートマトンは現れなかった。大きく変化したのは昨日……最初の事件から六日目の夜だ。午後8時30分頃、第5地区の大通りにオートマトンが現れた。マントも帽子も身に付けず、素体をむき出しにしていた。オートマトンはぎこちない動きで、通りすがった二十代の非ミュータント女性を追い回した。数人の男性が制止しようとしたが振りほどき、両手も使って四つん這いの姿勢で追いすがった。通報を受けて軍警察が駆けつけるとオートマトンは逃げ出して下水道に身を隠した。女性は無事だが、数人の男性が骨折などの大きな怪我を負っている」

 タチバナが人さし指を立てると、メカヘッドは手でさして発言を促した。

「昨日襲われたのは真人間の女性と言ったか? ターゲットに変化があるな」

「先輩が言う通り、確かにミュータントではなかったんですけどね。……オートマトンはやっぱり『チドリ』と口走っていたそうです。相変わらず錯乱しているような素振りもあったそうなので、ターゲット自体は変わってないんでしょう」

「狙いのブレがひどくなってるだけかぁ」

 メカヘッドの話に、マダラが返した。

「そういうことになるね。ところが人通りの多い中、非ミュータントに襲いかかったということで大変な話題になった。町を見たらわかるだろうが、住人たちの多くはすっかり怯えて家にこもっている」

「アキとリンは、大丈夫なんですか?」

「出没時間が早まってきているとはいえ、オートマトンは日が沈んでからにしか現れなかった。だから、多分大丈夫だ、としか言いようがない」

 アオの問いに、メカヘッドは断言を避けた。

「そうですか……」

「店の女給さんたちには気を付けるように頼んでいるし、非常通報装置も持たせている。何かあったら、すぐ駆けつけることができるようにしているよ」

 メカヘッドが慰めるように答えると、アオは「わかりました」と返した。

「大変な状況になっていることはわかったが、なぜお前は軍警察を指揮しないで、こんなところにいるんだ?」

 タチバナが尋ねると、我が意を得たとばかりに「そこですよ!」とメカヘッドが言った。

「チドリさんが襲われかけてから色々調べたんですけど、実は今回の事件、なかなかの厄ネタが絡んでましてね」

 メカヘッドは思わせ振りに言葉を切った。

「……旧文明の技術でもできなかったことって、わかりますか?」

 タチバナを除く一同はあっけにとられていたが、付き合いの長いナカツガワ・コロニーの保安官は、後輩の悪癖にため息をつく。

「お前、悪い癖も変わらんな……だが、そうだなあ、不老長寿とか、か?」

「お付き合いくださり、ありがとうございます先輩。ですがそれは遺伝子治療とサイバネティクス手術で、ある程度達成されていたと言えましょう」

 アオが手を上げる。

「ミュータントをふつうの人間にする、とか?」

「それは確かに達成できませんでしたね! ですが例えば、通常の生活を送るのが困難なほどの変異を旧文明の遺伝子治療や外科手術で緩和させるということが行われてきましたし、ミュータント同士、あるいはミュータントと非ミュータントの間に子どもを作ることが難しい場合には、旧文明の技術で否妊治療を成功させる例もあります。これらも、広い意味では当てはまるでしょうね」

「えーっ? ……でも、そうかあ」

 アオが半ば丸め込まれるようにして納得させられると、「よーし!」と言ってマダラが手を上げた。

「完全自律思考が可能なAI、これはどうだ?」

「なるほど、さすがに技術者は違いますね。確かに旧文明ではデータ蓄積型の第一世代AIが主流で、自律思考を目指した第二世代AIは、結局うまくいきませんでした。……ですが、今回はハズレです」

「ええー?」

 マダラはテーブルに突っ伏した。

「レンジ、君はどう思う?」

 メカヘッドに尋ねられて、レンジは頭を掻いた。

「永久機関……?」

 メカヘッドは“お手上げ”と言わんばかりに両手を上げる。

「それは反則だろう!」

 レンジは肩をすくめ、他の回答者達は不満そうにメカヘッドを見た。チドリは皆のやり取りを見守りながら微笑んでいる。メカヘッドは「さて!」と仕切り直して、トークショーを再開した。

「今回の事件に関わる、旧文明の見果てぬ夢、それは……死者の再生です」

「止まった心臓を動かすならAEDとか、人工呼吸バッグとかあるし、身体のパーツが欠けても遺伝子治療やサイバネ手術で何とかなるんじゃない?」

 マダラが反論すると、メカヘッドは芝居っ気たっぷりに人さし指を左右に振った。

「死にそうな人の一命をとりとめ、死にかけている人を蘇生させることはできるだろうね。人体を作ったり、直すこともできる。だが……脳は、意識はどうだい?」

 それまで黙って話を聞いていたチドリが口を開いた。

「死んだ人を蘇らせることはできない、と言ったのは貴方よね。この話で言えば、機能がとまった脳は再生できない、ということかしら?」

 メカヘッドは軽く拍手する。

「チドリさんの言う通りだ。血流が止まり、死滅した脳細胞を再活性させて意識を取り戻すことは、旧文明の技術でもできなかった。幹細胞クローンの臓器移植やサイバネティクスも、肉体を生き長らえさせるだけだ。不老長寿でもいつか死ぬ。脳が持たないからね。ところがかつて、別のアプローチからこの難題に取り組もうという研究があった。それが“ペルソナダビング”だ」

「ペルソナダビング?」

 レンジとマダラは聞き返し、他の者達は黙って聞いている。タチバナは顔をしかめ、アオは困惑して。チドリの表情には、あまり変化はみられなかった。メカヘッドは話を続ける。

「仕組みはそんなに難しくない。被験者の脳にマイクロチップを埋め込んでおき、発せられる電気信号を全て記憶させる。これを元にその者の人格や記憶を完全にコピーしたデータを作るんだ。それを別の被験者の脳にインストールすることで、意識を“書き換える”」

「そんな、それじゃあインストールされた側の人は……?」

 アオが表情を曇らせた。

「論理上は上書きされて“消える”。だから、過去の臨床実験では死刑囚を使っていたらしいね」

 アオは静かに手で顔を覆う。

「だが、それは人格と記憶のコピーとはいえ、本人じゃないだろう」

 レンジの言葉に、メカヘッドは頷いた。

「そうだな。でもコピー元になった人間と全く同じ人格と記憶、そして同一の自己だという意識を持てば、それは実質的に本人だと言えるのではないか、と旧文明の研究者たちは考えたわけだ」

「趣味の悪さは別にしても、すごい技術だよなあ」

 マダラが感心して言った。

「だが、この研究には欠陥があった。完全なコピーと上書きなんてできなかったんだ。貼り付けられた記憶には不自然な断絶が生じ、元の人格や記憶の断片が姿を現す。二つの人格は脳の中でせめぎあい、やがてどちらも破綻をきたす。研究報告を調べたが、何度研究を重ねても亡骸同然の廃人か、人格を失った猛獣が生まれ、結局この研究は中止された」

「それで?」

 険しい顔でタチバナが尋ねる。

「この胸くそ悪い話と、今回の事件にはどんな関係がある?」

「今回のオートマトン、あまりに人間的な動きとリアクションをしてみせました。そして時間が経つにつれて錯乱しているような素振りが増え、見境なく暴れるようになってきている……」

「オートマトンにペルソナダビングで人格が書き込まれてる、ってこと?」

 マダラが口を挟んだ。

「だがなあ、それは人間の脳の話だろう?」

「いえ先輩、脳波操縦機能を使えばオートマトンを動かせるんですよ」

「そうなのか?」

 メカヘッドの話を聞いたタチバナは、そのままマダラに尋ねた。

「なるほど、ダビングしたデータは脳波の精密コピーだから……」

 メカヘッドがマダラを指さす。

「そう! そのままデータを入力すれば動かせるわけだ。脳波操縦システムは、機材を準備するのが大変だ。脳波計測装置だけじゃなく、リアルタイムでオートマトンの周りをモニターする必要がある。そんな道具だては無理だろう、と初めは脳波操縦を考えもしなかったが、このやり方なら全て説明がつく。実は、ここまで調べて報告書を叩きつけてやったら、上は否定しなかったけど動かなくってね。俺が勝手にやってるのも黙認してるから、このまま雷電と一緒に解決してしまおう、というわけだ。工場跡に隠れていた武装集団といい、どうも軍警察の上の方に内通……」

「わかった。ありがとう」

 「もう十分だ」と言わんばかりにタチバナが両手を上げた。

「それじゃあ、あのオートマトンはやっぱり……」

 チドリが微かに声を震わせた。

「うん、そうなんだろうな」

 レンジが返して、二人とも黙りこんだ。

「……はい!」

 2人に引きずられて場に漂う沈黙を破り、アオが手を上げた。

「そのオートマトンは、レンジさんとチドリさんにどんな関係があるんですか? 何でミュータントの女の人を襲うんです?」

「それは……」

 レンジはチドリを見た。

「私は、大丈夫」

「……うん。俺もだ」

「それなら、私も最期まで話を聞かせてほしいわ」

「もちろん」

 二人がそう言いながら、どこか淋しそうに微笑みあう。アオはそわそわしながら二人の顔を交互に見ていた。

「あの……」

「あら、ごめんなさいね」

 チドリはアオに謝ると、立ち上がって皆を見た。

「オートマトンを動かしている人格の元になった男と、私たちの因縁の話をしましょう。直接関わっているのはレンジ君の方なのだけど、順番があるから……まずは、私の話からね」


 タカツキ・コロニーの路地裏にあるミュータント・バー、“宿り木”。この夜は入り口に“貸し切り”と札が提げられていた。

 ホールには従業員たちが集まり、歌い終えたばかりのことりに拍手を送っていた。

「ありがとうございました!」

 ことりは皆の顔を見回すと、目を潤ませながら頭を下げた。

「ことりちゃん、おめでとう」

 ママが言うと、他の従業員たちも口々に「おめでとう」「すごい!」などと声をかける。

「本当に、ありがとう。ママや、みんなのお陰です……」

「ことりちゃん、メジャーデビューするのは貴女の頑張りと歌が認められたからよ。ミュータントの歌手がセントラルの公共回線で歌うなんて、初めてのことじゃないかしら。……私は貴女の歌を傍で聴いて応援することができて、とても誇らしく思っている。きっと、この店で働いている子はみんな同じ気持ちよ」

 再び従業員たちからことりに拍手が贈られた。

「これからも、応援してるよ」

「いつでも戻ってきていいのよ」

「いや! 戻ってこないで、頑張って!」

「でもまた、この店で歌ってほしいな……」

 皆が口々に言うと、ことりは楽しそうに笑った。ママがニヤリと笑う。

「でも、一番応援してきた人からの言葉をまだ聞けてないんだけど?」

 観客席の最前列に座って歌を聴いていたレンジとことりの目が合い、二人は真っ赤になった。

「ママには負けますよ」

 レンジが照れ隠しに笑う。

「あらことりちゃん、あんなこと言ってるけど?」

 ママが水を向けると、ことりは左手を見せて微笑んだ。すっかり薬指に馴染んだ安物のシルバーリングが、鈍い光を放っている。

「2年前、タカツキのコロニー自治祭でステージに立ち、皆の前で歌いました。このお店の外で歌うのは初めてだったけど、常連さん達も応援してくれて、無事に歌いきることができました。この指輪はその夜、レンジ君にもらったものです。レンジ君はその夜……」

「わかった、わかった、降参だ!」

 マイクを使ってのろけはじめたことりを、レンジが慌ててとめた。客席から、「えー!」とか「聞かせてー!」といった冷やかしの声が投げられる。

「……ことりのことを、ずっと応援してるよ。もっと、もっと沢山の人の心を動かす歌手になるって信じてるし、これからも一緒にいて、応援していきたいって思ってる」

 レンジの言葉に、再びことりが真っ赤になる。同僚たちの冷やかしの声が、ますます大きくなった。

「はいはい。それじゃ、ことりちゃんの活躍を祈って乾杯しましょ。……羨ましいって思った子は、頑張って彼氏をゲットしなさいね」


 宴が終わりかけた頃、「私、飲みたいお酒があるんだけど」と、ことりが言い出した。

「ことりが酒を飲みたがるなんて、珍しいな。どんな奴?」

「うーんとね、ここにはないみたい。ちょっと買いに行ってくるね!」

 そう言うなり、ことりはレンジがとめる間もなく店の外へとびだしていった。

「あっ、おい!」

 テーブルの近くに、小さなポーチが落ちていた。レンジが手にとって見ると、ことりのものだった。財布やハンカチが入っている。

「ことりが財布を忘れて出ていったんで、届けてきますね」

 レンジはママにそう言い残して扉を開けた。

 店の前の通りには人影はなかった。雨上がりの夜風が叫びながら駆け抜けていく。

「ことり?」

 店の裏側の区画から、乾いた破裂音が響いた。

 音を手がかりにうらぶれた通りを歩く。角を曲がると、5年前にことりが不良保安官に絡まれていたゴミ捨て場の前だった。

「ことり!」

 赤毛の娘が倒れている。レンジはポケットに手を突っ込み、通信端末に触れながら駆け寄った。

「とまれ!」

 ことりを見下ろしていた男が叫ぶ。この町の不良保安官、ヨシオカだった。

「手を上げろ、助けを呼ぼうとするんじゃないぞ」

 ヨシオカは銃口をことりに向けて、ひきつったように笑う。

「この場で娘を死なせたくなければな……!」

 レンジはポケットから手を抜き取り、頭の上に挙げた。

「撃ったのか、ことりを」

 ヨシオカは暗く落ち窪んだ目を、爛々と輝かせてレンジを見た。

「すぐには死なんさ。大人しくしてるなら、少しは長生きできるだろうよ」

 レンジが奥歯を噛みしめて睨み付けると、ヨシオカはニヤニヤと笑った。

「それとも、目の前でてめえを撃ったほうが愉しいかもしれんなあ……!」

 口の端からよだれを垂らしながら、レンジに銃口を突きつける。

「……やめて、お願い」

 弱々しい声でことりが懇願した。

「そうか、そうか! 心臓がいいか? それとも脳天? お揃いでゆっくり死ぬのもいいな!」

 ヨシオカは弾けたような笑い声をあげた。

「……ことり、お前が俺のものになるってんなら、お前だけ助けてやってもいいんだぞ!」

 ヨシオカは高らかな声で言うが、ことりは息も絶え絶えになりながらも笑い飛ばした。

「お断りよ」

「てめえ……!」

 激昂したヨシオカが、再びことりに銃を向ける。

「つけ上がりやがって!」

「脅されたって、私の心は変わらない」

 ことりは不思議と落ち着いていた。凪いだ湖が周囲の木々を映し出すような声が、一層ヨシオカを苛立たせた。

「この、バイタ風情がァ……ッ!」

 ヨシオカが吼える。引き金を引こうとした瞬間、レンジが突っ込んだ。肩からの体当たりを受けて、ヨシオカが倒れる。手から落ちた拳銃がアスファルトに転がった。

 レンジはすかさず、拳銃を拾い上げた。

「ひっ!」

 慌てたヨシオカはレンジから背を向け、立ち上がりながら逃げ出しかける。レンジはためらわずに引き金を引いた。

 乾いた銃声が響き、ヨシオカの頭蓋を弾丸が貫いた。撃たれた男は「あ」と一声、間抜けな断末魔をあげて倒れ伏した。

「ことり!」

 レンジは拳銃を放り捨てると、ポケットの通信端末で救急通報をしながら、ことりに駆け寄った。

 皮肉にも悪徳保安官の腕がよかったためか、ことりは胸を撃たれて虫の息だったが、まだ生きていた。

 雲が割れて満月が覗き、青ざめた顔を照らした。ことりが目を開ける。

「レンジ、君」

「ことり、もうじき救急車が来るから……!」

 ことりは弱々しく微笑んだ。

「ごめんね、私」

「いいんだ、謝らなくても……!」

「……ポケットに入ってる、白い箱を、出して」

 レンジは膨らんでいる右側のポケットに手を入れ、白い小箱を取り出した。

「これか?」

 ことりは頷いた。

「あなたに、お返し」

 震える手で箱を開けると、収められていたシルバーリングが、月光に白く輝いた。

「愛してる。ずっと」

 レンジは左手の薬指に指輪をはめて見せた。僅かに頬を染めたことりが笑みを浮かべる。

「俺も、愛してる」

 ことりは目を閉じた。安らかな赤子の寝顔のようだった。

「うん……知ってる」

 レンジは力の抜けた小さな手を握りしめた。

「ずっと、ずっと一緒だ」

「うん、ずっと……レンジ君」

 か細くなっていく声で、ことりはレンジを呼んだ。

「ことり?」

「ごめんね、先に私……」

「ことり……!」

 遠くから、救急車のサイレンが聞こえてきた。


 山際から、空がオレンジ色に染まる。人通りの消えたカガミハラ・フォート・サイトの大通りに独り、白いドレスとつばの広い帽子を身にまとった女性の姿があった。両手首からは振り袖のように翼が生え、首から胸元にかけて艶やかな飾り羽根が覆っている。

ミュータントの美女は高いヒールを履き、背筋を伸ばして、カガミハラを動脈のように貫く大通りをひたすら歩いていった。

 くすんだネオンサインが光を灯しはじめた歓楽街の第4地区、取り壊された建物や廃工場が目につく、再開発中の第6地区、第5地区の旧市街地と新興住宅地……

 陽が落ちきって空が夜闇に染まりはじめた頃、第2地区のショッピングセンターに行き着いた。普段は買い物客で賑わう町も今は静まり返り、店々の灯りが寒々しく浮かび上がっている。

 ドレスの女は裾をなびかせながら、ショーウィンドーの前を歩いていく。水槽を泳ぐ熱帯魚のようにガラス張りの道を抜ける。街区の中央にある小さな公園に入り、とまっている噴水の前で立ち止まった。

 その場から動かずに向きを替える。噴水を背に、ビルの向こうに顔を出した月を正面に。淑女は膝を曲げたまま右足を上げると、そのまま足元を踏み抜いた。

 コンクリート製のタイルにヒビが入り、ピンヒールが深く突き刺さる。彼女の周囲の空気が、ノイズを帯びて震えた。

 深く息を吐き、吸い込むと再び吐き出した。呼吸を整えてから、ひとつ、ふたつ、みっつ……

 街灯と店の灯りに照らされながら、黒光りする人の姿をした機影が大通りを走り込んできた。カメラアイのセンサーライトを赤く輝かせて。四肢を出鱈目に振り回し、スピーカーから割れんばかりの雄叫びをがなり散らしながら、全速力で公園に迫ってくる。

 周囲には数機のドローンが距離を保ちながら追尾していた。オートマトンの挙動はドローンの目によって捉えられ、指令室で解析されて女のインカムに届けられる。彼女は指示を聞いて頷き、両足を開いて腰を落とした。

「ち、ちちっ、ちっ、ちっ、ちドリィィィイイイイ!」

 スピーカーから発せられる叫び声を明瞭に聞き取ることができるようになってくると、女は両手をゆっくりと顔の前に伸ばした。

 オートマトンもドレスの女を捕らえようと、両腕を前に突き出した。装甲に覆われた指先が女の両手をすり抜けて首に届こうとした時、

「がッ!」

 オートマトンが前のめりの姿勢のまま立ち止まった。向かい合う女性が開いた両手から、十数センチ離れた中空に、金属製の頭蓋が固まっている。ドローンの一機が、ぶつかるようにして貼り付いた。赤いセンサーライトが激しく点滅する。

「あアaア、a、アアaaah……!」

 頭が固定されたまま、オートマトンは両腕を振り回したが機体は動かず、手は宙を掴んだ。

 ピンヒールの女は重心を落とし、両足を踏ん張った。踵が更に床にめり込むと、オートマトンの両足が地面から離れた。四肢をばたつかせるが、機体はゆっくり持ち上げられていった。手を伸ばしている女の周囲に、再び砂嵐のようなノイズが飛ぶ。

 オートマトンが完全に浮き上がると、女は両腕を後ろに振り抜いた。帽子が飛び、ノイズがヒビのように空中に広がる。持ち上げられていた機体はボールのように飛んでいき、しぶきを上げて噴水のプールに突き刺さった。

 すぐさま噴水の中からオートマトンが跳び出す。

「チドリィィィイイ!」

 しかし有翼の美女は、ヒビの入った景色ごと粉々に砕け散った。

「ギ、ギギギ……?」

 水からあがったオートマトンが困惑した声をあげる。消え去った立体映像の向こうには、青い肌に白いドレスを纏い、大きな両手に重厚なグローブをつけた長身の少女ーーアオが仁王立ちになっていた。

 アオは地面にめり込んだヒールを脱いで走り出す。

「グ、ガギギ、ギッ、アアアaaah……!」

 追いかけようとしたオートマトンとアオの間に、黒い大型バイクが割って入った。

「ア、ギギ、ギ……!」

 スピーカーから異音を吐き出しながら、オートマトンが立ち止まる。一瞬ためらった後、再びアオを追おうとしたオートマトンを、バイクの男が呼び止めた。

「ヨシオカ」

 初めて呼ばれた名前に驚くように、ヨシオカが振り返った。レンジがヘルメットを脱ぐ。

「俺を忘れたかよ」

 レンジの顔を見たオートマトンは、甲高い音を発して頭を抱えた。

「き、きキキィイイイiiiiiッ! K、Koここコ、小僧ッ!」

 レンジはヘルメットを被りなおした。

「そうだ、俺が、お前を殺した……」

「こロした……? オれは、しんデ……エエ?」

 ヨシオカの意識が宿るオートマトンは、混乱して頭を抱える。

 レンジは“ライトニングドライバー”を丹田に当てる。鈍い銀色のベルトが腰に巻き付いた。

「そして、お前の怨念も打ち砕く……!」

「……オォ! おおOoオオオooh……ガアアァァァaah!」

 ヨシオカは天に向かって吼え、跳びかかってきた。迎え撃つレンジは拳を叩きつけるようにして、ベルトのレバーを下ろす。

「“変身”!」

 ガチャリと音をたててレバーがベルトの下部に収まると、雷光のようなギターの旋律と、雷鳴のように轟くベースのリズムがほとばしる。ベルトから発せられる音声が力強く叫んだ。

「『OK, Let's get charging!』」

 アクセルをしぼると、バイオマス式と水動式のツインエンジンが激しいドラムロールを奏でた。

「『ONE!』」

 カウントが始まると共に、オートマトンが地を蹴った。

「『TWO!』」

 レンジがバイクの前輪を跳ね上げ、高く持ち上げる。

「『THREE!』」

 掴みかかろうとしたオートマトンがカウルに乗り上げると、引っかけたまま走り出した。

「『……Maximum!』」

 オートマトンを持ち上げてウィリー走行をしながら、バイクが鈍い銀色の鎧を纏う。レンジの体も、同色のスーツに覆われた。稲妻を思わせるラインが、装甲の各部に走る。

「『“STRIKER Rai-Den”, charged up!』」

 カウントを終えてベルトが叫ぶ。装甲バイク“サンダーイーグル”は更に速度を増し、街灯に照らされながら大通りを駆け抜けた。


 アオは公園のそばに停まっていた赤いスポーツ・カーに駆け込んでいた。ドアが閉まり、車が走り出す。

「お疲れ様です。お見事でした」

 運転席のメカヘッドが言った。アオは装甲板を仕込んでいたグローブを脱ぎ、用意されていたサンダルを履きながら息を整える。

「うまくいってよかったです……」

「チドリさんの代わりにおとりになると言った時には心配でしたが、いやいやどうして、素晴らしいお手前でした」

 アオは恥ずかしそうに微笑んだ。

「バーの指令室から指示を出してもらわなかったらできませんでしたし、うまくいったのは兄が持たせてくれた立体映像プロジェクターのお陰です」

「ハハハ、ご謙遜を。しかし、ナカツガワのみなさんを迂闊に敵に回せませんな!」

 メカヘッドの言葉を気にもかけず、アオは明るく笑う。

「みんな揃って、“ストライカー雷電”の制作チームですから」

「これは参った!」

 メカヘッドは、金属製の額をぴしゃりと叩いた。

「……レンジ君、いや雷電は大丈夫ですかね?」

 アオは、両手をきゅっと組んでうつむいた。

「できることはやりきったし、大丈夫です。きっと……」

 両手でハンドルを握り、メカヘッドは進行方向を見た。

「そうですね。ひとまず“止まり木”に戻りましょう。……おっと?」

 対向車線を走ってきたバンが、軽くクラクションを鳴らした。交差する形で二台が停まる。

バンの窓が開いて、「よう!」と言いながらタチバナが顔を出した。

「マスター!」

「先輩、どうしたんですか、こんなところで?」

「まあ、家族サービス、ってやつかな」

 後部座席の窓が開いて、アキとリンの顔が飛び出した。

「わぁ、アオ姉えっちだ!……いてて」

 騒ぐアキの口を、リンがひねった。アオは真っ赤になって、大きく開いたワンピースの胸元を両手で隠す。

「アオ姉、ごめんね! ……私はとっても素敵だと思うわ。レンジ兄ちゃんもイチコロだと思う!」

「もう、リンまで……そんなことより、3人ともどうしたの?」

 子どもたちは歯を見せて、にいっと笑った。

「おっちゃんに、雷電が闘ってるところまで連れてってもらうのさ!」

「大人たちばっかりズルい! 私たちだって雷電を応援してるんだから!」

「ええ?」

 アオとメカヘッドがタチバナを見る。運転席のマスターも楽しそうに笑っていた。

「いいんですか先輩、雷電のバックアップは?」

「指令室はマダラに任せてきた。準備は万端だから、後は一人で何とかするだろう」

「えええ……?」

 困惑するメカヘッドを見て、タチバナはニヤリと笑った。

「カガミハラのニュースチャンネルを開けてみな」

「カッコいいんだから!」

 子どもたちは胸を張っている。メカヘッドは慌てて車載端末を起動した。

 都市内回線に接続し、カガミハラ・ニュース・チャンネル、通称KNCのアプリを立ち上げると、オートマトンを捕らえたまま“サンダーイーグル”で通りを疾走する雷電の姿が映し出された。今回の作戦のために用意したドローンが撮っているものだった。

「何だこれは!」

「『これは市民からの投稿映像です。たった今、市内に出没する暴走オートマトンが捕まりました! バイクを運転するのは、ナカツガワ・コロニーで活躍中の……ヒーロー? ……失礼しました! ナカツガワ・コロニーで活躍中のヒーロー、“ストライカー雷電”です! オートマトンを載せたバイクは、第2地区のショッピングモール、“インパルス”に向かっているとの情報を受けています。周辺地域のみなさんは、十分に注意してください……』」

 メカヘッドは繰り返し映像を流す画面から目を離して、タチバナに向き直る。

「何やってんですか、先輩!」

「映像を公開してもらったんだ。“止まり木”の名前を借りてな」

「何してくれちゃったんですか!」

 メカヘッドは掴みかからんばかりの剣幕だったが、タチバナは何処吹く風だった。

「みんなにも動画を見てもらおうと思ってな」

「野次馬が来ますよ!」

「そういうヤツを誘導したり、危険から守るために人手が要るよな?」

「そうですよ、どれだけの警官を動かさないといけないか……あ!」

 怒りから一転して、メカヘッドは間の抜けた声をあげる。

「それはお前の仕事だからな、よろしく頼むぞ」

「はい、任せてください! じゃあアオさん、俺、お仕事が入っちゃったから……」

 アオは頷いてシートベルトを外す。

「私も、雷電の応援に行きますね! ここまでありがとうございました」

 ドアを開けて飛び出したアオは手を振り、サンダルをパタパタ鳴らしながらバンの助手席に移っていった。

 タチバナ一家の車がショッピングモールに向けて走り出すと、メカヘッドはスポーツ・カーの屋根に回転灯を取り付けた。車載端末の通話回線から、呼び出し音が鳴る。

「はい、こちらメカヘッド」

「『お疲れ様です。チドリです』」

 スピーカーからしっとりした声が流れ出た。

「『映像見せてもらいました。ここまで、うまくいっているみたいでよかったわ。アオちゃんも、ドレスがよく似合って素敵でした』」

「アオ嬢はタチバナ先輩たちと行ってしまったので、ここにはいないんですよ」

「『あらあら、じゃあ、後で言ってあげないとね』」

「そちらはどうです? マダラ君が一人でVIPルームに詰めてるみたいですが……」

「『時々悲鳴をあげているけど、順調みたいです。オペレーションも動画の投稿も、私にはお手伝いできないのが心苦しいのだけど……』」

「チドリさんが傍で応援して、やる気の出ない男はいませんよ!」

 チドリは鈴を鳴らすように笑う。

「『メカヘッドさんたら、お上手なんですから! ……お電話した要件を言いそびれてましたわ。うちの店の子達も動画を見て、雷電を見ようと出かけて行ってしまったんです。もしものことがあったらと、心配で……』」

「お任せください! ちょうど俺も現場に向かうところだったんです」

「『ありがとうございます! よろしくお願いしますね……』」

 ほっとした声になったチドリが通話回線を閉じると、メカヘッドは懐のポケットに手を突っ込み、軍警察から支給されている通話端末を取り出した。素早くダイヤルして、頭部横に固定する。通話しながら車をUターンさせた。

「……俺だ、メカヘッドだ。KNCの動画見たか? ……それだそれ。……慌てるな、まだ公開されたばっかだ。……削除要請? やめとけ! どうせ個人が拡散するからな。わざわざ飛び火させるようなもんだ。そんなことより、市民が動き出してる。現場に警ら隊を回せ! 俺もすぐに行く」

 メカヘッドは通話を終えてアクセルを踏む。

「さて、祭りだ。今度こそ逃がさんぞ……!」

 独りごち、愉快そうに笑いながら、ショッピングモールに向けて走り出した。


 雷電はバイクの前輪を地面につけると、更に速度を増して商業地区の大通りを駆けた。ヘルメットの中からマダラからの声が呼びかける。

「『雷電、順調そうだね』」

「ああ、今のところは作戦通りだ」

 オートマトンは“サンダーイーグル”のフロントカウルの上で手足をじたばたさせている。

「とりあえずバイクに載せたまま走ってるけど、落ちないのか?」

「『“サンダーイーグル”の分子再構成システムで装甲に取り込まれかけてるから、とりあえず問題ないよ。ただ、中途半端な状態で装甲に負担がかかっているから、なるべく早くに解除した方がいい』」

「了解。予定通り“インパルス”に向かう」

 等間隔に並ぶ街灯に照らされながら、装甲バイクは人通りのない通りを走る。第2地区の端を出発し、反対側の端を目指して。

「『……落ち着いてやれてるかい? その……仇なんだろう、君の彼女の?』」

 マダラが尋ねると、レンジは「うーん」と言って少し考えた後で答えた。

「怒りとかは感じないんだ。多分、ヨシオカ本人を撃った時に、復讐は終わってたんだと思う。それでもまだヨシオカが暴れてるから、俺はそれをとめるだけだよ」

「『わかった。……余計な気遣いしちゃったかな』」

 マダラが申し訳なさそうに言うと、レンジは「いいよ、気にすんな」と言って明るく笑った。

「それより、おやっさんの話、聞こえてたぞ。動画をニュースチャンネルに投稿するんだって?」

「『そうなんだよ! おまけに『他所の保安官が絡んでるってバレたら不味いんだ』とか言って、作業を全部俺に任せて行っちゃったんだぞ!』」

 怒りながら愚痴るマダラに、レンジは愉快そうに笑った。

「お疲れさん。こっちのサポートもよろしく頼むぜ」

「『ちくしょう! 雷電をカガミハラでも人気者にしてやるからな、覚悟しろよ!』」

 自棄気味の声でマダラが叫ぶ。

「ははは、他所者のヒーローがメジャーデビューか、悪くない」

 笑いながら返した雷電に、マダラもため息をついた。

「『そう思えるなら何よりだ。気負わずに行けよ!』」

「ああ!」

 レンジは答えてから独りごちた。

「俺の復讐が終わってないとしたら、それは……」

「『……よし、投稿完了だ! ……ん、何か言った?』」

「いや、ヒーローになったのも悪くなかったかな、って思っただけさ」

「『ふーん?』」

 よくわからないまま、マダラが相づちを打つ。

「……見えてきたぞ」

 一際大きな直方体のビルディングがライトに照らされ、夜の町に浮かび上がっていた。


 高級商業エリアの第2地区と、庶民的な商店街や市場が並ぶ第3地区の境目に、大型ショッピングモール“インパルス”は位置している。この日はかねてから計画されていた改装工事の最中だったため、広い敷地内から従業員の姿も消えていた。

 四方から照明灯が照らす、がらんとした駐車場に“サンダーイーグル”が乗りつけた。装甲に貼りつけられていたオートマトンが振り落とされ、広大な敷地の中央に転がる。バイクの装甲はオートマトンが貼りついていた部分が抉られるように欠けたが、すぐに水銀のように表面が流れて修復された。

 アスファルトに投げ出されたオートマトンは呻くような、唸るような声を発しながら起き上がる。雷電は弧を描きながら入り口近くにバイクを戻し、すぐさまとって返した。2つの人影が金属質の光沢を放って向かい合う。千切れた黒雲が風に流される中、ぽっかりと浮かんだ満月が時折雲に隠れながら、雷電とオートマトンを見下ろしていた。

「ウ、こゾウウuuuh、グrrrrr……!」

 オートマトンは首が傾き、体幹がずれた歪な姿勢で身構えながら、アイカメラのセンサーライトを赤く光らせた。雷電を睨み、周囲を見回す。駐車場の外縁部には野次馬が集まり始めていた。人垣の周りには軍警察の警ら隊が整列し、大型の透明な盾を構えている。狙撃銃を構えた兵士も控えていた。

「ふザケた、真似ヲォ……ooh! Urゥあaaaaah……!」

 オートマトンが片手でこめかみの辺りを押さえながら吼える。崩れかけた“ヨシオカ”の人格データがレンジへの復讐心を楔に意識を保ち、暴走するオートマトンの制御コマンドの奔流に抗いながら燃えているのだ。

「けりをつけよう、ヨシオカ」

 レンジは冷徹なほどに落ち着いていた。

「……こんなにギャラリーがいるとは、俺も予想外だがな」

「ガッ、ガah、aaaアあああaアaaァaaあah……!」

 ヨシオカは叫び、前のめりになって突っ込んできた。雷電は体をひねって避け、バネを効かせて蹴りつける。オートマトンは身構えるが、勢いは削がれずに駐車場を転がった。

「『いいぞ! 脳波コントロールでも、雷電スーツの速さとパワーには反応できないんだ!』」

 マダラが興奮気味に叫ぶ。ヨシオカがよろめきながら立ち上がると、雷電は既に追いついて、オートマトンに殴りかかっていた。

 パワーアシストがのった拳がヨシオカを打つ。両腕でかばうが、防ぎきることはできなかった。黒鉄色の腕甲に拳の雨がめり込む。

 数発、十数発と打撃を受け止めて、とうとう両腕が左右に弾かれた。ヨシオカが体勢を崩してふらつく。雷電は腰を落とした。

「“サンダーストライク”!」

「『Thunder Strike』」

 レンジの声を受けてベルトからも音声が流れる。電光が走る右足を振り抜くと、稲妻のようなハイキックがオートマトンの頭部を打ちすえた。野次馬たちが叫び声をあげる。

 装甲が砕け、スピーカーがへしゃげ、内部の配線が剥き出しになって火花が散る。ヨシオカは四肢を突っ張ると、仰向けになって倒れた。

「『やった!』」

 インカム越しにマダラが叫んだ。カメラアイの光が消えたことを確認して、警ら隊を指揮するメカヘッドが手を上げる。隊員たちがオートマトンを回収するために、四方から駆け寄った。

 雷電は周囲からやって来る警ら隊員を見回しながら、虫の羽音のような低いモーター音を聞き取っていた。

「まだだ、みんな離れて!」

 両手を広げて、警ら隊員たちを制する。転がっていたオートマトンが再起動し、センサーライトがオレンジ色の光を発した。黒鉄色の亡骸は跳ね上がるように立ち上がったかと思うと、雷電に掴みかかった。

 オートマトンの手が雷電の首にかかり、万力のようにスーツごと締め上げた。雷電の装甲が歪み、オートマトンの指が軋む。出力過多で関節部が悲鳴をあげているのだ。

「ぐっ……このっ……!」

 雷電はオートマトンを引き剥がし、蹴り飛ばして距離をとる。オートマトンも低く腰を落とし、両腕を広げて身構えた。

「……どうなってる、これは?」

 割れた頭蓋からコードの束がこぼれ出て、チリチリと火花を飛ばす。へしゃげた装甲の内側から、各所の電子部品が光を放った。赤色と黄色の間を移ろいながら輝くさまは、身を焦がしながら燃える鬼火のようだった。

「『わからない、再起動した、としか……気をつけて!』」

「Grrr……hhh、Hwuuhh……!」

 獣のような唸り声をあげ、オートマトンが地を蹴る。四つん這いになろうかという前傾姿勢で走り、勢いをつけて殴りかかった。

 雷電は身をかわすと、再びカウンター気味に殴りつけた。オートマトンは腕を振り、拳をいなす。

「なっ……!」

 刹那、レンジの判断が鈍る。オートマトンは追撃に出て、オレンジ色の燐光を纏う拳を突きだした。

「Wwrruaaah……!」

「ぐぅっ……!」

 前腕をかざして身を守ると、衝撃が腕甲にめり込む。雷電は弾かれるように後ずさった。

「早い……強い!」

「Uuuwhuuh……!」

 オートマトンは低く唸りながら、前傾気味の怪人じみた体勢で雷電を睨みつける。頭部装甲の下に埋設されていたサブセンサー群が剥き出しになり、燃えるように輝いた。蜘蛛の複眼を思わせる相貌だった。

「『タガが外れてる!』」

 モニターしているマダラが叫んだ。

「あれに何が起きてる、わかるか?」

「『わからない。ライトは“緊急起動モード”に近い色だけど……データを洗い直してみる。何かわかるかも』」

「頼むぞ!」

「Wvaah……!」

 オートマトンは再び跳びかかった。掴みかかってくる腕を、今度は雷電がいなす。複眼の幽鬼はすぐさま体勢を変えて殴りかかった。

 一方が撃ち、他方が受ける。両者は入れ替わりながら攻防を続けた。数合打ち合った後、防御から攻撃に転じる間隙を縫って、雷電の拳がオートマトンの顎を撃ち抜いた。

 オートマトンは首が曲がりながらも動き続け、勢いをとめずに殴り返した。雷電はとっさに左腕で顔面をかばい、拳を受け止めた。衝撃が響いて腕が震える。再起動前よりも、確実に威力が増していた。

「人間の動きじゃないぞ!」

「『雷電、オートマトンのカタログには手がかりなしだったから、断言はできないんだけどいいか?』」

 ずれた頭部を自らの手ですげ直して、鋼鉄の怪人が構え直す。

「いいから、早く言ってくれ!」

「『まず、ヨシオカって人の意識があれを動かしてるんじゃない、と思う』」

 再び2つの影がぶつかり合い、殴りあって火花を散らした。もはやオートマトンは、雷電スーツによって加速したレンジの反応に追いついていた。揉み合いながらレンジが叫ぶ。

「そうだろうな! じゃあ、何なんだ?」

「『メカヘッド……先輩が言ってた、ペルソナダビングの成れの果て、かな……?』」

 雷電はオートマトンを蹴りつけ、反動で距離をとる。

「人格がぶつかり合って、廃人か怪人になるってやつか? でもあれは……」

「『考えたんだけど、あの話、人格が2つあるよりも、“上書きしたデータが不完全だった”ってことが大きな問題だったんだと思う。新しい人格が崩壊した時、古い人格の残りかすも一緒に壊れて、人間性がすべて消え去ったんだ』」

「Wruah! Aaaaaah!」

 オートマトンは執拗に雷電に組みつくと両腕をわしづかみにして、頭突きを繰り出した。

「ぐっ……!」

「『大丈夫か!』」

「いいから、続きを!」

「『多分、今のあれは、ヨシオカの脳の“動物的な部分”と、オートマトンの暴走が噛み合って動いてるんだと思う』」

 数発受けながらも、雷電はオートマトンを背負い投げる。地面に叩きつけた一瞬、黒鉄の身体から光が消えた。

「『だから、怯まない。ボディの限界を超えて闘い続けるんだ』」

 すぐにセンサーライトの光が戻ると、素早く雷電から離れて身構える。

「逃げ隠れしない、ってのはいいじゃないか。あとは、どうやって倒すか、だけだな!」

「Vaaaaaah!」

 ノイズのようなわめき声をあげながらオートマトンが迫ってきた。雷電は突撃をかわし、追撃をいなす。駆け出すと、オートマトンも追いかけて走り出した。

「狙いが逸れないってのはいいが、こいつの弱点はわかるか? ……おっと!」

 オートマトンの指先が雷電の腕甲をかすった。

「『全体を統制する集積回路が背中にあるはず……とめるには、そこを叩くしかない』」

「雷電スーツの充電はどうだ?」

「『ほぼ確実にもう一回撃てるよ。“サンダーイーグル”にずっと乗ってたからね!』」

「よし、“一撃で充分だ、決めるぜ!”」

 レンジはスーツの“大見得”機能によって決め台詞を言わされながら、オートマトンの背後を取ろうと回り込む。オートマトンは素早く反転して手を伸ばした。雷電が踏みとどまると、オレンジ色の光の帯を描きながら、黒鉄の腕が宙を掴んだ。雷電が動くと、オートマトンも合わせて動く。2つの影は、駐車場内に弧を描いて並走しはじめた。

 警ら隊は盾を構えて人垣を組む。観客たちは固唾を飲んで見入っていた。

「らちがあかないな!」

 雷電は走りながらマダラに呼びかけた。足を止めれば、次はオートマトンに追い立てられる側になるからだ。

「……マダラ、バイクを無人運転で動かせるか?」

「『できるよ! 何をしたらいい?』」

「合図したら、俺の方に突っ込ませろ!」

「『ええ!?』」

「頼むぞ!」

 雷電はオートマトンに背を向けて走り出した。オートマトンも後を追う。ショッピングモール“インパルス”の青い壁が見えてくると、雷電は反転した。

「今!」

「『了解!』」

 装甲バイク“サンダーイーグル”が双眼のようにヘッドライトを光らせて、雷電めがけて走る。

 オートマトンが雷電に追いすがって組み付こうとした時、バイクがその背中に衝突した。制御盤への強い衝撃に四肢は固まり、センサーライトの灯が消えた。

 雷電はオートマトンを踏み台にして跳び越え、バイクに跨がると前輪を持ち上げた。オートマトンを乗せたまま、ウィリーで更に加速し、ショッピングモールの壁に向かっていく。

「ああっ……!」

 見守っていたアオが、両手で口を覆った。

「いくぞ、マダラ、このまま加速だ!」

「『わかった、死ぬなよレンジ!』」

 前輪が壁にぶつかるかと思うとそのまま車体が壁に沿って地面から垂直に持ち上がり、吸い付くように壁を登り始めた。

「雷電、頑張れ!」

「頑張れー!」

 アキとリンが声を張り上げる。集まった人々も、口々に応援の声を投げた。

「頑張って!」

「行け!」

「頼むぞ!」

 ミュータント・バーの女給たちが、近隣に住む人々が、そして動画を見てやって来た人々が、雷電を応援していた。アオは振り返り、人々の顔を見た。ミュータントも、非ミュータントも、老いも若きも、男も女も、今や皆の心が一つになっていた。

「すごい……みんな、雷電を応援してるんだ……!」

 タチバナは自らの背を追い越して久しい義娘に、胸を張って笑いかけた。

「俺たちのヒーローは大したもんだな! ……だから、きっと大丈夫さ」

「うん……!」

 アオは両手をぎゅっと握りしめた。

 盾を構える警ら隊も、雷電とオートマトンの闘いを見守る他になかった。

「頼むぞ、雷電……」

 先頭に立つメカヘッドは無線機を握りしめて呟く。見上げる先では、いよいよバイクがビルの屋上にたどり着こうとしていた。

 屋上の縁を踏み切り台にして“サンダーイーグル”が翔び上がる。前輪のカウルに載せていたオートマトンを振り落として、バイクは屋上に乗り上げた。

 地上十三階の高さにオートマトンが放り出され、駐車場に向かって落ち始めた。

「VWaaaaaaa……!」

 一時的な機能停止から回復していたが、手は宙を掴み、足は空を蹴るばかりだった。バイクを停めた雷電は屋上の手すりを蹴り、勢いをつけてオートマトンめがけて跳び降りた。

「これで終わりだ……“サンダーストライク”!」

「『Thunder Strike』」

 雷電スーツに走るラインが青白く輝いた。足先から雷光が迸る。

「『行けー!』」

 マダラが叫び、観客たちも叫んだ。警ら隊は地面に突き立てた盾を支えるように身を固めた。

 雷電の両足が、仰向けに落ちていくオートマトンの胸部装甲を射貫く。そのまま両者は垂直に落ち、コンクリートの駐車場に突き刺さった。粉塵が舞い上がる。

「雷電は……?」

 タチバナが眼を凝らした。視界がすぐに晴れると、オートマトンは地面に半ば埋まって横たわり、雷電が傍らに立っていた。

「『……Discharged!』」

 ベルトが音声を発し、雷電スーツの光も収まっていく。

「オートマトンを確保しろ!」

 メカヘッドが叫ぶと、警ら隊が一斉に動き始めた。

 オートマトンは中央制御盤ごと胸部を砕かれ、上下が半身ごとに分断されていたが、尚もセンサーライトの灯を明滅させていた。

「oooh……レハ、そうか、また死ぬノか……」

「……ヨシオカ? 意識が戻ったのか」

 センサーライトを弱々しく光らせながら、ヨシオカはぎこちなく首を動かして雷電を見上げた。

「マた小僧ニ殺らレるとはナ……」

 苦々しい感情の籠った声に、レンジはマスクの下で少し笑った。

「俺はさ、お前への恨みはもうないんだ。せっかく生き返ったんだ、言い残したいことがあれば、聞いてやるよ」

 カメラアイの光が更に弱まっていく。ヨシオカは少し黙った後、スピーカーをザリザリと鳴らして言った。

「今度コそ……欲シかったんだガな……チどリ……」

 言いかけて、スピーカーがブツリと音を立てた。全身から洩れていた光も消え失せ、オートマトンは完全に機能を停止した。警ら隊が集まり、残骸を集めはじめる。

「あんた、最後までろくでもない奴だったよ」

 レンジがそう言って顔を上げると、観客たちが一斉に走り寄ってくるのが見えた。白いドレス姿のアオが先頭に立ち、大きく両手を振っている。アキとリンが跳びはねながら駆けてくる。タチバナは穏やかに微笑んでいた。人々は一塊になり、混ざり合って言葉にならない歓声をあげていた。


「……よし! 動画配信も無事に終了だ!」

 マダラが端末の操作を終えて、大きく伸びをした。チドリがテーブルに茜色のカクテルグラスを置く。

「お疲れ様でした。これ、オレンジジュースですけれど……」

「ありがとう! チドリさんもお疲れ様」

 チドリは静かに微笑んだ。

「私は、皆が頑張っているのを応援していただけですから」

 マダラは軽くグラスを傾ける。
「頑張ってるとさ、そばで一緒になって応援してくれる人がいることが、とても心強いんだよ。……だから、チドリさんにも、ありがとう」

 チドリはにっこりした。

「そう……それなら、向こうで頑張ってきた人達も出迎えられるように、お店の準備をしないとね!」

「俺も手伝うよ。ミールジェネレータを使うのは自信があるんだ。ナカツガワいちのコックなんだぜ!」

「まあ……!」

 チドリが笑い、マダラも一緒に笑っていると、インカムの通信機からレンジが呼びかけてきた。

「『……マダラ? チドリさんはいるか?』」

「レンジ、お疲れ様! ちょっと待ってくれよ……」

 マダラが端末機のスイッチを入れると、スピーカー通話に切り替わった。大勢の人々が叫んでいる声が聞こえてくる。

「レンジ君、お疲れ様」

 チドリは端末機のマイクに話しかけた。

「『チドリさん』」

「チドリお姉さん、でしょ」

 通信機の向こうで、レンジが少し苦笑いした。

「『……チドリ姉さん、終わったよ』」

「うん」

 チドリは、目の端に涙を溜めて答えた。

「……レンジ君、お腹空いたでしょう。“止まり木”で待ってるから、お疲れ様会をしましょう! うちの子たちにも、早く戻るように言ってもらえるかしら?」

「『了解!』」

 マダラが通信をインカム通話に切り替えた。

「さあ! 皆が戻ってくるまでに準備を済ませないとね!」

「……げっ!」

 インカムからの音声を聞いていたマダラが青くなって声をあげた。

「どうしたの?」

「雷電の闘いを見てた人達が皆、ついてきてるって……人数は、ちょっと数えきれないくらいだって……」

 チドリはポンと胸を叩いた。

「何人来ても構わないわ! 店の前にも椅子を並べましょう。マダラ君も、手伝ってくれるわよね?」

「勘弁してくれよ、俺はひ弱なんだよう……」

 泣き言を洩らすマダラを見て、チドリは晴れやかな顔で笑うのだった。


アウトロダクション:デュエット フォー ユー

「ハッ!」

 照明灯の下で鈍い銀色のボディを煌めかせながら、雷電がパンチを放つ。

「ふんっ!」

 向かい合う道着姿のメカヘッドは長尺の警棒を振って拳を打ち落とし、更に棒を回して打ちかかった。

「うらぁっ!」

 雷電は腕を払われた後、すぐに体勢を立て直していた。

「シッ!」

 脚を大きく旋回させて、振り下ろされた警棒を蹴りあげた。両者は後ろに跳び去り、舞台上で互いに距離を取る。ジリジリと間合いを詰めてから、メカヘッドが警棒を突き出した。

「やあああっ!」

 正中線を狙ったひと突きを、雷電は跳びあがってかわした。メカヘッドが追撃しようと警棒の先を浮かせる。雷電は棒を踏み抜くように着地し、更に弾みをつけてメカヘッドの頭上を跳び越えた。

「げえっ!」

 警棒から手を離したメカヘッドが慌てて振り返ると、雷電は既に身構え、正拳突きの構えを取っていた。

「……参りました」

 メカヘッドが言うと、観客席からわあっと歓声が溢れた。

「『オートマトン暴走事件の解決に活躍したナカツガワ・コロニーのヒーロー、“ストライカー雷電”と、カガミハラ署所属、メカヘッド巡査曹長による模範演武でした。お二人とも、ありがとうございました。続きましては、第4地区でバー、“止まり木”を開き、活躍している歌姫、チドリさんの歌をお楽しみください……』」

 場内アナウンスに背中を押されるようにして、雷電とメカヘッドはカガミハラ・フォート・サイト自治祭の舞台を降りた。


 用意された控え室に戻り、変身を解除する。用意されていた水を飲んで一息つくと、ドアがノックされて、すぐに開いた。

「よっ」

 普段着のスーツベストに着替えたメカヘッドが顔を出す。

「チドリさんが歌ってるの、見に行かないか。特等席で見せてやるから」

 雷電はメカヘッドに連れられるまま会場を出た。外縁部を大回りして歩くと、舞台の向かい側、客席の後ろにある小高い丘に出た。数組の家族や夫婦、友人連れが夜風に当たりながら、静かに舞台を観ていた。

 チドリが歌うバラードが、ゆったりと流れていた。オレンジ色の街灯がまばらに立ち、ぼんやりと辺りを照らしている。

「な、穴場だろう?」

 メカヘッドが胸を張る。少し離れたところから、大きな手が揺れていた。

「おーい、レンジさん!」

 アオが呼んでいる。タチバナとマダラは酒を酌み交わしている。帰りの運転は、アオに任せる魂胆のようだった。「絶対に一緒に行くんだ!」と言って退かなかったアキとリンは、雷電の演武が終わるとすっかり瞼が重くなって、チドリの歌を子守唄にして船をこいでいた。

「おう、レンジ、お疲れさん」

 タチバナが顔を上げる。酒に弱いマダラは、すっかり出来上がって顔を赤くしていた。

「やあレンジ、チドリさんの歌は初めて聴くが、すごくいいじゃないか! 俺、すっかりファンになっちゃったよ」

 アオがマダラに水の入ったコップを渡す。

「兄さん、この前チドリさんの歌を聴いた時にも同じこと言ってたよ」

「ありがとう……そうだっけ?」

 マダラは適当な調子で返しながら、アオから受け取った水をぐびりと飲んだ。

「ははは」

 レンジは笑い、メカヘッドと並んで腰を下ろした。チドリは既に数曲歌い終えて、深々とお辞儀をして舞台を去った。客席から拍手が続いている。

「すごいもんだよ、チドリさんの歌は」

 メカヘッドは、歌姫が戻るのを待っている舞台を見ながら言った。

「ミュータントも、そうじゃない人も、皆の心を一つにするんだから」

「そうだな」

 アオが勢いこんで隣に座った。

「レンジさんが雷電で頑張ったのだって、凄かったんですから! ミュータントもミュータントじゃない人も、見ていた皆で応援していたんですよ!」

 レンジを挟んでアオが言うと、メカヘッドも頷いた。

「確かに、雷電が闘ったのも大きかった。こうやって少しずつ、この町も変わっていけるかもしれないな。……おっと、チドリさんが出てきた!」

 艶やかなドレスを纏ったチドリが、再び舞台に現れた。観客たちの拍手も、一層大きくなる。

「『ありがとうございます』」

 会場が静まるのを待ち、「アンコールに何を歌おうかと考えていたのですが……」とチドリは話し始めた。

「『皆さんに、もう一人の歌手をご紹介しようと思います。私と、“ストライカー雷電”を演じている方の、共通の友人です』」

 会場がざわめく。レンジは静かに舞台を見ていた。

「『彼女は不幸にも、今から一年前に亡くなりました。その翌日にはオーサカ・セントラルでメジャーデビューを果たすはずでした』」

 再び会場が静まり返る。チドリは話を続けた。

「『私は数年前まで彼女に歌を教えていて、その後は時々手紙のやり取りがあるだけでした。亡くなったのを知ったのは、1週間ほど前のことです。……その時、彼女が遺していた歌の録音を聴くことができました。 聴いてみて驚きました。私と別れてから、歌がますますよくなっていたの。どの曲も想いにあふれていて、私もかなわないと思ってしまうくらいだったから』」

 チドリの声が少し震える。言葉を切り、息を整えると、再び明るい声で話し始めた。

「『今夜は、録音している彼女とのデュエットをお送りします。彼女が大好きだった、旧文明の頃に作られた曲です。……彼女のことを大切に想い続けている人に届きますように。聴いてください……』」

 拍手が鳴る中、温かな朝陽が射すように、ピアノの音が響いた。軽快なコンガとトゥンバドゥーラは、弾む心音だ。陽に照らされて世界が色づくように、フィドルやベースがメロディーを彩っていく。

 舞台後ろのスクリーンに、ことりの写真が映し出された。

 チドリが歌い出す。スピーカーの中でことりの声と重なった。二人の歌声は溶け合い、時に分離して互いを引き立てあいながら、会場中を包みこんだ。


 歌が終わり、チドリが深く頭を下げると、割れんばかりの喝采が響き渡った。タチバナがレンジに並んで、一緒に舞台を見ながら声をかけた。

「なあレンジ、俺はお前さんがナカツガワに来た理由を知りたいって、そんなことを言ったな」

「ええ」

「俺は今、お前さんが見たかったものがわかった気がするよ。……よく、頑張ったな」

「……ありがとうございます」

 酒盛りの後片付けを終えたマダラとアオの兄妹が、歩きかけて振り返った。アオはぶら下げるようにアキとリンの手をつないで、マダラはクーラーボックスとごみ袋を持っていた。

「二人とも、帰りましょう!」

 アオが明るく言う。マダラは酔いが引いて青い顔をしていた。

「帰りは一番後ろの席で、寝てていいですか……」

 タチバナは「なんだ、情けないな」と言って笑う。メカヘッドが芝居がかった仕草で頭を下げた。

「それでは皆さん、捜索への協力ありがとうございました。また機会がありましたら、是非宜しくお願い致しますね」

「お前がそう言うと、社交辞令に聞こえないよ」

 タチバナが眉をひそめて言うと、頭を上げたメカヘッドが、センサーライトを瞬かせた。

「本心ですから!」

「おいおい……」

 タチバナは苦笑いした後、レンジに向き直った。

「じゃあ、帰ろう、ナカツガワへ」

「はい!」

  雲のない空から、半月が柔らかい光を放ちながら見下ろしていた。


リ;イントロダクション:チャット オブ リトル バーズ

 半月が薄雲を纏い、淡く光りながら天窓から顔を覗かせている。タカツキ・サテライト自治祭の後、レンジとことりは路地裏のミュータント・バー、“宿り木”の屋根裏にある自室に引っ込んでいた。

 小さなテーブルには、緑色のワインボトルとグラスが2つ。うっすらと金色がかった液体が一方のグラスに注がれ、微かに泡を立てていた。

「……やっぱり無理! これ以上飲めないよ」

 珍しく酔ったことりが顔を赤くして、腰かけていたベッドに仰向けに倒れこむ。テーブルを挟んで反対側のソファに腰かけていたレンジは笑って、グラスに残ったシャンパンを傾けた。

「『呑みたい』って言ってママに飲みやすいのを見繕ってもらったのは、ことりだろう?」

「そうだけど……こんなに呑めないなんて、思わなかったんだもん! 大人っぽくお祝いしたかったのに!」

 口を尖らせることりを見て、レンジは再び吹き出した。

「もう! 笑うことないじゃない!」

 ことりが起き上がって頬を膨らませる。

「ごめん、ごめん。……でも、そうだな。ステージの成功おめでとう、ことり。とてもきれいだったし、何よりも歌がよかった」

 ことりは更に顔が赤くなった。

「もう! 急にどうしたの。レンジ君こそ酔ってるんじゃない?」

「かもしれないなあ。でも、本当によかったんだ。聴いてたお客さんも、皆拍手してくれたろ?」

「常連さんが励ましてくれたから、歌いきれたんだよ……」

 ことりが耳まで赤くしてうつむく。

「でも、その歌でお客さんの心を動かしたのはことりだろう? 常連さんだって、最初は気にもしてなかったけど、ことりの歌を聴いてるうちに、ファンになってくれた人ばかりじゃないか」

「うん……」

「ミュータントかそうじゃないかとか関係なく、ことりの歌が聴く人の心を動かしたんだ。君の歌には、それだけの力があるんだ。」

 ことりはクッションに顔を埋めている。

「何よう、何でそんなことばっかり言うの……」

「だから、その……大人っぽいことなんかしようとしなくても、ことりは素敵なんだ、って……」

 そう言って、今度はレンジが赤くなった。ことりはにやりとして立ち上がり、レンジの膝の上に座った。

「おい!」

「何~?」

 ニコニコしながら、真っ赤になったレンジに背中を預けている。

「渡しにくいじゃないか。……ほら、これ」

 レンジはポケットから小箱を取りだし、ことりの手のひらに載せた。

「何?」

「開けてみな」

 ことりが開けると、中には指輪が一つ、納まっていた。

「わあ……!」

 目を輝かせて指輪を取り上げる。シンプルなシルバーリングだった。

「いいのレンジ君? バイクを買うためにお金を貯めてたんじゃない?」

「ことりに何か祝い事があったら渡そうと思って、取っておいたやつだから大丈夫だよ。そんなに高い指輪でもないしな」

「それなら、ありがとう」

 ことりは左薬指に指輪をはめて見せた。

「どうかな?」

「だから、安物だって言ったろ」

「大事なのは、気持ちだもん」

 ことりはレンジの胸に頭をすりつける。レンジは深く息をついて、後ろからことりを抱きしめた。

「……私、夢があるんだ」

「夢?」

「いつか、ナカツガワに行って、チドリさんに歌を聴いてもらうの。これだけ歌が上手になったよ、って。それで、一緒に歌わせてもらうんだあ。その為にも、もっと練習しないとね」

「いいじゃないか」

 ことりは顔を上げてレンジを見た。

「レンジ君のバイクで連れてってもらうからね!」

「うん。俺もことりと一緒に行けるように頑張るから……」

「約束だよ、いつか……」

 二人の影が重なる。タカツキ・サテライトの夜は静かに更けていった。

(完)

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