アウトサイド ヒーローズ;エピソード13-11
ディテクティブズ インサイド シティ
「……ウス」
カジロ班長の声に応えたのは、反対側のブロックで待機していた第2班のミワ班長だった。巨漢のミワは眼帯を外すと、路地の前に仁王立ちで陣取った。
トンネルのように細い道からカジロが躍り出ると、滑り込むように転がってミワの股ぐらを潜り抜ける。
「うっひゃああああああ! ……ぐえっ」
逆転を目指して本陣へと斬りこむヤキュー・サムラーイのごとく、カジロは雨に濡れたアスファルトの路面を滑り込んで……レストランの裏手に並べられたゴミ箱の山に突っ込んだ。
ひしゃげた銅鑼を鳴らすような鈍い金属音が響くが、ミワは気にしない。その直後、路地の向こうから飛んでくる獣のような悲鳴。
「がああああ、うああああああああ!」
苔混じりの泥を被り、ゴミや仕舞い忘れられた洗濯物を全身に貼り付けながら、巨大な塊と化したミュータントが路地から飛び出した。牙を剥きだし、雄たけびを上げながら暴走するミュータントを、ミワが真正面から受け止める。
「があああ!」
鱗に覆われたミュータントは、雄たけびをあげながら尚も踏み込む。巨漢のミワ班長でも、血走った目を見開いて我武者羅に暴れる筋肉質のミュータントを抑え込むことはできなかった。踏ん張った両足がじり、じりと後ずさる。
「むううう……!」
唸るミワの両目が見開かれる。眼帯に隠されていた側の眼窩には目玉はなかった。代わりにぽっかりと開いた口と青い舌、瞼を縁取るように並ぶ牙が剥きだされる。ミワ班長の“副口”はうがいをするようにモゴモゴと動くと、毒腺から口内に分泌された刺激性の液体を勢いよく噴き出した。
「ぎゃっ!」
水鉄砲のように飛ばされた毒液は一直線に、ミュータントの眼に突き刺さる。暴走ミュータントは一瞬ひるんだが、すぐに雄たけびをあげて暴れ出した。
「があああああああ!」
「なに……ぐっ!」
爬虫類型の変異を持つミュータントは眼球に保護膜を持っているために毒液が効かなかったのだが、そんなことをミワが知るはずもなかった。
虚を突かれて生まれた隙に、ミワ班長は押し切られて投げ飛ばされ、勢いよく吹っ飛んだ。
「ミワ! ……クソ!」
ゴミ箱の山から這いだしたカジロが目を丸くして叫び、慌てて待機中の盾持ち部隊に指示を飛ばす。
「全員、総がかりで抑え込め! 今度こそ逃がすなよ!」
「『今度こそ逃がすなよ! ……クソ、なんてパワーだ!』」
ミュータント・バー“止まり木”のゲストルーム。照明を落とした室内で、もぞりと影が動く。
汗で湿ったベッドとシーツ。耳につけたままのインカムから流れ続ける、軍警察や“イレギュラーズ”たちの叫び声。そして重い物がぶつかり合う音、いくつものうめき声。
「『チクショウ! 逃がすな、追え!』」
カジロ班長が怒鳴る。どうやら、暴走するミュータントは再び包囲網を突破して逃げ出したらしかった。物がぶつかり合う音、マイクが布地とこすれ合う音が耳の中に響く。
ベッドに横たわり、シーツに包まっていたアマネは「うう……」とうめき声を漏らした。
闘いの音が、叫び声が意識を激しくかき乱して揺さぶっている。割れるように痛む頭には、それ自体苦痛だった。だが、しかし
この状況で動けないのが、何よりももどかしい!
どうしよう、どうしよう……このまま緊急通報をしても病院に運ばれ、しばらく身動きが取れなくなるのは目に見えている。なんとか、なんとかならないか……
「う、ううう……!」
アマネはベッドに縛り付けられたように重い体を引きずって起き上がると、枕元に置いていた携帯端末に手を伸ばした。
「やっちまった……やっちまった……」
“止まり木”の別室。回収してきた薬品アンプルを満載したスーツケースを結局手放せず、自室に持ち帰ってしまったキリシマは頭を抱えていた。
容体が安定した老女は目を覚ました後、自分が用意した薬を飲んでから病院に向かうだろう。そうしたら……
今度こそ薬の出どころが大ぴらになってしまう。バレてしまう、俺が売人だってことが!
「どうしよう、どうしよう……」
逃げる……どこに? 誤魔化す……今度は、どんな嘘を?
巡回判事には間違いなく、もうバレてる。自分に捜査権はないと、彼女は言っていたが……そんな事は問題じゃない。軍警察にチクればいいだけのことだ。メカヘッドの旦那はかばってくれるかもしれないけど、ここまで問題が大きくなったからには、どうなるかわからない……
あてのない想像が頭の中をぐるぐると巡り、結局袋小路に行きつくのも、これで3周目だった。目の前には相変わらず、どっしりと構えるスーツケース……
キリシマ探偵は立ち込める靄のような妄想を振り払うように、頭を横に振った。
これ以上は、どう考えてもしようがない。面倒ごとも言い訳も、証拠隠滅の算段も明日考えることにしよう、と思ってベッドに飛び込もうとした時、テーブルの上の携帯端末が激しく呼び出し音を鳴らした。
「うっひいいいいい!」
キリシマはベッドの上で跳ねあがり、ひっくり返ると慌てて起き上がって、携帯端末に手を伸ばした。
画面にはメッセージを着信した報せ。差出人は……巡回判事、滝アマネ!
「ひっ!」
短い悲鳴をあげ、探偵は携帯端末を放り投げた。しかし慌てて拾い上げて、送られてきたメッセージの文面に目を通した。
数回ノックをした後、キリシマはゲストルームの扉を開けた。
「……もしもーし、刑事さん?」
真っ暗な室内に呼びかけるが、返事はなかった。
メッセージの文面は極めて簡潔だった。”止まり木“のゲストルーム3号室に、薬品アンプルを持ってこい……それだけ。
キリシマは固唾を飲むと、暗い室内に足を踏み入れる。
「刑事さん、いませんかー?」
室内には蒸れたような、こもった空気が溜まっている。病人の気配、乱れた息遣い……
キリシマは思わず身構えた。照明のスイッチを探そうと、壁に手を当てた時、
「うわあああああ!」
探偵は情けない声をあげて、室外に飛びのいた。
暗闇の中で、金色と銀色の光が浮かんでいる。二つの光は妖し火のように揺れながら、こちらをじっと見つめていた。
「クス……リ」
ひどく荒れてしわがれた声が、キリシマに呼びかける。
「クスリ、ヲ……おイテケ……」
「ひゃあ、ひゃあああ!」
探偵は手に持っていた薬品アンプルを床に落とすと、這う這うの体で逃げ出した。
室内から伸ばされた白い腕がアンプルを掴む。
「ハア、ハア……」
やつれた表情のアマネが顔を出し、廊下の灯りの下でアンプルのラベルを検める。
「ヨカった、これデ……!」
アマネはアンプルの蓋を取ると、小瓶の中身を一気にあおった。
薬の副作用によって興奮状態に陥った有隣ミュータントは、ひたすらに暴れながらカガミハラ市街地を駆ける。
暴走ミュータントは追いかける軍警察や“イレギュラーズ”を振り払いながら再開発区域の第6地区から歓楽街の第4地区を抜け、とうとう商業地区の第2地区に現れた。
「あおあああああああ! ……ふう、ふう」
ショッピングセンターの看板を叩きつぶして、ミュータントが吼える。そして激しく息をついた。薬で我を忘れているとはいえ、暴れ続けて体力を消耗していないはずはないのだ。
肩を怒らせてうろつくミュータントを、遠巻きに取り巻く透明シールドの壁。軍警察の警ら隊が周囲を封鎖し、雨に煙る大通りは物々しい空気に包まれていた。
「今度こそ、追い詰めた……!」
全身ずぶ濡れになり、スーツも所々が裂けて泥にまみれていたが、軍警察一般捜査課、クロキ課長の両目は燃えるように輝いていた。
現場を何よりも好む生え抜き、畏れと敬意をこめて“戦闘民族”と揶揄されるクロキは傘もささずに、盾を構える警ら隊員たちに檄を飛ばす。
「お前たち、今度こそ逃がすな! “イレギュラーズ”の皆さんもご一緒なんだ、ここで確保するぞ!」
「おおーう!」
上司と同様にずぶ濡れになりながらも、隊員たちは地を揺らすような声で応える。一緒に待機していた“イレギュラーズ”の戦闘班長、カジロは傘を片手に肩をすくめた。
「やれやれ、苦手なんだよなあ、あのノリ……」
覆面をつけ、全身を黒光りする絶縁装束に包んだ“イレギュラーズ”の班員がカジロに駆け寄ってくる。
「班長! 絶縁装備、全員に行きわたりました!」
「おーう」
カジロは応えると、自らもフルフェイスの絶縁マスクを身につけた。
「その恰好で手から電気を出すって、何だかストライカー雷電みたいですね!」
初めての絶縁装備を身につけた班員が、少しはしゃいだように言う。
「タワケか、そんな立派なモンじゃねえよ!」
カジロはつっけんどんに返して、班員の肩を軽くこづいた。
「……だけどまあ、わるかないな」
「うううう! ……うああああああおおおおおう!」
体力を回復し始めた様子のミュータントが、一際激しく吼える。警ら隊の盾持ち部隊が臨戦態勢に入った。
「いよいよだな……クロキ課長、こちらはいつでも行けます!」
カジロの呼びかけに盾の波から、クロキの拳が突き出される。
「わかった、そっちのタイミングで行ってくれ!」
「了解……」
カジロは部下たちを見回した。そして、暴走ミュータントを挟んで反対側には、ミワ率いる第2班。
「よし……総員、突撃だ!」
(続)
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