アウトサイド ヒーローズ:スピンオフ2-7(エピローグ)
オーサカ;シークレット ガーデン
まばゆい銀色の都市、オーサカ・セントラル・サイトの上を太陽が巡り、そして沈んでいく。
深い群青色の幕を下ろす空が、夕焼けに照らされていたビル街を塗りつぶす。星粒のような灯りが、黒くそびえる摩天楼にちりばめられるように輝き、ビルの輪郭を浮かび上がらせた。
オフィスから解放されて家路に向かう人々、鮮やかな光を放つ繁華街。町の色合いが大きく変わる中、うらぶれた地下区域の専門店街“スネイル・ストリート”に店を構えるサイバネティクス・カスタム工房“ピエール”は、日中と変わらない時間が流れていた。
アンティーク調の掛け時計が乾いたリズムを刻む中、卓上のミュージック・プレイヤーがジャズ・バンドによる軽快な演奏を流し続けている。
「フフフーン、フフフフ~」
筋骨たくましいスキンヘッドの店主が、サックスのメロディに合わせて機嫌よく鼻歌を口ずさみながらサイバネ義肢の装甲をウェスで磨いている。店内に客の姿はない。
来客といえば、義肢のメンテナンスを依頼した予約客くらいのもの。本来一人の作業を好む店主にとって、場末の工房は居心地の良い空間だった。
磨き上げた前腕の装甲板を作業灯にかざして、傷の有無を確かめる。カーボン繊維素材の上に貼り付けられた極薄の金属装甲が、うっすらとオレンジ色が混ざった光を浴びて艶やかに照り返した。スキンヘッドの男は、頬を緩めて「んふっ」と声を漏らした。
「いい感じね! ンフフーン、フフンフフフフ~……」
「機嫌がいいな、ツワブキ」
「ええっ!」
戸口から飛んできた言葉に、店主はぎょっとしてとびあがった。いつの間にか開いていた扉の前に、黒いサイバネ義体に身を包んだ人物が立っている。ヘルメットには特徴的な、“X”と“Y”に似た形のアイ・バイザーがうっすらと赤い光を放っていた。
「ちょっとぉ、イクシスちゃん! ノックぐらいしてよね!」
鼻歌や独り言を聞かれたことを知り、真っ赤になった店主が抗議する。しかしサイバネ義体の傭兵は大股で店の中に足を踏み入れた。
「したが。営業時間なんだろう」
「そうだけどぉ、予約入れないでウチに来るの、イクシスちゃんくらいなのよぉ……あっ!」
文句を言いながら作業卓に広げていた部品と整備機材を片付けていると、店主はハタと気が付いて顔を上げた。
「そうだった、お仕事! どうだったの、イクシスちゃん? 無事に終わったから報告しに来てくれた……とか言うわけじゃあ、なさそうねぇ」
「ああ」
軽口を叩きながら、店主の視線はイクシスの左腕にたどりついていた。サイバネ傭兵も自らの左腕を上げて見せる。前腕部……大口径の仕込み銃を組み込んだ箇所が高温で変形していた。腕を動かす関節パーツや、人工筋肉繊維の動きもところどころにガタが来ているように見える。もっとも、こちらは分解してみなければ正確な診断はできないのだが。
「“仕事”を失敗することはないがな……メンテナンスを頼む」
店主は大げさな身振りで首をすくめてみせる。
「修理したばっかりのところ悪いけどねぇ。詳しく見るまでもないけど、確実に部品取替えがいるわよ。もしかしたらオーバーホールになるかも……」
「構わない」
イクシスは勝手知ったる風で、大きな作業卓を挟んだ向かい側にどかりと座り込んだ。左の義腕を投げ出すように、卓の上にのせる。
全身義体の装着者にとって、義体のコンディションは自身のパフォーマンスを大きく左右する。自らの“仕事”に“失敗”を許さず、常に戦場に身を置くイクシスにとっては猶更だった。義肢の不調はどんなに些細なものでも、死に直結する重大問題となりかねない。
「今から、すぐできるか」
「仕方ないわねぇ。予約もないし……」
店主は少し勿体つけて答えながら、義肢を治具に固定した。
他ならぬ上客の頼みだ。多少要件が立て込んでいても、優先して引き受ける心づもりはあった。それにこのイクシスという傭兵、自らの義体(からだ)など気にもとめないような無茶を度々起こすのだ。こちらが手を尽くして、万全に整備しておかなければ。
「外すわよ」
断りを入れるとイクシスの右肩に触れ、義体から左腕を取り外す。バランスを崩したイクシスは体勢を変えて、イスの背もたれに身体を預けた。サイバネ義体の傭兵は小さくため息をつく。
「ふう……」
「お疲れ様。さっきまでお仕事?」
「“仕事”は昼には終わった」
義腕の分解作業を始めながら技師が尋ねると、傭兵は天井を見上げたままぼそりと答えた。
全身義体は肉体の疲労を感じない反面、脳が感じる疲労は大きい。全身のセンサー類を随時切り替え、姿勢制御と精密動作のためにモーターと人工筋肉を稼働させ続ける。自身の肉体とは異なる機械の身体を動かすことは、サイバネ装着者に強い負担がかかるものだ。
「その後は軍本部だ」
イクシスはうんざりした調子で言葉を続けた。
「手続きが長引いて、な……」
「あらぁ」
今回は意に沿わない雑務を強いられ、一層負荷がかかっているようだった。ツワブキは真面目に聞いているのだか、どうにもわからぬような相づちを打ちながら作業を続けていた。
「でも、よかったわねぇ。行方不明だった人も助かって」
「助かってないぞ」
「えっ?」
ツワブキ技師は思わず手をとめて、イスに座った傭兵を見る。イクシスは“作業を続けろ”と言わんばかりに、あごを動かして卓上の義腕を指した。
「私の仕事は安否の確認だけだ。ドッグタグを見つけた、今回はそれだけだったからな」
「それじゃあ、防衛軍の人は……?」
イクシスは考えるのもうっとうしい、と言わんばかりに首を横に振った。
「知らん。もう生きてはいないだろうがな」
「まあ。残念ねえ」
「ふん、報酬は変わらん。……いや、むしろ有意義な話し合いができた。報酬金の額を上げるために、な」
「あらぁ、そうなの」
そう言う声色に、わずかに愉しそうな響きが混ざる。ツワブキ技師はそれ以上突っ込んで問いただすのはやめておいた。傭兵の報酬交渉など、どのようなえげつない話題がでてくるのか、わかったものではない。
傭兵は黙りこんだ。技師は作業を続ける。
工房の中に弾けるようなジャズの音色と、義腕を分解する工具の音が響いた。秒針の音が、ゆっくりと時を刻んでいく。
「……あら?」
不意に集中が途切れると、いつの間にか音楽が停まっていたことに気づく。ツワブキが作業の手をとめると、室内には秒針の音だけが響いていた。イクシスはまるで電源の切れたオートマトンのように、ぴくりとも動かなかった。
「音楽、このまま消しておこうかしら」
眠っているのかもしれないと思い、呟くように技師が言う。椅子に上体を預けたまま、じっとしていたイクシスのアイ・バイザーがチカリと点滅した。
「……好きにすればいい」
「あら、珍しい」
「そんな気分ってだけだ」
サイバネ傭兵は再び黙り込み、脳髄は瞑想の淵に沈んでいったようだった。ツワブキ技師はミュージック・プレイヤーに手を伸ばす。
スピーカーからスローテンポのナンバーが流れ出す中、技師のこまやかな手つきが軽快なリズムを奏でている。壁に掛けられた秒針は変わらず、乾いた音で時を刻み続けていた。
(スピンオフ2 ”オーサカ;シークレットガーデン” 了)
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