アウトサイド ヒーロー:5
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ユージュアル アフェアズ オブ ア ユージュアル タウン
翌朝も朝陽と鳥のさえずりに起こされたレンジは、顔を洗ってホールに向かった。ベーコンエッグもどきの朝食を摂った後、タチバナから背負いかごを渡された。
「今日は昨日できなかった茸採りだな。元々の予定だった獣避けの柵の点検も、一緒に進めてくれい」
レンジがかごを背負い、マダラが機材の入ったリュックサックを背負うと、タチバナが声をかけた。
「レンジ、変身していけよ」
「えっ、今日もですか」
二人は白峰酒造を出ると、ログハウスやコンテナハウス、バラックなどが入り雑じって並ぶナカツガワの町中を、登山口に向かって歩き出した。雷電は歩いている間、そこかしこから見られているのを感じていた。憎しみや恐れの視線ではない。むしろ興味に近いものが向けられているのを感じる。
建物の影に、数人の子どもたちがいる。近づいては来ないけれども、話しかけたそうな顔をしてこちらを見ていた。
「すごく見られてるな」
レンジがぼそりと言うと、マダラはニヤっと笑った。
「昨日の動画を見て、お前さんのファンになったんじゃないか? 手でも振ってやったらどうだ?」
「やめてくれよ」
「あれが、ストライカー雷電」
「かっこよかったねぇ」
ミュータントの子どもたちは、かごを背負った雷電が歩き去っていくのを見送ってから話し始めた。
「お話ししてみたいな」
「真人間なんだろ、相手してくれないよ。バカにされるかもしれない」
「雷電は、そんなことしないよ!」
グループにまざっていたアキが声をあげる。
「何でそんなことがわかるんだよ」
「昨日会ったもん!」
リンがアキの手を握って言う。
「話はしてないって、リンちゃん昨日言ってたの、知ってるんだからな!」
言い返されて、リンは口をきゅっと閉じる。アキは雷電とマダラが向かっていった山をにらんでいた。
レンジとマダラはしばらく山道を登った後、背を屈めて沢沿いの小道を歩いていた。
「これは?」
山菜を採っていたマダラがやって来て、レンジが指さした茸を見る。
「うまいやつだ。採っといてくれ」
「はいよ」
レンジはかごに付いていたナイフで、茸を根元から刈り取った。
「このナイフ、よく切れるな。金属じゃないみたいだけど、何でできてるんだ?」
「ミュータントのでかい猫がいてな、その牙を磨いで作るのさ」
マダラが地面に視線を這わせながら答える。
「うへえ」
レンジは茸をかごに放り込むと、よく似た茸が近くに生えているのに気づいた。
「これも同じ茸じゃないか?」
持っていた大量の茸と山菜をかごに入れてから、マダラがレンジの背中越しに覗きこむ。
「これはよく似た違う茸だな。毒があって食えない」
「まじかよ、そっくりじゃないか」
「まあ、経験がないと難しいさ。俺は小さい頃からやってるからな。さて、そろそろ獣避けを見に行くとしようか」
雷電がかごを背負い、二人が立ち上がりかけた時、マダラのポケットから電子音が鳴り始めた。
通信機を取り出して、画面を立ち上げる。
「救難信号だ。行こう、雷電の力が必要になるかもしれない」
「わかった」
ナカツガワ・コロニーを取り囲む森は、その外縁を獣避けの柵によって区切られている。柵の周囲は木が刈られ、帯のように拓けた土地が延びていた。
救難信号は柵の程近くから発せられていた。雷電はマダラに先行して、柵沿いの道を駆け抜けていた。
「木が倒れて、柵が壊れてる!」
立ち枯れた大木が根元から折れ、柵を押し倒して大きな穴をあけていた。
「『信号はその近くだ。人影を探してくれ』」
通信機でモニターしていたマダラが、雷電のヘッドスピーカー越しに指示を出す。
「了解」
見回すと、近くの木立がなぎ倒されて新しい獣道ができていた。
道の先には、大きな猫型のモンスターが横たわっていた。白色の毛皮に、茶色のぶち模様がついている。頭には数発の銃弾が撃ち込まれ、開いた口からは大振りのナイフを思わせる鋭い牙が二本生えていた。
「モンスターの死骸だ。でかい猫みたいな奴だ」
「『雷電のカメラ越しに、こっちでも見えてるよ。ダガーリンクス、牙山猫だな。……けど、死んでる? 本当に?』」
「頭を何発も撃ち抜かれてる。間違いない」
「『信号は消えてない。まだ何があるはずだ。まずは人を探さないと……』」
マダラが言いかけた時、牙山猫の向こう側に繁った低木がガサガサと揺れた。
身構えるレンジの前に、猟銃を担いだ赤い顔の中年男性が転がりでてきた。そのまま地面に這いつくばり、必死の表情と身振りでうつぶせるように訴えている。雷電も従った。
「助けに来てくれたのか! あんた確か、タチバナさんとこの動画の」
狩人が声をひそめて言う。レンジも小声で返した。
「雷電です。何があったんですか?」
「狩りに出たら、山猫たちが茨鹿を狩ってるのに出くわしてな。触らぬ神にと思ってたが、柵の破れ目から鹿と山猫が禁猟区に入っちまった。何とか食い止めようと思ったんだが」
「あの山猫はあなたが?」
レンジの問いに狩人が頷く。
「あの一匹が精一杯だ。他の猫は逃げ出した。あいつはまだ残っているが、俺の弾じゃ歯が立たん」
「あいつって?」
立木がなぎ倒され、枝を踏み折る音が近づいていた。
「『茨鹿だ!』」
ヘルメットのスピーカーから、マダラが叫ぶ。樹の幹を思わせるような脚に支えられ、引き締まった巨大な筋肉の塊が浮かんでいた。更にその上に太い首が建ち、2つの目玉がギラギラと光っている。大鹿は薄く緑色を帯びた毛皮に被われていた。全身の至る所から袋角が肉厚のひだとなって幾重にも重なって飛び出しているさまは、バラの花を思わせる。
茨鹿は右前脚を引きずって、鼻息荒く周囲を睨んでいる。どの脚も鋭い刃に切り裂かれて血がにじみ、花びらがこぼれ落ちるようだった。
「マダラ、どうしたらいい?」
「『柵の向こうに追い出すのは難しいだろう。繁殖期の茨鹿は神経質だし、狩り立てられて気が立ってるはずだ。もちろん、放っておく訳にもいかない。近くの柵が直せないし、そいつ自身もプラントを荒らすからな』」
「じゃあ、やるしかないのか」
「『ああ、頼む』」
「了解」
雷電は大きく跳んで、うつぶせている狩人から離れると立ち上がった。
「俺が相手だ鹿お化け、“電光石火で、カタをつけるぜ!”」
茨鹿は雷電を見下ろすと、雄牛のような低い声で嘶いた。そうして地面を揺らしながら、猛然と突っ込んできた。
雷電は突撃を横跳びで避け、鹿が体勢を立て直して再度走り込んでくると、脚の間を潜り抜けた。茨鹿の注意を狩人から逸らしたのを見計らうと、手負いの右前脚を殴り付けた。巨大な鹿は構わずに右脚を大きく振り、雷電を引き離した。
「びくともしない! 熊以上の難物だな」
鹿は後ろ脚で立ち上がり、大振りで左前脚を打ち下ろす。地面が大きく抉れた。
「『まだ足りないんだ。もっと撃ちこみ続けてくれ』」
「簡単に言ってくれるなあ」
重機に見まごう巨体の突撃をいなし、柱のような脚を蹴りつけて跳び退く。
「『雷電のスーツは、蹴り飛ばされても大丈夫なはずだ。踏みつけられたら危ないから、それだけは気をつけて』」
「もっとやれってか!」
雷電は茨鹿の股ぐらに潜り込み、左前脚に取りついた。足関節に狙いを定めて殴り続ける。鹿が脚を振り回そうが、後ろ脚で立ち上がろうが武者ぶりついた。
「このスーツは、物を投げるのも強化してくれるのか?」
殴り続けながらレンジが尋ねる。
「『威力も弾道計算もサポートしてくれるはずだが、どうして?』」
「決め手が足りない。必殺技を使う。充電はどうだ?」
大鹿が脚を大地に激しく打ち付けた。雷電は転がり落ちて距離をとる。
「『一発分なら、いけるよ』」
鹿は雷電を正面から睨み付け、体当たりしようとしたがよろめいた。ひたすらに殴られた左前脚の関節が悲鳴をあげたのだ。
「“一撃で十分だ。決めるぜ!”」
スーツにしゃべらされた決め台詞を口から出すままにして、雷電は茨鹿の蹄に巻き上げられた石をつかんだ。体勢を崩し、落ち込んだ頭に狙いを定める。
「“サンダーストライク”」
「『Thunder Strike』」
ベルトから音声が発せられ、全身が青白く輝く。雷電が振りかぶると、全身の電光が肩から腕に集まっていく。
腕を振り下ろして石を投げると、加速した石は一直線に撃ち出され、スラッグ弾のように巨大な鹿の眉間に突き刺さった。そして頭蓋骨を穿ち抜き、脳を貫いて彼方に飛んでいった。
「『Discharged!』」
茨鹿は断末魔すらあげずに、地響きを立てて倒れこんだ。
柵に応急処置を施してからマダラが追い付くと、三人は獲物を運んで山を下りた。といってもマダラと狩人は、雷電が引きずっている鹿と山猫が引っ掛からないように、周りの枝を切り払うのがせいぜいだったのだが。
コロニーのゲート前には、タチバナを通じて話を聞いた人々が集まっていた。興味津々の子どもたち、家事を終えた主婦、避難してきた農業プラントの労働者たち、その他野次馬たちが集まり、山狩りの装備を固めた猟友会と警備部の面々が待機していた。
「雷電が帰ってきた!」
大きなリヤカーを引いてきたアオが、肉塊を引きずる雷電を見つけて大きく手を振ると、野次馬たちもワアッと声をあげた。男たちはレンジたちに駆け寄り、大鹿と山猫を担ぎ上げてリヤカーまで運んでいった。
タチバナが雷電の肩を叩く。
「お疲れさん。よくやってくれた」
プラントの人々が口々に礼を言う。子どもたちも笑顔で近づいてきた。雷電は変身を解いて皆の顔を満足そうに眺めた。
「あれ、アキとリンは?」
子どもたちも驚いて互いに見回す。真っ先に駆け寄ってきそうな二人連れの姿がなかった。子どもたちがざわつき、大人たちにも波が広がった。
「どうした、アキとリンがいない?」
マダラが人混みをかき分けてやって来る。
「あの二人には、発信機つきのタグを持たせてるんだ。何かあればすぐに探すことができるようにね」
マダラが通信機の画面を立ち上げる。地図を開いて画面をさわると、離ればなれになった2つの点が表示された。
「ひとつはこっちに向かってる。もうひとつは山の中だ!」
人々はざわめき、山狩りの相談をしていた猟友会と警備部の面々は顔を強ばらせた。
すると山を見張っていた人々の中から「リンが来たぞ!」と声があがる。雷電とマダラたちが駆けつけるとひざをすりむき、泥や木の葉にまみれたリンが、泣きべそをかきながら大人たちに囲まれていた。アオが優しくだきしめる。
「リンちゃん、どうしたの?」
「あたしが、こっそり雷電についていきたいって言ったから……山に入ったら、山猫がいて……アキちゃんはあたしを逃がすために、おとりになる、って言って……」
リンが泣きながら、途切れとぎれに話すのを聞いて、レンジは銀色のベルトを腰に巻き付けた。
「行ってくる。マダラ、ナビを頼む」
「待ちなよレンジ、ベルトの充電は切れてるだろ」
マダラは通信機を操作しながら言った。
「必殺技以外は何とかなるだろ」
「ちょっとだけ待ってな……来た!」
エンジンの音が近づいてきて、バイクの黒い影が走り込んできた。無人の大型バイクはクラクションを鳴らし、人垣を左右に分けながらレンジの前に停まった。ボディのキズやヘコミも修理され、陽に照らされて艶やかな光を放っている。
「どうだ、今朝のうちに修理も調整も終わったんだぜ」
「お前、自動操縦なんて勝手につけやがって」
「いいから、バイクに乗って変身してみな」
マダラは悪びれずに言う。レンジは文句をあきらめ、バイクに跨がってベルトのレバーを下ろした。
「“変身”!」
「『OK,Let's get charging!』」
激しいエレキギターとベースの音が轟き、ベルトがカウントを始めた。
「おねがい雷電、アキちゃんを助けて!」
リンが叫ぶと、レンジは親指を立ててみせた。
「任せて」
「『……Maximum!』」
黒いボディスーツと鈍い銀色の鎧がレンジを覆うのと同時に、バイクも銀色の装甲に包まれた。
「『"STRIKER Rai-Den", charged up!』」
「成功だ! これがストライカー雷電の相棒、サンダーイーグルだ!」
銀色の装甲には金色から青にグラデーションがかかったラインが走り、ヘッドライトは猛禽の眼のように鋭い光を放っている。雷電はコツリとバイクを小突いた。
「まさか、ここまでするとはな! 怒る気も失せたよ。なんの役に立つんだこれ」
「いいか雷電、サンダーイーグルはライトニングドライバーのバッテリーを充電する機能があるんだ。バイクのパワーもかなり上がってる。そのまま山道を走れるぜ」
タチバナが撮影用ドローンを飛ばし、装甲バイクにまとわりつかせた。
「道の修理とかは気にするな。ぶっ飛ばしていけ!」
「了解!」
雷電はバイクのエンジンをふかし、木々のトンネルに飛び込んだ。
装甲バイク“サンダーイーグル”は砂利にタイヤを吸い付けるようにしながら、坂道を駆け上がった。一基ずつ搭載された水エンジンとバイオマスエンジンが、息の合った二人三脚で安定した回転数を保っている。マダラの調整は完璧といってよかった。
「マダラ、あんた大した腕だよ」
「『ありがとう! ……バイザーに信号の方向をポイントするよ』」
マダラが言うと、視界の端に三角と丸のサインが浮かび上がった。
「『三角が雷電、丸がアキの持ってるタグだ。ルートはこちらでナビする。しばらく道なりだ』」
「了解」
アキの丸は一ヶ所に留まって動かない。マダラが通信機越しに「次の分岐を左」「次は真っ直ぐ」と指示を飛ばす。山道を走り続けると、三角と丸がじりじり近づいていった。
「『もう少しだ! そこのカーブで道を外れて、そのまま真っ直ぐ藪に突っ込め』」
「無茶を言うなあ!」
文句を言いながらも、雷電はためらいなく藪の中を突き進んだ。石を弾き飛ばし、枝を折りながら道を作っていく。藪を抜けるとダガーリンクスたちが群れ、細い木の周りにたむろしていた。
行き掛けの駄賃とばかりに一頭を撥ね飛ばす。黒い毛皮の山猫は「ギャン」と短い悲鳴をあげて転がった。
「『アキは木の上だ!』」
白地に黒ぶち、茶色の縞模様、茶色と黒の三毛……とりどりの毛色をした山猫たちが雷電を取り囲む。アキは木にしがみついたまま叫んだ。
「助けて、雷電!」
「任せとけ! ……まとめて来やがれ、どら猫ども、“電光石火で、カタをつけるぜ!”」
雷電はバイクを乗り捨てると、跳びかかってきた山猫を避けた。
「充電はどうなってる?」
次々に襲いかかる山猫たちから身をかわしながら雷電が尋ねる。
「『必殺技、一発と半分ってとこかな』」
「まとめて一発分にして、放電時間を伸ばせないか?」
「『やってみる』」
脚に噛みつこうとした山猫を蹴り飛ばす。猫たちは跳びかかってはかわされ、殴られては距離を取ってを繰り返しながら、じりじりと包囲網を狭めていった。今や、前脚を伸ばせば爪の先が雷電に届きそうなほどだ。
「『……できた!』」
大きく息を吐き出してマダラが言った。
「『放電時間はこれまでの倍だ!』」
「ありがとう!」
ダガーリンクスたちが壁になって迫る。一斉に身を屈めて、跳びかかろうとした瞬間、雷電も膝を落とした。
「“サンダーストライク!”」
「『Thunder Strike』」
閃光を纏った右脚が円弧を描き、波のように襲いくる山猫たちを凪ぎ払った。
撃ち漏らした山猫が間髪入れずに跳びかかってくると、雷電は身を翻して左脚を放つ。雷光の曲線が再び山猫たちを貫いた。
「『Discharged!』」
立ち尽くす雷電の周りに、ダガーリンクスたちが重なって倒れていた。
木から滑り落ちるように降りてきたアキは、雷電に抱き止められると泣き出した。ひとしきり泣くと「もう、大丈夫」と言って袖で涙を拭き、雷電の腕から地面に降りた。
雷電は近くに乗り捨てていたサンダーイーグルを起こすと、座席の荷物入れを開けてヘルメットを出し、アキに投げ渡した。
「わっ」
アキがあわてて受け止める。
「それ被って、後ろに乗りな。リンが心配してるぞ」
「うん!」
アキと雷電を乗せたバイクがナカツガワの町に戻ると、鹿狩りを終えた時以上に集まった人々が歓声をあげて、二人を出迎えた。アキは大泣きしているリンとアオからきつく抱き締められ、雷電は町中の人々からもみくちゃにされた。
人々は祭りの日かのように笑い、歌いながら一団となってナカツガワ・コロニーの中央通りを歩いていった。
白峰酒造の前にはクレーンが置かれ、首を落とされて皮を剥がれた茨鹿が吊り下げられていた。巨大な肉塊の血抜きは既に終わり、ところどころの身が削ぎ落とされている。タチバナが店の中からテーブルと椅子を運び出していた。
「皆、おかえり。今日は雷電の活躍を祝って、白峰酒造のおごりだ。鹿鍋を食べていってくれ」
人々は一際大きな歓声をあげた。皆で手伝ってテーブルを並べ、席が足りない分はブルーシートを広げて、宴会が始まった。レンジはブルーシートに腰を下ろすと子どもたちにまとわりつかれながら、ミュータントたちが酒を酌み交わし、鹿鍋に舌鼓を打つのを見ていた。
大宴会は参加者の歌や踊りを交えながら日が沈んだ後も続いたが、子どもたちがうとうとし始めたのを見たタチバナが拡声器で皆に呼びかけ、酒場が普段店じまいするよりも早い時間に解散した。
参加者たちも一緒にテーブルと椅子を片付け、茨鹿の肉塊を部位ごとに切り分けて冷蔵庫に放り込むと、祭りの後はあっという間に片付けられた。アオはアキとリンを寝かしつけるために二人を連れていき、マダラは「ライトニングドライバーの調整をする」と言い、ベルトを持って自室に引っ込んだ。
客たちも去り、がらんとした酒場のホールにタチバナとレンジが残った。タチバナはカウンターの奥からとっておきのウイスキーを取り出すと、ロックにしてなめるように呑みはじめた。客がいる間は呑まないと決めているのだった。
「おやっさん、お疲れ様です」
「お疲れさんは、お前さんだろうに。しかし、レンジからもそう呼ばれるとはなあ」
タチバナは笑ってグラスを置いた。
「レンジも呑んでなかったろう、どうだ一杯?」
「ありがとうございます。でも、俺は飲まないんで……」
「そうか」
「おやっさん」
「うん?」
「雷電をやらせてもらって、ありがとうございます。お蔭で俺、町の人たちに受け入れてもらえました」
タチバナは「よせよ」と言って笑った。
「ベルトを渡したのは俺だが、その後はお前さん自身の頑張りじゃないか。まぁ、そう言ってくれるのは嬉しいんだがな」
タチバナがグラスに再び手を伸ばしかけた時、レンジが「あの」と声をかけた。
「どうした?」
「この町に、チドリさんという人はいませんか?」
「チドリ、ねえ……」
少し考えたが、名前に覚えはなかった。
「わからんな、どんな“なり”をした人なんだ?」
「女の人なんですが、歳は俺より少し下だと思います。こめかみの周りと首から胸元までと、肘から下が鳥みたいな羽に被われています。脚は、脛の辺りから下が鱗になっていて……」
タチバナは腕を組んで「ふーむ」とうなった。
「やっぱりわからんな。少なくとも、今この町にはいないだろう」
レンジはがっかりしたような、どこか安心したような表情で、タチバナの答えを聞いていた。
「そうですか。ありがとうございます」
「そのチドリという人は、お前さんの、その……何だ、ツレか?」
タチバナの問いに、レンジは「違いますよ」と返して軽く笑う。
「会ったことはないですけど、姉みたいな人です」
「ふうん」
タチバナは要領を得ない答えに再びうなって、ウイスキーをぐびりと呑んだ。
「ははは、俺にもまだ分からないんです。……それじゃ、おやすみなさい」
「俺からも、ちょっといいか」
帰りかけたレンジの背中に、タチバナが声をかけた。
「はい?」
レンジが立ち止まり、二人が黙るとホールは静まり返った。
「その……俺はこの町で保安官の真似事をしてるんだが」
「はい」
乾いた声でレンジは返した。
「お前さんの経歴を見せてもらった。オーサカ・セントラル保安管区で保安官殺しの嫌疑がかかっていることもな」
レンジは口を一文字に閉じて、話を聞いている。
「勘違いさせてしまっては済まんが、お前さんを逮捕するわけじゃないんだ。その保安官は悪名高い腐敗デッカーでな。俺も保安官である手前、人を殺すのはいかんと言うしかないが、そいつは調べれば調べるほど、いつどこで殺されてもおかしくなかった。実際、悪徳デッカーがぶち殺されるなんて、よくある話だ。管区をまとめる巡回判事にとってもそいつは厄介者だったんだろう。捜査はすぐに打ち切られた。管区の後ろ暗い事情も一緒に闇に葬って、な」
レンジは黙って、話の続きを待っている。タチバナは努めて軽い語調で話を続けた。
「まあ、お前さんにかかってたのはあくまで疑いに過ぎないし、ここまでオーサカ・セントラルの捜査が来ることはないさ」
「俺です」
「ん?」
「俺が撃ったんですよ、そのデッカー」
表情を変えずにレンジが言う。
「そうか」
「何も言わないんですね」
タチバナは、レンジの表情を探っていた。良心の呵責や、逮捕への恐怖は見えなかった。
「一昨日に言っただろう、この町はどんな奴だって受け入れる、ってな。……いや、一番気になっていることは、そうじゃないんだ」
タチバナは話を区切り、仕切り直して話しはじめた。
「デッカー殺しの現場で、ミュータントの女の子が撃たれて亡くなってるんだが」
レンジの目に、怒りとも哀しみともとれぬ色が浮かぶ。
「それが、どうかしたんですか」
冷徹ささえ感じさせる無機質な声だった。タチバナはレンジの事情に踏み込みすぎたかと思い、一呼吸して間を置いたが、やはり話を続けることにした。
「やって来たばかりだが、お前さんはこの町でよくやってるよ。だが、それは普通の“真人間”にとってはよほど大変なことだってのも、俺は知ってるつもりだ。ミュータントの中にたった一人で入っていくというのはな。普通はどこかでミュータントを恐れるもんだ。それか“自分はミュータントを差別しない人間だ”って意識が鼻につくか、だな。しかし、お前さんはそんなことはなかった。自然にこの町に入ってきたんだ。町の奴らは、ただ役に立つストライカー雷電としてお前さんを受け入れたわけじゃない。仲間として認めたんだ。……だからなあ、俺はお前さんのことを、もっと知りたいと思ったんだ。それで経歴を調べて、事件に出くわした。犠牲者の女の子が気になったのは、長年の保安官稼業から来るクセみたいなもの
だ」
レンジは黙って聞いていたが、眼差しの険しさは少しやわらいでいた。
「おやっさんが言った通り、よくある話ですよ」
脳裏に、タカツキ・サテライトの裏路地が広がった。ごみ袋の山の間に、男がうつ伏せになって倒れている。雲の切れ間から射す月光が、横たわる赤毛の少女を照らした。
ことりは胸に赤い染みを拡げていたが、穏やかな表情で両目を閉じている。
よくあることだ、とレンジは内心、繰り返して言った。悪徳デッカーが路地裏で殺されることも、ミュータントの女の子が撃たれて死ぬことも。
どこにでもあるような町の、ありふれた出来事に過ぎないのだ。
「デッカーらしいやり口で嫌な思いをさせたのは悪かった。お前さんが背負ってるものが何かはわからんが、話すことで楽になるのなら、いつでも話を聞くぞ」
「ありがとう。……でも、大丈夫です」
レンジは「おやすみなさい」と言って再び歩きだした。戸口に入るとき、振り返ってタチバナを見た。
「おやっさん、また明日もよろしく」
「おう」
“STAFF ONLY”と書かれたドアが小さくバタリ、と音をたてて閉まる。タチバナは一人で残り、グラスを傾けた。
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